第8話 日常編 倉島うさぎの冷戦Ⅰ
これは、とある昼休みの事。一角暮人は担任である阿水先生の手伝いという事で席を外し、教室では、静かに向かい合わせで昼食をとる東雲靜華と倉島うさぎの二人。
「ねぇー、うさぎちゃんってばー」
「……はぁ、なんですか?」
面倒くさそうに、ため息交じりで反応するうさぎ。
「うさぎちゃんってさー、一角くんが居ないとホント喋らないよねー。なんでー?」
「不要なので」
「そんなぁー、あたしとも仲良くお話ししようよー」
靜華は、突き放されてもめげること無くうさぎにグイグイ詰め寄る。
「……はぁ、わかりました、良いでしょう。では私からも一つ、質問しても良いですか?」
「やったぁー! なになに?」
パァっと笑顔を咲かせ、とうとう念願のガールズトークが出来るとキラッキラに瞳を輝かせながら質問を待つ靜華。
「では、何故あなたはそんなに頭の悪そうな話し方なんですか?」
「おぉう……、良いパンチ打つじゃん、うさぎちゃん」
「お褒めに預かり光栄です」
「あたし、そんなおかしな話し方じゃないよー!」
靜華は両手をぶんぶんと振りながら猛抗議する。それでも、うさぎは我関せずといった様子でパクパクと弁当の中身を胃袋に運ぶ。
「そんなにおかしいかなぁー?」
「ええ、語尾がとてもアホそうです」
「ああ! これはわざとだよ?」
靜華の言葉に、うさぎは不思議そうに眉をひそめる。
「あえてアホっぽくしていると?」
「もち!」
「どうして、そんなアホみたいな事しているんですか?」
「アホアホ言い過ぎだよ!」
静香は再び両手をぶんぶんと振って猛抗議するが、今度はうさぎが周りの視線を気にして靜華を制止する。
「もう、うさぎちゃんってば。これにはとっても深い意味があるんだから!」
「ほう」
「あ―! 信じてない!」
「私が信じて居るのは暮人だけですから」
得意げな顔で静華に言い放つうさぎ。
「ふっふっふ、うさぎちゃん! あたしの話を聞いたらそんな事は言っていられなくなっちゃうよ!」
「なにを言ってるんですか」
「あたしがこういう喋り方をしている理由をだよ!」
「アホだからですよね?」
「ちがーう!」
うさぎは少し呆れながらも、靜華の話を聞いてあげる事にした。そうしないと目の前で再び静香が暴れ、周りから冷たい視線を浴びせられてしまうと考えたからだ。うさぎは静香のせいで自分まで頭が可笑しいと周りに思われるのを回避する為、靜華が満足するまで、好きに語らせてやる事にしたのだ。
「ふっふっふ、この喋り方をしているとね」
「していると?」
「なんと! 相手が油断するのだよ!」
「……」
この時うさぎは思った。このやり取りに消費したここ数分間、自分の人生における貴重な時間の一部を無駄にしてしまったと。
「ホントだって! 特に男の子にはこの話し方で、さらにちょーっと甘えてみるだけで、すーぐに隙だらけになっちゃうんだよ!」
「そうですか。流石ですね」
「うさぎちゃんもやってみればー?」
「私はそんな安い色仕掛けなんてしませんし必要ありません」
うさぎは静香の提案を一蹴する。しかし、食べ終わった弁当を片付け視線を上げると、正面に座った静香が不敵な笑みを浮かべていた。
「お嬢ちゃん、あたしは何も敵に色仕掛けをしろなんて言ってないんだぜ?」
「あなたはさっきからなにを言ってるんですか?」
「一角くんさ」
「はい?」
うさぎは、よりいっそう眉をひそめ静華に問いかける。
「なぜ私が暮人に色仕掛けをする必要があるんですか。私が暮人を裏切る訳ないでしょう」
「チッチッチ、甘い! 甘すぎるよバニーちゃん!」
「キャラが定まっていませんよ。あとその呼称だけは絶対やめてください」
靜華は、やれやれと言わんばかりに両手の平を返し、首を傾げながら両手を広げる。
「結局何が言いたいんですかあなたは……」
「つまり、口調を変えるという事はね」
「事は?」
突然、静香はバっと立ち上がって両手を机に勢いよくつき、勢いそのままに大きな声で言い放つ。
「ギャップ萌えだぁ!!」
瞬間、教室中の空気が凍りつき、クラスメイト全員の視線が二人の方に集まる。そして、静寂も長くは持たず周囲からクスクスと笑い声が聞こえだす。
「あの、恥ずかしいので死んでくれませんか?」
「おぉう……、相変わらず良いボディブローだね」
靜華は、すとんっと落ちるように再び着席し話を続ける。
「つまり、うさぎちゃんもギャップ萌えを実践してみようよー」
「どうして私がそんな事」
「えー、一角くんだって普段と少し違ううさぎちゃんに言い寄られたらドキッとするんじゃないかなぁー?」
「笑止! 暮人はそんな浅ましい人ではありません」
「うさぎちゃんはー、普段ずっと敬語なんだから、あえて一角くんと二人きりの時だけ砕けた口調になるとか?」
「だから私は……」
うさぎは靜華の言葉を否定し、暮人はそんな色仕掛けに引っ掛かるような不誠実な男子ではないと、自分に何度も言い聞かせた。
しかし、そんな葛藤も虚しく、ほんの少しのうさぎの秘めた好奇心が暴走し、想像せずにはいられなかった。
『うさぎ、どうしたの?』
『くれとぉー、これからも、わたしのこと守ってくれるー?』
『あたりまえだろ、うさぎ』
『あぁくれとぉー、わたしもくれとの事、ぜったい守る』
『ああ、頼りにしてるよ。僕のうさぎ』
「いやいやいや! そんな事、暮人に限って! 限って……」
己の妄想から帰って来ると同時に、うさぎは首を左右に振って頭上の虚像を振り払う。
「あー、想像したんだー?」
「してません」
「嘘だー! うさぎちゃん顔真っ赤だもん!」
「黙らないと撃ちますよ」
「こわいぃー」
靜華はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながらうさぎをからかうが、うさぎは鋭い眼光で靜華を睨みつけて黙らせる。
「とにかく! この話は終わりです」
「えー、一回だけでもやってみれば良いのにー」
「うるさいです」
「ちぇー、それはそうと一角くん、帰って来るの遅いねぇー?」
あれこれ話に夢中になっていると、もう既に昼休みの八割の時間が経過していた。うさぎは教室の入り口をしばらくじっと見つめ、暮人が戻って来るのを今か今かと待ち受ける。
不意にガラガラとドアが開き、廊下からヘトヘトの暮人が姿を現す。
「暮人、お疲れ様です」
「あー、ひどい目にあったよ。阿水先生ってば、物置と職員室を何往復もさせるんだもんなぁ」
ヘトヘトの暮人は机にへたり込み、伏せたままぐったりと両手をだらしなく伸ばす。
「暮人、その……」
「んー?」
うさぎはいつも通り、暮人の為に作ってきた弁当を手渡す。
「あ、いつもありがとう」
「その……、もしよかったら……」
「ん?」
モジモジしながら頬を染めるうさぎ。
うさぎは大きく息を吸い込み覚悟を決める。
「もし、暮人が疲れているなら……、わたしがその、食べさせてあげま、あげるよ?」
「…………へ?」
「っ!」
うさぎの顔がさらに真っ赤に燃え上がる。今にも破裂してしまいそうな程に小刻みに震え、頭から湯気を出しそうな勢いのうさぎ。
「えーっと、確かに疲れてるけど、もう時間もないし僕は一人でさっと頂いちゃうね」
「そ、そうですか。そうですよね」
「本当にいつもありがとう」
「い、いえ。気にしないで下さい」
顔を真っ赤にしたまま、自分の席に戻るうさぎ。席に戻るとうさぎの向かいには未だ。静香が座っている。一部始終を見ていた静香は再びニヤニヤとしながら微かに笑い、うさぎも再びそれを無言で睨みつけて黙らせる。
「やっぱり、あなたの言う事は信用しません」
「えー、今のはあたし悪くないよぉー」
「知りません」
「……可愛かったよ?」
「知りませんっ!」
倉島うさぎの冷戦は、未だ終わらない。
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