第12話 ダビデ ナタンの叱責

 姦淫の罪を覆い隠すダビデの企ては、殺人の罪を生んだ。ダビデは王様だ! 


 王様のしたことに誰も文句は言わない。しかしダビデの良心がダビデの心を打つ。

 

 人間は生まれつき良心が備わっているらしい。新生児にも良心があるという。目が見える頃、マルの形をしたものを、三角の形がいじめる。新生児はその三角を見ると嫌悪の表情になるらしい。逆に三角をマルがいじめると、マルを見たときに嫌悪する。悪を憎む、つまり良心が働く。天使のような良心は、環境と育て方、本来の性格で変わるのかな?


 ともかく良心が敏感に働くか、働かないかの違いで、犯罪者にもなれば、人格者にもなる。


 ダビデはナタンの叱責を受けてどうする? ナタンを亡き者にする事も出来るのよ。王様だ。


 バテシバとの間の子供が産まれると、神の予言者ナタン登場。サムエルもそうだが、聖書には神様の予言者がたくさん登場する。

 

「神はこのように言っております」と神様からのメッセージを伝える仕事。言葉を預かるから預言者が正解。ナタンはこの当時の預言者だ。


 ナタンはダビデの自己欺瞞というベールを取り除き、犯した罪の重大さを理解させるために遣わされた。ダビデは、ナタンを友として愛し自分の子供に同じ名前をつけるほど敬意を示している。

 

 ナタンやりにくいよね。嫌われたくないよね。ダビデとの間に亀裂入るかも。逃げたいね。でも神様の方が絶対。やるしかない。


 ナタンは考えて考えて、考える。ダビデの心に響く話をしなくちゃと。そんで思い付く。

 

 ダビデは、羊飼いだった。弱いものを愛する男。その自然の情愛に訴えればいい。

 それで富んだ人と貧しい人に関する話をする。富んだ人は、多くの羊や牛を持っていたが、貧しい人には一頭の雌の子羊しかなかった。富んだ人は訪問者の為に食事を準備するが、自分の羊ではなく、貧しい人の子羊を奪って料理するという例え。

 ダビデは本当の話と思い、「そんなことをした男は死に値する!」と義憤に駆られる。


 ダビデの正義感は素晴らしい。しかし、貧しい人の子羊がバテシバで、その雌の子羊を奪った富んだ人が、自分だという事はまだ分からない。


「あなたがその人です!]」ナタン叫ぶ。ダビデは自らに判決を下したのだ。死に値すると。


 ダビデは、恥じ入り、悲しむ。ダビデもう自分のしたことを正当化しない。他の人も責めない。言い訳しない。

 

 神様にごめんなさいを繰り返す。子供のように謝って、許しを請う。


 「私は神に対して罪をおかしました」と罪を認め、「私を捨て去らないで下さい」と嘆願。

 

 詩編五十一編はダビデの悔い改めの詩だ。罪を犯した人が悔い改めるとき、被害者に対しての謝罪の言葉は聞くけど、神様に対しては聖書が初めてだった。


 無神論者や不可知論者には???かも。


 ただ、自己弁護に走らず、悔い改めたダビデの心の清さが好き。私は言い訳の女王だから。


 悲しいことに、ダビデとバテシバの子は不義の子として、名前を付けられぬまま死んだ。

 

 ナタンはこれからもダビデの家に悪が臨むという神様からのメッセージを伝えた。


  自業自得。蒔いたものは刈り取る。次から次へとダビデに問題が降りかかる。次はその点を掘り下げます。


 

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