一章 竜と魔法使い

第3話 登校=下校

 瑞池の家は如月町の「西側」の新興住宅地に存在する一般的な一戸建てである。

 如月町のなかでも比較的新しく、ショッピングモールもある。電車三〇分かかった先の新城しんじょう市には劣るが、まぁ賑やかと呼んで差し支えない。


 彼らが通う如月高校の周辺とは、同じ如月町でも、それほど長くもないはずの如月橋を渡るだけで、その風景はガラリと変わる。


 まぁ、そこには川を挟んで東西に分けた熾烈な「冷戦」の歴史があるため、「同じ」と言い切ると少々争いの元になるためにひとまず置いておこう。


 ーーさて、そんなわけで倉澤家。

 応接室ととしてよく利用している和室で、美影と並んで両親と向かい合っている。

 それも正座で。


 何故こんなことになっているのかーー、

 答えは隣にいる少女が握っている。


「申し遅れました。私、如月高校三年の香坂美影と申します」


 顔立ちが整っているのは今更であるが、身を包んだ高校の制服は下ろしたてのようにピシッとしていたし、大人しめであるが香水までふりかけていた。


 そして何より、茶道やら華道やらの教本に載せたいと思えるほどの美しい所作。

 どのくらい綺麗かといえば、礼儀や作法にとんと疎い瑞池が綺麗と理解できるほどである。


(どうなってんの?)

 その展開に追いついていないのは両親もだが、瑞池もまた今の状況を飲み込めていない。


 なぜ美影は両親に挨拶に来ている?

(結婚の挨拶か何か?)

 こんな妄想が漏れれば両親の前だろうと一発くらいは美影に殴られていただろう。


「えっと、香坂さん……ですか?

 今ひとつ状況が飲み込めないのですが……」

 戸惑う父親と混乱する母親は、彼女につられてか、息子ですら聞いたことのないような丁寧な口調となっている。


「いきなりの訪問で驚かせてしまったかと存じますが、ここでしっかりと話すためには直接お話しをする必要があるかと思いまして」

 対して(当然かもしれないが)毅然とした態度と口調で美影は説明をする。


「今回、瑞池君は夏休みの宿題をーーその」

 言いにくそうに、言葉を濁す美影。その姿は奥ゆかしい淑女、というものの絵を描いたようである。

 しかし、この女はそうすることで相手の心象を操作しているに違いない……と、瑞池は思っている。

「あぁ、全部やってこなかった、でしたか」

「ウチの子は一体何をやっているのか……」

 そこで美影は申し訳なさそうに眉を顰め、「申し訳ありません‼︎」と大きく頭を下げる。


 突然の行動に呆気にとられた両親に対して、美影は構わず話を続ける。

「この夏休み、私が代表をしています『学内奉仕部』の活動を夏休みのある期間に手伝ってもらっていたのです。

 その期間が少々長引いてしまったせいで彼は宿題ができなかったのだと思われます。

 ですが、彼には夏休みには、かなり助けていただきました。そのせいで処罰されるとあっては、私達は心苦しいのです」

 本当に心苦しいと思っているかどうかは別として、確かに彼女らのせいで夏休みが潰されたのは嘘ではない。

「ですが、『学内奉仕部』の活動を手伝ってもらえれば、内申点も加算されますし、夏休みの宿題にも猶予が付きます」

 本当にそんなことができるのか、と眉唾な気持ちで聞いていた。


「そのことで、少々、ご家族様にお願いがあったため、こうして挨拶に参りました」

「え?」

 これ以上、何を説明することがあるか分からない瑞池はポカンと口を開く。

 そんな瑞池に目もくれずに美影は話を続ける。


「私たち、『学内奉仕部』は学校内の寮で生活してもらっているのです。

 出来れば瑞池君にもそうして欲しいのです」

「「「はい?」」」


(チョット、美影さん。そんな話は聞いてなかったように思いますが……)

 ポソリと抗議しようとした瑞池を鬼をも殺しかねない視線で美影が封じる。

(だ・ま・れ)

 硬直した瑞池から目を逸らし、凄まじい鬼の面から慈悲深い天使のような笑顔に切り替えると、両親に畳みかける。


「さて、いかが致しましょう?」


 このとき、はっきり言うと美影の真意を瑞池は理解できない。


 何だかんだでも彼らは両親である。

 なんでも知っているとまではいかないが、それなりに一緒に住んでいるわけだからそこそこは分かっているつもりだ。


 彼らにとっては頭が悪かろうが、問題児だろうが息子には変わりない。


 確かに美影は美人だし、しっかり者の雰囲気で「委員長っぽい」と瑞池も思っている。

 しかし、いきなりこんな未成年の初対面がこんなこと言って即答できるはずが……。


「「まぁ、それでいいんじゃないか」」


「え」

 思ってもいないほどに早い決断に、驚きを隠せない瑞池。

(我が親ながら思い切りがよすぎませんか⁉︎)


 ※


 時刻は夕方。

 倉澤家を後にした二人は、歩いて学校を目指していた。

 如月川に架かった如月橋は全長二〇〇メートル程度で歩けばすぐである。

 しかし、今日は荷物が多い分だけ、少し時間が多めにかかっていた。

 もちろん、部屋の全てを持ってきたわけではなかったが、着替えや日用品など必要なものだけを選んでも、バストンバッグが溢れるほどの量になる。

「まさか、こんな形で家を追い出されるなんて思わなかったよ」

 そんな瑞池の言いように半ば呆れるようにため息をつく。

「大袈裟ね。家なき子になったわけでもあるまいし」

 元凶であるはずの彼女に全く悪びれる様子はない。むしろ、「こうなったからには、逆に楽しむくらいの度量を見せなさいよ」と勝手なことを言っている。

 彼女から同情してもらえることなど、期待することをやめた瑞池は「まぁ、そうだな」と考えを切り替える。

 確かに両親の潔さに少々動揺してしまったが、彼女の言うように「そうあることではない」と前向きに捉えれば確かに悪いことばかりではない。


「普段下校する時間に登校するってのも、まぁ悪くない感じだね」

 当然だが、瑞池は今までこんなことをしたことはない。

 部活らしい部活もしなかったし、学校に思い入れもない生徒である彼は授業が終われば基本直帰である。

 しかし、こうやって同じ道でも少し歩くだけで違う趣を感じられる。


「まぁ、あとは学校も近くなるよね」

 それもいいポイントだ。

 瑞池のような遅刻魔からすれば学校の近くに住むと言うのは、一つ大きなアドバンテージになりうる。


「それでもって女の子と一つ屋根の下ってのも悪くはない」

 香坂美影は性格なかみはどうあれ、黙っていれば百合か牡丹かともてはやされるような美少女である。

 そんな娘と同棲というシチュエーションに胸がときめかない男子高校生などいるはずもない。

 そう言ってちょっと緊張している自分に気づく。

 ここは、「何馬鹿なこと言ってんの!」と一発頭を殴ってもらって空気を変えてもらおう、と期待していたが……。

「……」

 美影が言葉を止める。「美影さん?」と声をかけても、十数秒は口を閉ざす。

(え? まさか今更照れてるとか?

 いやいや、自分から提案しといてそれはないよね)


 美影はゴホン、一つ咳払いをする。

 それは無理に空気を変えようとしたアクションだったのだと思う。

「それより、今から寮の方に案内するからね」

「そう。それだけどさ」

 その言葉で思い出した。

「どこにそんなものがあるんだ?

 そりゃ、学校のことを隅から隅まで知ってるわけじゃないけどさ。

 そんなもんがあるなんて聞いたことないよ」

 そんな瑞池の質問に「校内よ」と美影が口にしたときは流石に耳を疑った。

「正確には敷地内にだけど。

 体育館裏の桜の木の近くにある」

「よく今までバレなかったよな」

 そんな言葉に美影は少し得意げに

「まぁ、魔法で隠されてるからね。そう知られているとは思えないわ」

 その言葉にギョッとした。

 魔法そのものは夏休みに何度も目の当たりにした。ーーそれこそ嫌という程に。

 しかし、魔法というものがここまで身近に潜んでいたことはまた別である。

「何そんなに驚いてるの?

 この国は二千年以上続いているのよ。身の回りから神秘を排除するなんてできっこないわ」

 さも当然のように語られた美影の理屈は瑞池さっぱりである。

「ま、そこまで深くわからなくてもいいわ。出入りの方法だけ覚えてくれたら文句ないしね」

「は、はぁ」

 どうも、魔法とは瑞池が思っていたよりも壮大な話であることにようやく気がついた。


 ※


「でも、すごいな美影さん」

「何が?」

 高校を目前にして、ふと思い出したことを瑞池は口にした。

 その言葉に美影は心当たりがなさそうに、「何のこと?」と首を傾げる。

「ウチの両親をあっさり納得させたことだよ」

 そこまで説明して「あぁ、あれね」と納得したように呟いた。


「はっきり言って、あんなすぐに認めるなんて思わなかったよ。

 どうやって騙したんだ?」

 言葉の使い方はあまり褒めているようには聞こえないが、彼からすれば素直な賛辞である。


 それを知ってか知らずか美影は、特に気負うわけでもなく自然体に話を続ける。

「まぁ、アレくらいは簡単よ。

 使

「へ?」

 その言葉に瑞池は固まる。

 それを見て足を止め、怪訝な表情を向ける美影は「大丈夫?」などと声をかけた。


 瑞池としてはそんな気遣いに反応している場合ではなかった。

「ちょいと美影さんや。

 ーーアンタ、俺の両親に何してくれちゃってんの⁉︎」

 そんな叫びに近い言葉にも一切怯むそぶりも見せない?

 むしろ彼の言葉の真意を理解できないとばかりに怪訝な表情を浮かべていた。

「何よ、その顔は。まさか、私が副作用を起こすかどうか気にしてるの?」

「へ?」

 彼女は少しムッとして、「いい」と口火を切った。

「あのね。私だってその辺気を遣っているのよ。魔法は薬にも近いからね。

 相手の精神に影響が出ないように『発』の強度や『縁』の深度を調整したり、薬の配合を調整したりしてるのよ。

 万が一にも副作用が出ないように調整してんの。そこんとこ勘違いしないで」

「は、はい。すみません?」

 何故自分の方が謝っているのか、途中わからなくなりながらも、「まぁほんとに問題がないなら」と一歩引く。

 とても彼女に勝つことなどできないと思う。


「あなたの両親にかけたのは軽い暗示よ」

 瑞池は魔法の世界には疎いが、その言葉には聞き覚えがある。

「その魔法って催眠術みたいなもの?」

 聞きかじった言葉の中から関係ありそうな言葉を選んで口にした。

「惜しいけどちょっと違うわ。

 催眠や暗示は専門じゃないからね。ちょっと相手の心象を良くするくらいの『心象操作』くらいかな」

 その違いについえ瑞池は多少気にはなったが、多分自分がわかるような説明が帰ってこないことは今までの流れで何となく理解できた。

 だから、瑞池に分かることを口にすることしかできないのである。


「それってズルくない?」

 その歯に衣着せぬ物言いに、フン、と鼻を鳴らす。

「ズルイかズルくないかと言われれば、かなりズルイわ」

 だからどうした、と言わんばかりに張った胸は、ふてぶてしさよりも堂々とした印象が強く滲んでいた。

「アンタ、私が魔法使いだってこと忘れちゃった?

 魔法使いが魔法使うなんて基本でしょ」

 瑞池にはまだ分からなかったが、美影は手段の正しさよりも、目的の正しさを重視する人間だ。

 その目的の正しさを信じたとき、時にして彼女は手段を選ばない。


「け、けどさ。いつの間に仕込んだの?

 呪文とか唱えてなかったじゃん」

「呪文ーーというか詠唱のことね。

 もちろんそういう魔法もあるけど、今回のはもっとシンプル」

 そう言われても魔法といえば怪しお婆さんが変な呪文で空を飛ぶくらいのイメージしかない瑞池はそれ以上のこと回答を思いつかない。

「何か変わった香りがしないかな?」

 回答が望めないと感じた美影であるが、意外とこのクイズを楽しんでいたのか、ヒントを出す声は心なしか弾んでいる。

「ん? ひょっとして汗の匂いとかーー」

「はったおすぞ」

 ちなみに瑞池はセクハラのつもりも何もない、素直な回答である。

「香水よ」

「香水?」

「複数の成分を配合して変質させたのよ。最も、私じゃ作れるのはこの程度だけど」

 アロマセラピーという言葉がある。

 基本的には精油の芳香を利用し心身の治療を行う治療法であり、今は特に精神に働きかける目的で日常的に用いられている。

 今回の魔法はそれを少しばかり魔法でちょいと応用したに過ぎない。


「結局、魔法使いって何なんだい?」

「そうね、前に言ったかもしれないけど、『叡智をもって無辜の市民を導く者』のことよ」

「……えっと、日本語でお願い」

 ある意味予想通りの答えに美影は戸惑うことなく続ける。

「魔法という不思議を使って、周りの人達の不幸を止める者、なら分かりやすい?」

「それなら何とか」

 そうして、ふと気付いた。

「なら、君もそうなのか?」

「モチロンそうよ、と言いたいトコだけど、私は少し違う」


「非常に口惜しいことだけどね、魔法って言うのはもう時代遅れなのよ。

 産業革命以降、科学は発達してはどんどん廃れていった。

 そして戦時に起きた神秘崩壊ワンダーバニッシュによって、魔術は取り返しがつかないほどのダメージを受けることになってしまったのよ」

「ワンダーバニッシュ?」

「世界にはかつて、色々な魔術が溢れていたの。

 ケルト、ルーン、カバラ、陰陽道に修験道、マイナーなヤツならアステカとかインディアンのまじないなんかがそうね」

 美影が「いくつか聞いたことある?」と尋ねると、「まぁ、陰陽道とかなら聞いたことあるよ」と律儀に答える。


「でも、それら全てが一夜にして使えなくなったの」

「す、全て?」


「それが神秘崩壊ワンダーバニッシュ。ただでさえ弱まっていた魔術勢力の敗北は決定的になったのよ」


「でも、不思議なんだけどさ。僕からしたら魔法の方が便利だと思うんだけど。

 ほら、夏休みに見せてくれた美影さんやユーカリの魔法も、なんか凄かったし」

 瑞池はそう話すが、例えた二人の魔法は一般的なソレとは異なることを知らないのだろう。

 その邪気のない感想に口から僅かに失笑が漏れる。

「まぁ、そう思えるかもしれないわね。自分で原理が分からないものっていうのはすごく感じるものだから」


 ふるき魔法は、かつて絶対であった。

 人の子に許されないはずの不思議を行使する唯一無二のわざ

 しかし、それが一度途切れても、人の営みは滞りなく進んでいる。

 そのことに一抹の淋しさを感じるほどには、彼女は神秘に傾いているのかもしれない。


 たとえ現代に生きていたとしても、彼女は魔法使いなのだ。

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