こんにちは。
ヨナは魚に飲まれたお話で有名ですが、使命から逃げ出したり、神様が許されたことで不貞腐れたり、すごく親近感のわく預言者でおもしろいですね。
ヨナ子ちゃんのお話が楽しかったです(^^)
作者からの返信
久里琳様 おはようございます。
コメントありがとうございます。
お待ちしておりました。
ヨナは魚に食べられてしまうだけの人かと思ったら、あーら不思議
ちゃんと預言者でしたね。人間らしくていいなと思います。
こちらで失礼致します。
「カクヨムの堕天使」ではセルフレイティングありの感動した作品を紹介しております。久里琳様のマカレーナちゃん、「コカ畑」を紹介させて頂いてよろしいでしょうか? お返事は近況ノート最新にいただけると嬉しく思います。
いつでも構いません。突然でいつもごめんなさい🙇♀️
ヨナは大魚に飲み込まれた預言者として、よく覚えていました。『聖書物語』で海中に沈んでゆくヨナと近くで口を開けている?大魚の姿が浮かんできます。
ヨナはとても人間らしいですね。
思いっきり逃避行しといて、自責の念にかられ「海に投げ込んでくれ!」という姿も、あまりに素直に神の警告を受け入れたニネベ民に対する不満を出す所も、我々に近い感覚を持っているんじゃないかと思わされました。
「そんな簡単に許すんかい!」っていう不満はめちゃくちゃ共感出来ますね。
神に対してこうして面と向かって不満を述べた人間はあまり居ない気がします。
ヨナはとても共感できる人間でした。
作者からの返信
挿絵がインパクトありましたね。
頭に海藻巻きつけて沈みかけのヨナを魚がパクリとする寸前の絵。
逃げてしまうけど必ず任務を全うするヨナ、文句を言ってしまうヨナ、人間味がありますね。
どうしてニネベの人が悔い改めたのか不思議ですね。怒るヨナにも共感出来ますね。
ヨナ編もありがとうございます。ペコリ
ヨナ編、お魚の胃に入って海を移動してしまうエピソードが印象的でした。言われてみれば、ピノキオの話に通じますね! 聖書の影響を受けた童話や物語は沢山ありそうです。
ダビデ小学校、ハナス先生に会えるのならば是非、生徒になりたいです(^^ゞ
聖ダビデ小学校、何処かにありそう!
神様の問いかけで終わるヨナ書、私たちは残された余白に各々の答えを書くのでしょう。
ハナスさまが「悔い改めた預言者」と著されるとおり、私もヨナは「悔い改めた」のだと思います。
作者からの返信
ひいな様、こんにちは。
ヨナ編もお読み下さりありがとうございます。魚に飲まれ陸にペッされるなんて滅多にないですものね。印象に残りますね。(*´ω`*)
気持ち悪い終わり方なのは、読者が考えなさいって事だろうと思います。
優等生タイプはヨナのようにイラッときたと思います。あんな辛い思いして裁きの宣告したのに助かってるって。
神様の考えてる事って分かりません。
ヨナ書は、神に仕える者は謙遜でなくてはならない事、人の救いを自分の事のように喜ぶ事を教えてるのかなと思いました。
コメントありがとうございます。(^^)
ちなみに私は廊下を走った男子を注意し告げ口して、先生からゲンコツもらうの喜んで見ていたタイプです。
今なら一緒に走るかも。笑\(//∇//)\
逃げちゃうとか、神様は考えを変えちゃうから嫌だ、みたいなところ人間ぽくていいです。耐え忍ぶ優等生の預言者の方々とはまた違う魅力がありますね。ダビデ小学校はとても分かりやすかったです。個人的な気持ちの方が優先されちゃうんですよね。確かに神様だって自分の作った人間や動物を滅ぼしたくはないわけで。そこまで考えが及ぶのは、でもやっぱり難しそうです。
作者からの返信
ヨナは一番人間らしい反応をした預言者だと思います。
ヨナ好きのクリスチャンも多いみたいですね。
最後に怒ってしまうヨナの気持ち、すごく分かります。
ダビデ小学校、無理やりの例えですが、^_^ありがとうございます。
たくさんお読み下さり……コメントいつもありがとうございます。(o^^o)
編集済
月並みなコメントですいませんがヨナ書をここまで膨らませられるのはすごいと思いました。旧約聖書のなかでも相当きわどい行動をとっているヨナをどう解釈するか楽しみでしたけど期待以上でした。一つ質問ですが(アブラハムじゃなくてモーセ)が最後に不完全さを示したため約束の地に行けなかったこととヨナの一連の行動に対する神の扱いについて公正という観点からどのように考えられますか。いえ、純粋に疑問に思っていたことなので神に意見するような不届きな質問ではないです。わかり易く説明できそうな御婦人かと思いましたのでよろしくお願いします。
作者からの返信
早速ヨナ書に来て下さりありがとうございます。
そうですね、モーセが約束の地に入れなかった理由は、民から水を求められた時に岩を打ちましたね。確かに水は出ました。奇跡です。しかしその奇跡の力の栄光を神に帰さず、自分が出したと傲慢さを示しました。ずっと柔和なモーセがです。最期神はモーセに山に登るよう指示し、そこから約束の地を見ることは許されました。ずっとイスラエル国民を導いてきたモーセに対する憐れみです。なのに、ヨナは音信を伝えず逃げました。がモーセのように扱われませんでした。ヨナは傲慢さ故ではなく、人に対する恐れのため任務を放棄。けれど、魚の腹の中で、悔い改め謙遜さを示しました。神様は人の心の奥を見ます。傲慢さと謙遜さをみぬいた……公正に扱ったと思われます。
旧約聖書は???な事ばかりで、疑問を持ちますね。私も日々勉強なので、また教えて下されば嬉しく思います。
長くなりまして失礼致しました。
編集済
大魚に飲まれた人、という知識しかなかったヨナですが、こんなにも奥深い人格だったのですね。。
旧約聖書の主人公は皆、神のおっしゃること全て正しい、疑問を持つのダメ、ゼッタイ。というイメージだったので、特別な印象が残りました。
あーでも考えたらモーゼもダビデもちょいちょい神様に逆ギレしてたかも。
そういう精神も取り入れて育ってきた信仰なのですね。
またひとつ読みたい聖書の物語が増えました。とても楽しく拝読しました。
作者からの返信
ヨナ編もお読み下さりありがとうございます。そうですね、旧約聖書の王様や預言者は個性豊かで楽しいですね。
優等生はダニエルくらいでしょうか。
戒めや凝らしめを与えられて、神に対する信仰や愛が深まるのですね。
ヨナが好きな人多いと思います。
またご意見頂けたら嬉しく思います。
知識をお分かち下さい。コメントありがとうございました。m(__)m
僕はヨナ編好きです。
ラストのフェードアウト感も好きです。
作者からの返信
ふふ、ヨナ編お好きですか?
なんか分かるような気がします。
終わり方があらってなりますね。
フェードアウトもいいですね。
コメントありがとうございます😊