13P目

1月6日の朝、早く寝てしまったから朝の5時くらいに目覚めた。佳純はすでに起きていて、音を極力たてないように、勢いの弱いお湯を出しながら食器を洗っていた。


「あ、光一くん、おはよ。早起きだね、三文くらいは得したと自負していいでしょう」

「おはよう、佳純。三文の徳を得たかどうかは分からないけど…」


佳純が食器洗いをしている姿を、後ろからジッと見ていた。たまらなく愛おしくて、どうにかなりそうだった。食器を洗い終わって、佳純は僕の目の前に座って手を握った。顔がくしゃくしゃになるくらい笑って、しばらく無言で時間が経つと、佳純は僕のことを押し倒した。


「光一くん…」


そう言って佳純は僕にキスをした。寝起きで歯磨きをしてなくて、臭くないかすごく不安になった。いつもならそんな不安はないのだが、その時は、佳純が舌を入れようと口を開いたからだ。僕も身を任せて口を開いて、お互いに舌を絡めた。佳純は歯磨きをした後らしく、少し甘い味がした。

しばらくすると満足したのか、佳純はキスをやめて僕の胸に顔を埋めた。


「光一くん、大好き…」


僕は佳純を抱きしめた。僕の激しく充血した股間に、佳純が自身の陰部を擦り付けているのに気付いていたが、それでも僕は、そのまま佳純を抱きしめた。


「あ、ねぇ、佳純、僕時給上がるんだよ。来月は佳純にプレゼントあげる」


僕はそう言うと、佳純はガバッと起き上がって、すごいね光一くん!と言った。


「は!なんという事だ…私は大事な事を忘れていたよ、光一くん」

「ん?何?というかトイレ行っていい?」

「だめだ、だめだぞ光一くん。この質問に答えてもらわなければ、私は光一くんに、どこにも行く事を許しはしない!」

「え?だ、だからなにが聞きたいの?」

「光一くん、光一くんの誕生日はいつだい?」


僕と佳純はお互いに誕生日を知らなかった。初めて通話した段階で話してもいいレベルの個人情報だが、どういうわけか、これまで一度もお互いに誕生日を聞かなかったのだ。


「あ!そういえば言ってなかったね、意外だなぁ。僕の誕生日は3月9日だよ」

「え!本当に?嘘だ嘘だ、嘘をつけ光一くん」

「なんで?はは、本当だよ」

「なんて事だ…私の誕生日よりもロマンチックじゃないか…光一くんよ…レミオロメンかよってツッコミそうになってしまったぞ」

「あはは、佳純はいつなの?」

「私はね、バレンタインデーだよ!驚くべき事に、女の子が想いを告げるその日に生を受けたのさ!」


二人とも早生まれで、たまたま付き合っている間に誕生日はまだ来ていなかった。それも相まってお互いに自身の生まれた日を相手に告げるのが遅れてのだろうと今は思う。

その日も僕はバイトに行った。帰り道で集めている漫画の新刊をコンビニで見つけ、買って帰った。家に行くと、佳純はご飯を作っていなかった。


「あ、おかえりなさい。ごめんよ光一くん、ご飯作ってないや。体がだるくて」

「ただいま。ご飯は平気だけど、佳純大丈夫?なんか買ってこようか?」

「大丈夫さね、光一くんよ。寝てれば治るものさ。光一くん、そんなにお腹空いてないなら、ご飯食べる前に私の事暖めてほしいかも…」


僕は服を部屋着に着替えて、佳純が寝ている布団の中にお邪魔した。入った瞬間に佳純が抱きついてきて、その後で僕の腕に頭を乗せた。


「ねぇねぇ、光一くん。自由って何かな」

「え?」


佳純は突然僕に質問した。


「光一くんの思う自由って何?」

「僕の思う自由か…なんだろうね、例えばだけど、人の意見に自分の行動を丸投げしないとかかな」

「自分の行動如何は自分自身で決める事?」

「うん、まぁそうかな。自分の意思で行動を決めて動く事が、自由って事でいいんじゃないかな」

「んー、どうかなぁ。光一くん、それなら私は自由だね。宗教に身を任せる事を選択した人も自由だし、この人の意見に合わせようって決断した人も自由だね」

「ん?んー、まぁ確かにそうだね」


僕は佳純が何を言いたいのかわからなかった。バイト終わりで疲れた頭には、あまりにも重い胃もたれするような会話。僕はそれが嫌で、あまり考える事なく返事をしていた。


「光一くん、例えばだよ、例えば自分ならなんでもできるって信じてる人がいて、その人が生涯をかけてかめはめ波を打つ練習してたとしたら、それは自由なのかな?」

「んー、自由じゃないかなぁ」

「じゃあもっと抽象化して、不可能な事をするために時間を浪費すること、それ自体は?」

「佳純…僕結構疲れててさ、できたらいっぺんに何が言いたいか教えてほしいな」

「私は自由ではないってこと」


佳純がどうしてそんな事を言うのか、僕には全く理解できなかった。


「どうして?佳純はむしろ自由の身だと思うけど」

「違うんだ、違うよ光一くん。私はね、自由とは、自分の能力の限界を知り、その範囲内で選択する事だと思うの」

「限界を知ってしまうことが、自由なの?」

「そうだよ。不可能な事をするために時間を浪費する事は、不可能な事なのに"できる!"って信じ込んだ、その妄想の奴隷となっているようなものなの。その妄想は私たちみんなの頭の中に生きていて、普段は身を潜めてるんだけど、ふとした瞬間に顔を出してきて、私たちは気付かぬ間にその妄想に操られてる。その妄想に自由を奪われているんだ」

「…じゃあ人は、その限界を超えられないってこと?常にできる範囲の事しかしてはいけないのかな」

「違うよ。能力の境界線は幾らでも広げられる。それも私たちの能力の限界の範囲内にある。例えば今私が東大の試験を受けても、絶対に合格できないだろうけど、私の能力の限界の範囲内には、勉強するって項目がある。それをすれば私の能力の範囲は広がって、東大の試験に合格することもできるかもしれない。私が自分のことを自由じゃないって言ったのは、私の能力の限界を超えたラインの事を望んで、それを目指して生きているからなの。私がね、ずっと光一くんと一緒にいたいと願う事は、不自由なことなの。だってそれは、不可能な事だから」


納得できない節もあり、暴論と感じる部分もあったが、佳純がどう考えてそう言ったのかは理解できた。そして僕は、それを聞いてすごく悲しくなった。佳純はすぐに死ぬわけではないし、むしろまだまだ長生きできるだろう。ただ、それはおそらくの話しであって、佳純自身は最近の体の不具合をかなり深刻なものだと考えている。それは僕が慰められるものではない。僕は佳純ではないから、その気持ちも痛みもわからない。

僕は佳純の話しを聞いた後で返事ができなくて、ただ黙って佳純を抱きしめた。お腹がとても空いていたが、それ以上に眠たかったので、僕はそのまま寝た。



2月14日、僕は佳純のために家で小さな誕生日パーティをした。

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