5

それから目を覚ますと、読書の時間だ。とはいっても、趣味の時間ではない。このフロア全体で、同じ本を読む。ある種の健康診断というか、集団内で同じ刺激に対する反応を計測するのだ。今日はトルストイの「クロイツェル・ソナタ」だ。昔の私なら、古典の名著を読んでいるだけでお金がもらえるなんてなんて贅沢なのだろうと思っただろうけれど、今となってはとてもそんなことは思えない。確かに優れているし、文学を学んできた私としては、それが当時どれほどのインパクトを与え、長年にわたって様々な作品にインスピレーションを与えてきたかはよく理解しているのだが、私の好みを完全に理解した知能によって書かれた作品と比べては、どうしても粗が目立ってしまう。それに、平等の実現された現代の価値観からは到底受け入れることのできない、人種や性による差別が目立ってしまい、感動を台無しにしてしまう。そして、そんな作品の成立を許した当時の社会にあふれていた偏見を考えると、ただひたすらに不快になる。この時間で初めて読むことができた名著もあるにはあるが、読む価値があったとはめったに感じられなかった。

それが終わると感想をレポートで提出する。私は文学部だったので文章を書くのには慣れているし、不慣れな人は支援ツールがつかえる。5W2Hを向こうから尋ねてきたり、それはこういうことですか、とパラフレーズしてくれたりするので、誰でも読みやすい文章が書ける。論旨の矛盾や誤解を招く言い回しも自動的に刈り取られるので、データをまとめたときに余計な議論で時間を浪費することもない。とても効率的だ。こうした無駄な時間が排除されているおかげで残業はほとんどなく、ゆったりと芸術に浸る時間がある。

休憩を挟んで、今度は自動生成された小説を読む。これもまたフロア全体で同じものだ。正直なところ、これは口直しといった感じになる。少しほっとした気持ちになる。

それからすこしばかり、同僚と小説の話をする。もっとも、これも仕事の一部だ。同僚との親睦を深める効果がどの程度あるのかを調べることになっている。とはいえ、嫌な感じはしない。逆に、初めてこの時間を迎えたときには、同じ本を読んだ感想を語り合うのがこれほど楽しかったことをすっかり忘れていたことに驚いたものだ。私の読書が趣味なのも、結局はこの交流が好きだったからだったというのを思い出した。学生時代には尖った本ばかり読んでいたので、そんな楽しみからは遠ざかっていた。しかし、もしもこの感覚が再び味わえるのなら、こうして同じフロアで同じ本を読むのも悪くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る