いつまでも消えない雪

福本翔太郎

いつまでも消えない雪

「エウレーカ!」


突然聞こえた叫び声。

僕達は気にしない事にしている。

いちいち関わっていると、ろくな事が無いからだ。

今の叫び声の主は僕達の研究室の名物教授藤本先生だ。

名物と言っても何か凄い事をしているわけではない。

ただただ研究室に引きこもって、何やら訳のわからない発明をしている。

「エウレーカ」と言うのはギリシア語で「わかった」と言う意味だ。

けれども、先生はギリシア人ではない。日本人だ。

今年で六十二歳になるおじいちゃん教授だ。

古代ギリシアの天才アルキメデスをとても尊敬していて、何かがあるとすぐにあのように叫ぶのだ。

今までも叫んで僕達が手伝いに行った事がある。

先生は「片方の足で、もう一方の足の爪が切れる爪切り」や「取ろうとしても絶対に他人じゃとれない帽子」それから「飲もうと思っても絶対に飲みこめないガム等々。発明品は意味のわからないものばかりで実用的なものがとても少ない。


この大学の校門前で公開実験をするのだが、毎度のごとく不思議なものばかりで大学内でも名物おじいちゃんになってしまった。僕達もこの研究室にいるおかげでいろいろな事を他の学生から言われるが、そんな事はどうでもいい。

なぜなら、藤本先生は学生や単位に興味が無いから単位を簡単にくれる。僕達のような落ちこぼれ学生のたまり場なのだ。

ここにいれば、この有名大学を卒業できる。


先生は基本的に研究室から出てこない。研究室と言っても僕達が今いるここではない。

もっと奥にある小さな、センスの悪い色で塗られたあの小屋が先生の研究室だ。果たして今日はどんな変な物を作るのだろうか。

実は、先生が変な発明品を自信満々に持ってくるのを楽しみにしているのは、ここにいる全員と大学内にもたくさんいる。

そして、今日の叫び声がとても大きくて迫力があったのが僕達の期待は高まる。

「これは手伝いに行くしか無い。」佐々木がそう言うと皆一斉に小屋の前まで走った。

ガラガラ声の先生の鼻歌が聞こえる。

僕達は早く発明品が見たくてたまら

なくなりドアを開けた。


「先生!大丈夫ですか!」一番先に入った佐々木が声を上げる。僕達もその声のある方へ視線を向けると、そこでは、純白のキラキラした砂のような物に先生が埋まっている。

「先生。どうすればいいですか。」僕達は落ち着いていた。なぜなら、先生がとても笑顔で鼻歌を歌っているからだ。

よほど嬉しいのか僕達が入って来た事すら気付いていないようで、真っ赤な顔をした佐々木を見てぽかんとしている。

「ぽかんはこっちです。先生、今回は何を作られたのですか。」僕は飽きれながらも聞いてみた。

先生は言った。

「雪じゃよ。」

皆そんな説明で納得する訳が無い。しかし、

「雪を作りたかったから作ったんじゃ。何かおかしい事はあるかね。田中君。」

「いえ、何もありません。おつかれさまでした。」と、僕は言う。

納得する訳も無いが先生が雪を作った事に変わりはない、なぜ作りたくなったかなんて、聞く方がおかしい。

そこで佐々木が声を上げた。

「先生質問です。なぜ、この雪は溶けないのでしょう。先ほどから触っているのですがほのかに冷たい程度で全く溶ける気配もありません。」

先生は間髪を入れずに答える。

「いい質問じゃ。なぜなら、溶けない雪を作ったからじゃ。

さあ、ワシは少し出かける用事がある。用が済んだら研究室から出るように。

鍵はしっかり閉めておいてくれ。ではまた。」

先生はそう言うと、雪の中から出て来て、その雪を小さなビンにつめると急いで研究室から出て行ってしまった。


「はぁ。。。」このため息はほぼ同時に皆が吐いた。この研究室の掃除は僕達がやるのだ。これが終わるまで帰れない。

「掃除をさせるためにいつもより大きな声を出して僕達を呼んだんだ。」

佐々木はそう言いながら割れたビーカーを手に取り、シャベルのように使い床に盛られた溶けない雪をすくって片付け始める。

その雪の中から一枚のメモを見つけた。

「なんだこれ。」佐々木が僕達にメモの上に書かれた文字を読み上げる。

「冬美へ、おじいちゃんからのプレゼントだよ。冬美が自分を雪に例えていたのを思い出したんだ。これで消えなくていいんだ。おじいちゃんより。」

そこまで読んでから皆で顔を見合わせ片付けの手を止める。

「これは届けた方が良いんじゃないのか。」と僕が言うと

「これは先生の秘密を知るチャンスだ。」と佐々木が言う。

確かに、先生は自分の家族の話になると口を噤む。

皆の好奇心は明らかにそちらへ傾いた。


議論の結果、届けに行くついでに先生の家族を見る。という事になった。

あまり気が乗らないと言えば嘘になる。興味津々だ。

先生の後をつけるのはもう遅いと思ったが、校門の前でタクシーを拾おうとしている先生を見つける事が出来た。

すぐに僕達もタクシーを拾った。

「あのタクシーを追ってください。」よく刑事ドラマで使われる台詞を言えて僕らも嬉しかったが運転手さんが

「任せろ!事件の匂いがするな。」と言ったのが刑事ドラマ人気を裏付けていた。先生を乗せたタクシーは5分ほどで停まった。僕達もその後ろに停める。佐々木が口を開く

「え。。。病院?」

そこには、この地域に住む人は皆行く大きな病院だった。僕はとても嫌な予感がした。入るのを躊躇うほどだ。


一方佐々木は違う。

「先生入っちゃったよ!皆早く行くぞ!」

皆の期待も高ぶっているので僕も後ろから着いて行く。先生がエレベーターに乗ったのが見えたのでエレベーターが停まる階だけ見る事が出来る。

「1・2・3・4、5。5階だ!」佐々木が刑事ドラマの主役刑事のようになっている。ここまで熱くなってしまうと誰も手はつけられない。

佐々木が階段で行くと言えば階段なのだ。

「階段ダッシュなんて中学以来だ。それより、5階に来たけど何処にいるかわからないだろ。」僕は静かに言った。

佐々木は待ってましたと言わんばかりに先生の手紙を見せつけ

「田中君ここにある名前、冬美さんを片っ端から探すんだよ!さあ、行け!」と、やはり簡単には止められない。探すしかないが、大きい病院と言っても一フロアに二十部屋ほどしかない。見つけるのは容易だ。


僕達が騒いでいたところを左手にまっすぐ行った突き当たりに「藤本冬美」の文字があった。先生の声も少し聞こえる。病院の個室はとても入りにくい。

それは、佐々木も同感だったようで先生の手紙を個室の前に置いてノックだけする事にし、僕達は病室の扉が見える廊下の角に身を潜める。

先生がめんどくさそうに出て来た。その奥にはベットの上で休む小学校低学年くらいの女の子が見えた。

そこで佐々木の心境に何の変化があったかはわからないがスタスタと先生の目の前に歩いて行ってしまった。

佐々木に呼ばれたので仕方が無く僕達も先生の目の前で挨拶をする。

「君たちは何をしているんだね。」そう言われ僕達は口を開く事が出来なかった。唾を飲む音が妙に大きく感じる。佐々木が静かに口を開いた

「冬美ちゃんはなんの病気なんですか。」先生はそう聞かれると肩を落としながらも僕達を病室に入れてくれた。

「言うつもりは無かったんだが、ここまで来たからには教えてあげよう。」先生はベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛け俯むいた顔を上げながら語り始めた。

「冬美はワシの孫じゃ。

しかし、冬美の病気が見つかって家族はバラバラになってしまった。

両親が両方親権を放棄するなんて普通ではない。

それで、ワシが面倒を見る事にしたんじゃ。」先生の拳しに力が入るのがわかった。


「冬美の病気は思ったより悪くてな。三年は生きられないと医者にも言われた。

そう言われてから今年で三年なんじゃ。

もう、ワシの声も聞こえてないかもしれん。

でも、いいんじゃ。ワシが責任を持って育てると決めたからの…」

佐々木が手を挙げる。

「先生。質問です。冬美ちゃんの病気は一体なんですか。」

先生は目に溜めた涙を頬にこぼしながら答える。

「癌じゃ。もう、永くない。」病室がとても静かに、時が止まっているような空間になる。このまま時が止まってしまえば先生も冬美さんと別れなくてすむのだろう。けれども、時は過ぎて行く。刻一刻とお別れは近づいている。先生が涙を流して俯いてしまった。


その時、ブザーが鳴り、病室に医者と看護婦さんが飛び込んで来た。

「藤本さん、これが冬美さんとの最後の時かもしれません。私達にはもう…」そこで、先生が医者の言葉を手で止め、鞄からビンを取り出した。


「看護婦さん病室少し散らかしても良いですか。」先生がそう

言い終わると看護婦さんの返事を待たずビンの中身を天井に向けて振りまいた。涙を流しながらガラガラの声で


「最後に冬美が言ったんです。

「雪は降って来て、積もって、それで溶けて行くね。私もそうなのかな。でも、ちゃんと冬に、またおじいちゃんに会いにくるから…」」


先生はそこまで言うと泣き崩れ、孫の名前を何度も何度も叫んだ。僕は先生に寄り添い肩を抱いた。

「先生、凄く綺麗です。病室の中なのにこんなに綺麗な雪を見れるなんて。先生顔を上げてください。」

先生が降らせた雪はしっかり舞い一粒一粒が輝いて必死に生きようとしている。冬美さんもきっとそう。必死に舞おうとしているんだ。

病室の中に響いていた連続音が止まった。しっかりおじいちゃんの作った雪を見てくれていただろう。

冬美さんの姿をみればわかる。棚には、「起きなくても爪が切れる爪切り。」「研究室で見た飲み込めないガム。」「頭には他人じゃ絶対にとれない帽子。」

先生の発明品は冬美さんの笑顔を守るための立派な発明だったんだ。

「先生。最後、冬美さん笑ってましたよ。きっと、先生の心の中で一生溶ける事は無い雪の結晶になれたのではないでしょうか。」

微かに笑った冬美さんの耳に雫が落ちた。


END

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いつまでも消えない雪 福本翔太郎 @fukutaro111

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