番外編 ウェーブリングドーナツチョコ(シール無し)
きょうもいつものように放課後は旧校舎へ──と思っていたら、しばくらのあいだ立ち入り禁止になったらしい。なにやら「巨大なカマドウマ」が大量発生したらしく害虫駆除業者による消毒をおこなうためだとか。
ハルヒは「つまんない」と云って帰ってしまった。おれは小雨がやむまで自分の教室──1年5組で時間をつぶすことにした。こんなこともあろうかと「おやつ」も買ってある。おれは、山崎製パン『ウェーブリングドーナツチョコ』の封をあけた。シールは無し。
スーパーマーケットに行くと、パンまつりシールを貼っていないヤマザキパンの菓子パンや惣菜パンを見かけることがある。たいてい季節限定や新発売の商品だ。春のパンまつろのときには効率を重視するので、応募シールが貼ってある定番商品ばかりを買い求めてしまう。
でも、せっかくの新商品を味わえないのはもったいない。ヤマザキの新商品のなかには二度と発売されず消えていくものが少なくないからだ。
ということで、目についたうまそうな菓子パンをひとつ買ってきた。
『ウェーブリングドーナツチョコ』。ココアを練り込んだらしきツイストドーナツが三つ。白いシロップが固まっている。いかにも甘そうでずっしり重たかったので期待できる。
「……うーん」
想像していたのと違った。妙にアブラっぽい。包装パッケージの栄養表示を眺めながら、おれはおれの味覚が正しいことを確信した。
『ウェーブリングドーナツチョコ(3個入り)』
1個あたりの脂質
25.6グラム
1個あたりの熱量
316キロカロリー
原材料名の筆頭は「ショートニング」である。
ショートニングは、マーガリンから水を除去した純度の高い脂質である。だから『ウェーブリングドーナツチョコ』のことを「ショートニング・ドーナツ」と呼んでも差し支えないだろう。
ちなみに、同社の『ケーキドーナツ(4個入り)』は1個あたりの熱量が200キロカロリーで脂質が10グラム前後だ。つまりケーキドーナツ2個分を時短で摂取できる、そーいうコンセプトなんですかね?山崎製パンさん。もしも雪山で遭難したときには少量でたっぷりのエネルギーを摂取できるので体力維持に大いに活躍しそうだが……平地でぬくぬくと生きているおれたちにとってはむしろ毒になる。
あと2個残っている。1個食べただけで胸焼けと胃もたれに襲われていたおれは、『ウェーブリングドーナツチョコ』の処遇に困っていた。
「
聴き覚えのある鼻歌が近づいてくる。バカがやってきた。普段つるんでいる谷口である。
「キョン、まだいたのか?」
「ああ、ちょっとな。谷口、おまえ腹減ってないか?」
「言われてみれば……腹がペコちゃんかもしれん」
「そうか。これ、1個どうだ? 朝比奈さんにもらったんだ」
悪だくみを悟られないよう、表情や声のトーンには細心の注意を払った。
「朝比奈みくるからのプレゼントだと! なんだ自慢か? まあ、でも、ちょうど腹がへってたところだ。いただきますっと」
「……」
「もぐもぐ。うまいな、これ」
「そうか。気に入ったならもう1個も食っていいぞ」
バカは味覚もバカなのである。谷口はドーナツに気をとられたせいなのか、わざわざ取りに来たはずの忘れ物を取り忘れていった。
そんなバカの背中を見送っていると、すれちがいざまに長門有希が1年5組の教室にやってきた。
「なんだ長門。おまえがうちの教室をたずねてくるなんて珍しいな」
「……それは何?」
長門はやぶからぼうに『ウェーブリングドーナツチョコ』の包装パッケージを指差した。
「おれのおやつだ。まずかったけどな。ちなみに、パンまつりシールの対象外商品だったぞ」
「そう」
「シール有りのパンばかりだと飽きるからな。いまのハルヒに言ったら殴られそうだが」
「あなたがヤマザキパンに飽きるのも無理はない──なぜなら、あなたは、これまで50,702,390,684点のパンまつりシールを収集しているから」
「ごひゃくなな……おく!? 何のことだ??」
おれには覚えがなかった。507億239万684点のパンまつりシール。ムチャクチャな数字だ。
「パンまつりシールが24点を超えようとすると、収集したはずのパンまつりシールは消滅する。パンを買ったり食べたりしたときの記憶もデリートされる。わたし以外のSOS団のメンバーたち──シール収集の提案者であるはずの涼宮ハルヒにも自覚がない」
「じゃあ……おまえはずっとおれたちがパンまつりシールを集めてバカ騒ぎしているのを何百年……もしかすると何千年も眺めながら、パン祭りシールの累計をひたすらカウントしていたってわけか?」
「そう」
ご本人いわく「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」──長門有希のクールフェイスは無関心の極みのようににも思えるのだが、そういう態度だからこそ何も知らずに空騒ぎするおれたちのことを人類史スケールで辛抱づよく見守ることができるのかもしれない。
「長門、教えてくれ。喜んでいるハルヒはともかく──おれにとっては悪夢のようなパンまつりループをどうすれば抜け出すことができるんだ?」
「わからない。ちなみに、あなたがパンまつりの真実に気がつくのは初めてではない。あなたは4964回の自覚を得たにもかかわらず全4964回のループ脱出に失敗している」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます