第112話 大根役者
闇が
先程までの重たくピリついていた空気が嘘のように、明るい雰囲気に包まれている。
エルサは僕に胸の内を伝えて満足したのか、エヴァと談笑している。
僕は僕で、スマフォで無邪気に辺りを撮影して回っているイルマの様子がおかしくって口元を綻ばせる。
僕は、一人離れていたミラが近付いて来るのに気付いた。僕たちの会話が終わるのを見計らったかのようなタイミングだ。
なぜ離れていたんだろう、と僕は思ったけど、ミラの表情を見て聞かずにはいられなかった。
「えーっと、何かな? ミラもやっぱり怒ってるよね?」
目の前で立ち止まったミラの表情は、なぜか凄いニコニコ顔で少し不気味だった。
エルサにコッテリ絞られたばかりの僕は、正直、勘弁してほしいと思った。
僕の少ない経験上という限定的なものだけど、自信がある。不気味な笑みを浮かべながら近付いて来る人は、大抵怒っているのが相場だ。
けれども、意外や意外、僕の予想は見事に外れた。
「いえ、コウヘイさんの行動は素晴らしいと思います」
「そ、そうだよね、素晴らしいよね……って、え?」
まさか、褒められると思わなかった僕は、完全に肩透かしを食らった。
驚いたのは僕だけではないようだ。スマフォに夢中になっていたイルマがその手を止め、訝しむような視線を向けている。エルサとエヴァも会話を止めてこちらに注目している。
ミラの言葉の意味を理解できず、僕はそれが何を指しているのか確認せずにはいられなかった。
「えーっと、ごめん。素晴らしいって、何が?」
「だって、あのアースドラゴンを怯えさせたのですから」
「怯えさせた?」
さも当然と言うようなミラの言葉に、僕は疑問符を浮かべる。
「はい、あの咆哮には恐怖が混じっていましたもの」
そう断言したミラが口を円弧に裂き、悦に浸ったような笑みを浮かべる。
そんなミラを見たのははじめてのことで、僕は思わず顔が引きつるのを感じた。
あの咆哮をいまでも覚えている。アースドラゴンとの戦闘を思い返しても、恐怖していたようには受け取れなかった。力の波動を伴わせて大気をも震わせたアレは、恐怖などではない。怒りだった。
考えれば考えるほどミラの意味深な言葉に納得できず、僕は首を傾げる。
「ちょっと待って。その話も興味深いけど、それよりもミラちゃんにはアースドラゴンとのことを聞きたいんだけど」
そう言って話に割って入ったのは、エヴァだった。
そうだ!
エルサに問い詰められてしまい忘れていたけど、本来であればアースドラゴンがどうなったのか、エヴァから話を聞く予定だったじゃないか。
この場にアースドラゴンがいないのは、やっぱりミラが深く関わっているようだ。もしかしたら、あの人格が再び姿を現したのかもしれない。
「何かしら?」
ミラの声音は冷たく、表情も冷めたように目を細めている。
エヴァに対するミラの口調がいつもより強気で、僕は確信せずにはいられない。
もう、何なんだよー! と僕はミラの豹変に胃が痛む。
重苦しい空気からやっと解放され、やっと一息ついたと思ったのも束の間。どことなく落ち着かない雰囲気が漂いはじめる。
「何かしら、って……アースドラゴンをどうしたのよ?」
「ああ、あの小童ならボクがっ――」
ミラは、エヴァの質問にそこまで言ってから、周りの視線に気付いたのだろう。深紅の双眸を
もしかして、いまのミラは別人格だと知られたくないのだろうか。
もしそうだとしても、両手を腰に突いて話す偉そうな仕草然り、一人称が
だから、僕としては、いや……もう遅いって、と言うのが正直な感想である。
ただそれも、悠長に構えていられる余裕はない。一気に緊迫した空気が、僕、エルサとイルマの三人の間を駆け巡った。
一方でエヴァは、ミラの異変に戸惑っているようだった。
「ミラちゃんどうしちゃったのよ! 小童? ボク?」
この状態のミラとはじめて会話するエヴァがパニックになるのは、無理もないだろう。
まるで、真面目で大人しかった我が子からはじめて反抗されて面を食らっている母親のように、エヴァが目を見開いて慌てふためいている。
うーん、と唸りながら僕は、エヴァの問いにミラがどう答えるのか様子を窺う。
ミラは口を閉じた後、瞼もかたく閉ざしている。何かを思案しているのだろうか?
時間が止まったかのようにミラは無反応だった。
ミラの別人格が現れたのは、世界樹で一方的に捲し立てられたときと、五階層でのオーガとの戦闘のときの二回だけだ。
そのときは、会話をすることが叶わなかった。
ミラ本人も知らない別人格……その正体を暴く絶好のチャンスかもしれない。
そう思った僕が間に入るべく口を開いた。
「ごめん、エヴァ。悪いけど、ここからは僕に話をさせてもらえないかな?」
僕の言葉に、エヴァは何も言わず、コクコクと頷いてあっさりと引いてくれた。
おそらく、理解が及ばず、そうしてほしいと思っていたのかもしれない。
「ねえ、ミラ……いや、そうじゃないよね」
名を呼んでから、僕がすぐに否定してミラの反応を待つ。
いくばくかしてミラが目を開いた。闇の中に灯る焔のように煌めく深紅の瞳があらわになる。
その瞳と視線を結んだ瞬間、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じ、思わず一歩後退ってしまった。
やっぱり、いつものミラじゃない。
息を呑んで僕が身構えると、エルサとイルマが両脇を固めるように身を寄せてくる。
二人を交互に見て頷くと、二人が頷き返す。
僕は、無駄なことをせずにはじめから直球勝負で挑んだ。
「君が誰なのかわからなくて、ミラ自身も困っているんだよ。だから、教えてほしい。君が誰なのか……ねえ、君は誰なの?」
さあ、なんて答えるのか……
「私は……」
ミラが口を開く。
いよいよか、と僕は静かに唾を呑む。いまにも心臓の音が聞こえてきそうなほどに緊迫感が漂う。
が、
「私はミラですけど、なぜそんなことを聞くのですか?」
こともあろうか、ミラはしらばっくれるつもりのようだ。媚びるような声音と共に、左の頬に人差し指を添えてコテンと小首を傾げている。
「なっ!」
口調はいつものミラだけど、そんなぶりっ子みたいな仕草を絶対にしない。
相手がそのつもりなら、いいだろう……
深呼吸をしてから、僕はエヴァの言葉を借りた。
「わかったよ。じゃあ聞くけど、アースドラゴンはどうなったの? ミラが倒してくれた、ということでいいのかな?」
バカな質問をしているのは、僕だってわかっている。でも、
真剣にそう問い掛けた僕に対し、そのミラは、
「えーっと、お、おお、お兄ちゃんは何を言ってるんですか? 私が竜神の守護竜を相手出来る訳ないですって……」
と説明してから、あはははと笑うその様は、猿芝居もかくやとベタな演技だった。
特に、お兄ちゃんと言うときにかなり恥ずかしそうにしていた。
いつものミラも、はじめこそは同じ感じだった。それでも、何回か僕をお兄ちゃんと呼ぶ内に、今回のような恥じらいを見せることはなくなっていた。
おそらく、噂で聞き及んでいたように陰で僕をお兄ちゃんと呼んでいたからなのだろう。
ただそれも、いまさらである。
「あれ? さっきは名前呼びに戻っていたのに、やっぱりそれが気に入ったんだね」
僕がそれを指摘してあげると、
「えっ、あー、そ、そうです、お兄、ちゃん……」
などと、裏ミラは狼狽してから頬を真っ赤に染め、ついにはシュンとして俯いてしまう。
その様子だけなら、ミラらしい仕草なんだけどな。
百面相の如く変わるミラの表情と仕草に呆けているエヴァを他所に、僕の両脇からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
緊迫した空気から一転、和やかムードが漂う。
「まあ、そんなことよりも……竜神の守護竜って、アースドラゴンのことを言っているんだと思うんだけど、それをどこで知ったの?」
僕が屈んでミラの顔を覗き込むようにして尋ねると、ミラの表情が「しまった」とでも言うように歪んだ。
「そ、それはアレなんです。住処に踏み込んでしまったことをごめんなさいと謝罪したら、そのようなことを言っていたんです。そして、どこかへ去って行ったんです」
どうやら、裏ミラはまだ諦めていないようだ。
竜種は他の魔獣より知能が高いと言われている。古竜に分類されているアースドラゴンなら、人語を操れてもさほど不自然ではないかもしれない。
「ふーん、そうなんだ……アースドラゴンと会話、ね」
頷きながらも僕は、その説明に納得した訳じゃない。
「それなら、なんで最初からそうならなかったんだろう?」
「最初から、とは?」
少しだけ首を傾げた裏ミラの表情は、困惑気味だった。
「うん、そうだよ。会話できるなら、威嚇するみたいに吠えないで、最初から問い掛けてくれれば、こんなことにはならなかったハズじゃない?」
「ふむ、それもそうじゃが、お主の正体の方がいまは気になるのう」
話題が逸れかけたのをイルマが上手くカットインして軌道修正する。
危ない危ない、気になることが多すぎて僕は話をまとめられずにいた。
何事も、一つずつだよね。
「ああ、そうだね。いなくなったドラゴンより、いまは君の方が気になるよ」
立ち上がった僕は、両腕を組んでからミラの深紅の瞳を見据える。
「あー、いえ、ですから何を仰っているのかわからないんですけど……」
裏ミラは、両手を後ろで組んで肩を揺らして再び俯いた。
なるほど、まだシラを切るつもりなんだね、と僕は嘆息してから言い方を変えた。
「べつに責めているつもりはないんだよ。実際、前回は危ないところを助けてもらっている訳だし――」
害意が無いことを説明しようとしたときだった。
「あっ、ごめんなさいっ。ま、魔力が足りなくて、も、もう立っていら、れ……」
途端、裏ミラがパタリと僕の方に倒れ込んでくる。僕は、咄嗟に屈んでミラを抱きとめて呟いた。
「え、ナニコレ……」
ついに、ミラの別人格の正体が判明するのかと思いきや。知らぬ存ぜぬを決め込む彼女に、僕は調子がくるってしまう。
僕が後ろを振り向くと、イルマがヤレヤレと言うように首を左右に振り、エルサは苦笑い。
正直な所、勘繰られるような発言をしなければよかったのにと僕は思いつつ、誰も彼女の真意を推し量れるハズもなかった。
だがしかし、この茶番が何かの予兆であることは、間違いないだろう。
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