第2話 飛行機と散歩する(原稿用紙14枚)
二〇一三年十一月二十二日金曜日。例年ならあすは勤労感謝の日で仕事が休みなのに、なんて残念な年なんだ、と、ぼくは、心の中でカレンダーに文句を言いながら、大阪市北東部にある中新庄(なかしんじょう)の駅から、住まいのあるマンションへ向かって歩いていた。
一人暮らしで会社員のぼくは、ついでにスーパーへ立ち寄った。そしていつものように、いわゆる「ワゴンセール」、古くなって、通常よりも安い値段で商品が売られているワゴンを覗いて回る。
あるワゴンで僕は立ち止まる。電卓とか電池とか五十枚入りのDVDやペンライトなどの家電に紛れて、僕の手のひらにすっぽり埋まるくらいの、電卓のような、しかし、電卓にしては液晶画面が大きくて、テンキーのない奇妙なものがうずもれているのだ。
ぼくは妙に興味を惹かれて、見たことのないその電化製品を手に取った。
プラスティックのカバーに覆われたそれは、よく見ると液晶画面がほとんどで、ボタンは三つしかない。緑色のゴム製のボタンで、それぞれ、「on」、「off」、「reset」、と書かれている。プラスティックのカバーには、斜めに貼られた緑色のシールに蛍光の黄色で、
「お散歩のおともに! 飛行機探知機」
と書かれている。
ぼくは数年前から年齢と健康のことを考えて、夜に小一時間ジョギングをしている。ジョギングのおともをしてもらってはいかがなものだろう? と考える。
容器を裏返す。薄い灰色の厚紙に、「取扱い説明書」と書かれてある。それにも一通り目を通してみる。
「単3の電池が一本必要です。(購入時にはセットされています)
初めて使用する際はまず『reset』のボタンを押して下さい。
使い始めるときに『on』のボタンを押して下さい。そうすると、上空を飛ぶ飛行機の出す、特殊な特定の電波を探知するたびに、液晶画面へ、その飛行機が持っている固有の『飛行機番号』が表示されます。その飛行機が遠ざかると表示されなくなります。
使い終わる時は『off』のボタンを押して下さい。もし『off』のボタンを押さずに家庭内で放置していた場合電池の消耗が早くなりますが、人体への影響は特にありません。
注意事項
もし同じ飛行機番号ばかりが続いて表示されるようになったら、いったん『reset』ボタンを押して下さい。そして数秒あいだを置いて、再び『on』ボタンを押して下さい」
書かれているのはそれだけだ。
「製造元ってどこやねん? これ、アヤシイもんじゃないよなぁ? 壊れたらどこに連絡したらええんや?」
ぼくは、ものすごく不審に思う。
しかし。
表のプラスティックのカバーに、遠慮がちに貼られた値札は、なんと消費税込みで五十円! もやし一袋と大して変わらないじゃないか! これならただのおもちゃでもソンはない。
腹は決まった。
安い!
買う!
そしてこいつと一緒に走りなれたいつもの道を、小一時間走るのだ!
ぼくは簡単な料理のできる野菜などと一緒に、税込五十円のその機械をカゴに入れてレジに並んだ。
一人で暮らすには広すぎる、2LDKのマンションに帰宅したぼくは、飲み込むように夕食をとった。そしてさっさとジャージに着替えて外に出た。晩秋の夜気が、頬を冷たく刺す。
「おっと!」
僕は飛行機探知機の「reset」ボタンを押す。次に「on」を押す。
カンタンだ!
だが、その段階ではまだなんの反応もない。
まあ、当然のことだ。
ぼくは飛行機探知機をジャージの上着のポケットに入れ、いつもよりペースを上げて走り出した。
空はよく晴れている。オリオン座の三つ星と、シリウスの青白い光がよく見える。月はない夜のようだ。
ぼくはこれまで空なんてちっとも意識せず、ただアスファルトばかりを見てジョギングをしてきたんだなぁと感じる。
すると北の方から、チカチカと点滅する光が見えた。
飛行機だ!
ぼくは走りながらジャージのポケットに手を入れ、液晶画面に「飛行機番号」なるものが表示されるのを待つ。
飛行機は次第に近づいて来る。大きい。片方は赤い光、もう片方は青白い光。
なのに、飛行機探知機にはなんの反応もない。
ゴーっという飛行機の音が下降気流に乗って普段より大きく聞こえる。
やはり、飛行機探知機にはなんの変化もない。
やがて飛行機は、ぼくの頭上を通り過ぎ、南の方へと消えて行った。
「走ってるのがいけないのカナ」
ぼくは考えた。だってこの機械の売り文句は「お散歩のおともに」だ。こっちのスピードと機械の受信とに何かの関係があるのかもしれない。
そうだ。歩いてみよう。
ぼくは歩き始めた。
また北の方から飛行機の明かりが近づいて来た。今度はヤブ蚊のように小さい。星とみまごうような、オレンジ色の光だ。
ぼくは、期待を込めて、飛行機探知機を取り出してみる。
すると、今度は液晶画面で、数字らしきものが、まるで照れているかのように、出ようか出まいか迷っているみたいだ。
しばらくするとそこには、
「645」
という数字が現れた。
「おお!」
ぼくは一人叫んで空を見上げる。
飛行機はちょうど頭上にある。
夜空で明滅する光が遠ざかるとともに、液晶の表示は、また照れるように、消えた。
そのあとすぐに、次の飛行機がやって来た。ぼくは次第に要領が飲み込めてきた。
「710」
今度はそう現われた。
また次は、
「794」。
そしてその次は「1603」。
「あれ?」
ぼくはそこまで来て、ふと気づいた。
「年号?」
六四五年 大化の改新
七一〇年 平城京遷都
七九四年 平安京遷都
一六〇三年江戸幕府が興る
ぼくは次の飛行機を待つことにした。
また北の方から飛行機が来た。
「6100」
6100? 年号だとしたら、果てしなく未来じゃないか!
そしてその次の飛行機から受信した数字は「58」。
ぼくは、最初に意味ありげな数字が並んだことは一種のビギナーズラック、たまたまだったんだと思うことにした。
「気づかなかっただけで、飛行機って案外たくさん頭上を飛んでんだなー」
ぼくは改めて、アスファルトばかり見て走っていた自分を悔いた。そうして、明日からは「飛行機と、のんびり散歩をしよう」と思った。
太平洋側の冬は晴れる日が多い。僕は毎晩「飛行機探知機」を手に、ベッドタウンの夜を散歩した。
しかしたまの雨や曇りの日は、上空を飛ぶ飛行機の光が見えても、探知機には数字が表示されない。恐らく雨や雲の粒に当たると散乱する周波数が使われているのだろう、推測に過ぎないけれど。
ジョギングだと走っているうちに体が温まってくるけれど、散歩ではなかなかそうもいかない。僕はジョギングしていたころよりもはるかに着膨れをして、散歩をした。
それでも、「飛行機探知機」に届く無秩序な数字はぼくをひどく楽しませてくれた。ときどき初めてのときのように年号が続くことがあり、ぼくは喜び、興奮した。
その数字には本当に秩序がないみたいだった。ぼくは散歩をするようになって、上空を通る飛行機の大きさに違いがあることに気づいた。まあこれは高度の差かもしれない。でも単純に考えて、大きく見える飛行機から大きな数字が届き、小さく見える飛行機からは小さな数字が届くかというと、まったくそうではない。小さく見える飛行機から、「193839」という、六桁の数字が届いたことがある。数字の桁にはいろいろあるけれど、六桁というのは、あれ一回きりだった。
二〇一四年に入ってから、小さなメモ帳とペンを持って散歩に出かけるようになった。その日に受信した飛行機番号を控えるためだ。あわよくばそこに規則性を見出せたらと願うけれど、おそらくそれは期待外れに終わるだろう。なんとなく、そんな気がする。
夏の暑い盛りのころ。
いつしか顔なじみになっていた散歩仲間の男性とすれ違った。仲間とはいえぼくが勝手にそう思っているだけで、向こうがぼくのことをどれだけ認識しているかはわからない。
ぼくより年上の五十代くらいで、白髪交じりのその人は、ぼくに向かって欧米人のように、両手を上に向け、肩をそびやかして来た。
「ん?」
ぼくは彼に、疑問の表情を向けた。
彼はこちらへ近づいて来る。
「あなたもしてるでしょう、飛行機探知機」
彼のことばを聞いてぼくの心臓は大きく鳴り始めた。
まさかあれを違法なものだと問いただされたりすることは……ないだろう……。
「驚くことないですよ。この辺を散歩してる中年、特に男性は、ほとんどがナンバーを受信することを楽しみにしてるんですよ。わたしが知ってるだけでも、あなたとわたしを含めて八人はいますよ。
わたしの会社の同僚に聞いたら、彼らの散歩仲間にも数人いるとかで、どうやらあの機械、世界中にマニアがいるっていう噂があるんですよ」
「誰が発信してるとか、ご存じじゃないんですか?」
「世界中には酔狂な金持ちがたくさんいるみたいでね。
わたしたちみたいな『受信マニア』がいるなら、世界中のどこかに『送信マニア』がいてもおかしくないんじゃないですか?」
「そんなものなんでしょうかねぇ……」
「ところでお兄さん。ここだけの話なんですけどね……」
その人は、近々この近辺を対象に、「のら猫送受信」というのが始まる、と言った。なんでも、送信マニアたちが一匹一匹ののら猫をつかまえて、ミクロサイズのチップを埋め込み、そこから発信される電波を数字に置き換えて、受信マニアたちが探知機で受信する、といった試みなのだそうだ。確かにこの界隈、のら猫は多い……。
「どう? 乗らない? 探知機の値段は、税込五十円」
ぼくが「のら猫探知機」を持ち歩き始めてから半年。また冬が来た。
のら猫探知機を売ってくれた男性によると、この機械もすでに世界中に普及しているらしい。
ぼくは、「受信仲間」とは毎晩あいさつをする。探知する十匹くらいののら猫たちともすっかり仲良くなって、一匹一匹頭を撫(な)でて通り過ぎる。
今となっては、数字でしか反応しなかった飛行機探知機のどこが楽しかったのだろうという気さえしている。
ぼくの毎日は、とても充実している。
だけど、と思う。
ぼくにのら猫探知機を売ってくれたあの男性。一体誰なんだろう?
ことばも、この辺りの人には珍しい標準語を使うし、のら猫探知機の代金もあの人に支払ったし、探知機を持っている人たちについてもずい分詳しいし……。
四百字詰め原稿用紙 十四枚
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