第002話 勇者召喚

 デミウルゴス神歴八四六年、一月一日、復元――モーラの曜日。


 期待に少し不安を混ぜ合わせたような感嘆の声が広間に響く。ただそれも、眩い光が収束するにつれて、次第に落ち着きを取り戻したように辺りが静寂に包まれる。


 数百の瞳が見守る中、その広間に敷かれた鮮血のように真っ赤な絨毯の上に、五人の人影が現れた――――


「ここは……」


 謎の光が消え去り、ようやく目を開けられるようになった僕が呟く。ここがどこなのか確かめるように辺りを見渡すと、明らかに柔道部の部室ではなかった。


「もしかして、畳の入れ替え中に無茶しすぎて倒れたのか?」


 信じられない現象を目の当たりにした僕は、考えたままを口にする。けれども、足元にはふかふかの深紅の絨毯が敷かれており、足踏みする度に足の裏にその心地よい感触を受ける。その絨毯に誘導されるまま視線を動かしていくと、道を作るように続いていた。


 それは、大きな扉から前方の壇上へと続いているのだ。至る所に宝石がちりばめられ、異常に高い背もたれがある大きな椅子が壇上に鎮座している。さらには、絨毯を挟むように、全身鎧姿で槍を持った騎士のような人たちや、ローブを纏ったいかにも魔法使いと言った装いの人たちが大勢いた。


 誰も言葉を発しない。


 居心地の悪さに僕が視線を彷徨わせると、椅子から身を乗り出している豪奢な恰好の壮年の男と目が合う。金髪碧眼の男は、僕たちのことを見積もるような纏わりつく視線を僕たちへと順繰りに向けているのだった。

 

「どこだここは!」


 内村主将の大声に、一瞬僕の肩がビクリとした。


 あまりのリアルさに、夢である可能性を疑い始める。内村主将の様子を窺うと、特定の誰かに言った訳ではないようだ。周辺へ首を巡らせている様から誰かが応えてくれることを期待しているのかもしれない。それが功を奏したのか、コバルトブルーの瞳をした少女が、腰まで伸ばした白銀の髪を揺らし、真っ白な祭服をはためかせながら僕たちの下へ近付いてきた。


「わたくしがご説明いたしましょう。わたくしは、オフィーリアと申します。デミウルゴス神皇国の聖女を仰せつかっております」


 聖女オフィーリアと名乗る少女のおかげでおおよその事情を理解できた。


 僕たちがいる玉座の間のような場所は、ファンタズム大陸にあるサーデン帝国、帝都サダラーンにある城の謁見の間だということ。あの豪奢な服を着た人は、予想通りサーデン帝国の皇帝だった。


 アイトル・フォン・サダラーン・サーデン皇帝陛下。

 年のころは四〇を少し超えたくらいだろうか。精悍な顔立ちに金髪碧眼という外見から典型的なイケメンオヤジという印象を受けた。


 ファンタズムは、魔王率いる魔王軍によって存続の危機に立たされていること。魔族に対抗するために英雄神テイラーより賜った勇者召喚の儀式を行うに至り、僕たちが召喚されたようだ。


 いわゆる異世界召喚というやつだろう。僕は、この手の話に詳しくはないけど、クラスメイトの中にそういうのが好きな男子がいて聞いたことくらいはある。だからといって素直に受け入れられる訳もなく、聖女様の説明を聞いた僕は、とんでもないと憤りを感じた。


 不甲斐ないことに、僕はそれを言葉に出せない。僕が知らない場所、知らない人たちに対して何かを言える訳もないのだ。どうせ、主将たちが言い返してくれるだろうとそれを待つことにしたのだった。


 が、その期待は、簡単に裏切られた。


「おー、マジか! 俺たちが勇者だってよ」


 内村主将が、目つきが悪い目尻をさらに吊り上げて興奮したように笑いだし、いつも冷静沈着な主将にしては、あり得ない反応だった。


「もしかして、そこに座ってるおっさんは、王様とか言っちゃったりするんか」

「山木、お前はバカか? 帝国って言ってんだから皇帝だろうが」


 山木先輩の間違った認識に、高宮副主将が適切な突っ込みを入れている。


「私が勇者……」


 それに、あの葵先輩も満更でもない様子で微笑んでいる。


 僕は、『みんな一体どうしたんだよ! なんでそんな簡単に受け入れているんだよ!』と思ったけど、疑問を提議する勇気もなければ、この場を打開する案すら何も浮かばなかった。


 結局、僕は、流れに身を任せざるを得なくなってしまったのだ。


 そうこうしているうちに、事態が進行する。僕たちの適性を確認することとなり、聖女様の前にサッカーボール大の透明な水晶が運ばれてきた。


「これはみなさまの魔力量を計る水晶です。わたくしが良いと言うまで、右手を乗せたままでお願いいたします」


 内村主将から始まり、みんなが綺麗な光を放つ。属性ごとに色が変わるのではなく、秘めた魔力量により色が変わるそうだ。蝋燭の光のような赤色であればその量は少なく、目に刺すような青白い光であればとてつもない量を意味しているのだとか。例えるならば、車のヘッドライトのケルビンだろう。


 内村主将と高宮副主将は、蛍光灯の光で少し眩しいといったところ。それなりに多いけど、他のステータスが戦士向きらしい。山木先輩は、陽の光を思わせるほどの輝きで場内が沸いたほどだ。それを見た高宮副主将が、十字固めを山木先輩に掛けたほど、後輩に負けたことを相当悔しがっていた。


 さらに、場内を騒然とさせたのは葵先輩だ。水晶の輝きが強すぎてまともに目を開けていられないほどで、これが「目に刺すような青白い光」なのだろう。これには、皇帝も立ち上がったほどで、聖女様が喉を上下させ息を呑むのが離れていてもわかるほどだった。


 そんな順を追うごとに光が増していく流れの中、僕の番が回ってきた。


「さて、最後の勇者様お名前を」

「康平です」

「それではコウヘイ様、どうぞ右手を乗せて下さい」


 名前を伝え、恐る恐るその水晶に乗せるべく右手を近付ける。お城の人たちの期待の眼差しが僕を痛いほどに突いてくる。


 先輩たちはというと、「わかっているだろうな。俺たちより強い光を発したら許さないからな」というサインを目で送ってきた。


 どうしようもできない僕は、期待と諦めの感情を混ぜ、水晶に手を乗せる。


「こ、これは……」


 聖女様のつぶやき声が聞こえてくる。結果を恐れた僕は、つい目を瞑ってしまったため結果がわからない。


 これは? そんなに強い輝きなのか?


「なっ……」


 思い切って目を開いて確認をしてみると、手を乗せているのに光っていなかった。


 光が弱いとかではない。


 本当に何の変化も起きていないのだ。


「なあ、雄三、これってどういうことだ?」


 内村主将は高宮副主将に不思議そうな表情を向けている。


「変化がないんだから、まさかの魔力無しとか?」

「ぶっ」


 高宮副主将の言葉を聞いた山木先輩が破裂するような大きな笑い声を上げ、みんなそれに釣られたのか、僕をバカにするように笑いだした。


「片桐、おまえマジかよ。ゼロとかありえないだろ」


 高宮副主将は、嬉しそうに笑っており、僕をみじめな気分にさせた。


「あの……何かの間違いですよね?」


 周りの反応を無視して、懇願するように僕が聖女様を見つめる。


「わたくしもこんなことはじめてなので……魔力が無いと言われる子供ですら蝋燭の光くらいには光ります。言い難いのですが……本当にゼロなのでしょう」


 聖女様の言葉がダメ押しした。


 途端、先輩たちが再び僕をバカにするように声を抑えることもせずに笑う。あの葵先輩でさえ、押し殺したように手で口を押さえて笑っていたのだった。


 惨めだ……


「で、でもコウヘイ様っ! とんでもないスキルがあるかもしれませんよっ。さあ、ほら」


 聖女様だけは、諦めずに僕のことを励ますような言葉を掛けてくれる。見た目が清楚な女性は、性格もやっぱり良いのだなと、僕は少しだけ救われた思いがした。


 スキルを確認するには、肉体的な接触が必要らしい。聖女様が出してきた両手に僕が両手を重ねる。その両手は、砂糖菓子のように簡単に壊れてしまいそうなほど小さく、儚い女の子の手をしており、触れた瞬間ドキッとしてしまう。


 本来はそこまで必要はないようだけど、儀式的な作法として額を合わせるために身長が高い僕が屈むようにして顔を近付けていく。その途中、聖女様の透き通るコバルトブルーの瞳と目が合い、またドキッとしてしまう。


 聖女様も恥ずかしいのか、雪のように白い肌が赤く染まっていくのがわかった。聖女様の額と僕の額が触れ合った瞬間、気持ちの良い冷たさを感じた。


 けれども、それはほんの一瞬のことだった。


 次第に熱を帯び、力がみなぎる感覚を得る。僕がそれを心地よく感じていると、唐突に突き放すように中断されてしまった。


 どうしたんだろう? と思って俺が目を開けると、先程恥じらいを見せていた年頃の女の子の姿はどこにもなかった。


 まるで死んだイヌでも見るような冷たい目で、僕のことを睨みつけていたのだ。その突然の様変わりは、僕を狼狽えさせるには十分だった。


「ど、どうしたんですか?」


 居心地が悪くなり、僕がすかさず尋ねる。


「みなさん聞いてください! このものは、勇者ではありません。見てくださいこれを」


 聖女様がそう高らかに宣言して僕の左腕を掴み、上に掲げるように持ち上げた。ただ、身長差のせいか、僕の顔の辺りでとまる。


「なんと、勇者の紋章がないではないか」


 壇上の主から発せられたその声は、怒気を含んでいた。

 

 話によると、勇者召喚の儀式によって召喚される勇者は、毎回四人。しかも、左手の甲に四本の剣が交差した紋章が現れるようだ。つまり、それを勇者の紋章というらしい。


 今回召喚された五人の中で紋章が無い僕は、どうやら勇者ではないことが判明した。


 巻き込まれ召喚ってやつである……通りで魔力が無い訳だよ、と僕は焦るどころか妙に平常心だった。


 その後、僕の処遇をどうするかの話が行われたけど、元の世界に戻す方法は存在せず、この世界で生きていくしか道は残されていないのだった。


 ともなると、高宮副主将が酷いことに、僕のことを追い出そうと言い出したのだ。いつもは反抗しない主義の僕だけど、さすがに今回ばかりは譲れない。というよりは、追放されたら生きていける自信が全くない。


 これが夢であったならばと思うけど、一向に覚める気配がないのだから、僕は無様なのも覚悟で必死に食い下がったのだ。いつもの如く、葵先輩が間を取り持つように僕と一緒に抗議をしてくれた。


 さらには、何かの気まぐれなのか聖女様の一言が決め手となった。


「かの者は、魔力は当然のこと、腕力もからっきしですが、体力と耐久力だけはずば抜けています。重装騎士として魔族の引付役くらいにはなるでしょう」


 葵先輩以外の先輩たちがニヤニヤして、「それはいい」と言って残留を許可してくれた。


 えっ、マジで? 


 命の危険を感じたけど、一人で異世界に放り出されるよりはましだろうと考え、その提案に乗った僕は重装騎士となることを決意したのだった。

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