第18話 幼いころの記憶 -その3-
慎太郎の家で『愛の苗』のDVDディスクを見てから一ヶ月近く経った。
あれ以来、彼に変わった様子は無い。
原作の『愛された花』は独特な雰囲気の内容だし――。
もしかしたら、『愛の苗』を観て気を悪くしたのかも――。
元々映画には興味がなく、映画版となる『愛の苗』を観ていなかったが、十分に想像できる事だった。
慎太郎は観ていないと言ってたけど、気を使ってたんだとしたら――。
彼が観てないと言った時、それなら一緒に観ようと思ったのだが、悪い事をしてしまったかもしれない、と密かにすぐ反省していた。
文学史の試験を終え教室を出て連絡を取ろうとすると、窓から慎太郎の姿が見えた。
池の縁に座り込み、ピンク色の蓮華を見つめている彼。
明日香は蓮の類が好きではなかった。
筆で描いた様な儚い造形の蓮華は美しく、明日香も嫌いではない。
しかし、花弁が落ちると見える無数の穴には、不安や恐怖を掻き立てられる。
そんなものと自分の傷が似ている事がとても嫌だった。
〇
明日香に蓮の様な傷ができたのは中学一年生の冬だった。
はじめは左のこめかみの辺りに小さな丸い傷が一つあるだけで、明日香は「ニキビの治りが悪い」程度にしか思っていなかった。
それが数日経ても治らず気にしていると、同じ様な傷がうなじにもあると恭子に教えられた。しかし、やはりそれもニキビだと思っていた。
だがそれは治るどころか、ゆっくりとではあるが、着実に増え続けた。
初めて傷を見つけてから一ヶ月程経ち、ようやくこれは異常だと恭子が思い、明日香を病院へと連れて行った。その頃には数えるのが無意味なほど多くの穴がこめかみに密集していた。
最初の医者には原因が分からないと傷薬を処方された。次の医者にも同じ様な事を言われ紹介状を渡された。県内で一番大きな病院で検査を受けると、「詳しい事は分からないが、もしかしたら珍しい症例かもしれない」と言われ、今度は東京の病院を紹介された。
東京での検査結果は「命に別状あるものでもなく、また生活に重度の障害が出るものでもない」というものだった。
しかし、根本的な治療が見付かってない疾患で、穴は成長期が終わるまで増える可能性があるとの事を知った。
傷の事が分かる前は明るく活発だった明日香だが、いつ増えるとも分からない傷に怯え始めると殻の中に隠れるように静かになり、家族以外に対しての口数が極端に減っていった。
高校に進学する頃には成長期も終わったようで、傷も左腕と右の脛だけにしか増えなかった。明日香も家族も顔にこれ以上傷が増えなかった事を喜んだ。
しかし思春期の女の子である明日香には、すでにある傷だけでも十分に足枷となっていた。
明日香はなるべく誰にも干渉しないように、干渉されないように、息を潜めるようにして過ごし、高校を卒業した。
その頃には現在にも未来にも希望を持たない事に慣れ切っていた。
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