第34話 視点を動かすのが苦手
どうしてなんでしょう。苦手です。そりゃあ、短編では不用意に視点を動かすべきではないのですが、それにしたってわたしの場合はちょっと極端な気がします。
いや、やったことがないわけじゃないんですよ。ただ、作例としては極めてまれです。70作中3作くらいじゃないでしょうか。あとは全部視点固定です。
思うに、これはノワール小説の影響ではないでしょうか。わたしが尊敬する作家ジェイムズ・エルロイの作品に『ホワイト・ジャズ』という大傑作があるのですが、これは怖ろしく錯綜したプロットを1人称単視点で描いています(途中、新聞記事等の挿入がありますが)。単視点でここまでできるんだったら、わざわざ視点を切り替える必要はないだろうと思ってしまうのですね。
そもそもノワール小説って主人公の単視点で話が終始することが多いんですよ。映画にしたところで「深夜の告白」や「サンセット大通り」なんかは主人公のボイスオーバーからはじまったりします。主人公視点の物語であることが強調されるのですね。ノワールにおける悲劇は、主人公の主体的な問題に還元できるという指摘もあるくらいです。
だからたぶん、わたしは「誰かの物語」にノイズが入るのを嫌っているのでしょう。
そんなわけで視点を極力動かさない方針で創作をしています。そりゃあ、動かした方が楽なんだろうなってときもあるんですよ。ただ、そこはやらない。楽に流れないようにしています。
では、逆に視点を動かすのはどんなときか。それは「誰かの物語」が「誰かたちの物語」となることに必然性があるときです。つまり、視点――物語が並立することそのものが何よりも雄弁に主題を表現しうると判断したときですね。視点と視点、物語と物語の関係性にこそ主題が宿る場合と言いましょうか。自作だとたとえば「膝枕変奏曲」なんかがそういう話ですね。視点を動かした数少ない例です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます