14P to 15P目

僕と佳純は1月も2月の上旬も、変わらずに二人で過ごしていた。何も変わる事はなく、ただ幸せだった。

2月14日、佳純の誕生日になって、僕は佳純に手紙を書いた。誰かに手紙を書くなんて、26年も生きてきて初めてのことだった。プレゼントに買ったネックレスの箱の中に、その手紙を忍ばせて、夜の8時のバイト終わり、僕は佳純が待つ家に帰宅した。


「おかえりなさい!光一くん!プレゼント!プレゼント!ワクワクだね!」

「ただいま佳純、サプライズなんてなかったんや…」

「昨日買ったケーキだしてほしいな!ロウソク立てて一緒に食べよっ」

「ちょ、ちょっと待って佳純、バイト終わりで体汚れてるからチャチャっとお風呂はいってくる」

「わかった!待ってるね!今日の夕飯はハンバーグだから早く出てらっしゃい!」


僕がお風呂から上がると、佳純は小さいテーブルにハンバーグとサラダの乗ったお皿を並べていた。白米も用意してあって、ケーキを乗せるスペースが無くなってしまっていた。


「光一くん、ケーキとってとって」


冷蔵庫に入ったケーキは冷たくて、佳純は触れない。僕がケーキを取り出すと、そのまま持っててねと言ってロウソクを立てた。


「光一くんの手の中で、私の誕生が祝われる。そんな幻想的な雰囲気が好きだから、光一くん、ケーキを持ったまま、私のことを祝って」


無茶振りもいいとこだが、これが佳純で、こんな佳純が好きなのだ。僕の手に乗ったケーキのロウソクに火が付けられて、佳純は電気を消した。僕は佳純に何を言おうかずっと悩んでいたが、結局ありきたりな言葉しか出てこなかった。


「た、誕生日おめでとう、佳純」

「…あと?」

「あと?えっと…これからもよろしくね!」

「…それで?」

「え?これからもよろしくね…、あ、ずっと一緒にいようね?とか?」

「ちがーう!なんでそうしたいの?」

「え?…あ!わかった、佳純、大好き」

「私も好き!」


佳純は勢いよく火を吹き消した。部屋中に漂う焦げ臭さが、なんだかその時は快く、心地よく感じた。

それからケーキは緩くなるように外に出しておいて、僕と佳純はハンバーグを食べた。すごく美味しくて、すぐに平らげてしまった。その後二人でケーキを食べて、僕は佳純にプレゼントを渡した。


「わ!わ!これ高いやつだ!知ってるよこのブランド!わぁ〜、嬉しいなぁ。つけよつけよ!今すぐつける!」

「喜んでもらえたなら嬉しいよ」

「光一くん!つけてつけて!首の後ろ難しいんだ!」

「分かった」


僕は佳純の後ろにいって、ネックレスをつけてあげた。留める部分がやけに小さくて、僕の太い指ではかなりつけづらく、なかなかに手間取った。付けたよと言うと、佳純は喜んで、立ち上がって僕に見せてきた。似合う?かわいいかな?とかたくさん聞かれたけど、全部言うまでもないのだ。当然似合うし、当然かわいいし、全部全部が好きなのだ。だけど僕はしっかりと、似合うよ、かわいいよと返事をした。


「あ!箱の中に手紙ある!気づかんかったよ!」


佳純は手紙に気づいて、それを取り出した。


「佳純待って!今は読まないで!恥ずかしいから…僕がいない時とか、寝た後とか、起きる前とか…その辺で読んでほしい」

「あはは、照れ屋さんかよ光一くん。分かった!後で読む!もどかしくて死にそうだけどもね!」


佳純は僕のネックレスをつけたまま、僕のそばに座った。


「光一くん、キスしたい」

「え?あ!うん!僕も、したい」


僕と佳純はキスをした。また佳純が口を開いてきたので、僕も口を開いた。佳純の左手は僕の腰に手を回していたが、右手が居場所もなく宙ぶらりんだったので、僕の左手で握った。佳純の手は、大きな緊張を孕んでいて、かなり強い力で握り返された。目を開けると、佳純は完全に目を閉じていて、頰はかなり紅くなっていた。必死で舌を動かす佳純が愛おしくて、僕は右手で強く佳純を抱きしめた。


「歳をとるっていいものたね」


夜の11時、二人で布団の中で寝っ転がっていた。そして、佳純はそう言った。


「嫌な出来事は過去として風化するし、楽しい出来事は思い出として記憶に残る。都合のいい頭でできた人間に生まれてよかったぁ。ね、光一くん」

「ん?うん、あんま深く考えたことなかったけどね」

「私が歳をとるたびに、死ぬのに一歩一歩着実に進んでて、それを祝うってなんか不謹慎に感じてた時期もあったけど、引き算で考えるより、足し算で考える方がいいって、光一くんと出会って分かった。瘻孔あって、骨も折って、悪性腫瘍もあって、傷痕があって、何回も自殺未遂して、何回も死にかけて、それでも今が楽しいって、それはもう奇跡だね。光一くんがくれた人生の奇跡。私の命が一番輝ける瞬間をくれた。その輝きは、いつもいつも過去最高記録で、時が経てば経つほど眩しくなっちゃう。好きだよ、光一くん」


佳純は僕の腕の上に頭を乗せながら言った。突然僕の首元に顔を近づけて、佳純は僕の首を舐めた。ぞわぞわとしたが、とても気持ちよくて、確か変な声が漏れたと思う。


「ど、どしたの佳純」

「変な気分だぜ…イチャつきてぇ…」

「なんでそんな修羅の国出身みたいな喋り方なの…」

「あはは、ねぇ、光一くん。私もう22歳だよ…光一くんと、いろいろ経験したいなぁ」


佳純が僕の股間に触れた。瞬間、頭をよぎったのは過去の思い出だった。僕の心の準備ができてから、そういう事をしたいとか、そんな事を言った過去を思い出した。全身が緊張で強張って、佳純の指使いが僕の感覚の全てだった。その時に見た光景も、音も匂いも温度も全部、全く感じ取れなかった。とにかく僕の陰部に触れる佳純の指の感覚が、僕の頭を支配していた。不思議と不快な感覚はなくて、気分も悪くなかった。

僕はその夜、佳純と付き合ってから初めて射精した。


2月15日、僕は朝からバイトに行った。全身が倦怠感に包まれていて、是非是非休みたいところだったが、生活費を稼ぐにはバイトに行かざるをえなかった。佳純は、僕が家を出る9時半になってもまだ寝ていて、佳純より初めて早く起きた朝を大事にしたくて、佳純のために朝ごはんを作ってから家を出た。

家に帰ると、佳純がいきなり僕に抱きついてきた。


「おかえりなさい!光一くん!」

「おわ、ただいま、佳純」

「朝ごはんね、世界一美味しかったよ!あんなに美味しい朝ごはんは、人生この先もなかなか経験できなさそうだ!いやぁ、美味しかった!お礼に夜ご飯作ったよ!」

「ありがとね、てか朝ごはんただの目玉焼きとベーコンでしょ」

「隠し味に光一くんの優しさが入ってて、あれはなかなか作れるもんじゃない!」


佳純はすごくテンションが高くて、僕は嬉しかった。


2月16日、佳純は僕よりも早起きで、僕が起きた時には家を出る支度をしていた。


「あれ、佳純どこ行くの?」

「ん!一回実家に帰って、春先の服を持ってくる!どうせ親は仕事でいないからね!」

「そっかそっか」

「 花小金井駅まで電車でいって、そこから光一くんと見たい映画借りてくるよ!帰ったら見ようね!」

「わかった、楽しみにしてる」


佳純が支度している姿が、なんだかとても幻想的に感じた。ファンタジーとかフィクションみたいな、不思議な感覚だった。僕は佳純が御伽の国へ消えてしまいそうな感覚を振り払いたくて、支度している佳純を後ろから抱きしめた。


「おーっと、どしたどした光一くんよ、甘えたいのかな?かわいいねぇ、よしよし」

「…佳純、大好き」

「あはは!照れくさいね!私も大好き!バカップルかな?」


佳純は自分のバッグから僕があげたネックレスを取り出した。


「ねね、光一くんよ、つけてつけて」

「ん、わかった」


佳純の細い首にネックレスをつけた。服越しじゃないと冷たいだろうから、佳純の素肌にネックレスが触れないように気をつけながら。

佳純は化粧をし始めた。僕と同じタイミングで家を出たいから、先にご飯食べちゃったと言っていた。僕は佳純が作った甘い卵焼きと、ふりかけをかけた白米を食べた。佳純の姿はまだ消えかかりそうな雰囲気を纏っていた。真夏の空、強く照る光の下にある水滴みたいな、綺麗で儚い御伽噺のヒロイン。でもどうだろう、今だからそう思うのかもしれない。たしかに僕は、2月16日の朝は佳純を抱きしめたし、上記のような会話をしたが、それは今記したような感情の下での行動かどうかは定かじゃない。まぁ、そんなことどうでもいいか。


僕はバイトが終わって家に帰った。しかし、佳純は帰ってきてなくて、どこかに出かけたのかなとか考えた。夜の9時になっても帰ってこなくて、僕は心配になって佳純に電話した。電話に出たのは佳純ではなく、野太い声をした男だった。


「篠原佳純さんのお知り合いですか?」


僕は佳純ではない人が電話に出て驚いたが、すぐに次の疑問が浮かんだ。篠原?佳純の姓は渡辺で、前に病院に行った時もそうだったから偽名ではないはずで、いろいろと考えるうちに頭の中がごちゃごちゃになった。


「えっと…え、あれ?佳純さん…のケータイ?」

「すみませんが、質問に答えて下さい。あなたは篠原佳純さんのお知り合いですか?」

「あっ、篠原?えー、あの、佳純の…彼氏?です…」

「そうですが、今から…もしくは明日、そうですね、明日がいい。明日○○警察署まで来てもらえますか?お話を伺いたい次第でありまして」

「あ、え?今ですか?あ、違う、明日?てか、あれ?佳純は?」


パニックでほとんど会話になっていなかったと思う。会話のドッジボール。佳純が事件の被害者となった事、事件を起こした人物が自殺した事、たしか他にも聞いた気がするけど、あまり覚えていない。

僕は次の日バイトを休んで、警察署へ向かった。

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