第4話

「呪いの話をするならば、まず初めにこの街を流れる原瀬川の話から始めなければならなりません。地図上でなら、二級河川のありふれた川。この街に住まう人々にとっても、放課後になれば子供がザリガニを釣って、春には川沿いでお花見が営まれる普通の川ですとも。けれどお兄さんはこの川の名の由来は、一体何であるかご存じかしら?


「むかしむかしのお話をしましょう。川上にあった小さな城が、つまらない領土争いの末に敵軍に落とされた。そうして川には、死んだ武士や世を儚んだあまたの女子供が身を投げたそうです。


「また、もう少し時代は下って江戸あたり。川は大雨のたびに氾濫して、川べりの集落に住んでいた人々をたらふく飲んだと伝わっているの。龍のごとき濁流が、これは山城の祟りじゃなんてことが、本気で言われていたらしいわ。


「あの川はね、それはもう昔から、無数の死んだ人間の腹と背を浮かべて流れていたんです。


「故にこそ、はらせの川。原瀬川、なんて銘打たれたのはせいぜいが近代のお話です。


「そんな川潰してしまえば良かったのに、というのは現代人たる私達の傲慢ね。だって山ほどの死体を浮かべた川はこの街に、死穢れや災禍のみをもたらしたのではないのだから。川を用いた交易の中継地として栄えたこの街を、氾濫によって運ばれた質の良い土を基にした土壌を用いた農業によって収益をあげたこの街を、流れる川でもあるのですから。


「当たり前だけど、今となっては何の変哲もない川です。浮かんでいるのは水草と桜の花びらばかり。両岸はコンクリートを流し込まれて固められて、畑だってもう民家にとって代わられるでしょう。人の生き死にどころか、普段の生活にすら何も干渉してこない。災厄も、繁栄も、然程もたらすことはない。


「だけど昔から、それはもうとんでもなく昔から、おびただしい数の人の生死に関わってきたこの川は、いつしか狂ってしまいました。いいえ。川が、周囲の何もかもを狂わせているの。


「川が帯びた妙な力に引きずられて、この街やそこに住む人達は少し、おかしくなってしまったのです。だからこの街には、生まれながらに人間の範疇を越える力を持っていたり、よく分からない理由のもとで発生した人外や化物まで住みついたりするようになってしまいました。加えて、息をするように超常現象や奇跡が発生する。


「私もね、ふつうのおんなのこじゃないの。


「私の一族郎党は、原瀬川の呪いを消すためにいます。この街で、呪いが多くの普通の人々に害を及ぼさないように暗躍したりして、ね。もちろん、我が家以外にも火消しの衆はたくさんいますけれど。それでも人に憑いた呪いを祓うのは、わたくし共の役割です。


「だから、ねえお兄さん」


私に救われてくださいなと、少女は赤い瞳で笑った。まるで、神様みたいに。


俺は、俺はなにひとつ分からなくて、なんだか少し溜息でもつきたいくらいだった。だって少女は神様じゃない。そうして、この街が呪われているだなんて考えたこともなかった。俺だってこの街で生まれて、今まで育ったんだぞ。そう言ってやろうかとしてやめる。だってきっと、この子は嘘をついていない。悲しいくらいにそう確信できたから。


万が一嘘だったとしても、少女自身も見抜けないほど深い嘘だ。語られた物語は少しも淀みがなく、何より俺は見てしまっている。あの、おんなの長い黒髪を、血を。そして聞いたのだ。おんなの、甘やかな怨嗟の声を。


「分かった」


俺は考えることをやめ、頭を上げた。疑うのなら、きっと少女よりも自分の頭の方がまだましだ。俺が間違えて、何らかのカモにされるならそれはそれで良いか。いざとなれば、避けたいけど、実家に頼れば済む。少女は、折井羽束は、にこりと化粧に似た笑顔でこちらを見返した。その瞳はもう黒く見えた。いいや、赤く見えていたことがおかしかったのかもしれない。俺は頭が変になってしまったのかもしれない。かもしれない。もうどうにでもなれよ。俺が何か考えたところで、どうにもなりやしないんだから。


「俺は、きみに従います」


それならば、俺を救うと言った少女に命も体も全て任せてみよう。

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