第5話 幼いころの記憶 -その2-

 その女子は席が隣同士になり仲良くなると、ある日の放課後、告白をしてきた。

 当然、恋愛の対象として考えた事は無かった。

 しかしその女子に告白され、慎太郎は初めて「好きになる努力をしてみよう」と思えた。


 きっかけは何て事はなかった。

 ただその時、慎太郎が想いを寄せていた植物が、登下校中に見るテッポウユリで、その女子生徒の名前が『ユリ』だった、ただそれだけの事だった。


 交際が始まってすぐに手を繋いだ。

 同世代の女の子と手を繋ぐなんて何だか恥ずかしい――という気持ちはあった。

 だが、それ以上の想いは無く、花に触れた時の興奮には遠く及ばなかった。


 ただ、ユリと共に過ごす時間はとても楽しかった。


 昨日観たテレビやクラスメイトの話、互いの趣味や一緒にいない時の事、些細な好き嫌いやこだわりなど――ユリを知り、ユリに知ってもらうにつれて「これが恋愛なのかもしれない」と慎太郎は思えるようになった。


 その年のクリスマス・イヴにユリとキスをした。


 互いに初めてで、ユリは唇を離すと照れながらはにかむ様に笑った。慎太郎もユリの笑顔を見て嬉しくなった。


 しかし、キスをした事への感動はやはり無かった。


 自覚した瞬間、それまでにあった暖かい感情はさっと消え、代わりに罪悪感の様なものが慎太郎の胸を強く締め付けた。


 年が明けても後ろめたさが晴れる事は無く、むしろ、ユリの笑顔を見る度にそれは増していった。


 二月十四日、ユリがプレゼントを渡してきた。

 慎太郎が心からの感謝を伝え受け取ると、ユリは目を閉じた。クリスマス以来のキスを求めている事はすぐに分かった。

 しかし、罪悪感を隠したままこれ以上一緒にいる事が互いの為に良くないと分かっていた。


「ユリ……聞いてほしい事があるんだ」


 表情が曇るユリに、慎太郎はできるだけ正直に、全てを打ち明けた。

 自分の普通とは違う趣向、ユリと付き合った理由、初めて手を繋いだ時の事、ユリとの時間、唇を重ねた時の事、ユリを想う気持ち。


 ユリは、はじめは戸惑っていた様子を見せていた。しかしすぐに、慎太郎の真摯な態度に応えるように真剣に向き合った。

 慎太郎が話し終えると、ユリは溢れてしまいそうな感情に耐えながら絞り出すように率直に述べた。


「凄く……ショックだよ」


 覚悟していた。だが、実際に傷付くユリを目の前にすると、そうさせた自分が嫌になった。しかしだからこそ、誰にも明かす事ができなかった悩みをユリには知られても良いと思った。伝えなくてはいけないと思った。ユリが下す罰ならどんな事でも受け入れようと思った。

 しかし――、


「でも、慎太郎のこと嫌いになれないよ」


 泣きそうな笑顔でそう言われるとは思わなかった。


 ユリに、慎太郎はもう何もできなかった。何もしてはいけなかった。

 慎太郎が自分に許したのは優しい毒ではなく、未来に向けての決着だけだった。


「ごめん……別れよう」


 しばしの沈黙のあと、二人は互いの事を想い、別れた。


        〇


 それ以降、慎太郎は依然、色恋の対象として「人」に興味が湧かなかった。

 高校時代、女性との交際も複数回あった。何人かとは性交渉もした。しかし、どの女性もユリ以上に一緒にいて楽しかった訳ではなく、今まで愛してきた植物たち以上には昂らなかった。


 大学に進学する頃には、慎太郎は「人」を諦めていた。

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