第12話 六月のとある土曜日 -その2-

 明日香は家に着くとすぐに濡れた服を洗濯カゴへ放り込み、浴室へと向かった。

 雨よりも強く打ちつけるシャワーに安心感を覚える。何の心配も無く頭を空っぽにできた。


 落ちる視線。右足の包帯が映る。急いで、取り忘れていた各部の包帯と絆創膏を外していく。

 そして、こめかみの絆創膏に触れた瞬間、蘇る。

 シャワーの水圧で剥がれかかっているそれを、彼がしたように、そっと貼り直す。

 流れ落ちる水に晒され粘着力はもう無かったが、抑えるように上から傷に触れてみた。


 男性に抱きしめられたのは初めてだった。

 一瞬何が起きたのか分からず、力強い抱擁に戸惑い、言葉と気持ちの所在に迷ってしまった。

 何が起きたのか分かった後も、それがどういう意図のものなのか解らなかった。


 だけど――。


『好きだ』


 強い雨音の中で聞きこえた彼の言葉が、脳裏に響く。


 彼は確かに傷に触れて、その直後に告白してきた――。


 何かの冗談なのだろうと思った。

 しかし覚えている、強く密着した彼の身体の感触と、徐々に強くなる鼓動が、彼の感情の真偽を伝えているような気がした。


 出会って三日しか経っていない――そんな事は明日香にとって些細な問題だった。

 ただただ、解らなかった。


 だってあの時、確かに彼は私の傷を見て絆創膏を直して――。


 服や髪型で隠しているとはいえ、常に包帯や絆創膏をしている事に気が付いてないとは思えない。だから、その下には保護しなければならない患部がある事を知られているはずだ。


 だったら、なんで――。


 そんな自分を何故彼は好きだと言ったのだろうか、と。


 腕や足だけじゃない。顔にまで傷があるのに――。


 鏡に映る自分のこめかみを見て、改めて思う。

 小さな傷じゃない。それは絆創膏の大きさからも十分に分かるはずだ。


 顔に傷……それに、こんなにも醜い――。


 うなじの絆創膏を外す時も感触を思い出す。


 うなじの傷にも触れていた――。

 だったら――。


 明日香には解らなかった。


        〇


「何かあったの?」


 遅めの夕食の最中さなか、恭子は尋ねてみた。

 隠しているつもりなのかもしれない。だが、姉として――そして妹が上京してからは母の様にも接してきた恭子には、自然と妹の情の機微きびを感じ取ってしまう。

 そんな恭子の事を妹も理解しているのだろう、素直に今日あった事を話してくれた。


 聞き手として恭子は終始落ち着いた態度をとった。

 だが、雨の中の告白の段になった時は、さすがに驚きを隠せたという自信は無かった。

 しかし、それでも口を挟む事はせず、最後まで妹に語らせた。


 全て聞き終わると恭子はとりあえず「そう」と口にした。

 正直、どう言えばいいのか分からなかったからだ。


 妹の話を聞く限りでは、相手の男に対して良い印象を抱く。前日までの少々不可解な行動も、妹への想いからと考えれば合点がいくものでもある。唐突過ぎる告白も、無くは無い話だと思う。

 だがそれでも、恭子は妹が心配だった。


 恭子の知る限りでは、妹は初めて告白された。

 傷のせいもあってか内気で消極的――そんな妹にもっと恋愛をしてほしいと願う一方で、恋愛をして傷があるせいで余計に傷付いてしまうのではないかと考えてしまう。

 もし、妹の傷を直接見て相手の男が離れていったら、妹にひどい事を言ったら。

 ――そう思うと口を閉ざしてしまっていた。


 雪村姉妹は互いが何を想っているのか何となく解ってしまう。

 そして今、互いの心配が同じなのだという事も、互いに分かってしまっていた。

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