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「ミスミ先生!」


 ダンジョン災害による負傷者の治療を終えたティオは、ポツンとたたずむミスミを見つけて声をかける。

 ゆるりと振り返ったミスミは、なんと表現すればいいのかわからない曖昧な表情をしていた。目はティオに向けているのだが、別のモノを見ているような印象を受ける。


「どうかしたんですか?」

「ん、いや、別にどうってことはない。死にかけたせいか、昔の夢を見て妙な気分になってたんだ」


 ミスミは苦笑を浮かべて、ボサボサ頭をかく。心なしか、いつもより指使いが繊細に感じた。


「昔の夢ですか……」


 あまり自分のことを語りたがらないミスミの過去に、興味がないと言えばウソになる。たずねてみればあっさり教えてくれそうな気もするが、拒絶されるのが怖くて踏み込めなかった。


「そう言えば、カンナさんに聞いた。ティオが治療してくれたんだってな、助かったよ」

「いえ、大体のことはセント先輩がやってくれましたから、わたしはちょっと手伝っただけですよ」

「そうだとしても、治療してくれたことには変わらない――」


 ミスミは改まって向き直り、深々と頭を下げた。いきなりのことでティオは面食らい、思わず身構えてしまう。

 夢の影響によってか、その神妙な態度に困惑した。


「ティオ先生のおかげで死なずに済んだ。ありがとうございました」


 先生と敬称をつけて呼ばれたことが、むず痒くて居心地が悪い。ティオは戸惑いを残したまま、遠慮がちにミスミの腕にちょこんとふれた。


「その“先生”はやめてくださいよ。なんだか、いい気がしない」

「どうしてだよ。ティオはもう先生と呼ばれるのに充分な力量があるんだぞ。元々カンナさんには普通にそう呼ばれてるし――」

「わたしが嫌なんです。ミスミ先生には呼び捨てでいてほしい。たとえ、わたしが世界で一番の医術者になったとしても、ミスミ先生はわたしを先生と呼んじゃあいけない。そういうことなんで、よろしくお願いします!」


 感情のままにまくし立てると、ミスミはキョトンとして目を瞬かせた。一方的な言い分に、仰天して言葉がでないようだ。

 ほんの少し、いつものミスミが戻ってきた気がする。表情に呆れが混じり、口元がゆるんでいく。


「よくわからんが、まあ、ティオがそう言うならこれまでどおり呼び捨てにするか」鼻のつけ根に控えめなしわを寄せて、ミスミは軽く笑う。「まったく、わがままな嬢ちゃんだ」

「もう嬢ちゃんって年でもないですけどね。わたし、結構いい年ですよ。ミスミ先生もね」

「確かに嬢ちゃんとは呼べないな。昔はもうちょっとかわいげがあった」


 成長と呼ぶのか、慣れと呼ぶのか――ティオ自身わかっていないが、変わってきていることは実感していた。経験やしがらみを積み重ねることで、誰もが昔のままではいられなくなる。


 ずっとミスミ診療所にいられるものと思っていたが、魔法学院に行くことになったように、日常はつねに変化していく。進化するダンジョンと同じだ。

 ただ、未来の道筋を選べることに気づいた。その権利が人にはある。


「魔法学院には、いつ出発するんだ。命を救ってもらったヤツの言うことじゃないが、こっちは医術者ギルドに任せて大丈夫だろ」

「まだ下の層の様子が伝わってませんから、もう少し残ろうと思ってます。古巣の危機を放ってはいけませんよ。それが全部終わったら、魔法学院に行きます――帰ってくるために」

「ん?」


 意味が通じなかったようで、ミスミはひどく間の抜けた呆けた表情を浮かべる。

 しばらく自分のなかで処理しようと考えを巡らせていたが、最終的に困惑に染まった顔をお手上げとばかりにかしげた。


「悪い、よくわからなかった。どういうこと?」

「ロックバース先生が欲しいのは、わたしの知識と経験です。それを伝えたら、ダンジョン街に戻ってきます。足りない部分は手紙でやり取りしてもいいし、いくらでもやりようがあると思うんですよ」


 魔法学院にはティオよりも優秀な人材が揃っている。ダンジョン街で学んだことをあまさず伝えれば、あっという間に吸収して、簡単に追い抜かれるだろう。

 ティオが求められている役割は、あくまで医療知識の教示にすぎないのだ。それ以上のことを、ロックバースも強要してこないと思う。そう考えると、だいぶ気持ちは楽になった。魔法学院行きを、少し難しく考えすぎていたのかもしれない。


「へえ、戻ってくんだ……」


 意外そうに目を丸くして、ミスミはポツリとつぶやく。

 その態度に苛立ち、ティオは眉を吊り上げて頬を膨らませた。


「なんだか、戻ってきてほしくないみたいに聞こえるんですけど」

「そ、そうは言ってないだろ。むこうに骨をうずめるつもりだと思ってたから、ちょっと驚いただけだ」

「いいんですよね、戻ってきても。ここに――ミスミ診療所に、わたし戻ってきますよ」


 ミスミは苦笑して、少しぎこちなくうなずいた。


「こんなところでよければ、いつでも戻ってこい。人手は多いに越したことはないからな」


 期待した返事と違って肩透かしを食らうが、それでもいいと思った。大切なのはティオの気持ちだ。ここさえハッキリしていれば、問題は何もない。

 言いたいことを伝えることができて、心がスッキリとする。そんな清々しい面持ちを浮かべるティオに目を向けて、ミスミはどこかさみしげに微笑んだ。

 また昔のことを思い出したのだろうか。


「なあ、ティオは医術者になって後悔したことはないか?」

「ありませんよ、そんなの。――たまに、つらいと思うこともありますけど」

「俺は……生まれ変わったら、医者にだけはなりたくないと思ってたんだ。こんな大変で責任の重い仕事、できることならさけたかった。でも、他にやれることもないし、こうしてダラダラ医者をつづけてる。ティオみたいに医療にまっすぐなヤツは尊敬するよ」


 やけに深刻な様子で告げた自嘲に、何をおかしなことを言っているのだと思わず吹き出しそうになる。

 ティオは笑いを必死にこらえて、ちらりとマジメ顔のミスミを見た。


 自分の言っていることを、本当に理解しているのだろうか。ティオは誰よりも一番近くで、ミスミが患者と向き合う姿を見てきた。時にはからかったり茶化したりすることもあったが、病気に対して適当に取り組むことはけっしてなかった。ミスミほど医療にまっすぐな人物を、ティオは知らない。


 それに、もし生まれ変わったらと考えている時点でズレている。本当に嫌になったのなら、すぐにでもやめてしまえばいいのだ。一個人の人生を他人が強要することはできない。生まれ変わるまで――死ぬまで医者をやめる気はないと、宣言しているようにティオには聞こえた。


「ダメです。ミスミ先生には、何度生まれ変わっても医者になってもらわないと困ります」

「ずいぶんな言いようだな。俺に選択肢はないのか」

「もちろんありますけど……あってないようなものじゃないですか。ミスミ先生には、ずっとダンジョン街のヤブ医者でいてもらいます」

「ヤブ限定かよ……」


 そのふてくされた物言いに、今度はガマンできず吹き出してしまう。

 声を上げて笑っていると、やがてつられてミスミも笑いだした。ゆるく笑い合える関係になれたことが、本当にうれしい。


「しょうがない。しばらくはヤブ医者でいるとするか」

「はい、お願いします!」


 弾んだ声に目を丸くしたミスミは、少し照れくさそうにボサボサ頭をかく。この時間がとても幸せで、かけがえのないものだと痛感する。

 わがままだと言われても、やはりミスミには医者でいてもらわなければ困る。ティオが帰る場所は、ダンジョン街のヤブ医者の隣なのだから。

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