第097話 お兄ちゃん

 デミウルゴス神歴八四六年――八月一日。


 コウヘイに勇者の紋章が無いことがファビオたち知られてしまったが、彼の心配は杞憂に終わった。

 というより、今まで以上にファビオに懐かれてしまった。


 それに輪をかけてテレーゼがコウヘイ教の信者の如く、コウヘイの素晴らしさを皆に伝えたのであった。

 何と言っても、勇者でないにも拘らず、魔王討伐を志す度胸と勇者が未だ到着しない状況下でテレサの町の住民を勇気づけるその行いを褒め称えた。


 そうして、一夜を過ごし、ファビオたちとは、一〇階層で別れを告げた――――


「わかっていると思うけど、ここからは一気に魔獣が増えるから気を抜かないようにね!」


 僕がそう改めて注意を促し、いつも通りの陣形で一五階層を目指した。


 一〇階層を境に、その様態は変わっていたけど、三度目ともなると慣れたものだ。


 一一階層は、九階層までのような暗く狭い小道が入り組んでいるということは無く、横幅が二〇メートルもある単調な一本道で一〇階層のように明るかった。

 低木や中木がまばらに生えており、ケイブスパイダーやケイブセンティピード等の昆虫型魔獣が中心だった。


 その数は、低層や中層とは段違いで、うじゃうじゃ湧いて出てくる。

 ただ、ケイブセンティピードの外皮は異常に硬く、ロックバレットを浴びせても傷がつく程度でへこみもせず、防具の素材として重宝される魔獣であるため、良い金儲けになった。


 特にエルサは、ケイブセンティピードに恨みでもあるのか目の敵にしており、オーバーキルと言っていいほどに電撃魔法を浴びせて抹殺していった。


 その形相は、阿修羅の如く戦闘神に乗り移られたように苛烈だった。


 本当は、魔力消費が多い電撃魔法の使用を控えてほしかったけど、僕はそれを見て何も言えなかった。

 いつも魔力消費について耳が痛くなるほど口うるさくしているエヴァでさえ、青ざめて何も言えないほど凄まじかったのだ。


 僕とエヴァとは対照的にミラは、悦に浸ったような不気味な笑顔だった。

 きっと、嫌いな虫が殲滅されるのを見て嬉しいのだろうけど、その真意はわからなかった。


 そして、イルマは何やら事情を知っているようで、「好きにさせてやれ」と、言うばかりである。


 エルサの異常行動が気になるところだけど、おそらく、エルサが子供のころに負ったトラウマ関連の話だろう。

 それに、これまで三回とも同じことを繰り返しており、迷惑が掛かっていることもないため、イルマの言う通りエルサの好きにさせている。


 それよりも、ダンジョンを奥に進むにつれ、環境の異常さも際立っていく。


 どれだけ異常かと言うと、一二階層は、ラルフさんから貰った地図が無ければ、完全に迷うレベルの深い森だった。


 何故こんな環境が地中深くにあるのかと考えたら、きりが無いほどに色々おかしく、はじめて到達したときの僕は、しきりに唸っていたほどだ。


「ダンジョンなんだから当たり前じゃろ」


 さも当然と言ったイルマの言い方に、僕は余計に首を傾げたもんだ。


 その意味を尋ねても、「そういんもんじゃ」の一点張りで、イルマは詳しい説明をしてくれなかった。


 そもそも、魔獣の発生源がどこなのかよくわからない。


 一〇階層には、いくつもの脇道があったけど、九階層から下りてきた道と一一階層へ続いた道以外は、全て行き止まりだった。


 一〇階層に魔獣は発生しないということが本当だとすると、一一階層以降、魔獣の発生源が気になるのは、当然のことだと僕は主張したい。


 ラルフローランの入口は、今のところ一箇所しか見つかっておらず、どこからか侵入しているとも考え辛い。

 それに、テレサの森に生息している魔獣とダンジョン内の魔獣の種類が違いすぎる。


 いくら考えても結論が出ないことから、イルマの説明通りそういうもんだ、と僕は無理やり理解せざるを得なかったけど、納得はしていない。


 ファンタジー世界だから何でもありと考えれば悩む必要はなくなるけど、僕はそうはしたくなかった。

 できるだけ疑問に思ったことを気にし、注意を怠らないようにしたい。


 そんな毎度の悩みを抱えながら僕たちは、ひたすら地図を頼りに最短距離を進んでいく。


 一三階層は、異常に蒸し暑く大きな岩がゴロゴロ転がっている熱帯階層で、火山地帯が生息地のはずのサラマンダーやファイアバードが主体となり、完全に僕の食事場と化していた。


 サラマンダーやファイアバードは、魔法を行使する魔獣であるため、表現が酷いけど、僕にとって格好の餌食だった。


 僕たちに向けて放たれるファイアブレス、ファイアボルトやファイアウィンド等の攻撃魔法の数々。

 僕は、それを全て食らうように魔力チャージしていく。

 そして、魔力切れになったのを見計らって、エヴァが双剣で、エルサが弓矢で止めをさしていく。


 こんな楽な戦闘で良いのかと思うほどに順調だった。


 ふつうは、数の脅威を甘く見てはいけないけど、攻撃が魔法主体の魔獣相手では一〇〇匹いたとしても、物理特化であるオーガ一頭の方がよっぽど脅威だ。


 裏を返せば、物理特化の魔獣に対する訓練が必要だとエヴァに言われたけど、もはや僕にはどうでも良かった。


 今のところ僕の攻撃を防げる魔獣はおらず、正にチート全開だった。

 そのため、僕は一歩下がった立ち位置で戦闘を見守り、エヴァとエルサを主体にした訓練めいたことをしている。


 一番の理由は、一五階層のリトルドラゴンのために僕の魔力を温存しているからだけど、それも取り越し苦労に終わるだろう。


 僕のスキルはチートだし、リトルドラゴンだって大したことないと思っている。


 遠くで駆けまわっているバトルホースの群れを眺め、一四階層の草原地帯を歩きながら僕は、そんなことを考えていた。

 

「何と言っても、僕はチートで英雄だもんね」

「どうしたのよ、コウヘイ。気持ち悪い」


 テレーゼさんに言われたことを思い出しながら呟いたら、エヴァに引かれてしまった。


「き、気持ち悪いとはなんだよ」


 当然、僕は抗議した。


「だって、いきなりにやつくもんだから」

「うん、わたしもなんかその顔好きじゃない」


 エヴァだけではなく、エルサからも言われてしまい、僕はぶすっとした。


「それにしても本当に不思議な子だったわね」


 僕がチートと言ったからか、テレーゼさんとのことを思い出したのだろう。

 エヴァは、視線を上に向け、考える素振りをして呟いた。


「確かに」


 僕は、エヴァに同意し、今朝の別れの場面を思い出す。


◆◆◆◆


 僕たちが一一階層へ進み、ファビオさんたちが地上へ戻るという今朝の別れのときだった。


「じゃあ、またギルドでな、英雄!」

「や、やめてくださいよ」


 快活に笑いながら手を上げたファビオさんの挨拶に対し、恥ずかしさから照れ笑いしながら答えた。


 昨夜、僕が勇者ではないことの暴露話から始まり、テレーゼさんの話で僕が英雄に相応しいということで話の決着がついた。


 帝都では、僕たちのこと――召喚された五人――を魔族に対抗するための戦力としか見らておられず、魔力量ゼロの僕は、全く期待されていなかった。

 しかも、勇者の紋章が無いことでその当たりが強かった。


 その話をしたとき、ファビオさんたちから言われたことは、勇者の紋章があるか否かではない、僕がどういう人物であるかが重要だということだった。


 エルサたちもそうだったけど、ここの人たちは、僕のことをそのまま見てくれていた。


 そのお陰で僕は、清々しい気分で朝を迎えることができた。


「いや、そのなんだ……本物の方と言ったらいいのかわからんが、その勇者たちが来ないことで町の空気が沈みかけていたのは事実だぞ。コウヘイさんの存在が、確かに、住民だけじゃなく、俺たち冒険者たちをも安心させている」


 だから、「堂々としてろ」とファビオさんは、僕の肩に手を置いて真剣な表情で頷いた。

 その言い様は、まさにテレーゼさんの影響をそのまんま受けている感じがした。


「それにしても俺たちは、とんでもない人に喧嘩を売ったもんだな」


 にんまりと笑ってガーディアンズの面々に言って、馬鹿笑いしながら九階層の方へ向かって歩き去って行った。


「あの人は、まったく……」


 そんなファビオさんたちの背中を見送り、軽くため息をついた。


 昨夜、ラルフさんからの指名依頼で勇者を演じていたことを説明し、僕が勇者ではないことを暫くの間は秘密にしてほしいとお願いしたけど、あの様子だと怪しいもんだ。


 すると、テレーゼさんが俯きながら僕の方に近付いてきた。

 そして、別れの挨拶だと言って、僕は屈むようにと言われたのだった。

 

 何故その必要があるのだろうかと疑問に思ったけど、テレーゼさんは、目深にフードを被っており、その表情を窺い知ることはできなかった。


 僕が言われるがまま屈むと、そのフードの奥のテレーゼさんの双眸と目があった。


 あの丸ふち眼鏡を掛けておらず、その瞳も淡い碧眼に戻っており、きゅっと口元を締めたその表情は、少し緊張しているようにも思えた。


「ありが――」


 昨夜のことで感謝を伝えようとした瞬間だった。

 テレーゼさんの顔が近付いたと思ったら、左頬に温かく柔らかいものが触れるのを感じた。


 僕が突然の出来事に面を食らっていると、それを見ていたエルサたちが奇声を発して騒ぎ立てた。


 そのせいで良く聞こえなかったけど、僕の前に顔を戻したテレーゼさんは、頬を紅潮させながら確かにそう言った気がした。


「またね、お兄ちゃん」


 そして、足早にファビオさんたちの後を追うように駆けて行ったのだった。


◆◆◆◆ 


 今朝の記憶から戻ってくると、ミラも同じ場面を思い出していたようだった。


「あの子は許せません! コウヘイさんのことをお、おお、お兄ちゃんだなんて!」


 ミラは、狼狽しながら地団駄を踏むように激しく地面を踏み鳴らしていた。


『またね、お兄ちゃん』


 その言葉を、ミラは聞き漏らさなかったのだろう。


 しかし、それくらいのことで何を怒っているんだ?


「それくらい構わないよ」


 僕は、そう言って気にしていないことを伝えた。


「え、構わないんですか? お兄ちゃん、ですよ? お兄ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん……」


 何を気にしているかわからないけど、呟いてそれを連呼しているミラの様子の方が気になって仕方がなかった。


「うん。むしろ慕ってくれてる感があって嬉しいかも」


 一人っ子の僕は、そう言われて悪い気分がしなかった。


 しかし、今となっては僕の記憶は、両親から消えていることだろう。


 オヤジとオカンは、元気にしているだろうか……


 両親の顔を思い浮かべ、身を案じた。


 どんな理屈かわからないけど、転移者自身は過去の記憶が残っているのに対し、元の世界では僕たちの記憶や記録は、綺麗さっぱり消えるらしい。

 それは、あたかも初めから存在していなかったことになるのだとか。


 何故そんなことがわかるのかと聖女様に聞いたけど、そう言い伝えられているの一点張りだった。

 それは、転移者に元の世界への未練を絶たせるための方便だと思いたかった。

 だから、安心しろと言われても安心できるわけないだろ、といきどおったことを覚えている。


 しかし、その真偽のほどを確かめる手段がないため、今ではそれを信じ、そう思うことで寂しさを忘れることにしている。


 僕がそんな感傷に浸っていると、気付いたら僕の一言が原因でカオスだった。


「ねー聞いてる? おにーちゃん、えへへ」

「お兄ちゃん……か、うむ、良い響きじゃのう」


 エルサをはじめ、イルマまで僕のことをお兄ちゃんと呼び始めたのだった。


 エヴァだけは、やっぱり大人なのか悪乗りしてお兄ちゃん呼ばわりしなかったため、みんなを止めてもらうように頼むことにした。


 すると、そのエヴァは、顔を真っ赤に染めて小声で何やら呟いていた。


「エヴァ?」


 よく聞こえなかったため、僕は名前を呼びエヴァの口元に耳を近付けた。


「……お、おにいちゃん――」


 おまえもかよ!


 僕の期待はあっさりと裏切られた。


 このダンジョンは、どうやら、人の思考まで異常にさせるようだった。


 ――――ファビオたちと別れたあとの探索は、順調に進んでいた。


 それは、くだらない話で盛り上がるほどだった。


 が、平和ボケとでもいうべきか、はたまた、それは嵐の前の静けさというべきか。


 このときのコウヘイたちは、


 まだ――このあとに遭遇する事態を予想だにしていないのであった。

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