第54話 希望と不安


 昼休みの屋上。春疾風が三人を横から殴りつける。


 「うさぎちゃん。本当に大丈夫かなー?」


 三人の中の女子生徒はそう言うと、自分の髪を指に巻き付けてはくるくると指先を遊ばせる。


 「ま、待つしねぇなぁ。あそこまで一人で行くって言われちゃあなぁ」


 「信じる力……ね。せっかくの機会だし、ボクらも倉島さんを信じて持ってみようか」


 残りの二人の男子生徒達も続けて言葉を漏らす。


 「へっ、よく言うぜ刻の氏ぃ。信じて待つだぁ? ったく。視えてるくせにいけ好かねぇなぁ」 


 風が靡かせた黒いローブがバサバサと音を立て、陰になったフードの内側から鋭い眼光が飛ぶ。しかし、視線を向けられた男子生徒もまた、全く物怖じする事は無い。


 「まさか? 視えてなんて居ないさ。結果を先に見たら、つまらないだろう?」


 彼がそう言うと、何かの兆しを予感させるように、再び吹いた突風が三人の間をすり抜けて行った。





 太陽が天高く上る頃。バタンっ。大きな音立てながら、昼休みで賑わう教室の扉が開く。一斉に周囲の視線を集め、私は一歩死地に足を踏み入れた。

 教室を満たしていた明るい話声は、一転、不穏なざわつきに変わる。さながら、平穏だったアクアリウムに外来種が入ってきたように、私の存在がこの空間をかき乱した。無理もない。私は彼らにとってみれば平和を壊す存在。


 この学園では例年、新年度開始と同時に多くの生徒が退学となる。しかし、其れが今年は無い。理由は簡単、二将が抑え込んでいるからに他ならない。彼らはdummy同士での戦闘を固く禁じ、反逆者や裏切り者の粛清でしか戦闘を行わない。

 今のこの学園はdummyに逆いさえしなければ、平和な学園生活そのもの。常に他生徒から狙われているといった恐怖感からは縁遠い空間。

覇将付き従い、命令に従事すれば自動的に報酬として単位を配られる。例の貯蓄(ストレージ)と言うやつだ。そして逆に、明らかな役立たずは貯蓄送りにされる。

 つまるところ、もはや本人の力ではなく、覇将が全ての単位を管理しているというのだ。その暗黙のルールに逆らいさえしなければ、誰もが平和に安心して日々を送れます。表面上は。


 「みなさん。お話があります」


 私は教壇に立ち、教室中を見渡すように目配せを行って声を張る。周りが私に向ける視線は当然のように警戒心に満ちていた。

 もう既に、反dummy勢力である生徒の事は学園中に浸透している。ましてや、その中心となって居る私の事など言うまでもない。

 それでも、無数の銃口がこちらを向かないのには、一つ心当たりがありました。


 「私は……」


 冷たい視線と疎外感の中、次の言葉を見失う。そもそも、他人の前に立って話をするのは元々苦手な方です。目のやり場に困り、思わず下を向く。

 覚悟を決めたつもりで居ても、実際実行に移そうとすれば緊張で思い通りに出来ない。それでも、何か言わなければ。何かを発さなければと、急いで頭が言葉を探す。

 そんな時、ふと右手に小さな光を見つけました。それは、彼とお揃いのペアリング。もうその人はつけて居なかったけれど、それでも私には心の支えでした。これまでも、そしてこれからも。私はもう、暮人と会う前の私ではない。暮人と一緒に居た頃の私でもない。今の私は、今の私です。

 これまでの積み重ねが、私の強張った全身を解す。完全に全ての緊張が消えたわけじゃありません。けれど、この拭いきれない緊張も私の一部。ありのままの等身大。自分を完璧に見せる必要はない。どれだけ言い淀んだって、私の思いが伝わればいい。

 

 「なんなんだよ……」


 教室のどこかで一つ、声が浮いた。

 そして私は前を向く。


 「私は、現状この学園を恐怖で支配している覇将、一角暮人を倒します! その為に、皆さんの力を貸してください!」


 教室の隅々にまで届いた私の声は、そのまま虚空に消える。


 「お願いします! 私達に力を貸してください!」


 反応もないまま、何度も同じ言葉を繰り返す。周囲の生徒達は聞こえぬフリでお弁当箱を突き、談笑を始める。

 しかし、私は構わず何度も声を張り上げる。当然誰の反応も無い。そもそも、今ここで私の側に寝返るメリットが彼らには無い。もっと言えば、こんな大衆の中で、少しでも私に加担しようものなら、その生徒は間違いなく粛清対象になる。一瞬にして四面楚歌だ。


 「全くよー、それで俺たちにどんなメリットがあるって言うんだよなー?」


 不意に誰かが会話に混ぜて放った言葉だった。

 返す言葉もない。わざわざdummyを打倒する為に、他でも無いdummyを抜ける意味は無い。今のままなら最大勢力たる恩恵で、平穏に学園生活を送れる。余計な事さえしなければ、単位だって貰える。とりあえずは長い物に巻かれておけばいい。自分の安全を考えるならそれが最も正しい。


 「確かに、メリットなんてありません。でも、このままじゃダメなんです! どちらにせよ反勢力が全滅した後には、同士を撃てないdummyで満たされた学園では単位が膠着状態になってしまいます」


 「別に、それで学園内の単位が膠着状態になっても、平和にみんなで座学して、全員で卒業できるじゃん」


 私が言葉を発する度、教室のあちこちから会話に混ざって私への返答らしき声が返ってくる。


 「あなた達がそう思って居ても、覇将はそんな事待ちません! 特定の生徒を優遇する為に貯蓄は用意し続けるはずです。そうなればいずれdummyの中からも貯蓄(ストレージ)送りになる生徒が出てきます」


 そして私は、その飛んでくる声一つ一つに、全て返答をする。それが私へ向けたものなのか不確かでも、可能な限り全てに返す。


 「でもああは言うけど、あの子ってさー、自分が覇将様に気に入られてるってわかってるからあんな事言えるんだよな?」


 「そうだよなー。俺たちの立場だったらあんな風に表立って逆らえないよな」


 何処からともなく飛んできた声が、私の胸に突き刺さる。実際、その通りなのかもお知れない。

 私は、幾度となく覇将と向かい合っている。しかし、今もこの通り無事なままです。それは私が強いからでも、凄いからでもありません。覇将に私を倒すつもりがないから。生かされているからに過ぎません。

 あっちがその気になれば、私を撃つ機会なんて幾らでもあった。まして、現状の反逆者勢力に攻勢に出ないのも、私を生捕りにしようとしているからなのでしょう。そうでなければこの人数差、四人程度すぐにでも押しつぶせてしまいます。


 「確かに皆さんの知って居る通り、私は覇将、一角暮人に特別視されています。でも! だからこそ、私だけが今の暮人を止められるはずなんです!」


 私は必至に訴えかける。覇将は少なからず私に固執している。なればこそ、確信できる。覇将一角暮人の中に、元の一角暮人は生きて居る。それが何パーセントくらいなのかは、まだわかりません。でも、確実にゼロじゃない。あの覇将がここまで私を泳がせているのは、『暮人』がまだ完全には消えて居ないから。『倉島うさぎ』をその他大勢の一人としてカウントしていないからのはず。

 正面衝突で呪砲に勝てなくても、『暮人』がまだ消えて居ないならチャンスはある。元の彼に戻せるのは間違いなく私以外に他にない。まさしく私自身が、最強となった彼に対してのジョーカーなんです。


 「もういいよ!」


 ダンっと机に両手を着く音が響き、周囲の話声を一蹴する。そのまま突如立ち上がった女子生徒が私の方に歩み寄って来る。


 「あなたは……」


 私の目の前まで歩いて来た女子生徒は、天草(あまくさ)香(かおり)。まだクラスメイト全員の名前を覚えて居ない私が、既に名前を知って居る数少ないクラスメイトだ。

 と言うのも、彼女とは以前話したことがある。そう、放課後のラウンジで。覇将の指示で私に近づき、睡眠薬を飲ませた女の子です。

 しかし、あの時とは打って変わり、堂々とした面持ちで私の前に向かい立つ。あの時はビクビクと震え、他人と話すのも苦手そうな気の弱い素振りでしたが、今はそれが全く無い。結局、何から何まで私を騙すための演技だったのだと思い知ります。


 「倉島さん。みんな今はdummyの一員として、何の不便も無いの。まして、貴方に協力するメリットも無いのに、わざわざそんな事するはずないでしょ?」 


 「無理を言っているのは分かっています。だからお願いしているんです。私だけでなく皆さんの力が必要なんです!」


 「自分だけ安全だからって、勝手な事言わないでよ! まるで断ってる私たちが悪者みたいじゃん!」


 「少なくとも、覇将一角暮人のやり方は間違っています。そして、それに付き従う全校生徒達も」


 私ははっきりと言葉をぶつける。今私に出来る事は、覇将のように聞こえの良い言葉をささやく事じゃない。例え反感を買っても、私の思うままを伝える事。そして、それに賛同してくれるようにお願いする事だけです。


 「仕方ないじゃんっ!」


 受け止めきれない私の言葉に、彼女は感情を爆発させる。


 「いきなり撃ち合いを強要されて、皆不安なの。でもdummyに入れば、相互監視の元仲間同士で争うことは無い。これだけの集団なら多少の敵だって怖くない。私さ、退学になりたくないの」


 彼女の言葉が急に重みをもつ。誰もが退学にはなりたくない。それは勿論私も同じです。安心感、それが何事にも代えがたい事を私は知って居る。

 私も初めてここに来た年は、入学初日から不安でした。そこから一年間はたくさんの人に迫られ、狙われ、追いかけまわされました。逃げ回って逃げ回って、何時解放されるのかもわからないまま、必死に息を殺して過ごしました。

 安心感、それは本当に大切な物です。不安が紡いでいく毎日は果てしなく暗く、そしてこの上なく苦しい。

 私は目前の彼女を昔の自分に重ね、気づけば腕を相手の後ろに回し抱きしめて居ました。突然の事に困惑する彼女。しかし私は構わずに腕をゆっくりを動かし、彼女の頭を優しく撫でおろす。


 「分かりました。無理に付き合って欲しいとは言いません……。あなたの言う通り、私に加担すれば茨の道に行くことになります。私が間違っていました。自分の始めた戦いに、他人を巻き込んでいいはずなんてないのに」


 「…………」


 「勿論、協力者はこれからも頑張って探します。でも、嫌がる人を無理やり協力させたりしません」


 「……でも、私達は貴方の敵になるんだよ?」


 彼女は微かに声を漏らす。

 味方以外は全て敵。確かに私にもそう考えて居た時期はありました。周りは全員私を狙っている。味方とそれ以外で明確に線を引く。

 そんな彼女に、私は最大限優しい声で言葉を渡す。彼女の不安を、心の中にある何かを取り払うように。


 「味方以外を全員敵にする必要はありません……。天草さんがこちら側でも、或いはdummy側でも関係ありません。私にとってあなたは、一人のクラスメイトに変わりありませんから」


 「…………」


 「ラウンジでお話した時、一方的かもしれないけれど、私は楽しかったですよ。でももし次があるなら、今度は本当のあなたとお話してみたいです」


 彼女はゆっくりと足を引き、私の懐から離れてそのまま自立する。再び向かい合う形になり、私と彼女は目の前で真っ直ぐに目が合いました。

 眼を見るだけで、何かを受け取った気がした。あちらの立場からすれば、私に賛同するような意思は不用意に表に出せない。それでも、彼女は瞳の奥が語って居ました。応援していると、無言のエールが私にだけは届いていた。


 「では、私はもう失礼します。騒がしくして、ごめんなさい」


 一言お詫びを述べ、私はその場を去ろうとする。

 これ以上長居すると、彼女を含めクラスメイト達に迷惑が掛かるかもしれません。あらぬ疑いをかけられ、私のせいで粛清対象にされてしまうかもしれません。

 結局、賛同者を見つける為の説得は失敗してしまった。でも、まだ全てが終わった訳じゃない。皇さんたちの元に戻って次の方針を……、そう考えながら教室の扉を出て、廊下に一歩踏み入れたその瞬間だった。


 「ちょっと君たちさー、なんで敵を見逃してるのかな?」


 私は咄嗟に声のする方向に顔を向ける。

 一歩廊下に出た私のすぐに隣。引き戸の扉の後ろにずっと潜んでいた男子生徒が口を開く。


 「上が監視しとけ、なーんていうから仕方なく見に来たけど。これは一体どういう事かな?」


 突如現れた男子生徒の言葉に、その場にいた一年生が全員凍りつきました。


 「さて、説明して貰おうか?」


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