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 国立の大学に入ってそのまま大学院まで進学した僕は、どうやって文学を数学的に扱えるかを研究していた。単純にどっちも好きだったから、どちらとも接点を持つことができるところを選んでいたら、ここにたどり着いた。

ひと昔前なら、単語や品詞の頻度分析をしたり、単語に含まれている感情からストーリーの起伏を探ったりしただろう。今はもう少し高度なことができるようになっていて、芥川賞の候補作からどれが一番受賞しそうかを、審査員の傾向から推測して見せたりする。個人的にはこのプログラムには思い入れがある。もともと僕が候補作を全部読んでから当てるのを楽しみにしていたことから組みあげたのだ。

 あとは、読みたい小説を検索するアプリ。主人公と恋人のタイプ、好みの展開、地雷などの条件を示すだけで、膨大な小説から検索してくれる。純文学から投稿サイトまで対応している。有料版もあり、ちょっとした小遣い稼ぎにはなる。少なくとも、一人暮らしの家賃を捻出するくらいのもうけはあり、早く実家を出られる口実となった。残りはたいてい書籍代に消えた。

 研究室に泊まったあと、人もまばらなキャンパスを歩いていると、とてもきれいな女性がいて、思わず足を止めてしまった。

 その女性は、端末に何事か書きこんでいた。ペン先の動きから、おそらくは数式だろうと知れた。数式を打ち込むのは面倒だけれど、手書きの認識がだいぶ進歩したのでありがたい。じっと見ていると、その女性は顔をあげ、僕の方を見つめ返してきた。失礼だっただろうかと思い、そのまま目を背けようとしたが、彼女の微笑に掴まってしまった。捕らわれて体が震えた。胸が締め付けられた。忘れようとしていた知的な笑顔だった。

「元気そうだね」

 そして陽菜は笑う。知識を理解し、本質をつかんだときの荒々しいまでの喜びだった。

 僕はよくよく陽菜とは縁があるらしい。また伸ばしだした髪を後ろで無造作にくくっている。いつの間にか眼鏡をしていて、それがとても似合っていると認めるのが悔しい。

 何を読んでいたの、と尋ねた僕に、数論について、と答える。どうやら陽菜は僕のすすめたSFを踏み台に、遠くまで来てしまったようだった。こうして僕が陽菜を理系の方向に押しやったのは、彼女の人生と心に深く食い込めたみたいでうれしかったけれど、それでも踏み込めない領域が広がっているのは明らかだった。彼女の頭の中に広がる海は広く、日が差さないほど深い。

最近は何をしているの、と彼女に振られたことを忘れたふりをして尋ねる。

「友達が起業したから、そこを手伝ってる。技術的なサポートが中心かな」

「君は文学にしか興味がないのだと思っていたけれど」

「アプリで儲けている人には言われたくない」

 ふたりして笑う。それが何よりも切ない。

「陽菜は?」

「小説の自動生成を」

「どの程度実用化できてるの」

 そう尋ねたのは、僕の研究と関係が深そうだからだ。

「まだ発表していないけれど、かなりの水準まで。脳を再現しなくても、言語に内在する規則によって物語を綴ることができる。いわば内面を持たない作者によるストーリー」

「なんのために」

「趣味。あるいは、私の果てしない退屈を慰めるために」

 話を聞く限り起業というのも、本来の中心は陽菜であり、経済や法律に絡むことを友人が担当しているようだ。僕は問う。

「世界にはまだ読んでいない小説があるはず。それらを読む前に、退屈してしまったの?」

「どの作者の小説を読んだら、どんな気持ちになるのか、かなりの確率で当てられるようになってしまった。まあ、試しに読んでみて。私があらすじを指定して自動生成した小説」

 タイトルには「イナゴ身重く横たわる」とある。記憶をたどると、それは「高い城の男」の中で言及されている架空の小説だった。「高い城の男」は枢軸国が第二次世界大戦に勝利し、日独が冷戦状態となった世界を描いている。その作中作では、英米が対立している。そんなことを思い出しながら最初の行を読み始める。

「どう」

「どうって」

 陽菜が話しかけるまで、僕は一度も手を止めなかった。その質の高さに僕は驚いた。ディックの文体のなごりがあるが、独自のくせがある。悔しいけれど、面白かった。それなりにすれた読者であるはずの僕が、こうして翻弄されている。なのに彼女は告げる。

「技術的にはそれほど難しくはない。ディックはそれなりの数の小説を残しているし、しかも『イナゴ身重く横たわる』の場合、作中でプロットが説明され、引用された部分も出てくるから、その部分を含むように指定すれば可能な文字列はだいぶ絞ることができる。レムの『虚数』的なパフォーマンスとして、近々発表する予定」

 息を奪われた僕に、陽菜は追い打ちをかける。

「私がここに来たのは、遥人を探すため。教授には話したと思うけれど」

「なぜ」

「遥人の評価関数がほしい」

「……」

「現状、この小説の評価は人の手で行っている。もちろん、箸にも棒にも掛からないものは自動的に切れるけれど、最後は人間が評価する。下読みを人工知能がやっているわけ。それを、最終選考も人工知能に任せたい」

「……でも、どうして僕が」

「ひとつは、遥人の教授が私の指導教官と個人的に知り合いだから。でも、もうひとつの理由は、遥人の論文がわかりやすく、小説の数理の本質をついているような気がしたから」

 僕は赤くなる。

「遥人。君は、私が知る限りでは、一番頭がいい男の人だと思う。お願い。私に力を貸して」


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