第5話

 対決のテーマは『デート』。

 それぞれ好きな場所を選び、そこに俺を連れて行ってアプローチを行う。

 そしてどちらがよりドキドキしたか、俺がジャッジするという流れだ。

 先行は凛珠。連れて来られた場所が――

「……寂れた公園、だな」

 住宅地の近くにあるものの、遊具などは一切なく、広さも車四台分ほど。しかも行くにはけっこう長い階段を上る必要があり、人があまり寄り付かないためか雑草も目立つ。

 利点といえば、二人きりになるにはもってこいというくらいか。

 俺と凛珠は、唯一の公園デートらしい部分ともいえるベンチに並んで座る。

 花楽は少し離れた場所に立って待機しているが、俺たちのほうを気にする素振りはなく、スマホをいじっていた。

「さて、翔ちゃん」

 あらたまって凛珠が言う。

 横目でチラチラとこちらを窺いながら。

「どうかな?」

「どう……とは?」

「何かこう、感じるものがあるでしょう?」

 寂れた公園で、幼なじみの凛珠と、並んで座る。

 テーマはデートだ。その点を加味すると、なるほどこれは――

「特に何も感じないな」

「ええ!? な、なんで!?」

「なんでと言われても」

 デートらしい箇所が一点もない。

 いや恋人同士が二人きりで過ごせればなんだってデート、とはよく言うが、それは幸せの絶頂にある二人が言ってこそ説得力があるもので、一般論ではない。

 俺の反応が予想外だったのか、凛珠は慌てた様子で距離を詰めてくる。

「ほらほら! 狭いベンチで隣同士! お互いの体温が感じられる急接近だよ!? ドキドキしたりしないの!?」

「うーん、ドキドキするかどうかって訊かれたら……別に……」

 お互いの肩が触れ、確かに凛珠の体温が感じられたが……うん。普通。

 だって、慣れてるし。

 凛珠のこういったスキンシップは初めてではない。

 たぶん隣に座っているのが花楽だったら違ったのだろう。幼なじみ特有の『慣れ』が、ドキドキ感を損ねている。

 付け加えて言うなら、今はこうやって自分から身を寄せているけど、どうせ俺のほうから手を触れてみたりしたらヘタレて逃げ出すんだろうなあ……みたいなガッカリ感も手伝っていたり。

「な、なら!」

 凛珠は立ち上がり、俺の目の前に移動する。

「失礼します!」

 腰を九十度曲げてお辞儀。

 続いてなんと、俺の膝の上に乗っかってきた。

 こ、こいつ――俺を椅子代わりに!?

 日頃から挑発的な言動を繰り返している凛珠だが、ここまで攻めた行動は珍しい。

 俺はすぐ目の前にある凛珠の後頭部を眺めながら、胸の高鳴りを実感する。

 というか、この距離はヤバイ。

 女の子特有の甘い香りがダイレクトに嗅覚を刺激するし、制服はもう夏服だから生地が薄いし、生地が薄いイコール肌のぬくもりを感じやすいということだし、このまま抱きしめたら凛珠はもう逃げようがないよなとか――あ、ブラ紐。

「どう? これならさすがの翔ちゃんでも――」

 俺がブラウス越しに透けて見えるブラ紐に目を奪われているときだった。

 凛珠が後ろを振り向いてきた。

 二人の距離はほぼゼロであり、凛珠が振り向けば当然、すぐそこに俺の顔がある。

 つまり、キスができそうなくらいの至近距離で見つめ合ってしまったわけだ。

「り、凛珠」

「あぴゃあ!」

 何気なく名前を呼ぶと、凛珠は変な声を出しながら飛び退いた。

 そのまま全速力で駆け、反目していたはずの花楽の背に隠れる。

 お、おう……まあそうだよな。そうなるよな。

 勝負を放り出して家まで逃げなかったのが予想外といえば予想外だが、凛珠はいつもどおりの攻撃力全振りヘタレ女子だった。

「前座は終わりましたでしょうか?」

 花楽はまったく余裕の表情で俺、そして背後の凛珠に問う。

「先輩の表情から察するに、判定は聞くまでもないといった感じですが……」

「そ、そんなことない! そんなことないよね! ね、翔ちゃん!」

 同調を求められても困る。

 本音を言うと、膝の上に座られたのは少し……いやかなりドキドキしたが……なんでだろう。

 なんとなく、その事実を口にするのは気恥ずかしかった。

「と、ところで花楽。さっきからずっとスマホ見てたみたいだけど」

 答えに詰まった俺は、はぐらかすように尋ねる。

「凛珠さんを打ち負かすため、情報という武器を調達していました。これです」

 花楽は先程からずっといじっていたスマホの画面を見せてくる。

 そこに表示されていたのは『男心をくすぐる∞のテクニック』という文字。

「相手の特徴や二人の関係性、望む効果やシチュエーション、現在の位置情報などを入力することで、最適なアプローチの仕方を提案してくれる恋愛系アプリです」

「そんなアプリがあるのか」

「はい。アプリはエルステだけではありません。自分で言うのもなんですが、恋愛関連の使えるアプリについてはちょっとした情報通ですので」

「そ、そんなのずるい!」

「ずるくないですよ。誰だって、デート前にはいろいろ下調べをするものです。ねえ凛珠さん。ノープランでデートに行くほどの愚策はありませんよね?」

「ぐぬぬ……」

 対決テーマが『デート』である以上、花楽の主張は理にかなっている。

 凛珠は悔しそうに歯噛みし、自信満々の花楽と睨み合う。

「わたくしと先輩に相応しいデートプランは決まりました。不肖この大町花楽が、先輩に至福のひとときをご提供しましょう」


     ◇ ◇ ◇


「ここです」

 花楽の先導で連れて来られた場所。

 再び駅前の繁華街に戻り、大型ショッピングモール内で目にしたその店は――

「ランジェリーショップ!?」

 女性向けの下着屋さんだった。

 おしゃれな雰囲気全開の、女性向けの下着屋さんだった。

 花楽は俺の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張ってくる。

「さあ入りましょう先輩」

「力強っ!? 待った、待った花楽! それはまずいだろ!」

「なぜです?」

「なぜって……こういう女性向けのお店に、男が入るのは……」

「そんなことはありませんよ。ほら、店内を見てください」

 花楽に促され、俺は店内に視線をやる。

 見ているだけで顔が赤くなるような光景だ。棚や壁にはいろんな色の下着が所狭しと並んでいるし、お店のスタッフさんはこれまたおしゃれで綺麗なお姉さんたちばかり。

 下着を選んでいるお客さんだって――あれ?

 多くは二十代くらいの女性客だ。

 しかしながら、何人か男性の姿もある。それぞれ他の女性客に付き添っているようだ。

「なんで――」

「簡単な理屈です。みんな彼に選んでもらっているんですよ」

「選ぶ!? 自分が穿いたり付けたりするものを、男に!?」

「自分が穿いたり付けたりするものではありますが、その前に『見てもらうもの』でもありますから」

 つまり、店内の男性は他の女性客の付き添いで来た彼氏。

 つまり、ランジェリーショップに男性がいる理由とは――彼女が付ける下着を一緒に選ぶため。

 つまり、花楽は自分たちもこれをやろうと言っているわけだ。

「もうおわかりですね? これがわたくしの提供するデートプランです。先輩、ぜひともわたくしの新しい下着を選んでください」

「そんなの――」

「だ、ダメェ――――ッ!」

 俺が拒否するより先に、後ろの凛珠が顔を真っ赤にして叫んだ。

「不健全! こんなお店に入るだなんて、翔ちゃんの教育上よろしくないよ!」

「お母さんみたいなことを。男の子はいつか母親の手から離れていくものです」

「茶化さないで! だいたいあなたも中学生でしょ? こういうお店はまだ早い! 悪いこと言わないからデパートの婦人服売り場で我慢しよ? うん、名案!」

「女子力が足りませんね凛珠さん。最近の女子中学生ともなれば、これくらいのお店コンビニ感覚で入れます。それとも、凛珠さんはこういうお店に一人で入れない人ですか?」

「う、うぐぅ!」

 途端に言い淀む凛珠。どうやら図星らしい。

「私のことはいいの! とにかくこういう場所はダメ!」

「対決を持ちかけたのは凛珠さんであり、好きな場所を選ぶというルールを定めたのも凛珠さんです。ここはダメ、というようなルールは設定していませんし、お店自体も男性の入店を禁じていません。その主張は些か身勝手すぎるのでは?」

「う、ううう……」

「ふっ、論破ですね」

 強いな、花楽……いや、凛珠が弱すぎるだけかもだけど。

 邪魔者を言い負かした花楽は、しかし俺を上目遣いに見ながら、

「でも先輩がどうしても入りたくない……というなら考え直しますが、どうします?」

 と確認してくる徹底さ。

 凛珠を論破した上でこう訊いてくるのは挑発以外のなにものでもない。

 ならば答えなど決まっている。

 俺は息を吸い、覚悟を決めた。

「よし、入ろう」

「しょ、翔ちゃん!?」

「止めてくれるな凛珠。これはあくまでも公平な勝負のためなんだ」

「絶対に嘘だ! 翔ちゃんがキメ顔するときはだいたい嘘ついてるときだもん!」

 にやにやしないようにと表情筋を引き締めていたのだが、バレていたらしい。

 いやまあ、正直に言うとちょっと期待もあったり。『彼女(候補)の下着を選ぶ』とか、一度は体験してみたいし。うん、花楽の企画力のすごさに文句を言ってくれ!

「決まりですね。では、参りましょう」

 俺は花楽に手を引かれる形で店内へ。凛珠は店の外に置いていく。

 中の様子は店外からでも窺えたが、実際に入ると予想以上に緊張する。

 あっちを見ても下着、こっちを見ても下着。

 赤とか青とか、ブラとかショーツとか、チェックとかボーダーとか花柄とか。

 ……こんなの、健全な男子高校生ならドキドキするなって言うほうが無理だろ。もう場所選びの時点で勝敗決したよ。

 それでも俺は、醜態を晒さぬよう姿勢を正し、まっすぐ前だけを見る。

「先輩、もっと目移りしてくれていいんですよ?」

「いや、やや、そそそんな挙動不審な客になるわけには」

「安心してください。いまでも十二分に挙動不審です」

 微笑する花楽は、俺の心を見透かしているようだった。

 それにしてもこいつ、いままで恋はしていないと言っていたが、この積極性はなんなんだ。緊張もしていないし、どう見ても百戦錬磨のそれだぞ。虚偽の報告だったのか。

 ……いや、バイタリティ100のステータスを思えば、これが普通なのかもしれない。

 攻撃力高めの女子とバイタリティ高めの女子は似て非なるものだ。

 積極的という意味では両者とも同じだが、その方向性は大きく違う。

 エルステの攻撃力とはあくまでも『好きな人』に対する積極性であり、発揮されるのは好きな人ができた後。一途にその人を追い求め続ける。

 対して、バイタリティが示す積極性は『異性』または『恋愛そのもの』に対してのものであり、特定の個人に限定しない。だから必ずしも一途とは言えないし、交際経験がなくても異性や恋愛話に免疫があるから、初めてのお付き合いでも躓くことが少ない。

 凛珠は攻撃力が高いがバイタリティが低いため、反応がウブなのだ。

 一方、バイタリティ全振りの花楽は異性との交流で恥ずかしがることも稀なのだろう。

 しかし凛珠と違って攻撃力はゼロ。

 ということは、あれ?

 つまり――

「あ、これなんてどうでしょう?」

 考え事をしていると、花楽が下着を一つ選んで見せてきた。

 考えていたことが一瞬で吹っ飛んだ。

 花楽が選んだのは、清純なイメージの白。しかし総レースのそれは明らかなセクシー系で、女子中学生が身につけるには大胆すぎる代物だった。

「先輩は何色が好きですか? わたくしは明るい色が好きです。ちなみに現在の色は、形のいいライトイエロー。果物のレモンみたいな色なんですよ」

「なぜ下着の色の表現に『形のいい』なんてものを選んだ」

「いろいろ想像できるかなと」

 想像できたよ! というか店に入ってから想像しっぱなしだよ!

 花楽が店に並ぶアレとかコレとかを着けたらこんなかな……って!

「上手く想像できないなら、実際に見比べてみます?」

 制服の襟部分に指を引っ掛け、胸元に隙間を作ろうとする花楽。

 畳み掛けるような挑発に、俺は悟られぬようこっそり深呼吸する。

 すぅ……はぁー……よしっ。

「不要だ。想像力には自信がある。どちらも甲乙つけがたいと言わせてもらおう」

「先輩。言い方と言葉選びはかっこよさげですが、言っている内容はまったく格好よくないですからね?」

 あ、ダメだ。変に取り繕おうとして思い切り失敗した。

 俺は顔面を手で覆い、赤くなった顔を隠す。恥ずかしさのあまり、そうせざるをえなかった。

「無理して格好つけなくていいですって。むしろそういうウブな反応、わたくし的には大好物です」

「そ、そうか?」

「はい。きゅんきゅんします」

「きゅんきゅんって……」

「わたくし、わかりやすいイケメンタイプよりも先輩みたいな可愛いところがあるほうが好みなので。ステータスだけでは謎でしたが、わたくしと先輩が相性度97%なのに少し納得がいきました」

 面と向かって好みと言われるのは嬉しいが、なにかと格好つけたがる男子高校生のプライド的には素直に喜びがたい。

「あ、先輩っ。あちらにもいいものがありそうですよ。行きましょう」

 花楽は照れまくっている俺の手を引き、さらに店の奥へと誘導する。

 店内はそれほど広くなく、にもかかわらず品数が豊富なので、通路の幅は一人分くらいしかない。必然的に、陳列されている下着と俺の距離はより近くなり、進む足をためらわせた。

「ほらほら先輩、そんなところで立ち止まらず。もっとこっちに来てください」

「いや、ここ狭くて――」

「ほら、お次はこれなんてどうですか?」

 花楽と密着するように隣り合う店内最奥で、新たな下着が指し示された。

 今度の色は女の子らしいピンク。

 なのだが、なぜか穴が開いていた。

 ブラにもショーツにも穴が開いていた。

 クエスチョン。先生、なぜ女の子の下着に穴が開いているんですか?

「……いいんですよ? わたくしがアレを着けているところを想像してくれても。むしろ大いに想像していただきたいところで」

 石像のように硬直する俺。そんな俺の肩に寄りかかりながら言う花楽。

 男子高校生の想像力は無限の力を秘めているな、なんてことを思った。

「おおおお、おまえには早い! 十年……いや、七年か八年くらい早い!」

「けっこう具体的にシミュレーションして割り出したっぽい年数ですね」

 はい!

 花楽のスタイルは中二という事実を差し引いても平均よりはやや下って感じだし、かといって今後が絶望的かといえばそうとも思えないし、仮に成長するとしたら――とか!

「ええい、もう! とにかく新しい下着を決めればいいんだろ! ならこれ!」

 これ以上、心をかき乱されるわけにはいかない!

 切羽詰まった俺は、近場にあった手頃な下着を手に取る。

 ブラとショーツがセットになっていたそれは穴こそ開いていなかったが、どう見てもセクシー系な黒の下着だった。あ、ショーツのサイドが紐だこれ。

「思っていたよりもアダルトですね」

「し、しまったぁ――――っ!」

 そもそもこの辺一帯セクシーランジェリーのコーナーじゃんか!

 初めてのデート、初めての彼女の下着選びで、なんてもの選んでんの俺!?

「でも、悪くありません」

 後悔する俺だったが、花楽は頬をうっすら染めながら、その下着を受け取った。

「色は大胆ですが、わざとらしく大きなリボンが付いているところとか、ちぐはぐな感じがしていいデザインだと思います。これにしますね」

「へ? い、いいのそれで?」

「テキトーとはいえ、先輩が選んでくれたことに変わりはありませんから」

 そう言って、セクシーランジェリーを宝物のように胸に当てる花楽。

 思いのほか喜んでくれている……ようだ。

 てっきり軽蔑されると思ったのに、

「ふふっ。ありがとうございますね、先輩」

 そんな風に感謝されては「やっぱり違うの!」とも言えなかった。

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