第111話 思い出した約束

 エルサがコウヘイに強く当たったのには理由がある。


 エルサが一〇歳になる年。

 彼女が生まれ育った里は、ゴブリンジェネラルと同等とされる伝説級の魔獣――ハンドレッドセンティピードに襲撃された。体長が四〇メートルを優に超える巨大ムカデによって、壊滅的な被害を受けたのだった。


 当然、子供だったエルサには何の責任もない。まったくない。それでも、エルサは無力な自分のせいだと思い込み、責めに責めた。


 強くならなければ! と遮二無二しゃにむに無茶なトレーニングを己に課したのだった。


 そんな無茶をしたときの危なかっしい様子に、最近のコウヘイがソックリだったのである……つまり、周りが見えていない彼の姿に昔の自分を重ねていた。


 それ故に、エルサはコウヘイに気付いてもらうべく、心を鬼にして正直な気持ちを伝えたのだった。


 ただそれも、エルサの予想に反してコウヘイを擁護する者は誰一人としておらず、一方的に責め立ててしまった。


(わたし……嫌われちゃった、かな?)


 伏し目がちのコウヘイが頻りにエルサの様子を窺ってくる。そんな弱った彼の様子に胸が苦しくなる。


 けれども、エルサは後悔していない。


 命の恩人であるコウヘイの味方を常にしてきたエルサであるが、パーティーリーダーの立場にある彼の無謀な行動を指摘したくらいでは優しすぎる。


 いままでも色々と無茶な場面が多かったものの、エルサも大丈夫だろうとの想いから賛成していたのだ。失敗してもそれは想定内。コウヘイと二人で話し合って修正してきた。


 が、今回は次元が違った。


 エルサは、コウヘイの奴隷であると同時に仲間である。間違いは間違いとハッキリと伝えるべきだ。


 コウヘイは、未だ大きい身体を縮こまらせてチラチラと窺うような視線をエルサに向けている。


(ううん、嫌われてもいい。わたしにとってコウヘイは全てだから。これでコウヘイが前に進めるなら喜んで嫌われる!)


 覚悟を決めたエルサは、前回の約束を思い出してもらうべく、再びコウヘイに歩み寄る――――


「……コウヘイ?」


 僕は、エルサに名前を呼ばれ、ビクッと肩を震わせる。


 情けない……


 考えに考えたものの、エルサが納得してくれそうな答えが見つからず、僕は俯いて目を瞑ってしまう。


 今度は何を言われるのだろうかと耐えていたら、優しく手を握られる感触に安堵し、エルサの顔を見上げる。


 エルサの厳しい視線は健在だった。


「ご、ごめん、僕が間違っていたよ。確かに、エヴァやミラのことまで考えが及ばなかった……」


 咄嗟に謝罪をしたけど、そんな言葉だけでは納得いかないのだろう。エルサは、僕の目をじいっと見たまま握った手に力を込めてきた。


「うん、そうだね。コウヘイはリーダーなんだから、もっと周りを見てほしいし、わたしたちのことをもっと頼ってほしいの」


 リーダー。


 エルサに言われた言葉を心の中で繰り返す。


 そう、僕はリーダーなのだ。でも、そんなの僕の柄じゃなかったんだよ。


 悔しいけど、なんだかんだ言って内村主将は凄かったようだ。


 僕をぼろ雑巾の如く扱うあの男は最低な奴だ。それでも、いざ討伐遠征のときになると、騎士団の人たちと対等に話をして作戦を練っていた。


 できる限り現地住民や味方の損害を抑え、最大の戦果を出すような戦略を――


 それはまさに、勇者だった。


 勇者の紋章が影響して成しているのか、勇者という立場が内村主将をそうさせていたのかはわからない。


 僕はリーダーの役目を任されたけど、それらしいことを全然できていない。

 立場が人を育てると言われているらしいけど、僕に於いてはそんなことなかった。


 魔法の力に頼り、力押しの戦闘スタイル。

 結局、リーダーっぽく先頭に立って戦っているだけだ。


 散々エヴァから陣形やら役割やらの重要性を教わっていたのに、ここ数日は忘れていた。


 それを思い出した僕は、気の利いたことも言えず、「ごめん」と一言のみであとが続かない。


 普段であればそれで許されていたけど、エルサはやはり許してくれなかった。 


「さっきから、ごめんごめんって、それしか言わないけど、本当にわかってるの?」


 弱っている僕の心を深くえぐるように、エルサがしつこく僕を追い込んでくる。


 わかっている。エルサの言う通りだ。


 僕は、ごめんと言うばかりで、具体的な答えを言えていない。簡単に謝る僕に、エルサは温度差でも感じたのだろうか。


 エルサの指摘を口撃こうげきと受け取ってしまうほど、僕はイラっとした。


 エルサに、ではない。断じてない。

 エルサにそこまで言わせてしまった僕自身にイラっとしたのだ。


 僕は、なんとも間抜けなんだろうかと、益々惨めな気分になる。


 本当に自分が情けない。


「……」


 僕が押し黙ってしまうものの、エルサが何かを言うことはなかった。僕が答えるまで待ってくれているのだろうか。


 沈黙が僕を急かすようなプレッシャーとなる。


 異様な喉の渇きに空唾を呑む。


 結果的に僕たちは無事だったけど、危うく死ぬ一歩手前の重傷を負い、守ると決めたエルサやイルマに怪我をさせてしまった。

 しかも、僕を庇ったことが原因で怪我したのだから目も当てられない。


 エルサが言ったように僕は間違っていたようだ。


 崩落した土砂の一部が崩れたのか、ガラガラゴロンと小石が転がる音と共に僕はようやく口を開いた。

 

「ご、こめん……いや、うん、アースドラゴンのことは本当に悪いと思っているし、反省してる。これからは勝手なことをしない」


 いまの返答が功を奏したのか、エルサの表情が少しだけ和らいだ気がした。


「そう……じゃあ、約束して」


 エルサが力を込めていた手を解き、右手の小指を差し出す。


 何を? とは言わない。


 おそらく、僕が先程言ったことが正解だったのかもしれない。


「うん、みんなに危険が及ぶようなことはしない」

「そして?」


 そして?


 まさかまだあると思わなかった僕は、エルサとのやり取りを思い出すように必死に頭を働かせた。


「そして……エルサたちをもっと頼ることにする。ちゃんと意見に耳を傾けるよ」


 これであっているかな? と窺うようにエルサを見ると、うんうんとエルサが頷いてくれた。


「絶対だからねー」

「うん、絶対」


 エルサがいつもの笑顔に戻り、ようやく僕はホッと胸を撫でおろすことができた。


 正直、かなりきつかった。

 いつも僕の味方をしてくれていたエルサが、ここまで怒るとは思っていなかった。

 やっぱり、パーティーのリーダーなんて大役、僕には無理だったのかもしれない。


 一息つくために、僕は再び先程の岩に腰を下ろす。


 エヴァがエルサに、「よく言った!」などと言ってエルサを褒め、何やら談笑をはじめている。


 エヴァも同じように感じていたんだろうな。


 僕が恥ずかしさから鼻の下をかきながら二人の様子を眺めていると、イルマが僕の隣に来た。

 もたれ掛るようにして僕の左肩に右手を置いたイルマは、耳元に顔を寄せてきた。


「今回は、エルサにしてやられたのう」


 囁くように言ってからクスリと笑っている。


 僕は、釣られるようにして声を落として聞き返した。


「それはどういうこと?」

「いや、なんじゃ……わしも最近のコウヘイを見ていて危ういと思っておったのじゃが、コウヘイ自身で気付いてもらおうと放置しておったんじゃよ」 

「えっ、そんなに僕はおかしかったの?」


 少し身を引いてイルマを見ると、ばつが悪いように頬を人差し指でかいていた。


「危ういと言ったんじゃよ。どうせ無敵とでも思っておったんじゃろ?」


 周りからそう言われていても、さすがに僕は無敵とまでは思っていなかった。それでも、それに近いと思っていたため苦笑いを浮かべてこたえた。


「ああー、そういうことか。それは……うん。そうだね。勘違いして天狗になっていたみたい」

「ふむ、勘違いとまでは言わんが、気付いたのなら良いじゃろう。くれぐれもエルサとの約束を破るでないぞ。あれは、わしらのことも含まれているのじゃからな」

「うん、それは大丈夫。信じてほしい」


 僕は、忘れていたのだ。


 いまの僕があるのは、支えてくれるみんなの存在があったから。決して僕一人だけでここまで強くなれた訳ではない。


 それなのに僕は、この力を僕だけの力だと勘違いして突っ走った。


 みんなと一緒に強くなるとエルサと約束したのに、いつの間にかその約束を忘れてしまった。


 それを思い出させてくれたエルサを裏切らないように、拳をグッと握って再び僕は決心する。


 イルマは、「そうか」と、僕の顔を見て満足そうに大きく頷いた。


「それじゃあ、帰りは気を付けながら戻ろうか」

「うむ、そうじゃな。じゃが、一旦上がったところで野営した方が良いじゃろう」


 イルマの提案に、魔法の鞄からスマフォを取り出して時間を確認する。


「うわっ、こんなに時間経ってたんだ」


 既に一七時半を回っていた。このまま戻ったとしたら、安全階層である一〇階層に着くころには、余裕でてっぺんを回ってしまう。


 一四階層の魔獣たちは、かなり大人しく、比較的安全だ。無理をせずに一四階層で野営をした方が良いかもしれない。


「ほーう、三時間も気を失っておったか……相変わらず便利なモノじゃのう」


 イルマは、スマフォの画面を見てそんなことを言い、感心したように目を輝かせている。イルマの感想は、経過した時間を気にしてではないようだ。


「ダメだよ。絶対ダメだからね」


 輝かせた瞳の意味が嫌と言うほどわかってしまい、僕は先に牽制する。


「なんじゃ? まだ、何も言ってはおらんではないか。まあ、わかっているのなら話が早いのう。ちーとばかし、貸してくれれば良いのじゃ」


 右手の親指と人差し指の間隔を狭めて左目を瞑りながら、イルマがそう提案してくる。


 まるで妹の……いや、そもそも僕に妹はいない――


 ときたま、イルマはこんな風に子供染みた仕草でおねだりする。その様は、非常に可愛らしいけど、それに騙されてはいけない。


 とにかく、イルマの目的がわかっている僕が、皮肉を込めて嘆息した。


「貸してどうするのさ。どうせ、解体して魔道具研究の犠牲になるだけじゃないか」


 僕の予想が的中したのか、イルマはそっぽを向いて唇を尖らさせる。


 まあ、正直言うとイルマには申し訳ないと思っている。


 ここのところ、訓練やダンジョン探索ばかりでみんなの自由時間をあまり確保できてないのだ。特にイルマは、僕たちの回復ポーション類の作成に追われ、その時間がまったくと言っていいほどにない。


 だから、という訳ではないけど。


「ほら、分解しないのを条件にならいいよ」


 そっぽを向いているイルマの頬に軽くスマフォの角を当てる。


「おお、ありがたい!」


 自分の頬に食い込むのもお構いなしで、イルマは僕の方を見るや否やスマフォを掴んで操作をしはじめる。


 どうやらカメラ機能がお気に入りらしく、辺りを手当たり次第に撮影を開始した。


 いくらフラッシュ機能を使っても闇の奥までは照らせないのに、夢中になっている様がおかしくて、思わず笑みがこぼれる。


 いつまでもこんな楽しい時間が続けばいいのに、と僕はそれを守るために今回のことをしっかりと胸に刻むのだった。


 ――――中級魔族がテレサを襲う神託の話を聞いたあの日。


 コウヘイは、勇者たちとの再会を恐れるように塞ぎ込んでいた。


 エルサは、コウヘイに一人で抱え込まずにみんなを頼るように伝え、全員で強くなると誓ったのだ。


 それにもかかわらず、今回のコウヘイの行動に約束を破られたと感じたエルサは、少なからず傷ついて悲しくなった。


(やっぱり、わたしがコウヘイの支えにならなきゃ)


 エルサはエルサで、そう決心するのだった。

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