第096話 真の勇者は英雄

 コウヘイの手を取り、彼が勇者ではないと告げたテレーゼの言葉に、それを聞いた冒険者たちが思い思いの反応を見せる中、エルサたちコウヘイの仲間は、固唾を呑んでそれを見守っていた。


 はじめは、エルサがそれを制止しようとしたのだが、何かに気付いたイルマが手でそれを遮り、今回もそのイルマの予感が的中することになる――――


「でも……」


 でも?


 テレーゼさんの声音から、僕を責めているような感情が込められていないことに、僕は気付いた。


 顔を上げてテレーゼさんの顔を見ると、テレーゼさんから見つめ返された。


 その黒の双眸からは、侮蔑の感情は感じられない。

 むしろ、温かい微笑みを向けてくれていた。


「でも、コウヘイ様は、死の砂漠で中級魔族を討伐し、無事帰還を果たした本物の勇者様です」


 その表情は、興奮したように小鼻を膨らませ、その白い頬が紅潮していた。

 僕に向けられた視線も熱を帯びているように見える。


 予想外の展開に僕は、困惑顔だ。


 それも、この後のテレーゼさんの話を聞くことで、ようやく理解できた。


 エルサたちも心配そうに聞いていたけど、話を聞いているうちにほっとした表情をさせ、次第に微笑みへと変化させていった。


 テレーゼさん曰く、


「私には姉がいたんです。でも、五年前に死の砂漠谷の中級魔族に殺されてしまったのです」


 だとか、


「姉の敵討ちを目指して冒険者になったのですが、全然ダメで……」


 だとか、


「新しい勇者様が召喚されたと聞いて、サダラーンに拠点を移したのです」


 だとか、


「中級魔族討伐の凱旋パレードで、コウヘイ様の雄姿を沿道に並んで見ていたのですよ」


 などと、最近は勇者パーティーの追っかけ紛いのことをしていたらしい。


 そんな理由で勇者パーティーのことを調べていたら、僕が冒険者になって魔王討伐を一緒に志す者を探しているという噂を聞きつけたらしい。


 因みに、そんなことを言った覚えは、全くない。


 しかも、わざわざミーシャさんが僕の担当受付嬢であったことを探り当て、頼み込んで僕の行き先を教えてもらったのだとか。


 そうしてまで、僕のことを追っかけてくるほどに、その噂を信じたようだ。


 そのことは僕を嬉しくさせたけど、逆に悲しくもさせた。


 僕たちを庇ってくれたミーシャさんに黙って帝都を離れることができず、テレサに向かうことをイルマに頼んで伝えてもらっていた。


 当然、誰にも言わないようにお願いもしていた。


 それなのに、と約束を破られたと思った僕の心境は複雑だった。


「つまりは、あれなんですよ。コウヘイ様たちは、国に縛られない真の勇者パーティーなんです」


 何だ?


 テレーゼさんのいきなりの宣言に、僕だけではなくエルサたちも首を捻った。


「おう、そりゃあどういうこった?」


 ファビオさんは訝しむような表情をし、僕たちより先に反応した。


「紋章は無いですけど、異世界から召喚されたのは間違いない訳で、先程みなさんもチート級の強さを目の当たりにしたではありませんか」

「ん、ああ、べらぼうに強いのはわかったが、その……なんだ、チート級ってのはよう」


 チート級と言われて僕は照れ笑いをしたけど、ファビオさんの一言で、はっとなった。


 そうだよ!


 僕は、自分の能力がチートだと自分自身で言ったとき、エルサたちはその言葉の意味を知らなかった。

 エヴァだって、「無敵」と表現していた訳で、「チート」という表現を聞いたことがないと言っていた。


 まさか!


 テレーゼさんにある予感がした僕は、その黒の瞳を見つめ喉を鳴らす。


 ま、まさかね――


「テレーゼさんはチートの意味を知っているの?」


 僕は、ある期待を胸にテレーゼさんを見た。


「はい、知っていますよ」


 そんなの当然ですよと言うような淀みない言い方に、僕の鼓動が高鳴る。


「勇者様の世界の言葉なんですよね? なんでも、勇者様たちのように強い人たちのことを差すとか」


 ただ、その言葉を聞いてその期待が怪しくなり、僕が何と言ったものかと思案していると、微妙な間が生まれた。


「どうなさったのです?」


 その間に居心地の悪さを感じたのか、テレーゼさんはやや眉間を狭めた。


 テレーゼさんの表情から僕を試しているということは、なさそうだった。


 それなら、と僕は質問の内容を変えた。

 より、限定的な内容へと――


「テレーゼさんは、もしかして地球人?」


 僕の質問にテレーゼさんは、一瞬だけど目を逸らした気がした。


 が、


「チキュウ人?」


 キョトンとした反応を見せたテレーゼさんから出た言葉を聞き、無情にも僕の期待という二文字が、音を立てて崩れ落ちた。


「マルーン王国の王都住まいでしたが、前回のアレでサーデン帝国に移住してきたんです……」


 少しテレーゼさんの表情が暗くなった。


 アレというのは、前回の勇者パーティーが全滅したときのことを言っているのだろうか。


「結局、魔族が攻めてくるということもなく、意味はなかったのですが、こうしてあのコウヘイ様と出会えたので意味がありましたね」


 それでも、僕に会えたことが嬉しいと微笑んでくれた。


 あの、と言うほど僕は大した人間ではないのに、そこまで嬉しいものだろうか。

 敢えて言うならば、「ゼロの騎士様」が有名だけど、名誉でもなんでもなく、帝都だけの話だ。


 だから僕は、テレーゼさんのお姉さんの仇である中級魔族を倒したことを言っているのだろうと納得することにした。


「コウヘイ様は……もしかして私のことをそのチキュウ人だと思ったんですか?」


 僕がそう聞いた理由が気になったのか、今度は僕が答える番となった。


「うん、そうだよ」

「えっとー、で、では、どの辺を見てそう思ったのですか?」


 転移者ではないとわかった時点で僕の熱は冷めていた。

 それでも、テレーゼさんの質問が止まらない。


「うーん、黒目かな。あとは、理由がわからないんだけど、テレーゼさんに誰かの面影を見たというか――」

「ほ、ホントですかあああーーー!」


 僕が言い終わる前にテレーゼさんは、被せてきた。

 何がテレーゼさんをそうさせたのかわからないけど、その様子は興奮状態と言っても良かった。

 

「も、もしかして……アヤメという名前に聞き覚えは無いですか!」


 えっ、ナニコレ?


 何かを期待するように瞳をキラキラさせながら僕のことを覗き込んでくる。

 それが、凄い勢いだったため、周りの全員が唖然としていたくらいだ。


 何か事情を知っていそうなウラさんとロレスさんも目を見開いていた。


「コウヘイ様! 聞いてますか? アヤコは? あ、あとは、ナオコは?」


 僕がなかなか答えないもんだから、テレーゼさんは次々と名前をあげた。

 それでも、僕にはそのいずれの名前も聞き覚えがなかった。


 だから、僕は頭を振って僕の手を握ってきたテレーゼさんの手を優しく解いたのだった。


「ごめん。その名前の人は知らないや……」


 僕がそう伝えると、キラキラ輝いていた瞳から色が抜けていくのがわかった。


「そ、そうですか……仕方がないですね」


 そう言葉にしながらも、切なそうな表情で今にも泣き出しそうだった。


「ごめん。その人たちは大切な人たちなのかな?」

「はい、その人たちから戦い方や、さっきの言葉とか教えてもらったのです」

「そっか」


 いつの間にか、テレーゼさんの頭を撫でていた。


 それに気付いた僕は、咄嗟に手をどけようとしたけど、逆に掴まれ、その手をテレーゼさん自ら自分の頭に戻した。


「お願いします。もっと撫でてください」


 その瞳の端には涙を湛えていたけど、明るい笑顔だった。


 もしかしたら、過去に召喚された人たちの一族なのかもしれない。

 テレーゼさんの名前が洋風だったから思わず地球人と聞いてしまったけど、さっきの三人の名前は日本人だった。


 日本人と聞いた方が通じたかもしれないと思ったけど、僕はその質問をしないでおいた。

 また泣かれても困ってしまう。


 女の子の涙は苦手だ。


「さっき言ったことは本心ですよ」


 僕に撫でられたまま、上目遣いのテレーゼさん。


「え?」


 僕は、一瞬何のことを言われているのかわからなかった。


「ほら、真の勇者と言ったことですよ」

「ああ、そのことか。僕はそんなんじゃないよ」


 中級魔族討伐戦に僕も参加したけど、結局その止めを刺したのは、内村主将たちだ。

 テレーゼさんからしたらお姉さんの仇を討ってくれた人、という位置づけなのだろうけど、僕はそんな大層な人間ではない。


「ダメですよ、そんなの!」


 頭の上にあった僕の手を取り、そして両手でその右手をギュッと握ってきた。


「もっと自信を持ってください!」


 否定するように俯いた僕のそれを弱気と捉えたのか、励まされてしまった。


 この世界に召喚されてからずっと、勇者ではない自分のことを一体何のために召喚されたのかと自問し続けて中々答えを出せないでいた。


 励まされるのはこれで何回目だろうか。


 そんなつもりはないのに、エルサだけではなく、イルマ、ミラ、そしてエヴァは、僕が俯いた気持ちでいると必ず勇気付けてくれる。


「大丈夫、僕はチートだから」


 少し無理があったかもしれない。

 らしくないことを言うもんじゃないな。


 笑顔で応えたつもりだけど、上手く笑えたか自信が無い。


 そして、本日何度目になるかわからない幻覚を見た。


『こーちゃん、だから無理しなくていいんだって』

『無理してないよ』

『……もう、仕方ないわね』

『だから、無理してないって!』

『そう? 耳が動いてるわよ』

『え?』

『知らなかった? こーちゃんの癖。そうやって耳が動いているのは何か隠している証拠よ』


 どこか懐かしくて心地良い記憶、のようにも思えたけど、最近の出来事のようなのに、思い出せない不思議な感覚がした。


 その不思議な感覚が次第に弱まり、テレーゼさんと視線を結ぶ。


 はっとなって、僕は左手で耳を抑えた。


「コウヘイ様?」


 テレーゼさんは小首を傾げている。


「あ、いやっ、何でもないよ」

「本当なんですね。耳が動いてますよ」

「え?」


 既視感に僕が反応したら、テレーゼさんは慌てだした。


「あ! いえ、何でもないです、よ?」


 それがあまりにもあからさまであったため、僕は聞かずにはいられなかった。


「そ、そうなの?」

「ええ、そうですよ。それよりも、コウヘイ様は勇者と言うより英雄かもしれませんね」

「英雄?」


 無理に話題を切り替えたことで明らかに誤魔化そうとしているのが理解できたけど、あまり追及しても説明が難しい。


 だって、幻覚の話をしたって頭が可笑しくなったと思われるに違いない。

 だから、その思惑に乗ってあげることにした。


「そうです。英雄神テイラー様の伝承をご存じですか?」

「勇者召喚の魔法を伝えたということくらいしか知らないけど……」


 突然どうしたのだろうかと思いながらも僕は、知っていることだけをあげた。

 すると、テレーゼさんは、一度だけ頭を振ってから、


「それもありますが、一番有名なのは、あらゆる種族の美少女たちを従え、この世界の邪神を打ち倒したという伝承が残っているのです――」


 と、僕のことを英雄神テイラーのようだと話はじめたのだった。


 ――――テレーゼは、コウヘイをおとしめるつもりなどはなく、彼に感謝を伝えたかっただけであった。

 そして、どれだけ凄いことをしたのかを、今一気付いていないコウヘイに気付いてほしかったのもある。


 コウヘイのある問いに、まさかと思ったが、それはただの偶然で、テレーゼが期待した理由ではなかった。


 召喚者のあらゆる記憶や記録は、現地では抹消される。


 それは、異なる世界への転移が及ぼす影響か、はたまた意図的なものであるかは定かではない。


 ただ、コウヘイがそんなのは聖女たちの言う方便だと思っていたことは、真実であった。

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