第23話 研ぎ澄まされた鉄の意思、二対の刃と総力戦Ⅲ 


 幼い頃は、ただただ憧れていた。何でも出来て、周りにも優しいあの背中にオレは、完璧と言う言葉を見た。オレには、一人の兄が居た。

 

 「兄さん! 強くなるためにはどうすれば良いの?」


 オレがそう聞くと、兄さんはいつも決まってこう答える。


 「強くなる為にはな、負けたくないと思える相手が必要なんだ」


 ある日の事、兄さんは家の縁側でいつも通りオレと話していた。当時小学生だったオレと兄さんは、家柄もあり周りの奴らと遊んでいる時間など全くなかった。

 代々砲術士の家系である伊沢家の分家。紫銅家の人間として生まれたオレたち兄弟は、幼い頃から砲術士になる事を宿命付けられていた。といってもオレと兄さんは、それを不満に思った事も疑問に思った事も無い。あたかもそれが当然であるかのように、兄さんは日頃から厳しい鍛錬に励み、オレはそれをいつも眺めていた。

 

 兄さんは、家を継ぐ長男として砲術士の父に厳格に仕込まれていた。それに引き換え次男のオレは、父からは大して期待もされて居なかったのだろう。だがそれに関しても、オレは不満に思ったことなど一度も無かった。その理由は簡単だ。この家の誰より、オレ自身が兄さんの将来に、可能性に期待していたんだ。

 兄さんは毎日のように修行に明け暮れながらも、それ以外の時間はオレの相手もしてくれた。あの頃のオレは、庭で修行する兄さんを傍で眺めては、いつも目を輝かせていたように思う。自分もいつかは、あんな風になりたいと。

 兄さんが中学生になった頃、オレ達兄弟は初めて魔砲という物を握った。早い時期から自分の魔砲について知っておく為に、幼少期から魔砲を貸し与えるという事は名の知れた砲術士の家ならそう珍しい事ではない。

 

 夏の暮、親族を多く集めたその会合で兄さんとオレの魔砲が判明すると、周りが兄さんに寄せる期待はいっそう高まった。対してオレの魔砲は銃剣。銃撃戦が基本の砲術士にとって、そのリーチの短さは致命的な程に救いようが無く、明らかに欠陥まみれの魔砲だった。それから親族たちはオレを見限り、兄の方だけをこれまでにも増して持てはやすようになった。

 だが、それすらもオレとしては然程気にはしていなかった。自分が期待されていない事も、後継ぎとして必要とされて居ない事も正直なところどうでも良かった。ただひたすらに、誇らしかった、兄さんの存在が。かっこよくて優しくて、強くて周りから期待されていて、何でも知って居て何でもこなせる、そんなオレの兄さんが誇らしくて仕方なかった。 周りの人間からは兄弟として良く比較された。なんで弟の方は、兄とは大違いだ、散々色んな事を言われても、当のオレは気にも介さない。それなのに親族の中に、オレの代わりにそれらを怒ってくれる人が一人。誰かと言えば、他でもないオレの兄さんだった。

 兄さんは、あの頃のオレにとって最も身近で、最もカッコいいヒーローだった。憧れるあまり、オレは何かにつけて兄の真似をしていた。


 ある日の事。兄さんがいつも通り庭の一画で鍛錬で励んでいるところ、オレもまたいつも通り脇で兄さん眺めていた。

 よく、風が無責任にも落とした木の葉を兄さんは的にしていた。風にあおられ宙を舞う落ち葉を地面に着く前に打ち抜くのだ。的は不規則に動くし、芯を捕えなければ打ち抜く事は出来ない。それでも、ほとんど外さない兄さんの姿に、オレも憧れていつも一人の時に真似をしていた。

 修行の合間、休憩がてら兄さんがオレの隣に腰を下ろす。


 「兄さん凄いよ! 今日もほとんど外れて無かったし、どれもちょうど真ん中に当たってた」


 「あはは。別に凄くなんかないさ。兄ちゃんから見れば、閃(ひかる)の方が凄いんだぞ?」


 「どうして? オレじゃ今みたいに、落ち葉を正確に射撃なんて出来ないよ?」


 「いつか、みんなが閃の才能に気付く日が来るさ」


 本当に兄さんが何を言っているのか分からなかった。オレが兄さんより凄い事なんて、自分でも一つたりとも思いつかなかった。


 「そうだ閃。強敵(ライバル)になりそうな人、見つかったか?」


 「んーよくわからない。兄さんには居るの?」


 オレが質問を返すと、兄さんは庭に座り込んだまま、快晴の空を仰ぐ。風が兄さんの真っ黒な髪を撫でるようになびかせて、子供ながらにとても画になると思った。


 「兄ちゃんには居るよ。とっても凄い強敵(ライバル)がな」


 兄さんはオレの方を向き、笑顔で答えた。兄さんの言葉に、オレは思わず目を輝かせて興味津々だった。


 「ねぇ、どんな人どんな人?」


 「そうだなー。そいつは、今はまだ兄ちゃんの方が少し強いけど、きっといつか兄ちゃんなんかよりもっと強くなると思うんだ」


 一番近くで兄さんを見てきたオレから見れば、兄さんより強い人間なんて想像もつかなかった。でも、いつかその人が自分を超えると言った兄さんからは、その人への期待が溢れ出ていた。周りの大人達やオレが、兄さんに期待しているのと同じように、兄さんがその人に期待しているのが兄さんを見ていて分かった。


 「オレも、兄さんやその人みたいになれるかな?」


 「毎日しっかり鍛錬すれば、閃はきっと誰よりも強くなるよ」


 それからオレは兄さんの言葉を信じて、毎日のように来る日も来る日も、兄さんの真似をして鍛錬に励み続けた。ただ、兄さんに褒められたい。大好きな兄さんに認められたい。そう思う気持ちと、近いようで遠くにある兄さんの背中を追いかけるのが楽しかった。

 庭に舞う落ち葉に銃口を向けては、一発も命中しない日が二月以上も続いた。葉は目で捕えているのに、狙い通りに命中しない。銃剣を使えば、宙を舞う木の葉を両断するのは容易いのに、射撃となると上手くいかない。オレは失敗する度に兄さんの凄さを実感し、そして、奮い立った。当然、諦めようなどとは一度だって考えもしなかった。


 ある朝、いつも通り修行しているとある事を思いついた。木の葉が木の枝から離れ地面に落ちる時間と、この場から走って行って落ちる木の葉を銃剣で両断するのにはどれだけの時間の差があるのだろう。結果は言うまでも無く、届かなかった。落ち葉が地面に着く前に近づいて銃剣を振るには、圧倒的に時間が足りない。間に合わない。

 それでも、何故だろう。見えているのに触れない。いくら走っても追いつか無い。そんな木の葉が、まるで兄さんの背中のように思えて、オレは夢中で追いかけた。他に理由などない。ただ追いかけたかったから追いかけ続けた。木の葉が宙に舞う度にスタートラインから全速力で飛び出し、眼前で落ち葉が地面に落ちる度にスタートラインに戻り次の機会を待った。

 このあたりの時期から、射撃訓練の他に走り込みや銃剣の素振りも欠かさずに行い始めた。突く事が本懐の銃剣でも、オレは突きだけでなく薙ぎ払う素振りも欠かさない。ただひたむきに標的を捕える事しか考えていなかったからだ。セオリーなんて関係ない。基本の動きなんて関係ない。ただ不意に宙を舞い、地表に落ちる標的を捕まえられれば良い。


 そしてとうとうある時、オレの刃はそれに届いた。限りなく低姿勢からの全速力突進。振るう刃は地表を掠る程低くから、すくい上げるように振り払われ、宙を舞う落ち葉を裂く。足回りを鍛えた事で、初速も最高速も大きく向上した。元々人並み以上にはあった動体視力も、落ちる木の葉を見続けた事でさらに磨きが掛かり、風で軌道を変える葉っぱを追い続けていると、反射神経も修行を繰り返す度に研ぎ澄まされていった。 


 それもそのはず、この時既に、あの朝から二年半が経過していた。


 しかし、そこでは終わらない。一枚で成功するようになれば二枚。その次は三、四、五と一回に切る落ち葉の枚数を増やしていった。

 勿論、兄さんはオレの成長を快く褒めてくれた。気づけばオレも兄さんと同じ中学生になり、たまにではあるが兄さんの修行に付き合ったりすることもあった。

 訓練用の模擬銃弾を使った射撃戦。二年半あっても射撃の腕では兄さんには遠く及ばない。いつも負けてはいたがそれほど悔しくはなかった。勝てるはずが無い。兄さんに勝てる人などオレには想像もつかない。我が一族の期待の星である兄さんに勝てるなんて、毛ほども考えたことは無い。ただ兄の役に立てて、一緒に修行できるのが楽しかっただけ、それだけだった。


 「強くなったな、閃」

 

 「そんな事ないよ、兄さんにはやっぱり敵いっこないし」


 ある日の訓練後に、兄さんが言った。


 「これで、兄ちゃんも安心出来るよ。兄ちゃんが居ない時は、閃、お前が家族(みんな)を守るんだぞ?」


 「オレがー? 無理だよ」


 「出来るさ! 兄ちゃんは閃に期待してる」


 兄さんの言葉を聞いて、この時オレは、初めて『期待』という物の重さを知った。


 「もし自信が無いなら、兄ちゃんがコレを閃にあげよう。コレを使って皆や自分を守るんだ。使い方を間違えちゃ駄目だぞ?」


 「兄さん……、わかった! 兄さんの期待に応える為にも、オレ頑張るよ」


 兄さんからもらった贈り物は、嬉しくていつも肌身離さず持って居た。兄さんが初めてオレを頼ってくれた。とにかくオレは兄さんの期待に応えたくて、それからも毎日鍛錬を続けた。


 誰だったろう。名前も知らない親戚のおっさんが、急速に成長するオレを見て興味が沸いたらしい。兄さんが中学を卒業する頃だった。どっかの魔砲学園への進学も決まっていて、跡取りはやはり兄さんになるだろうと話がまとまりつつあった。

 だが、一族の親戚が多く集まる機会の時に、一人のおっさんが妙な事を言い始めた。跡取りを決める前に兄弟同士で戦わせていたらどうかと。はっきり言って茶番だ。やるまでも無く兄さんが勝つのは分かっている。オレは当然必要ないと言った。兄さん以外に跡取りに相応しい人間など居ないと。しかし、その勝負を必要だと訴える人間がおっさんの他にもう一人。


 他でもない、兄さんだった。


 「閃に勝たないと、兄ちゃんの心残りは取れないんだ。頼む閃」


 そういった兄ちゃんにオレはすぐさま「わかった」と言う。兄さんの頼みを断る理由などない。

 でも、オレにはこの勝負になんの意味があるのかなんて、まるっきり理解できなかった。いつも模擬戦では兄さんが勝っているし、周りの大人たちも兄さんの方が優れているなんて事は理解しているはずなのに。

 仕方なく道場に行き、兄さんと向かい合う。勝負は、魔砲を貫通させない防具を付けての実弾戦で行う事になった。


 「閃、今日は本気で来てくれ。でないと意味が無い」


 兄さんはそう言うが、オレはいつも手を抜いてなんか居ない、それでも、兄さんがそれで満足するなら当然、いつも通り本気で行く。普段の模擬弾による射撃戦とは違い、魔砲の力が使える。オレは銃剣を着剣して魔砲を構える。


 合図と同時に勝負が始まり、兄さんが魔砲を構えて引き金を引く。兄さんの放った弾丸は、空中で分離して数本の棘になる。兄さんの修行を傍で見ていたオレからすれば、見慣れた魔砲。この棘が、宙を舞う木の葉を貫くのをオレは何度もこの目で見てきた。

 しかしこの時まで、それが見えているというの自体がおかしいのだと、そう感じたことはただの一度も無かった。空中の銃弾を目で追えている。それが人並み外れた才能だと自覚してすらいなかった。


 『いつか、みんなが閃の才能に気付く日が来るさ』 


 在りし日の兄さんの言葉がよみがえる。兄さんだけが、兄さんだけが唯一オレという人間を理解していた。文字通りオレ以上にオレの事を分かってくれていた。

 

 空を切る棘の銃弾がいつも以上にゆっくり見える。オレのこれまでの二年半が、動体視力も、思考速度も、反応速度すら飛躍的に向上させたのが、この瞬間になって実感する。

 もはやこの低速な弾丸を、あの落ち葉のように銃剣で振り払うのは造作もない。


 カンカンと金属音を鳴らしながら、オレは目前に飛んできた十数発の鉄の棘を全て切り落とした。

 そして、その直後、兄さんは降参した。この結果は誰もが予想しえないものだった事もあり、一族の大人たちは騒ぎ立てる。何より不愉快なのは、この時を境に兄さんとオレの扱いがちょうど正反対になった事だ。

 それでも大人たちの事などどうでも良い。兄さんはオレにとっては何も変わってない。いつだってヒーローのままだ。そう思って居たのに。


 それから数日後、兄さんは行方不明になった。


 どうして兄さんはオレを置いて行ってしまったんだ。大人たちが何を言おうが関係ない。兄さんは兄さんのままなのに。周りの目が嫌になって逃げだすなんて。


 期待外れだ。兄さんは強いはずなのに。

 期待外れだ。兄さんは何時だってカッコいいはずなのに。

 期待外れだ。兄さんは完璧なはずなのに。


 オレは兄さんに勝手に期待していた。


 『兄ちゃんが居ない時は、閃が家族(みんな)を守るんだぞ? 兄ちゃんは閃に期待してる』


 兄さんの残した言葉は一つたりとも忘れたことは無い。オレの中に、まだ兄さんは居続けて居る。兄さんがオレに期待している。オレの期待を裏切った兄さんが、オレに期待している。

 ならばなおさら、オレは兄さんの期待を裏切らない。兄さんを今のオレのような気持ちにはさせない。そうして、オレは一家の跡取りとなった。

 期待を裏切らない為には、まずは強くなる事。毎日の鍛錬は欠かさない。しかし、まだ足りない。何かが足りない。


 『強くなる為にはな、負けたくないと思える相手が必要なんだ』

  

 兄の言葉が頭をよぎる。負けたくない相手、強敵(ライバル)が必要。いつだって兄さんが言っていた事だ。

 オレが強さを求めて西砲に入学したのは、これの約二年後の春の事だった。

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