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 何年か前、起業して十周年の式典で、社長が直々に挨拶をした。私も創業したばかりの時期からここにおり、わが社が世間をどれほど変えたかを肌身で感じたものだ。当然おざなりに聞くことはない。心酔していると言ってもよい。

「私たちは今、空前絶後の時代を迎えている。映画産業も出版業界も音楽も、ほとんどのメディアがわが社の傘下に入った。法に触れぬように分社化しているが、事実上ほとんどが私たちの手の中にある」

 社長の表情は自信と誇りに満ちている。すべてが社長のアイディアから始まったからだった。

「わが社が娯楽の九割を占めるようになった理由は何か。それは、娯楽を大量生産品からオーダーメイドで作るものに変えたことにある。誰のためでもない。他ならぬあなたのための物語が、無数に生成されるようになった」

 今までは自分の読みたい作品を手に入れるためには、究極的には、自分で作るしかなかった。好きな作家でも期待外れということがあるからだ。毎日端末に向かい、何か月もかけて長編を執筆したり、霊感を求めて一日中歩き回ったりせねばならなかった。今やそのような手間は必要ない。第一、自分のために書いた物語だからと言って、それが自分のまさに読みたい物語であることなんてめったにないし、そんな実力を持った語り手など数えるほどしかいない。

「好みの作品を最低でも十ほど挙げてもらえれば、あとは顧客の身体の反応、つまり、瞳孔の開き具合や血流の変化、心拍数や発汗量、それから表情を読み取ることで、常に最適な作品を提供し続けることができる。それはジャズの即興のように甘美だ」

 わかりきったことだった。けれども、それを耳にするのは心地よかった。世界を変える事業に、自分も確実に参加したことがわかっていたからだ。だから、社長が逆接の接続詞を用いたとき、まるで落ちのない冗談を聞いたときのように、一瞬宙づりになってしまった。

「だが、このままではわが社は頭打ちになる。多言語展開を目指しているが、それだけではさらに成長する余地がない。そして、もう一つの弊害がある。それは、オーダーメイドの娯楽が私たちの社会を分断してしまったことだ」

 取締役も社員も不安げに顔を見合わせた。めでたい日であるにもかかわらず、社長自身が自分の功績を否定する発言をしたように聞こえたからだ。

「もはやベストセラーの小説は存在せず、大ヒットする映画もない。ミリオンを達成する曲だってない。なぜなら、誰もが自分のために作られた作品を一番に気にいり、他の人のために作られたものになど見向きもしないからだ」

 誰も口を開かない。反論もない。社長の隣の役員は、これが何かの罠ではないかと疑っている顔をしている。しかし、社長は沈痛な顔をしない。むしろ、次のおもちゃを見つけた子供のように喜び勇んでいる。

「私は限界を迎えたわが社に、新しいステップを導入したい。それは、親しい人同士で鑑賞する芸術だ。それは芸術本来の役割に回帰するということもでもある。ささやかなコミュニティを支え、統合する素朴な伝統にだ」

 そして社長は腕を広げる。新しい時代の始まりを宣告するように。あるいは勝利したプレーヤーが、次の試合を宣言するみたいに。

「まずはカップルで試したいと思っている。二人の気分がシンクロするような、恋人同士をより深く結び付けるような、そんな音楽がほしいのだ。そしてその次は、社員同士がより深く知りあえるようなものをだ。わかってもらえるだろうか」

 誰もが納得した。それは熱烈な歓呼を持って迎えられた。私もまた、拍手していた。


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