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12月26日の朝11時ごろ、佳純のお母さんから電話が来た。
「私は光一くんとここに暮らすの!家よりこっちがいいの!私は私の人生の最後に、笑顔で今まで生きててよかったって言いたいの!私の生涯捧げるって、惜しげも無く言えるような相手に出会えたんだ!離れてたまるか!」
本当に僕にそんな資格があるのか、他の人でも大方僕より佳純を幸せに出来るんじゃないか、そんなことを考えていた。でも僕は、とても嬉しかった。
佳純は大学に行かなくなった。僕も、とりあえず三が日が終わるまでバイトを休むことにした。
12月31日、寒いがとても晴れた空の下で、僕と佳純はコンビニで買ったおにぎりを食べた。吉祥寺駅の公園口から少し歩いたところにある井之頭公園、さらに歩いた先にある西園という原っぱで、二人で食べた。西園という言い方は正しいのかどうか、別に井之頭公園を調べて正式名称を述べるつもりはない。ただ、子供の頃からよく知るこの原っぱを、西園と僕は呼んでいたのだ。
「わぁ、これが井之頭公園かぁ!あれだよね!バラバラ殺人事件の頭だけ見つかってないとこ!」
「覚え方がロック過ぎるよ…おにぎり食べ終わったらバスでうちに帰ろうね」
「えー!私ボート乗りたいな!光一くんと手漕ぎの船で時代の進歩を肌で感じたい!」
「でもここのボート、乗ったら別れるって噂だよ?嫉妬深い弁財天だか大黒天だかなんだかが、ボート乗り場の近くにいて、デートしてるカップルを別れさせるんだってさ」
「私はやだ!別れたくない!でも乗りたいんだ。光一くんとの思い出作りたいの。やったことないことをしたいんだ。全部全部してみたい」
僕はその言葉が嬉しくて、佳純とボートに乗った。僕が漕ぐから、佳純は座っててねと言って、僕がボートを動かした。私も動かしたかったなぁと言っていたが、佳純がボートを漕ぐには、オールの手すりはあまりにも冷たい。
「井之頭公園にはね、銭洗弁天ってゆーのがあって、そこでお金を洗うとたくさん増えるらしいよ。近いから行こっか。あ、そう言えばその神様が嫉妬深い人だったかも」
「おお!いいね!行こ行こ!神様なんかに私と光一くんの仲は引き離せないさ!」
それから僕と佳純は銭洗弁天で、お金を洗った。僕の財布に入った小銭807円と、佳純の財布に入った小銭664円。足して1471円の小銭を洗って、ハンカチで拭いて小銭入れに入れた。洗った小銭の額を正確に覚えているなんて、僕自身普通はそんなことないと思っているが、佳純が何回も言うものだから、覚えてしまった。
「ハオナー、ロロシー」
「なにそれ?」
「ハオナは光一くん!ロロシが私!」
「え?どういう意味?」
「さっきの洗った小銭の額だよ!807円だからハオナくん!664円だからロロシーちゃん!ロロシは伸ばした方が可愛いから、ロロシーちゃんにする!」
ロロシーちゃんが一通り井之頭公園に満足して、僕らはバスで家に帰った。
「佳純、大晦日だしお蕎麦食べる?」
「もちろんさ!あったかいお蕎麦食べる!あとね、ハオナくんよ、今日一日は私のことをロロシーちゃんと呼びなさい」
「じゃあ、まだ夕方にもなってないけどコンビニでお蕎麦買いに行こっか、ロロシーちゃん」
僕らはコンビニでそれぞれ好きなカップ麺を買った。オーソドックスな冷たいお蕎麦と、揚げ玉が乗ったあったかいお蕎麦。
「ハオナくん!もうすぐガキ使始まるよ!笑ってはいけない!今年はスパイだってー!」
「楽しみだね。ロロシーちゃん、お酒呑みながら見よっか」
「お酒あるの?ハオナくんとお酒飲むの久しぶりだー!でも冷たいの飲めないから日本酒とか焼酎がいいな!」
僕の部屋にある八海山を開けた。バイト先の先輩から貰ったのだが、それは一人で呑むのもアレなので部屋でずっと眠っていたものだ。コンビニで買ったエイヒレを開けて、二人のコップに日本酒を注いだ。
「あははは!お腹痛い!」
夜のバカ笑いが許されるのは、きっと大晦日だけだろう。佳純はテレビを見て大笑いしながらも、時折ケータイで時間をチェックしていた。それは、年越しの瞬間をしっかりと認識したかったからだろう。
「あ!あと30秒!年越しくるよ!2011年がもう目の前だ!立って立って!ジャンプするの!」
「ジャンプ?分かった!」
「手を繋ぎながら飛ぼうね!…あと7秒、6…、5…」
「…」
「4…、3…」
「…」
「ハオナくん!」
「え!あ、ロロシーちゃん!」
「せーの!」
僕と佳純は年を越した瞬間に、地球に足がついていない人間の中に入れなかった。佳純が突然僕を呼ぶもんで、タイミングが少しズレたのだ。でも佳純は気付いていない様子だった。しっかり年越しの瞬間に飛べたと、そう思っていた。
「やー!はは!飛べた飛べた!」
「うん…やったね!」
「…今年も…これからも、よろしくね、光一くん」
「え?…あ、そっか…よろしくね、佳純」
「あはは!そうなの!もうロロシーちゃんとハオナくんはいないんだ!二人とも天国でお幸せにって、そういうこと!ロロシーちゃんとハオナくんはね、一緒の時間に生まれて、一緒の時間に死んで、生まれてから死ぬまでずっと相思相愛で、生まれてから死ぬまでずっと幸せだった!いいなぁ、佳純も、そうなりたいや。ね、光一くん」
佳純と僕が寝たのは朝方の4時くらいで、僕のお正月はお昼の12時くらいから始まった。
「…佳純」
「おはよ!光一くん!」
佳純は僕より早く起きてて、僕が目覚めると佳純が目の前にいた。仰向けに寝る僕の上にいたので、おそらくだが、僕が寝てる間、しばらく僕の上で胸に顔を埋めたりしてたのだろう。
「私さ、光一くんと泊まるとき、いつも早起きしてオムツの交換とかしてたの」
「え?うん…知ってるよ」
「でね、今日もそうしたの。その後で、いつもならまた添い寝してグデーって、光一くんが起きるまでダラダラしてるんだけど、今日はなんか無性に恋しくなって、光一くんの上に乗ってほっぺスリスリしたりしてたの」
「あ、そうなの?ヒゲまだ、起きたばっかで剃れてないから、ジョリジョリしたでしょ?」
「ううん、それはそれでよかったよ。で、今光一くんが起きて、私はまだ光一くんの上に乗ってるわけだけど…」
「ん?うん、知ってるよ?どうしたの?」
「光一くん…勃ってる…」
佳純は僕の腰の上に座って、寝起きで勃起した僕の股間の先を手でズボン越しに触った。
「あ!いや!これは違くて、寝起きだからで!トイレ行けば直る!てかめっちゃおしっこしたいからトイレ行ってくるよ!」
僕はそんなことを言って佳純をどかして、トイレで用を足した。クラクラするくらい頰が紅潮していた。僕はとてつもなく興奮してしまっていた。どうしようもなくて、トイレで自分を慰めることにした。
僕がトイレに入って30秒くらい経って、ドアがノックされた。
「光一くんよ、申し訳ない。でもね、嬉しいの。どうしてかな。すごく怖いと思ってたし、もう二度と、セックスなんて、したいと思わなかったんだけど…光一くんならいいかなって、そう思えたの。でも私、膀胱膣瘻で…できないから、せめて、光一くんにしてあげたい。手でも口でも、なんでも使うから…。だから、ドアを開けて欲しいな」
僕はそれを聞いて、言い知れぬ恐怖に見舞われた。なにもおかしな事ではない。むしろ年頃の男女二人、カップルという大義名分、これだけ揃っていてなにもしない方がおかしい事だろう。ただ僕は、そんなことを言う佳純を、不気味な何かとしか思えなかった。幽霊とか妖怪とか、そんな類いに出会った時、僕はそれと全く同じことを思うのだろう。
好意から発せられたであろう佳純の言葉は、あまりにも僕には棘があり過ぎて、精神的にズタズタにされたような、そんな感覚に襲われた。
「あ、ありがとう、佳純。でも、平気だから。僕の、心の準備が出来たら、しよう、そういうこと」
トイレから出ると、佳純は不安そうな顔をしていた。ただでさえ童顔で低身長な佳純が、さらに小さく見えた。ごめんね光一くん、と佳純は言った。どうして謝られたのか、もしかしたら僕の心境を察して、自分が相手に対して不快な思いをさせる行動をしたのだと感じたのかもしれない。だとしたらそれは、とてつもない勘違いだ。確かに僕は不快な感情を抱いたが、それは佳純が悪いのではなく、僕の人間性と、僕が思う佳純という人間への信仰心から生まれたものだからだ。佳純はなにも間違ったことをしていないのに謝った。この一事を考えると、無駄に佳純の心に罪悪感を芽生えさせてしまった、という事だろう。謝ってしかるべきは僕の方だ。罪人は僕だ。しかし、その時僕は、ううん、全然平気だよとか言って、余計に佳純の中に確信を持たせてしまった。私が光一くんを不快にさせてしまった、と。
1月4日の午前11時、僕はバイトに出た。佳純には、バイト行ってくるから、自由にしてていいよと言った。僕が帰宅したのは午後の7時半くらいのことだった。佳純は僕のためにご飯を作ってくれていた。
「光一くんおかえり!今日はね、料理をしてみたの!仕事から帰ってきたご主人様に、お風呂?ご飯?セックス?って聞いてみたいから!」
「そんなストレートな質問はなかなか聞かないけど…じゃあ取り敢えず僕はお風呂入るね。佳純、ありがと」
「うん!じゃあ待ってる!」
お風呂から出て、佳純が作ったオムライスを食べた。佳純は食べながら、美味しいねこれ!と自画自賛していた。髪を乾かそうとしたら、佳純がドライヤーをしてくれて、ワサワサと髪を触られる感覚が、とても気持ちよかった。
「光一くんよ、私は明日、病院に行かなければならないのだ。面倒だけど行ってきまする」
「そっか、定期検診?」
「まぁ、そんな感じ!行きたくないけど、死にたくはないからね!光一くんと、これからも一緒にいたいからさ」
次の日、僕はバイト先で昇給が告げられた。アルバイトスタッフのリーダーとして働いてもらいたい、との事だった。二回返事でありがとうございますと言って、僕は高揚した気分のまま自宅に帰った。少し寄り道をして漫画を立ち読みしたので、家に着いたのは夜の8時くらいだった。佳純はもうすでに寝ていて、すぐそばにある小さな机の上には、佳純が作ったチャーハンとコンソメスープがあった。寝ている佳純にありがとうと言って、僕は冷めたコンソメスープとチャーハンを食べた。その後でお風呂に入って、僕は寝ている佳純のすぐ隣で、一人で動画を見ながら寝た。
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