第8話 フランケンシュタインの乙女(覚醒篇)
●プロローグ めざめ
「なんて愛らしいんだ」
誰かが遠くで話してる。白い霧の渦巻く彼方で。
「俺が忍び込んだあの亡命フランス人の家にあった、人形そっくりだ」
「そして、わが従妹、エリザベスの部屋にあった陶器製の人形ともな。フランス人形というものはみんな同じ顔をしているんだ。ただし、この、青みがかった銀色の短めの髪は、彼女の好みだったけどな」
別の声が応じる。前の声がくぐもって低いのにくらべて、若々しく張りのあるこえだ。
それにしても、誰のことを話してるのだろう。
「ほんとうなんだな。こんな可愛い子が、俺の花嫁になってくれるのだな。怖がられ、嫌われ、たったひとりの同類もない、呪われた運命のこの俺に、もうひとりの人造人間の仲間ができるんだな。ヴィクトール、俺はあんたに誓ったように、この子を連れて人里から姿を消そう。世界の果てに行ってふたりだけで静かに暮らすのだ。ヴィクトール、いや、フランケンシュタイン博士、あなたを創造主と讃えながら」
「私はただ、助手をつとめただけだ。本当に創造主の名にふさわしいののは、ここにいるアグリッパ先生の方だよ」
「ゴーレムよ」第三の声が低く響く。ひどく年老いた感じの声。「このお人形さんがほんとうにお前の花嫁になるかは、お前しだいだ。能力はお前に劣らぬとはいえ、魂は見かけ通りに繊細で感じやすい。」
「アグリッパ先生、ゴーレムというのはやめてくれ。そうだ、ヴィクトール、この子を何て呼べばいいんだ」
「エリザベスはお気に入りの人形を、ミニヨンと呼んでいた。それがいい」
「ミニヨン?」とアグリッパ先生の声。「それは男の子の名ではないかね」
「彼女は、以前から、ワイマールの詩人ゲーテと文通していたのですよ。で、そのゲーテが書いている長編小説のヒロインの名がミニヨンというのだといって、気に入って、自分の人形の名にしたらしいのですね。」
「ミニヨン、ミニヨン、なんてステキな響きの名なんだ。そうだ、ヴィクトール、アグリッパ先生、この俺にも、もっとちゃんとした名を付けてくれ。ゴーレムなんかでなくって‥‥」
「フランケンというのはどうじゃね。お前の創造主ヴィクトール・フランケンシュタインの一族の名から取って」と、アグリッパ先生。
「フランケン。気に入った。フランケンとミニヨンで、新しい種族のアダムとイヴになるんだ!」
「シーッ、この子がめざめる」
白い霧が晴れた。
三つの顔が覗きこんでいる。
真ん中には、若々しくて彫の深い、知性的な顔。深い紺碧の両の瞳に、人形めいた顔が小さく映っている。青みがかった銀色の短めの髪。黒い瞳。わたしだ、と一目で直覚した。
同時に、わたしは魅了された。わたし自身を映し出す紺碧の瞳に。瞳の持ち主の青年、ヴィクトールに。
「目を開いたぞ。黒い瞳。夜空に星を散らしたような。なんて神秘的なんだ‥‥」
くぐもった野太い声がした。ヴィクトールの右側から覗きこんでいるのは、巨大な顔だった。
そのとき受けた印象を、今、正確に述べるのは難しい。
一言でいえば、不調和だった。
目、口、鼻と、ひとつひとつは整っている。それなのに全体の印象は、デタラメに組み合わせた、といったものだった。おまけに、額から頬の片側にかけて、大きな縫い目が走っている。
「待て、ゴーレム、いや、フランケン。怖がらせてはいかん」
声とともに、左隣から覗きこんだのが、アグリッパ先生だろう。
白いもじゃもじゃの髪と白い髭。落ち窪んだ眼窩の奥から、底知れない叡智を秘めた灰色の瞳が、こちらを見据えている。たいへんな高齢らしい。
なぜかわたしには、このアグリッパ先生を知っている、という気がした。
同時に、ここに居るはずのない人、居てはいけない人、という気もした。
なぜなの、この人の何を知ってるの?
記憶のなかをまさぐっていると、突然、
ーー脳内装備型百科事典、エンセファロペディア起動しますーー
耳の奥に囁く声があった。続いて声が次のような情報を告げる。
ーーコルネリウス・アグリッパ(1486-1535)。ルネサンス期ドイツの魔術師、人文主義者、神学者、法律家、軍人、医師。--
1535年に死んでる?では、今は何年?
--1793年ーー
エンセファロペディアが即座に答える。
するとこのアグリッパ先生は、300歳を超えてる。
わたしは混乱した。それに、この脳内装備型百科事典ってなに?なぜこんなものが頭のなかで囁くの?
答えを探したが、エンセファロペディアは沈黙してしまっていた。
「ミニヨン、起きられるか?」
ヴィクトールがベッドの横に回り、わたしの背に手を当てて上体を起こす。
しだいに部屋の様子が分かってくる。
部屋は円筒型をしていて、ちょうど真ん中にわたしの寝ていたベットがある。
壁全体が、雑多な計器類や太いパイプで覆い尽くされている。天井にもパイプがのたうっている。
そこから何十本もの管が下りてきて、ベッドを囲んでいる。
床には血の付いたガーゼが散乱し、それらの管が、ついさっきまでわたしの体につながれていたことを示していた。
改めて、わたしはこの実験室で作り出された、人造人間なんだと実感する。
「ミニヨン、立てるか。ベッドから降りて自分の足で立ってごらん」
差し出されたヴィクトールの腕につかまって、ベッドからソロソロと降りる。
足を床に向かって伸ばす。長い白い布が足首まで隠しているのが見える。
と、足先に履物が差し出される。大きな手。フランケンだ。巨体に似合わず、細やかな心遣いができるらしい。
なぜか、警戒の念が胸に萌す。
散らかった床を踏みしめて、今やわたしは三人に向かい合って立っていた。
ひときわ圧倒されるのは、右側のフランケンの巨体だ。何センチあるのかしら。
即座にエンセファロペディアが答える。
ーー246センチ。
正面のヴィクトールは?
ーー188センチ。通常の男性としては高い方。
左側のアグリッパ先生は?
ーー170センチ。加齢で前かがみになっているせいもある。
では、わたしは?
ーー179センチ。女性としては高い方。
「なんて可愛いんだ、本当に人形そっくりだ。ミニヨン、俺の花嫁!」
フランケンが、大きな声を轟かせながら接近する。
「まて、フランケン、怖がらせてはいかん!」
アグリッパ先生の制止を無視して、わたしの肩をつかむ。反射的にのがれようとしたけれど、物凄い力に動けない。
「アーアウ、アウ」
嫌ですと言ったつもりが、声にならない。
「どうやら会話機能に障害があるようじゃ」と、アグリッパ先生。
「そんなはずは。フランケンと同じ仕様なのに」と、ヴィクトールの声。
巨大な恐ろしい形相が近づく。
口づけするつもりだ、この怪物は‥‥
わたしは、ありったけの悲鳴を上げる。
「キャアアアアアアアアア」
思いっきり怪物のぶ厚い胸を突き飛ばす。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
「グアーッ」
物凄い叫びと共にフランケンの巨体が吹っ飛び、向かい側の壁にぶつかると、背から半分めり込んでしまったのだ。
「ミニヨン、何てことを、なんて凄い力だ!」
「これは想定以上のパワーじゃわい!」
「う、うう~、ミニヨン、ミニヨン!」
怒り狂ったフランケンの声を後に、わたしは反対側の出入口に突進した。
鍵がかかっていたが、ひと蹴りするとドアは紙細工のように破れた。
建物の外はすぐ、崖になっている。
夜明けの薄闇を通して、はるか下に道路がうねうねと続いている。
その道路を、馬車の列がノロノロと進んでいく。
四頭立ての大型の馬車が合計5台。ジプシーかしら。
そうだ、あの馬車のなかに匿ってもらおう。
わたしは、今いる崖の端から先頭の馬車の屋根からまでの距離を目測する。
即座にエンセファロペディアが立ち上がって、耳の中で囁く。
ーー垂直距離70メートル。水平距離20メートル。あなたの運動能力からして、ひとっ跳びも可能。
わたしはためらわず、身を断崖から躍らせた。
「ミニヨン、俺の花嫁、ミニヨ~ン」というフランケンの、怒りの中にどこか悲しみの混じった叫びを後にして。
●エンドレスエイトのめざめ
ミーン、ミーン、ミーン
ジー、ジー、ジー
ミンミン蝉と油蝉の混声合唱が始まったところで、眼が覚める。
盛夏の朝だ。
昨日まではオーシンツクツクだった。季節は晩夏から初秋へと移り変わろうとしていたのに。
また時間が巻き戻されてしまったのだ。
8月31日の夜から8月17日の朝へと。
全世界が、環状閉鎖時間の中に閉じ込められてしまっているのだ。
これがちょうど、1000回目のループ。
記憶までリセットされるから、人類のだれも、時間がループしているとは気がつかない。
元凶の涼宮ハルヒを含めて。
ループの原因は、ハルヒが残り2週間となった夏休みの活動に不満で、やり直したいと無意識に望んでいることにあると、わたしは推測していた。
SOS団のほかのメンバー、キョンを始め、未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹に知らせれば、何か対策が立てられるかもしれなかった。
けれども、わたし、地球人としてのパーソナルコードは長門有希、その正体は銀河を統括する情報統合思念体が地球に送り込んだ対人コンタクト用ヒューマノイト・インターフェースの役目は観測にあった。むやみに人類に介入することは許されていないのだ。
涼宮ハルヒが宇宙的規模の情報を無から作り出して、世界の時間流の中の14日間を、環状循環時間として閉鎖してしまっているーー。この興味深い現象を観測して、刻々と銀河の彼方へと報告する以外に、わたしにできることはなかった。
けれども、情報統合思念体に報告をせず、わたしひとりの秘密にしている現象があった。
それが、夢だった。
時間ループが始まる前日の夜のこと。
わたしは『フランケンシュタイン』という小説を読んでいた。メアリー・シェリーという19歳の女性によって、二百年まえに書かれたSFだった。
若き科学者、ヴィクトール・フランケンシュタインの手になる人造人間のモンスターが、どこへ行っても恐れられ嫌われたあげく、仲間となるもう一体の人造人間を作るよう、ヴィクトールに要求する。それも、女性型の、伴侶を。花嫁を。
ヴィクトールは、もう一体を作りかけるが、途中で壊してしまう。モンスターの一族が地上に繁殖するようになる想像に、吐き気がしたのだった。
そこまで読んでわたしは、本を閉じてベッドに入った。中途半端なところで中断して眠ったのは、そうした方が、夢で小説のなかに入り込む確率が高くなるからだった。
三か月ほど前、やはり涼宮ハルヒが閉鎖空間を作り出して、キョンを巻き込んでこの世界から姿を隠したことがあった。
その夜、わたしは、夜を徹して観測するために、ゲーテが二百五十年まえに書いた大長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』に取り組んだ。
キョンの機転で閉鎖空間が消失し、二人が無事に通常空間に帰還したことを確認したところで、本を閉じて寝入った。
そして、ヒロインであるサーカスの少女ミニヨンになった長い長い夢を見たのだった。
だから、今度もーーつまり時間ループの最初の朝も、主人公の青年科学者ヴィクトール・フランケンシュタインになった夢を見てめざめることを、期待していたのだった。
小説の中でいちばん共感していた登場人物に、夢の中ではなる、というのが、それ以降のここ数か月の経験だったから。
ところが、最初のループの始まる明け方に見た夢は、なんだか分からない不定形の悪夢だった。「破壊される!」という恐怖と苦痛の感覚だけが、生々しく残っていた。
誕生前にヴィクトール自身によって破壊された、女性型人造人間に、夢のなかでは成ってしまったのかもしれないと、わたしは推測した。
時間ループに気づいたのも、この夢がきっかけだった。
第二回目のループの初日で見た夢は、ほんの少しだけ、最初のものより形がはっきりしていたから。
ループを重ねるにつれ、夢はますますはっきりしてきて、夢のなかのわたしである女性型人造人間も、破壊されずに無事に誕生するように、ストーリーも変化してきた。
7回目のループで、わたしは、環状閉鎖時間に閉じ込められていることを確信した。
現実世界の進行は、完全にループしている。記憶も8月31日から8月17日に戻ると同時にリセットされる。
けれども、わたしの夢だけは毎回微妙に違っている。おまけにその微妙な違いを記憶できるのだった。
このほんの僅かな差異を手がかりとして、わたしは、記憶リセットへの防止策を講じることに成功したのだった。
時間を超越した存在である情報統合思念体には、このループ現象は、最初から分かっていたことだっただろう。
けれども、この惑星上の原材料でもって有機生命体として構成された人型端末の身では、独力でそれを知るのは難しいことだった。
それを可能にしたのが、この惑星の有機生命知性体に特有の体験現象ーー夢だったのだ。
1000回目にしてその夢は、堂々たる構成をそなえた物語へと成長していた。そう、続きが見たくてたまらなくなるほどの、魅惑的な物語へと。
部屋の隅の電話が鳴った。ハルヒからだった。
「有希~っ、起きてる? 今日は久し振りでS OS団の活動をやるわよ。二時ジャストに駅前に全員集合ね。あ、それから、プールの用意を忘れないでね~」
例によって、いつもの調子で一 方的にまくしたてて切れた。
1000回、寸分の違いもなくくりかえされた声だった。
けれども、わたしの想いは、これまでの999回とは少しちがっていた。
スクール水着とタオルをビニールバックに詰めながら、固く決心していたのだった。
今夜こそ、夢の続きを、わたし自身「フランケンシュタインの乙女」とひそかに名づけている夢の続きを、見ようーー。
そして、夢の続きを見た。
●旅のサーカス団
「わ、わ、なんだ。馬車の屋根を破って人が降ってきやがった!」
大兵肥満の男が、尻もちをついている。禿げ上がった頭の両側には、申し訳ばかりの白髪がくっ付いている。かなりの年配らしい。
「女だ。空から女が降ってきやがった」
男の視線をたどると、天井に穴があいていて、白みかけた未明の空が覗いている。
汚れた絨緞を敷いた床には、木屑が散乱している。ガタゴトと、床を伝ってリズミカルな車輪の振動が伝わってくる。
馬車の屋根に穴をあけて内部に着地したのは、ほんとうらしい。
「人間か、魔女か、でなきゃ、天使サマか~」
男は、こわごわと視線をわたしに向ける。
と、
「ミニヨン、まさか、ミニヨンなのか‥‥」
わたしは混乱する。なぜこの見知らぬ男は、わたしの、付けて貰ったばかりの名を知っているのか。
「いや、そんなはずはあるめえ。あのミニヨンは、20年以上も前に、このサーカス団から出て行った。大金持ちの若僧に身請けされて。なんとかマイスターとかいったな、あの生意気な若僧は」
私のなかで、うごめく記憶があった。
「ヴィ・ル・ヘ・ル・ム・マ・イ・ス・ター」
途切れ途切れの声が、口から洩れる。わたしとしては、生まれて初めて発した、有意味音声だ。
「そうだ、ヴィルヘルム・マイスターといった」男は叫ぶように言った。
「すると、お前さんはやはりミニヨン‥‥。いや、そんなはずはねえ。あれから20年以上たってこんなに若いことはねえ。それに、あの子はちびっこだった。お前さんみたいなノッポじゃあなかった」
そして、まじまじと観察する目になって、言った。「それにしても似てる。青みがかった銀色の短い髪。人形のような顔、黒いひとみ。わかった、お前さんはきっと、あのミニヨンの娘にちげえねえ。それも、あの若僧のヴィルヘルム・マイスターとの間のな」
それから、天井の穴を指さして、こう付け加えた。「この辺の高い城壁からでも飛び降りたんだろうが、あんな穴をあけて、怪我一つせずに立っている。てえした運動能力だ。どうだ、このサーカス団で働く気はねーか。つーか、あの穴の修理代分は絶対に働いて貰うからな‥‥」
こうしてわたしは、その名もミニヨンと呼ばれ、サーカス団の一員として旅することになった。
<続く>
(原作: Yuki Nagato /脳内口述筆記: アグリッパ・ゆうき)
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