閑話 ~ある日のカフェテリアにて~
ある日の放課後、あたしはネーシャさんと連れ立って通学路にある人気のカフェテリアに来ていた。
寮から学園までの道にあるので寮生が利用することも多い。寮食と違ってお金はかかるけど。それでもおしゃれな場所でお茶会したい女子は多いみたい。ここのレモンティーが絶品でリピーターが多いのも人気の理由の一つだろう。
何を隠そう、私たちもそのリピーターだ。
「戦闘訓練はどうだった? フィーネちゃんも弟君と一緒の班なんでしょ?」
「思ったより悪くなかったですよ。剣術も魔力操作も以前と比べ物にならないくらいお粗末になってましたけどその分、のびしろを感じますね。色々試行錯誤してましたよ」
あたしの発言にネーシャさんは「相変わらず実戦のことになると辛辣だね」と言いながら苦笑する。
当たり前だ。あたしはずっとスレイの隣に立ち続けるために妥協なく今日まで鍛えてきた。以前のスレイの剣術には追いつけなかったけど、それでも同い年の女子の中で一番あたしの剣術が冴えてる自信があるし、魔力強化の技術については以前のスレイを追い越す寸前までいっていた。
魔獣の脅威は今は拮抗してるけど、あたしが小さいころにルナマルソー領を滅ぼした魔獣の脅威は今でも忘れられない。そして、危なく命を落とすところだったあたしを颯爽と助けてくれたあの小さな背中を忘れない。
暴威に対抗できる力がなくては明日への希望に繋がらない。強さに妥協すればきっといつか足元をすくわれる。あたしは運良く助かったけど、そもそも魔獣の脅威がなければあたしのように危険にさらされる人は出ないはずだ。
だからもっと強くなって、魔獣を一匹でも多く倒して、人々の笑顔を守る人間にあたしはなりたい。
「そっかそっかー。前は良くも悪くも弟君は優秀すぎてほとんどの行動が一人で完結してたもんね。仲間を頼り始めてるのはいい傾向かな。どうしても一人でできることって限界があるし」
たしかに、以前のスレイは剣術もピカイチで精霊術も一級品、魔力強化も前線帰りの大人顔負けというとんでもないやつだった。今まで巻き込まれた事件も大体一人で解決してたし。でも、それが心配でもあった。一人でどうにもならない敵に相対したときに連携できる仲間がいなければ死に直結する恐れはつきまとうし。そういう意味では現状のスレイは今までにない成長を遂げようとしているのかもしれない。でも、
「それにしたって記憶喪失は勘弁してほしかったけどね」
そう。記憶喪失だ。あたしの大事な人は突然、なんかこう変なヤツになった。戦闘面で色々弱体化している他、よくわからない言動や「メガネが好き」というこれまで見られなかった趣味趣向が散見される。……正直、別人が入っていると言われても納得できるかも。というか事実として以前とは本当に別人なのよ。記憶喪失ってそういうもんなのかしら?
「あはは、そう? 私は今の弟君も好きだよ」
「ハグしても嫌がらないところとかでしょ?」
「それもなんだけど、なんというかこれまでにない可愛さがあると思うの。これまでは照れる弟君がとっても可愛くてそれはそれで、いいものだったんだけど、ストレートに感情を返してくれる今の弟君もなんかすっごくいいの!」
「ああ、なんというか今のスレイは羞恥心がなくなって色々察せる男子になってますよね。ちょっと手が触れるだけで慌ててた頃のピュアなスレイはどこ行っちゃったんだか……。スレイのお姉ちゃんの前でこう言うのも何なんですけど、記憶喪失までの色仕掛けはいつもタジタジになってくれて反応がよかったんですよ。……結局以前のスレイとは本当に何もなかったですけど」
「あらら、うふふ。フィーネちゃん今日はぶっちゃけモードだね? 頼れるネーシャさんは何時まででも愚痴を聞く準備があるよ」
「ネーシャさん、ほんとにこのテの話好きですよねぇ……。自分の浮いた話はしないくせに」
「私に迫ってくる男の子には弟君に負けない何かを見せてね! って言ったら大抵はあきらめて帰っちゃうんだよ。仕方ないじゃない?」
……上級聖霊を二体従えていて次期剣聖に指名されてて数々の事件に巻き込まれては解決してきたスレイを引き合いに出してる時点で鬼の所業ですよネーシャさん。同年代でスレイほど活躍が各地に轟いている男子をあたしは知らない。つまりしばらくはネーシャさんに浮ついた話はな……い?
「あれ? 今のスレイのグレードならネーシャさんの期待を満たせる男子は結構いるかも? 実践訓練で今のスレイの実力も噂になってるみたいだし」
「フィーネちゃん、今の発言はさりげなく今の弟君の実力は芳しくないって言ってるのといっしょだよ?」
「事実じゃないですか。あたしは今のスレイには恋愛的な感情はないですよ?」
「えぇ? 弟君に軽ぅーく『好き』とか言われるだけですっごいいい反応してるフィーネちゃんがそれ言っちゃうの?」
「いや、あれはなんかこう、条件反射みたいなやつですよ。知り合ってから今まで恋してて、ちょっと前までアプローチを続けてても何も進展しなかった男の子が急にあたしに好きって言ってきたんですよ? 意図は本来のそれとは違うとしても。中身はそれまで好きだったスレイじゃないけど声は完璧にあたしが10年くらい求めてたものなんですよ? そりゃおかしなことも口走りますって!」
「あー、わからなくはないかな。でも弟君の言葉にフィーネちゃんがおもしろ反応するの私が見ただけでも今まで数えきれないくらいやってるよね? 慣れないの?」
「からかわれてるってわかってるのに回避できません……」
「難儀な体質だねぇ……」
そうなのだ。困ったことにあたしは片思いの恋煩いをこじらせすぎてスレイから甘い言葉をかけられると意識が暴走するという稀有な体質を発症してしまっていたのだ。……通学路とかならいいけど、実戦訓練のときとかにヤられると事故の危険があるからなんとか克服したい……けど全く解決の糸口すらつかめない。
しかも今のスレイはどうやらあたしのその状態を把握しているらしく、ことあるごとに甘い言葉を囁いてあたしの反応を楽しんでいるのだ。そんな鬱憤をスレイとの魔力強化の訓練にかこつけてちょっと厳しい指導で発散させようとしていたんだけど、最近は
以前のスレイからは考えられない! 情けないやつ!
でも甘い言葉には屈してしまうあたしの乙女心が憎いッ……!
どうしても沸き上がる喜びに負けてしまう。おのれあたしのスレイ、人格が変わってもあたしを苦しめるなんて……! こう考えるとあたしはどうしようもなくスレイが好きなんだなぁって思う。好きになった方が負け、ってよく言ったもんよ。至言よ、あれ。今、あたしはスレイに戦闘力で勝ってるかもしれないけど感情では勝てる気がしないわ。戦いにならない。
でもそれでいいわ。あたしがスレイを好きなのは変えようのない事実だから。
「……問題は以前のスレイの記憶がいつ戻るかなのよね」
「それは、あたしにも見当つかないかな。ハイセの聖杯の力で記憶が戻らないってことは今の弟君の状態はニュートラルってことだし……精神や魂質的な問題は気長に待つしかないからねぇ」
ネーシャさんの聖杯の精霊・ハイセは上級聖霊の中でも回復系統精霊の始祖精霊であり、それを操るネーシャさんはもちろん自分の精霊の特性を熟知している。ハイセで治療できない症状は普通の方法でどうにもできないことだ。例に挙がった精神的・魂質的、そして魔物や精霊による呪い。主にそれらが聖杯の力で克服できない事象。今のスレイはその中のどれかに陥ってる状態らしい。理由は見当もつかない。
「今すぐ死ぬようなものじゃないし、時間が経てば何かわかると思うよ。フィーネちゃんもあんまり気負わずに……こういう言い方もどうなのかとは思うけど、今の弟君を楽しんだらいいんじゃないかな? もちろん私たちが支えてあげなきゃだめだけど」
「た、楽しむ……!?」
「そうそう。冷静に考えてね、フィーネちゃん。もし、次に弟君に会ったとき、記憶が戻ってるとするでしょう? そしたらその弟君は私のハグを拒絶しない保証はないでしょ?」
「そりゃ、まぁ。もとのスレイに戻ってるんなら嫌がりますよね?」
「そう、もとの朴念仁の弟君に戻ってるの。そしたらフィーネちゃんが次に弟君に『好き』って言われるのはいつになるんだろうね?」
「う゛っ……!?」
あたしは呻いて、思わず頭を抱えた。
た、確かに! 今はスレイがふざけ半分にでもあたしのことを『好き』って言ってくれるけど記憶が戻ったら本当に次はいつなのかわからない……そもそもそんな未来があるのかすら保証はない……!
だ、だって10余年よ!? 10余年も一緒にベルフォードのお屋敷で暮らしてて、ちっちゃい頃に遊びで結婚式ごっこした、くらいが記憶喪失前のスレイとのベストバウトなのよ!? あれ? 今気づいたけど結婚の約束まで一応こぎつけたイアレットの方があたしよりリードしてない!?
そんな超絶朴念仁なスレイが戻ってきたとして、これから想像を絶するような……具体的には既成事実の覚悟までしたアプローチをかけたとして、……スレイはあたしに
……正直、自信ない。
以前のスレイは色仕掛けにいい反応はするものの、好感度を稼げた手応えは全くない男の子だったのだ。そんなピュアッピュアのスレイに遊びでも好きって言わせるのに一体あたしはどれだけの代償を支払えばいいんだろう……。
「ネーシャさん、今、あたしたちってひょっとしてとんでもない幸福な状況だったりします?」
「気づいてしまったかフィーネちゃん」
心なしかネーシャさんは遠い目をしている。長いことスレイとの甘い触れ合いに飢えていたのだろう。あたしも同じ表情をしているに違いない。あたしたちは今ある幸運を噛みしめながら冷めてもおいしいレモンティーを飲み干すのだった。
後日、スレイから1/8スケールのあたしそっくりの粘土人形を貰って喜びの感情が振り切れたあたしが卒倒して医務室に運ばれるのは別の話。
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