第2話
第一章 運命の出会い(神アプリ認定)
エルステはいまから三年ほど前にリリースされ、爆発的な速度で普及していった。
キャッチコピーは『あなたの恋愛ステータスがわかる縁結びのコミュニケーションアプリ』。
いわゆる恋愛偏差値を診断してくれるアプリなのだが、その診断結果をゲーム風のステータスで表示してくれるのが一風変わったところで、そこが中高生にウケたらしい。
ステータスは全部で六つ。
【攻撃力】は、好きな人に対する積極性、一途さを。
【防御力】は、身持ちの堅さ、異性に対する警戒心の強さを。
【バイタリティ】は、恋愛そのものに対する憧れの度合い、興味の大きさを。
【メンタル】は、精神力の強さ、意中の相手に対する許容力を。
【テクニック】は、恋愛における駆け引きの上手さ、相手に合わせる能力を。
【幸運】は、恋愛関係の運の良さ、オカルト的なモテ度を。
それぞれ0から100までの数値で表す。
さらにそのステータスをもとにした相性診断やアドバイスが信頼度抜群で、このアプリに従って行動したら恋が実った、イマイチだった恋人との仲が進展したなど話題に。
新聞やテレビでも報道され、いつしか流行は若者だけのものではなくなっていった。
最近では婚活の必需品とまで言われ、「結婚を考える二十代・三十代に革命を起こした」「少子化社会に終止符を打つ」なんてコメントをする有名人も増えてきたほどだ。
そういえば、この前読んだ小説では高校生の主人公たちが普通にエルステを使っているシーンがあったっけ。世間ではもう、それくらいあたりまえのツールと化している。
……三年前にエルステがリリースされた当時、俺は中一だった。
あの頃は、これがここまで世間に浸透するなんて思いもよらなかった。
エルステが生まれたその瞬間に立ち会った身としては、妙な気分だ。
妙な気分ではあるのだが、一方で納得はしている。
エルステが診断する相性度の的確さ、信頼性、それを無視した場合の結果などを、俺は中学のときに目の当たりにしてきた。トラウマ気味の、少し嫌な思い出だ。
そういった実体験を経て、エルステの実力は本物だと確信している。
だからエルステは俺も普通に使っているし、単純に高校生活には欠かせない。
友人連中と連絡を取り合うときはもっぱらこれだし、恋愛要素を抜きにしても多機能なので、いろいろと使えるアプリなのだ。
まあ、でも。
俺、友柳翔もなんだかんだで十六歳。多感な年頃の高校一年生。
そろそろエルステを、本来の用途である恋愛コミュニケーションアプリとして活かしたいと思っているわけで。
昨夜ついに、そのチャンスが訪れた。
◇ ◇ ◇
神アプリ曰く、俺と凛珠の相性度は1%――だから、というわけではないが。
「彼女を作ろうと思う」
「――えっ」
自宅のリビング。凛珠と二人きりの朝食の場で、俺はそう宣言した。
向かいの席に座っていた凛珠が、ぽとりと食パンを落とす。
続いてわなわなと震えだし、しどろもどろに問いかけてくる。
「しょ、翔ちゃん? ええと、友柳翔さん? いま、なんて言ったの? 寝言? もしかしてまだ寝てる? ラジオ体操する? よし! 私はスタンプカードを押そう!」
「全部押したらジュースでも貰えるのかよ。じゃなくて、もうしっかり起きてる」
「だだだだって! 翔ちゃんが急に変なこと言うから!」
「別に変なことは言ってないだろ。健全な男子高校生が彼女作る宣言しただけだよ」
「彼女ぉ!? そんなの翔ちゃんにはまだ早い! 高一で彼女なんて不良だよぉ!」
「おまえは俺の母親かっ。そして俺は五歳児か何かかっ」
「ででででもぉ!」
幼なじみである俺が彼女を作る。ただそれだけのことで、凛珠は大騒ぎだ。
それも仕方のないことだろう。
片思い中の男子が他に彼女を作るとか言えば、そりゃ恋する乙女は動揺する。
「まあまあ。落ち着けよ凛珠。ほら、とりあえずテーブルに落ちた食パン拾え」
「うん……あ、いちごジャム塗った面が下に……」
「あーあー。じゃあ俺がいま塗ったやつとトレード。ほれ」
「えっ!? あ、でも――」
凛珠が何か言う前に、強引にパンを口に突っ込む。
で、俺は凛珠のパンを拾って口に入れ、咀嚼しながら汚れたテーブルをティッシュで拭く。その様子を見ながら、凛珠も仕方なしといった感じにパンを食べ始めた。
「今日から七月。夏休みも近いだろ? 同学年でも、だいぶカップルが増えてきた」
「えっと、うん。確かに」
「それもこれも、すべてはエルステの恩恵にあやかっているからだ」
俺は片手でスマホをいじりながら、もう片方の手でコーヒーを飲む。ちなみにカップは凛珠とお揃いのペアカップである。
「だねー。『エルステで恋人ができました!』って話、いろんなところで聞くもん。身近でもテレビでも、SNSとか雑誌の投稿欄とかでも」
「相性診断を筆頭に、いろいろ多機能だからな」
「相性……うん。そだねー」
何か思うところがあるのか、凛珠は泣きそうな表情で素っ気ない返事をする。
「そんなエルステだが、実は昨夜アップデートがあった」
「そうだっけ? ――あ、本当だ。でもそんなに大した内容じゃないね」
「ああ。でもな、このアップデートは俺にとって大きな影響があったのだよ」
「どんな?」
「知りたいか? ふっ……これを見よ!」
俺はエルステを起動し、自分のステータス画面を表示。
それを凛珠に見せつける。
友柳翔
【攻撃力】―――――0
【防御力】―――――0
【バイタリティ】――0
【メンタル】――――0
【テクニック】―――0
【幸運】――――――100
「翔ちゃんが……『全振り現象』!? しかも幸運100って、すごい! 初めて見た!」
凛珠の驚きは、俺のその極端なステータスにこそ理由がある。
幸運の値が100、それ以外がすべて0。この数値はとても珍しい。
「あれ? でも翔ちゃんのステータスは、昨日の夕方六時の時点では攻撃力40、防御力30、バイタリティ60、メンタル50、テクニック20、幸運15の特に珍しくもない数値だったはず……」
「さほど特徴的でもない他人のステータスをよくもまあそこまで正確に覚えてるな」
「そ、そこは気にしないで。で、昨日のアップデートでいきなり数値が変わったの?」
「ああ」
エルステのステータスは絶対不変というわけではない。
初回起動時にチュートリアルという形で様々な質問をされ、それに答えることで最初のステータスが決定される。が、これだけでは精度が低い。
より精度を高めるには、かなりボリュームのある恋愛シミュレーションゲームをプレイしたり、任意で設定できる細かなユーザー情報――恋人にしたい芸能人とかアニメキャラとか、自分の身体プロフィールとか、異性の身体で好きな部位はどこかとか、ぶっちゃけ何フェチかとか、そういう恥ずかしい部分――を入力する必要がある。
ここまでやって、ステータスはだいたい完成度50%といったところ。
あとの50%は実際にエルステを使い、ユーザー間でどれくらいの頻度でやり取りをしたか、相手は異性だったかどうか、トークではどんな単語やスタンプを使っているか、登録している友達の人数はどうか、エルステの他の機能や提携している他のアプリはどれくらい使っているかなど、細かくデータを取る。
具体的に何をどう判断しているのかはわからないが、あとはエルステが勝手に診断してくれて、おおむね一ヶ月くらい使っていればステータスは完成形となる。
それ以降も、エルステの使い方しだいでステータスの変動はあるのだが――長く使っているユーザーほど、そういった機会は少なくなってくる。
ちなみに、俺はリリース当時から使っている古参ユーザーだ。
ステータスもここ数ヶ月は変わることがなかった。
それが昨夜いきなり、よりにもよって。
「――幸運値100の全振り現象。これがどういう意味か、わかるだろう?」
ふふん、と得意気に質問する俺。
凛珠は答えられるけど答えたくないといった感じに、ぐぬぬ、と顔をしかめた。
全振り現象とは、一つのステータスが最大数値の100、その他のステータスがオール0になることを意味する。
通常は、どのステータスであっても数値が0になるなんてことはまずない。
しかし六つのステータスの内、どれか一つが極端に高すぎる場合。
そのステータスを際立たせるためなのか、他のステータスが問答無用で0になる。
これが『全振り現象』。名前は誰かが言い始め、いつの間にか浸透していたものだ。
「俺はこれを、モテ期の到来と解釈したね」
凛珠がいつまで経っても答えないので、俺は自分で正解を言う。
幸運のステータスが表すのは、恋愛的な運の良さ。すなわちモテ度。
それがマックスということは――つまり、モテまくりということだ!
「そんなのオカルトだよ!」
凛珠が叫ぶ。
「エルステの幸運値なんて、占いの運勢みたいなものじゃない! 他のステータスに比べて根拠もないし、どのユーザーもだいたい0から30であてにならないし、飾りみたいなものだよ! 気休め! 気休めアクセサリー!」
「だよな。俺も幸運100なんて聞いたことがない。だからこそスゴいんじゃん」
「きっと不具合か何かだってば! それにほら、全振り現象自体珍しくもないし! 私だって絶賛全振り現象発生中ですよほら!」
切羽詰まったように自分のスマホ画面を見せてくる凛珠。
表示されているステータスは攻撃力が100で、それ以外が0。
言うなれば、俺の幼なじみは『攻撃力全振り幼なじみ』なのである。
「ハッ! 翔ちゃんが全振りで私も全振り……ということは!」
凛珠は何かに気づいた様子で、猛然とした勢いでスマホを操作する。
きっと俺との相性度をチェックしているのだろう。ステータスが大幅に変動した今の俺となら、最悪だった相性度も変化しているのでは――と。
しかし、間もなくして凛珠の肩が落ちた。
結果は聞かずともわかる。なんせさっきとっくに確認したし。
幸運全振りの俺と攻撃力全振りの凛珠の相性は、変わらず1%だ。
「ねえ、翔ちゃん。これはあくまでも一般論的な質問なんだけど」
「なんだ?」
「幸運全振りの男の子って、どんなステータスの女の子と相性がいいのかな?」
「あー、それは……」
相性度はステータスだけで決まるわけではない。それこそさっき言ったような細かなプロフィール(何フェチかとか)も参考にされる。が、傾向と呼べるものもちゃんとあった。
たとえば凛珠みたいな攻撃力高めの女の子は一途なので、男側も一途な、つまりは攻撃力高めなステータスだと相性がいい。
だがプロフィール欄で女の子の好みを節操なしにいろいろ入力しまくっていたりすると、浮気性と見なされるのか減点されて相性度が下がったりもする。
他にも、メンタル低めな子は嫉妬心が強いのでバイタリティ高めな気が多いタイプと相性が悪かったりするし、防御力高めな子は心のガードが堅いから人付き合いの上手いテクニックに偏ったタイプのステータスが相性よかったりする。
で、俺みたいな幸運特化ステータスはどうかというと――
「わからん」
「だ、だよねー」
凛珠も言っていたが、幸運のステータスなんて占いみたいなものでオカルトだし。
高ければモテると言われてはいるが、どんなステータスと相性がいいとかは特にない。
凛珠はそれからしばらく黙って朝食を食べ進め、
「……翔ちゃんっ!」
俺が朝食のシメであるりんごゼリーを食べ終わったところで、また叫んだ。
椅子から立ち上がり、なぜかブラウスのボタンを外し始める。
「えっ、なにしてんの」
「ちょ、ちょっと苦しかったのっ。気にしないでっ」
ボタンが二つ、三つ外されると、豊満なバストが枷を外されたみたいに無邪気に弾む。
双丘の中央には魅惑的な谷間と、ピンク色の下着が覗いていた。
それだけでも眼福なのに、凛珠はさらにずいっと身を乗り出してくる。
「ねえ……翔ちゃん。考えてもみて?」
さっきまでとは違う、落ち着いた大人の声色。
特技とでも言うべきか、凛珠はこういう、色気のある声を出すのが得意だった。
「翔ちゃんって、中学時代も彼女いたことなかったよね? 恋愛初心者だよね? そんな翔ちゃんがいきなりモテ期だなんてキケンだよ。悪い女の子に騙されるかも」
「凛珠……?」
「だから、ね?」
凛珠は手を伸ばし、艶やかな仕草で俺の頬を撫でる。
「まずは、私で試してみよ……? 高校生らしい、オトナの男女交際」
フィクション上のサキュバスか、はたまた経験豊富なお姉様キャラか。
凛珠は攻撃力100を体現してみせるかのように、攻めの姿勢で俺を誘惑してくる。
が、
「そりゃ助かる」
俺がその誘惑に応えた途端、幼なじみの大人びた仮面は剥がれ落ちた。
「実を言うと、俺も少し不安だったんだよ。でも、気心の知れた凛珠が初めての彼女になってくれるっていうんなら心強い」
「ははははは、初めてのカノジョぉっ!?」
なんてことはないその単語がクリティカルヒットしたらしく、凛珠は狼狽。
俺から手を引き、それどころか椅子からも立ち上がり、テーブルから距離を取る。
「そういうわけだから、俺からも頼む。俺と――」
「ひゃ……ひゃいダメ――――っ!」
何がダメなのか、凛珠は両腕で大きくバツマークを作った。
「こういう感じに、騙されるかもだから! 今のは練習! 本気じゃないから安心してねよかったね! 誰かに同じようなことされても引っかかっちゃダメだよ!」
「なんだよ練習かよ。でも俺は本当に――」
「わわわわ私! 火澄凛珠は! 友柳翔くんの幼なじみとして!」
なんか宣誓が始まった。
「さ……先に学校行くね――――っ!」
顔を真っ赤に染め上げて、リビングから出ていく幼なじみ。
ドタバタという忙しない足音を聞きながら、俺は嘆息する。
「……後片付けしよ。あいつの分のりんごゼリー、冷蔵庫に入れておくか」
どうせ明日の朝また来るだろうし。
こんな慌ただしい朝も、いつものことだし。
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