たい。

「鯛が食べたい」


 終業式の帰り道。

 隣を歩く彼女が、澄んだ声を響かせ、おもむろにそう言った。


「鯛……鯛か」

 夏の太陽が、容赦なく照りつける。俺は特段内容が良くなかった成績通知で顔を扇ぎつつ、彼女の言葉に返す。


 ここらへんに鯛が食べれるような場所があっただろうか?

 ……回転寿司とか? 


 というか、どうしてピンポイントで鯛なんだろう。今日は鯛が食べたい気分なのだろうか。


 まあ、それはさておき。

 隣を歩く彼女を見る。


 彼女は漆黒の髪を腰の近くにまで伸ばしている。

 非常に長くて手入れが大変そうだ、と見るたびに思う。


 だが、彼女の髪が乾燥してボサボサしていたり、枝毛になったりしているところを見たことがない。


 それどころか、その髪はまるで高級な布地のように、滑らかで艶やかだ。

 きっと、彼女は念入りに手入れしているのだろう。


 彼女は一言で表現するならば、美しい。


 肌は真っ白できめ細かく、まるで新雪に覆われているようだ。


 双眸は切れ長で大きく、その中にある瞳は不思議な色合いの灰色。


 鼻はすっと鼻筋が通っていて高く、整った形の唇はリンゴのように紅。


 顔の輪郭はしゅっとしつつも丸みを帯びており、まるで人形のよう。


 手足は細く、長い。その形は一切の欠点すらない。


 聞くと、彼女は何度かモデルとしてスカウトされたこともあるらしい。

 だろうな。と俺は彼女を見てそう思う。


 彼女はどこの誰よりも、テレビに映る有名人の誰よりも、この世に存在する何よりも、美しいのだ。


 そんな彼女が、どうしてか知らないが俺の恋人である。


 それも、俺が告白したのではなく、彼女から

「恋人になってくれませんか」

 と言ってきたのだから、驚きだ。


 最初は罰ゲームか何かだと思っていたが、とりあえず付き合ってみたところ、そのような気配はない。


 つくづく、世の中は奇妙だな、と思う。

 別に俺の容姿は十人並で、美男というわけではない。そんな俺のどこに、彼女は惹かれたのだろうか。


 どうして俺のことを? と尋ねたくなるが、その答えが『なんとなく』とかいう理由だったら悲しいので、今のところ聞けていない。


 彼女ならば、もっと良い相手がいるだろうに……と思うことも多々ある。


 けれど。


 そんな相手が実際に現れたら、彼女の視界にそいつを絶対に入れたくない。

 そして、仮に彼女がその男に取られた場合を想像すると、気が狂いそうになる。


 まあ、それくらい俺は彼女が好きなのだ。

 さて、彼女への惚気はここまでにして。


「鯛、鯛ねえ……」

 俺は彼女の願いが叶えられる場所を脳内検索する。

 回転寿司、あるいはコンビニのおにぎり、あるいはスーパーのお総菜?


 俺たち学生の財力だと、それくらいが関の山だろうか。高級料亭や回らない寿司屋で鯛を食べるのは、十年後ぐらいになりそうだ。


「食べていい?」

 彼女がそう問う。どこで食べるのだろうか、と俺は思いつつも、


「いいんじゃない?」

 と彼女を横目で見ながら返す。


「ふふっ、ありがとう。優しいね」

 彼女が微笑み、小首を傾げる。


 その澄み切った美しい声色は俺の脳を溶かし、その可憐な表情も相まって、俺は彼女に酩酊する。くらくらとする視界を元に戻すため、俺は一度、目を閉じた。


 その直後。


 暗闇の中、どがり、と耳の裏で音がした。


 思わず目を開いてしまう。視界が明滅する。

 激痛が全身を駆け巡り、追従して痺れが奔る。

 ごっ、という音で、自身が地面に倒れたのを自覚する。


 視界に白い紙片。それは通知表だった。

 俺の名前が書かれている面が、目に映る。


 小林大河、という俺の名前。

 それが俺の見た、最後の景色だった。

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