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 そんな発言から半年後、社内のBGMは実験的に同じフロアにいる社員の体調を見て生成されている。もともとは各自がイヤホンでそれぞれの体調に合わせた音楽を聞きながら仕事をしていたものだが、こうしてフロア全体に合わせた音楽を耳にしていると、思いがけず互いの体調が何となくわかるようになった気がする。それに、具合の悪そうな人にはすぐにそれと気づくようになった。私はレポートにそのように書いているが、本当かどうかはわからない。たぶんデータはきちんと取られているはずで、もしもこれがうまくいくようなら、よその会社にもこのシステムを配布するらしい。確かに、自分の好みに特化しているわけではないけれど、嫌いになる要素はどこにもなく、黙って聞き流すことができるタイプの音楽だ。ヒーリングミュージックとでもいうのだろうか。とはいえ眠くなることもなく、仕事に集中できる。面白いことに、社員同士の身体のリズムも同期するのか、ちょうど集中が切れかけたときに、質問されたり新しい仕事を依頼されたりと、声をかけられることが多い。ここまで私たちの体調がコントロールされうるものだとすれば恐ろしいものだが、話しかけられたくないときにはそっとしてもらえるうえ、自分でも信じられない集中力で業務が終わるので、嫌な感じはまったくない。

 一つのフロアの人間全員を満足させられる音楽が存在するのかという疑問もごもっともだが、それは意外とあるものだ。たとえば、誰もが口ずさんでしまうような、子供の替え歌やCMソングとしても流布しているクラシックなんかは、少なくとも大多数の人を満足させるメロディが存在する証左だ。しかし、これは個人に対しては売れない曲でもある。自分のために作られたBGMがある世界で、平均的な音楽をわざわざお金を払って聞こうとする人はほとんどいない。

 ついでに言うと、この職場は売り上げと比べて社員数がとても少ない。人工知能で補強されている時代であるとはいえ、それでも少ない。だから趣味が極端に異なった人間が、それほど多数いることを考慮しなくてもいいという事情もある。

そういうわけで、私は基本的に事務職だが、社内での実験対象も兼ねており、そういう意味では技術職にも近い。人工知能が人間の仕事を奪うと言われて久しいが、実際のところ、人間にとって何が一番面白いかを評価するのは人間であり、こればかりは代替のしようがない。現実問題として、人間と人工知能は相互に補い合わないと仕事にならない。結局のところ、人間の幸せは人間が一番よくわかっているし、人間にとって何が一番面白いかを決めるのも人間なのだ。


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