エンターテインメント・エイジ
宇部詠一
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気の利いたショートショートを読み終えると、ちょうど降りる駅だった。ゆったりとした人の流れに従って職場に向かう。人と人の間には常に適切な距離があり、体を押し付けたり割り込んだりする者はいない。誰もが耳元の囁くような音楽に耳を傾けている。思わず足どりが軽くなり、仕事が楽しみで仕方なくなる。そんな曲だ。
満員電車から吐き出される人で身動きが取れなかったのは、それほど昔のことではない。私の子どものころまではそうだったと聞いている。だが、仮想現実がここまで発展した以上、生身の身体を会社まで運ぶ理由はほとんどない。私のように健康上の理由で通勤しているか、直接人と接触したほうが信頼を得られるかといった理由がない限り、在宅を好む人がほとんどだったのは当然だろう。それに、ベーシックインカムが実現し、生活のために働く人が減ったのも原因でもある。
職場につくまでにはショートショートの中身をすっかり忘れてしまっている。私は文学部を出ているのにもかかわらず、だ。それは私の記憶力が衰えたからではなく、物語がそのように設計されているからである。このショートショートはわが社の製品であり、時間を潰すのにちょうどいい物語をその場で生成するシステムによって紡がれた。だから、降りる駅で物語はきれいに終わるのであり、あまりにも血沸き肉躍る物語となって、続きが気になるあまり仕事に支障が出ることもないように調整されている。そうした小説は休日にのみ読まれるべきものだ。私は、現在この国で流通している物語の九割を生産している企業に勤めている。ハリウッドもボリウッドも秋葉原もなき今、私たちこそが現代のクリエイター集団なのだ。
隣の同僚に簡潔な挨拶を済ませる。昔だったら、昨晩見たドラマについて話をしたのかもしれないが、すでにそうした時代は終わり、各自のためにドラマが自動で作られる。大嫌いな俳優の顔を見る必要もなければ、受け入れられない展開を見せられる心配もない。眠りに落ちる前には一日の嫌なことを忘れてすっかり気分がよくなっていて、さわやかな朝を迎えられる。残業が続いた日には手短に物語を片付けてくれる。物語はすべて私たちに合わせてくれる。私たちが物語に合わせる必要はない。
始業のベルが鳴り、私たちは朝礼に向かう。今朝の上司の機嫌はまあまあといったところだ。とはいえ、私たちはよほどのことがないと不機嫌にならない。いつでも慰めてくれる娯楽が身近にあるからだ。今日もまた、私たちは新しい娯楽を生み出すために働く。あるいは、その次の時代を作るために知恵を絞る。
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