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佳純は、というよりほとんどの人間は常にケータイを持ち歩いてて、佳純からの連絡は毎日のように来ていた。どんなに遅くても一晩置いて、ごめんよ!寝てた!とかから始まる連絡が来る。

佳純から全く連絡が来ないままおよそ一週間が経った。返信の内容が悪かったのか、返信できないくらいやばい状況なのか、とにかくもう一度メッセージを送りたくて、でもなんと送ったらいいかわからなくて、僕は結局なにも出来なかった。


12月23日、僕はリュックにペン入れした原稿を数本と、大量のネームを入れて、以前佳純が入院していた病院に向かった。受付で渡辺佳純という人物にお見舞いをしたいので、入院してる部屋の番号を教えてくれるように頼んだら、すぐに教えてもらった。

佳純のいる病室に行くと、昼の12時ごろだったが佳純はすやすやと眠っていた。前に出会ってから大して時間が経っているわけでもないが、その時僕は、佳純の顔を見てとても懐かしい気分になった。故郷に帰ってきた感覚のような、多大な安心感を感じた。今すぐ抱きしめたくなるくらいに愛おしくて、僕は寝ている佳純の手を握った。


「佳純…」


僕は寝ている佳純にキスをした。そして僕は、なぜか涙を流した。なかなか泣き止まなくて、佳純のベッドの隣にある椅子に座りながら、そして佳純の手を握りながら、しばらく僕は泣いていた。気付いたら僕は寝てしまっていて、僕が起きた時には佳純も目覚めていた。


「あ…起きた?おはよ、光一くん」

「あ!ごめん!」


僕は握っていた手を離して、連絡もなしに来てしまったことを謝った。佳純は全然平気だよ、むしろ嬉しいとか言ってたと思う。しばらくお互いに沈黙して、僕は佳純に質問をした。


「えっと、佳純、具合は大丈夫?」

「うーん、さすがに大丈夫じゃないかなぁ…あはは」

「そうだよね、うん…。佳純、どうして連絡くれなかったの?」

「……」


佳純は沈黙してしまった。困らせる質問をしたのは分かっていたが、どうしても知りたかった。これからのためにも、お互いのためにも。こちらから沈黙を破ることはしなかった。それはたしかに、逃げ道を作ってあげる事になり、いくらか佳純自身の心身状態を楽にしてあげることは出来るだろうが、根本的な問題をなにも解決出来ない行為となる。それだけはしたくなかった。しばらくして、佳純から返答が来た。


「うーんと…、私ね、もう耐えられなくてね。光一くんはキラキラ輝いてて、私はボロボロに汚れてて、汚れを落とそうと踠いても、動けば新しい泥がつくような、そんな感じなの、今。なにをしようにも全部阻まれて、息つく場所もなくて、ず…ずっと辛いの。ねぇ、光一くん、前にも、聞いたけどさ、私…どうしたらいい?」


その質問に、僕は黙ってしまった。なんと返していいかわからなくて、頭をフル回転させてなにかしら答えを絞り出そうとした。しかし僕が黙って考えているのを見て、佳純はさらに続けた。


「夢を持てばいいのかな?モデルはもう無理だけど…たくさんの人に見られることがトラウマになっちゃってるから…。実は私に余白があるのかな…、勉強の才能があったり、絵が上手かったりとか…仮にそうでも私、やる元気がないや…。ガンで病死するまで家でゴロゴロ過ごすのは…絶対いや…、私は…どうしても、家に居たくないし…。どうしたらいいだろ…光一くん」


僕はいくら考えても、一つしか答えが見つからなかった。いや、正確には他にもいくつか選択肢はあったが、佳純が求めてる答えは多分これだろうというのが一つに絞れた。


「佳純…僕と暮らそう…。一人暮らしだから、僕のアパートに来てよ。朝ごはんは一緒に作ろう。お昼は僕がバイトに出てるけど、夜帰ってくる時には…佳純の好きな…ハンバーグの材料を買ってくるよ。一週間に一度くらいは、外食をしよう。一週間の土日は二人で…デートしよう。佳純とは遊園地も動物園も行ったことないから、映画館も行きたいし、たくさんデートしよう。ねぇ、佳純、だから…あの…お願いだから…じ、自殺なんて考えないで欲しい…頼むから」


話しているうちにだんだんと涙が溢れて来て、次第に声が震えてしまった。佳純から連絡が来なくなった理由は間接的に理解できた。佳純は全てに絶望してしまったから、僕といることも苦痛になってしまったから、生きてそこに存在していること自体が嫌になったのだ。僕は佳純のことを完全には分からないが、少なくとも佳純はそういう子なのだ。自分という人間が、ボロボロに汚れてしまったように感じて、未来があると思っている僕という存在の隣にいるだけで、とてつもなく苦痛に感じていたのだ。それでも佳純は僕のことが好きで、別れを告げることはしたくなくて、でも一緒にいるのも辛くて、出た答えが音信不通のまま死ぬことだったのだろう。僕がここまで確信を持って言えるのは、佳純と話しているうちに、佳純の手首が見えたからだ。過去につけた大きな傷の隣に出来た、まだ新しい大きな傷。細い手首に出来た、生々しい自己への殺人未遂の痕。


「…光一くん、本当に?私、ヒモになるよ?いいの?」

「ヒモっていうのかな…はは。全然構わないよ。佳純が僕の隣にいるのが辛いと言われても、僕は佳純がいないことの方が、何倍も辛い。佳純よりも辛い自信がある。だからとにかく、なにも考えなくてもいいから、僕のためにでいいから、僕の隣にいてほしい」


佳純は笑って僕の手を握った。ありがと、嬉しい、と言っていた。ただのエゴだとも知らずに。いや、知っていたのかもしれないけど。それから僕は、佳純に漫画を持って来たことを話した。


「え!本当かい?見たいよ!光一くん!」


露骨にテンションが上がって、僕はとても嬉しかった。漫画を佳純に読ませてあげたら、さらにテンションが上がった。


「わぁ!やばいね!これは本物の生原稿というやつだ!すごいよこれは!わあ〜!感動だなあ!」


佳純が退院したのはそれから2日後の12月25日、クリスマスの事だった。雲ひとつない晴天であったが、前日よりも随分と冷えた陽気で、佳純の体がとても心配になり、午前10時過ぎくらいに病院に佳純を迎えに行った。


「やあ、光一くん!お迎えだね!恥ずかしいな!見て見て看護婦さんよ!あれが私の大好きさんです!」


自業自得なわけだが、とてつもなく恥ずかしかった。

僕は佳純とタクシーに乗って、佳純の家の近くまで送った。そこにある小さな公園で待ってて!と言われ、僕は公園で小説を読んでいた。大きなボストンバッグを持って佳純が家を出て来たのは、確か20分後くらいのことであった。


「さあ、私はこれからヒモになるのさ!光一くんの家にね、寄生する虫になるのだ!」

「はは。それ重いでしょ、僕が持つよ」


そしてまたタクシーに乗り、僕と佳純は武蔵小金井駅から電車で三鷹駅まで移動した。僕の家のすぐ前にバス停があるので、僕らはバスに乗って、僕以外親すらも来たことがない僕の部屋へ向かった。5畳半のワンルーム、キッチンは全く料理をしないから無駄に綺麗で、トイレもこまめに掃除してるから綺麗だ。部屋には佳純に引かれるような漫画やDVDの類はもう無い。佳純がくると分かっていたので、前日の夜に全て処分したからだ。


「光一くん!私の荷物どこ置こうか!たくさん持って来てしまったから邪魔かも!捨てよっかな!」

「待って待って待って!そこにある小さな机片付けるからそこに置いていいよ!」


その日の夜、僕と佳純は真剣な話しをした。当たり前のようにここまで来てしまったが、佳純は実家から通う普通の女子大生で、その子が突然家出をしてしまった。親からすればそれはとてつもなく心配なことであろう。僕は佳純に親に何と言うのかを質問した。


「なにも言わないよ!私ね、もうあの家に帰りたくないから、こっちの家の方が好きだから、私は黙って家を出た!」

「え…それまずいでしょ。行方不明で捜査とかされちゃったら…」

「平気!なにも悪いことしてないんだから堂々としよう!私は光一くんが好きで、光一くんも私が好き、そんな私が、ここを離れたら死ぬって言ってるんだ!なにがあったって帰るもんか!一生ここに住みたいから、親にはなにも言わないで家を出た!」

「理由になってないよ、佳純…」


結局僕は、家出した女子大生を家に泊めてるやばい奴となった。せっかくのクリスマスということで、夜ご飯は少し贅沢をしてケーキを買うことにした。佳純は生クリームが苦手で、ケーキはチョコかモンブランがいいという要望を受け、僕らは小さいサイズのチョコケーキをホールで買った。家に帰ってケーキを二人で食べた。佳純は冷たいものが食べられないので、常温になるまで部屋で放置してから食べることにした。


「ねーねー、光一くん、ロウソクとか持ってる?」

「ロウソク?クリスマスってロウソクとか立てるっけ?」

「私、好きなの、ロウソク。だからクリスマスでも、ロウソク立てたい!」

「うーん、僕は持ってないなぁ。近くのコンビニに買いに行く?」

「あ!いやいや、ないならいいの!代わりにこれを使うから」


佳純は自身で持って来たボストンバッグから手紙を取り出した。茶色い封筒に入った茶色い便箋。佳純はそれを、僕への手紙と言って渡してきた。


「光一くん、一度だけ、たった一度だけ読める手紙だよ。私からのメッセージ。記録として残しておくにはあまりにも稚拙で、とんでもなく恥ずかしいから、どうか光一くんの頭の中の片隅に、記憶として残しておいてほしいの」

「え?どういうこと?」

「その手紙、読み終わったら筒状にしてロウソクの代わりにケーキに立てよ。それで火をつけてフッて消すの。 ダメかな?もしかしてここ、報知器つけてる?」

「いや、報知器は付いてないけど、できたらとっておきたいかなぁ」

「だーめ。燃やすの。火をつけてこの世界から失くすの。でも代わりに、光一くんの頭の中では、ずっと残ってくれる。なんか神秘的じゃない?世界から無くなったものが、自分の中にだけ存在する。当たり前のようでとても不思議なことだよ」


僕は手紙を読んで、僕らはそれを燃やした。火がケーキに届く直前に息を吹きかけよう、と決めていたが、手紙を半分ほど燃やした段階で、想像以上に火が勢いづいて灰がケーキに落ちて、僕は慌てて火を消した。佳純は、手紙にはまだ燃やせる余白があるよと言って、また火をつけた。灰まみれのチョコケーキに乗った燃えた手紙。その火が再度消えたのは、チョコケーキの上に乗ったチョコがプスプスと焦げ始めた時の事だった。次は私のタイミングで私が消すからと佳純が言って消した。


「光一くん、まだ泣いてる、あはは。ケーキ灰まみれになったねー!」

「うん、もう泣かないから…。どうしよっか、ケーキ」

「灰が乗ったとこだけ切り取って食べよー!」

「…いや、僕が食べるよ。灰も…全部食べる。なんか、狂ってるよね…うん。でも、記憶したいんだ、より鮮明に。その方法がわからないから、こうしたいんだ」


僕が言った言葉は確かこんな感じだった。かなりおかしな発言で、気味悪さも気持ち悪さも、なんかそういう不快な全部を孕んだ不気味な文言。でも、僕はそうしたかった。そうした方が、僕の頭により濃く残る気がしたから。

もし僕が、万が一ロウソクを持っていたなら、あの時佳純はどうしたのだろう。読んだ後に、それでも燃やすのだろうか。燃やすとしたらどこで、どんな風に。今いくら考えても、答えは出そうにない。僕は佳純じゃないから。


佳純にとっても僕にとっても最後のクリスマスは、灰まみれのケーキで締めくくられた。

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