第3話
「――いやいや。そこはもうあと押し切るだけでしょ。諦めるとこじゃないでしょ」
「それはおまえ、俺が過去に告白寸前までいって、興奮のせいか相手が鼻血止まらなくなってそれどころじゃなくなった、っていうエピソードを知っての発言か?」
「あ、そうだったね。うん。なんかごめんよ、友柳」
その後、一人で登校してからの休み時間。
我が学び舎である文樹坂学園高等部1―1の教室で、俺は友人と話をしていた。
話題はもちろん今朝の凛珠のことだ。
「君の幼なじみちゃんも、なんだか難儀な性格だねえ」
前の席に座る梶君尋は、椅子ごと後ろを向いて俺の話を親身に聞いてくれる貴重な友人である。多くは「知るかボケ羨ましいわ爆発しろ!」と吐き捨てられる類の話なのに。
中性的な顔立ちで他人へのジェラシーとかそういうものがまったくなく、そもそも恋愛にまるで興味がない男子なので、毎朝起こしに来てくれる可愛い幼なじみの話に対してもニュートラルな意見をくれる。
「毎日の態度からしてもう告白してるも同然なんだから、素直に友柳の好意を受け止めればいいのに」
「それがなー。難しいんだよ。あいつは俺がデレると」
「すぐヘタレる、と」
単純かつ複雑な図式なのである。
凛珠の「好き!」に対し「俺も!」と返すと、「やっぱり冗談!」と返ってくる。
逆に俺から「好きだ!」と言おうものなら「え、何か言った?」ととぼけて逃げ出す。
好意を示すのは大得意なのに、その反応を受け止める能力がない。
攻撃力がすごいのに、防御力がダメダメな幼なじみ。
それが火澄凛珠という少女なのだ。
「それで? 今朝は何か決意したような様子だったけど、火澄ちゃんを攻略する妙案でも思いついたのかい?」
「いいや。むしろベクトル的には真逆だな」
「え? つまり、投了? 諦めるの?」
「ああ。俺は新しい恋を探すことにしたんだ」
俺はスマホを翳しながら、エルステで幸運が100になった話をする。
「へー。それはすごい話だね。運命的な何かを感じるのもわかる気がするよ」
梶はエルステをやっていない。というか、スマホ自体持っていない希少種みたいな高校生だ。しかしそれでも、俺のステータス変動の珍しさについては理解してくれたらしい。
「とはいえ、火澄ちゃんを諦めるのはどうなんだろう?」
「どうって、なにが」
「だって、昔から恋い焦がれていた幼なじみなんだろう? それも中学三年間の空白を経て、久しぶりに再会した幼なじみ。好意的な意味での勝算も十分。もったいなくない?」
「そうは言うけどな。エルステの相性度が1%ってのは致命的だよ」
「それが僕にはよくわからないんだよねえ。いや、そのエルステというアプリが世間で大いに騒がれているのは知っているよ? だけど数字が1%とはいえ、実際に火澄ちゃんは友柳のことを慕っているわけだ。僕なら診断ミスを疑うところだけど」
「……相性1%ってのは、単純に告白してオーケーもらえる確率じゃない。付き合って、それからお互いが幸せになれるかどうかの確率でもあるんだよ」
相性度が低くても交際まで進んだ男女はいる。
だがそういうカップルは必ずと言っていいほど破局した。
つい先日も「あの有名タレント二人が相性度1%の壁を破って電撃結婚!」と報じられた夫婦が、翌日には「わずか一日でのスピード離婚!」と新聞の芸能面を飾ったり。
「無理に初恋を追っかけたって、幸せになれるとは限らないの。俺としても、やっぱ幼なじみには幸せになってもらいたいしな。この選択はお互いのため」
「友柳はそれでいいかもしれないけど、火澄ちゃんは? 気持ちの整理がつけられるとは限らないんじゃないかな」
「俺が彼女作れば、凛珠だって諦めざるをえないさ」
むしろそれを期待している部分も大きい。
いくら相性度1%とはいえ、凛珠は俺のことを諦めたりはしない。すべて承知の上で、あんな無防備ガン攻めスキンシップを繰り返しているのだ。
だけどエルステの数字は絶対だ。
このままじゃお互い必ず不幸になる。
言ってわからせようにも凛珠は俺にちゃんと告白をしたわけでもないので、はぐらかされるのが目に見えている。
だけど、俺に彼女ができれば――
凛珠はきっと身を引く。全力で祝福してくれる。
あいつは、そういう奴だから。
「ふうん。まあ要するに、便利すぎるアプリを使っているからこその悩みってわけだね。どうだろう? 僕みたいにスマホすら持たなければ何も気にしなくなると思うけど」
梶はスマホもガラケーも持たずに見知らぬ土地へ一人旅に出かけるのが趣味という自由人なので、その意見は生粋の現代っ子である俺には残念ながら参考にならなかった。
◇ ◇ ◇
放課後。
なんとなくすぐ帰る気にならなくて、俺は校内をぶらついていた。
いつもなら別のクラスである凛珠がエルステで「一緒に帰ろ」とかメッセージを送ってくるのだが、今日はそれもない。たぶん今朝のことが恥ずかしくて顔を合わせづらいのだろう。
「ホント、めんどくさい奴」
凛珠がこんな風になったのは――おそらく俺の引っ越しが原因だ。
俺と凛珠は三歳からの付き合いで、周囲からは「らぶらぶ」と言われていたらしい。
初邂逅時は何も喋らずただ見つめ合い、お互いの手を握って笑っていたんだとか。
もちろん俺自身はそんなこと覚えていない。
だって三歳児だし。子供の考えることなんて未来の本人にもわからないものだ。
安直に考えるなら……なんかこう、本能的に気に入ったんだろうな。
俺が、凛珠を。
そんでもって、凛珠が、俺を。
あの頃は何をするにも一緒で、血の繋がった兄妹のようだった。
恋愛なんてものは二人とも意識していなかったし、まっすぐに好きと言い合えた。
だが、小学六年生の頃。
それくらいの時期にもなれば、さすがに異性というものの見方も変わってくる。
誰にでもある思春期――そんな時期に、凛珠との別れが決まった。
親の仕事の都合で、俺が引っ越すことになったのだ。
話をしたら、凛珠は大泣きした。
翔ちゃんにもう会えないって、わんわん泣き叫んだ。
予定では三年後に帰ってくるから、また会えるから、俺はそう言い聞かせた。
凛珠が納得するまで、俺は泣かなかった。
凛珠が泣き止んだその夜、俺は一人で泣いた。
本気で辛かったのだ。凛珠と離れ離れになるのが。
――そのことに気づいて「ああ俺は幼なじみに恋をしているんだな」と理解した。
でも当時の俺に、別れ際に想いを伝えるとかそんな気概はなく。
そのまま普通に挨拶をして普通に引っ越しをし、別々の街で中学生になった。
電話やメールは頻繁にしたが、引越し先が遠方だったので直接会うことはなかった。
たぶん、それがいけなかったんだと思う。
会いたいという欲求を抑えに抑え、三年――ついに俺は地元に帰ってきた。
『――おかえりなさい。また会えたね、翔ちゃん』
そうして再会した凛珠は。
なんというか、こう……育っていた。
この三年間で何があったんだっていうくらい育っていた。ぺたんこだった小六の頃とは似ても似つかないくらい育っていた。おまえ中学三年間の成長過程を写真付きでレポートにまとめて見せろと言いたくなった。
ぶっちゃけ超好みな感じの育ち方だったので「ひゃっほう!」な気分だったのだが。
問題は中身だった。
凛珠の俺に対する接し方は、明らかに以前と変わってしまっていた。
どういうことかというと、つまり今朝のような感じである。
「幼なじみ特権!」とか称して挑発的なスキンシップを取ってくるくせに、こちらがそれに応えると途端に尻込みして引いてしまう。
要するに、俺がデレるとヘタレてしまう。
おかげで俺から告白しようとしても躱されてしまい、逆に相手の告白同然の好意を受け止めようとしてもダメという。
今年の頭に再会してから数日、俺はそんなやり取りを繰り返して悟った。
凛珠は、俺と三年間まったく会わなかったせいで。
恋心を拗らせ、ヘタレになってしまったのである!
「なんでだよ!」
ひと気のない踊り場だった。
俺は階段に腰を下ろし、面倒な幼なじみを思って叫んだ。
そして、ぴしゃん、と自分の頬を叩く。
「よしっ」
切り替えよう。
この初恋はもうダメだ、進展しようがない。
俺は新しい恋を探す。エルステもそうせよと言っている。さらば初恋。
……と、言ってもなあ。
「そう簡単に新しい出会いがあるわけでもなく」
俺は一人ごちながら、スマホをいじる。
エルステのステータスは朝と変わらず幸運全振り。
アプリ機能の一つである占いをやってみると、『新しい出会いの兆しあり! あてのない旅に出てみるのもいいかも?』と出た。
おまけに一日一回無料で回せるアプリ内ガチャをやってみると、トークで使えるレアなスタンプが当たった。主に恋人同士で使えるラブいやつが。
違う。俺が求めているのはこのスタンプを送るような相手なんだ。
いっそ占いの言うとおり、あてのない旅に出てみるか。それこそ梶に倣って知らない土地にでも繰り出してみようか。いやスマホは手放せないけど。
途方に暮れながら、腰を上げたそのときである。
リンゴーン♪ リンゴーン♪
手元のスマホから、結婚式で聞くような鐘の音がした。
これは――『運命の出会いベル』!
エルステが持つ機能の一つで、ユーザーの位置情報をオンにしておくと、近くに相性度95%以上の相手がいることを知らせてくれる。エルステユーザー同士ならば互いに鐘の音が鳴り、リアルに運命の出会いを果たすことができるという洒落た機能なのだ。
って、ちょっと待てよ。ということは。
すぐ近くに、俺と相性抜群の女の子がいるってことじゃ――
「ようやく……ようやく見つけました」
声がして、振り向く。
背後の階段を少し上った先に、その子はいた。
自然と見上げる形になってしまったが、それでもまず「すごく小さい」と思ってしまうくらい、小柄な女の子だ。着ている服も、中高一貫である文樹坂学園の中等部の制服。
年下だ。いやそんなことよりも。
可愛い。
肩の辺りで切りそろえられた栗色の髪は、軽くウエーブがかかって少女の印象をゆるふわな感じにまとめている。着崩しが一切ない制服姿も相まって、上品な人形を思わせた。
可愛い――もっと言うなら、可憐。
その子は、スマホを片手に感激した様子でこちらを見つめている。
スマホからは、俺と同様に運命の出会いを演出する鐘の音が響いていた。
「もう会えないかと思いました。わたくしの……運命の人!」
女の子は駆け足で階段を下り、そのままの勢いで俺に飛びついてきた。
咄嗟に受け止める。
胸の中に飛び込んできた体重は驚くほど軽く、簡単に衝撃を吸収できた。同時に飛び込んできた女の子特有の甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。
スマホの画面でも数値を確認する。この子が――
「相性度97%……俺の、運命の人?」
「はいっ。わたくし、中等部二年の大町花楽といいます」
大町花楽。
俺の胸の中で名乗った少女は、嬉し涙を見せながら抱きついてくる。
女の子にこんな熱烈なハグをされるなんて何年ぶりだろう。幼い頃は凛珠によくされていたが、今はもう無理だろうな。きっと手を繋ぐだけでもヘタレる。
「先輩……ですよね? お名前、聞かせてください」
「あっ、ごめん。俺は、友柳翔。高等部一年」
「翔さん……素敵なお名前です。よかった。本当に、会えてよかった……っ」
まるで生き別れの両親に巡り会えたかのような喜びようだ。
大町は俺の胸に顔を埋め、しばらくぎゅっとしたままで――人目がないとはいえ、なんか無性に恥ずかしくなってきた。
「あの……」
「はっ!? す、すいません! わたくしったらつい!」
俺が一声かけて、ようやく離れてくれた。
本人的にも恥ずかしい行動だったのか、大町の顔は打って変わって赤面していた。
それも自覚しているのか、ぱんっ、ぱぱんっ、と何度か頬を叩いて表情を作りなおす。
なんだその反応。めちゃめちゃ可愛いぞ。
「こほんっ。あ、あらためまして――大町花楽です。ぜひ花楽とお呼びください。わたくしは……先輩とお呼びしていいですか? 翔さん、というのも捨てがたいのですが、これまで先輩のお知り合いがいなかったもので。この呼び方に少し憧れていたんです」
と、上目遣いに訊いてくる大町、いや花楽。
俺は頷きながら、返事をする。
「それでいいよ。えっと……か、花楽」
「はいっ。花楽ですよ、先輩。ふふっ、あなたの運命の人です!」
名前を呼ぶ。ただそれだけで、花楽は満面の微笑みを返してくれた。
こ、これは――すごく恥ずかしい!
しかしそれ以上に、すごく嬉しい!
好意という感情が、文句なしの可愛い女の子からガンガンぶつけられてくる。
これがモテるということなのか、幸運全振りステータスの本領なのか!?
「というわけで、先輩」
やばい言葉に詰まる。柄にもなく緊張している。何を話せばいい?
よくよく考えてみれば俺、凛珠以外の女友達とかいないし、
「わたくしとお付き合いしてください」
女の子との会話なんて――えっ?
俺、いま告白された? うろたえている隙に?
「付き合うって、えっ、いきなり? たったいま出会ったばかりなのに?」
「別に珍しいことじゃありませんよ。だって相性度97%、運命の出会いベルが祝福してくれたのですから」
そう言って、花楽は愛おしげにスマホを胸に当てる。
「エルステの相性診断に間違いなし。それも運命の出会いベル付きともなれば、幸せな家庭を築くところまで約束されたも同然です。先輩もご存じでしょう?」
「そりゃまあ、そのとおりだけど」
「ならば、普通の恋愛についてまわる『この人はいい人なのか』『上手く付き合えるだろうか』といった心配はいりません。運命の導きに従い、まずはお付き合いを」
エルステで相性抜群だから。
ただそれだけのことが、初対面でいきなりお付き合いを始める理由になる。
なぜならば、それで失敗したという前例を聞かないからだ。
梶みたいにエルステをやっていない人間からすれば馬鹿みたいな話だろう。
だけど俺たちからしてみれば違う。
流行を飛び越えて社会現象にまで発展した信頼と実績が、「エルステがそう言うなら」「とりあえず付き合ってみようかな」という魅惑的な魔力を持たせる。
――でも、とはいえ、だ。
交際経験ゼロの恋愛初心者な俺としては、尻込みしてしまう部分がある。
「と、とりあえずさ、俺たちまだお互いのことはぜんぜん知らないわけだろ? いくら相性抜群っていってもそれはどうかと思うし、まずは友達あたりから――」
「なるほど。それもそうですね。わたくしも、もっと先輩のことを知りたいです! 先輩、この後のご予定は?」
「家に帰るだけだけど」
「では親睦を兼ねて、初デートとまいりましょう!」
えっ。
と俺が驚く暇もなく、花楽は腕を組んできた。
指先が触れるとか手を繋ぐとかでなく、いきなり腕を組んできたのだ。
「さ、いきましょう? ね?」
可愛い女の子にすぐ左隣でそんな風に言われて、拒める男がいるだろうか。
いいや、いるもんか。
主導権を握られている感は否めないが、この展開を望んでいたんじゃないか。
ならば、流れに乗ろう――ということで。
俺は、運命の相手と初デートをすることになった。
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