<2>

 瓦礫の山からミスミを掘り起こしたマイトは、もう一つの山からカンナバリも救出する。

 カンナバリは頭を打って気を失っていたが、頑強なドワーフだけあって身体に支障はなさそうだった。問題なのはミスミのほうだ。かろうじて意識はあったが、青黒い顔でぐったりとしている。


「ミスミ先生、早く治療しないと……」

「いいよ、俺が運ぶ」


 ミスミを担ぎ上げようとしたカンナバリを制して、半ば強引にマイトが背負う。

 ずり落ちないように体を揺すって姿勢を整えると、くぐもったうめき声がもれた。胸が相当痛むらしく、背中越しに身悶えている様子が伝わった。


 あまり猶予はなさそうだ。マイトは内心の焦りを抑えて、振動を立てないように注意しながら足を進める。

 地下一階は変転の影響が少なく、壁面がもろくなっている以外は通路に不安はない。最短のルートで差し支えなく戻れることだろう。


「でかく……なったな」


 ふと耳元で、ミスミがつぶやく。何を言っているのか理解できず、マイトは顔をしかめた。

 ケガで意識が朦朧としているのだろうか?――そんなことを考えていると、不審を察したようにカンナバリがわかりやすく解説してくれた。


「マイトくんも、もう大人ですからね。出会った頃とは違いますよ」

「ああ、そういうことか」マイトは苦笑して、ほんの少し背筋を伸ばす。「ヤブ先生はいつまでも俺をガキ扱いするけど、冒険者つづけて体はだいぶでかくなってんだぞ。身長だってヤブ先生を越えてる」


 身体は順当に成長している。心のほうは胸を張って大人と呼べるほど成長している自信はないが、それでも出会った頃と比べれば多少は分別がつくようになったと思う。

 ――いろいろな経験をへて、ここまで来れた。ふいにたくさんの思い出が駆け巡り、熱いものがこみ上げた。

 マイトは深呼吸で気持ちを静めてから、意を決して口を開く。


「俺さ、ダンジョン街を出ようと思ってるんだ」


 背中でミスミがわずかに身じろぎした。少なからず驚いているようで、肌越しに動揺が伝わった。


「ダンジョン街を出て、どうするの?」

「世界の底は見て来たから、今度は世界の果てを見にいくつもり。ゴッツとダットンはこっちに残るけど、シフルーシュは付き合ってくれるってさ。とりあえず二人で世界を回ってくるよ、冒険者としてね」


 ずっと考えていたことだった。マイトは下ばかり見て、世界の広さを知らない。いつからか、世界の広さも知りたいと思うようになっていた。

 まずは報告のために一度戻らなければならないシフルーシュと、エルフの里に向かう予定だ。そこから先は、まだ何も考えていない。ダンジョンと違って世界に道順はない、気の向くままに旅をする。


「……さみしくなるな」


 普段は口にしないであろうことを、ぼそりとミスミが言った。ケガの影響かもしれない。

 背中から胸を撃ち抜かれたように、ガツンと痛みに似た衝撃を受ける。


「そういうこと言うなよ。らしくない――」


 マイトは自分が鼻声になっていることに気づく。必死に耐えるが抑えきれず、目頭がじんわりと熱くなった。

 言葉を発すると、他のものもこぼれそうな気がして、しばらく黙って歩きつづける。ようやく落ち着きを取り戻したのは、ダンジョンの出口が見えた頃だ。マイトは階段に足を踏み出しながら、長い間伝えられずにいた想いを吐き出す。


「いままで、本当にありがとう。ミスミ先生がいなかったら、俺は何度も死んでた。ミスミ先生は、俺の恩人だ」


 これまで呼ぶことのなかった名前を、思いきって口にする。気恥ずかしさで耳が赤くなっていくのがわかった。

 照れくさいうえに気まずさもあったが、ちゃんと呼べて気持ちがスッキリとしたのも確かだ。


 場合によっては、これがミスミと会う最後の機会になる可能性もあった。マイトが目指すところは、ダンジョンよりも深い危険性をはらんでいる。ミスミに感謝を述べずに旅立つのは、最深部にたどり着けなかったときよりも心残りになったことだろう。


「マイトくん、こういうときに言うことじゃないと思うけど……」カンナバリが含み笑いをもらして、衝撃の事実を告げる。「ミスミ先生、もう聞いてないみたい」


 いつの間にか、ミスミは背中で眠りこけていた、顔は苦悶に歪み、呼吸も荒かったが、かすかな寝息が混じっている。


「なんだよ、それ。言って損した!」

「大丈夫。マイトくんの気持ちは、ちゃんと伝わってるわよ」


 カンナバリのやんわりとしたなぐさめを受けて、はにかんだマイトは若干足を速めた。

 ミスミが聞いていない以上自己満足にすぎないが、言葉にすることができただけでも心が満たされている。


 地上に戻ると、トリアージの選定作業を行っていたセントを見つけて、すぐさま治療を頼む。負傷したミスミの姿に仰天したセントは、その場に横たえるように指示してさっそく診察にあたった。


 容態確認に服を引き裂き、上半身をはだけさせる。色白のほっそりした体には痛々しい青黒いアザが広がり、唇や爪床が紫色に変色して、血液中の酸素不足をあらわすチアノーゼが起きていた。

 セントは厳しい表情で、呼吸音を確認――途切れ途切れな荒い息の合間に、小さなうめき声が聞こえる。


「右肺が潰れて呼吸困難に陥っている。まずは肺を再生しよう」


 言うが早いか、セントは再生魔法の呪文を唱えはじめた。熱を持った手のひらが、患部にそっとあてがわれる。

 これで安心だ――と、マイトは胸をなでおろすが、状況は予想外の方向に転がることになる。


 再生魔法の効果でアザはうすれていくのだが、呼吸は一向に落ち着かない。魔法が効いていることは視覚的に間違いないはずなのに、なぜか症状は改善しなかった。

 セントの顔に焦りが浮かび、困惑で視線が激しく揺れる。


「おい、どうなってんだよ、これ!」


 動揺したマイトが叫び声をあげたとき、ふいに襟首を引かれてバランスを崩した。あまりに突然のことで反応は遅れたが、ダンジョンで培った体幹のおかげで、よろめきながらも踏みとどまる。

 わずかに下がった分空いたスペースに、人影が飛び込んできた。ミスミに覆いかぶさるような体勢で、じっと患部を観察している。


「えっ?!」と、三人の驚きが重なった。

「このままでは、ダメです。肺が圧迫されて呼吸ができない」


 彼女は顔を上げて、一同を見回して言った。どういうわけかダンジョン街を去ったはずのティオが、突如としてあらわれたのだ。


※※※


「ティオ先生、ど、どうなさったんですか……」


 いきなりのティオの登場には、さすがにカンナバリも度肝を抜かれた。動揺でノドが締まり、声が裏返りそうになる。

 ティオは照れくさそうに微笑んで、汗で額に張りついた前髪を払う。


「実は大雨の影響で川が増水して、ダンジョン街近くで足止めされていたんですよ。どうしようか迷っているときに地面が揺れて、嫌な予感がしたので慌てて戻ってきました」

「予感的中ってわけか」と、マイトが気の抜けた声で言った。


 さっきまで不安で青ざめていたというのに、もうその顔は安堵に満ちていた。マイトの、ティオに寄せる信頼の大きさがうかがえた。

 カンナバリにしても、気持ちは同じだ。これほど頼りになる援軍はいない。


「そうだ、ミスミ先生の治療をしなきゃ!」


 ティオはすぐさま右胸部に手を当て、病状をくわしく触診する。指先を軽く押し込むと、ミスミの口からくぐもったうめき声がもれた。

 向かい合う形で様子を見ていたセントは、難しい顔のまま後輩に診断をたずねる。


「どういうことなんだ。肺が圧迫されているとは?」

「見てください。右の胸部が膨らんでいます」ティオの指摘通り、確かにわずかであるが胸元が膨らんでいるように感じた。「肺が潰れて胸腔内に空気がもれてしまっている。この状態で肺を再生させても、空気の圧で肺は正常な形に戻らず、うまく機能できないんだと思います」


 セントは息を飲み、目の奥に驚きをにじませる。


「どうすればいい?」

「胸腔内にたまった空気のせいで戻らないのなら、空気を抜いてしまえばいい。――カンナさん、手術に使えるナイフありますか?」」


 カンナバリは肩にさげた荷袋から手術用のナイフを取り出した。手袋と消毒液も事前に用意しておく。

 ティオは察しのいいベテラン看護師にうなずきを返し、ミスミの脇腹に指を這わせて何やら探りはじめた。

 やがて目星をつけたのか、指は一点で止まる。胸部の中間辺りだ。


「まさか肋骨の隙間を通して、空気の抜け道を作る気なのかい」

「ええ、多少強引にでも空気を抜くことを優先すべきだと思います。その際負う損傷は、再生魔法で治療できますから」

「そうかもしれないが……いや、そうするべきなんだろうな。わかった、キミに任せるよ」


 先輩が納得したことで、ティオはすぐさま手術を開始する。

 手早く脇腹に消毒液を塗り、迷うことなくナイフの切っ先を差し入れた。どろりと血がこぼれるなか、確信をもって刃を押し込んでいく。

 途中骨にぶつかったのか苦戦する場面もあったが、微妙に位置をずらして調整し、胸腔まで貫き通した。プシュッと空気の抜けるかすかな音が、一瞬聞こえる。


「あれっ? これって、ちゃんと空気出てる?」


 胸元に耳を寄せたマイトが、困惑顔で言った。貫通した瞬間は空気がもれていたはずなのだが、いまは穴が閉じてしまったように何も聞こえない。

 ナイフの切り口に手のひらを寄せて確認してみたが、空気の流れ出る感覚が伝わることはなかった。


「通り道が細すぎて、肉で埋もれてしまっているのかもしれないですね」

「じゃあ、もう少し広げてみるか?」

「いえ、それよりも――」


 ティオは手袋をはめた手に、消毒液を直接たらした。べっとりと消毒液の滴った指を、切り口に押し当ててほじるようにして内部にねじ込んでいく。

 空気の通り道となる穴を、指で押し広げようというのだ。当然ながらミスミの肉体に負担をしいることになり、ノドの奥からから痛みによるうなり声がこぼれた。


「ごめんなさい、ミスミ先生。もう少しだけ我慢してください」


 空気の抜ける音が、再び聞こえてくる。ティオは空いた手を胸にそえて、そっと押すことで空気を絞り出す。

 同時に、口の中で吐息を混ぜ合わせた呪文をつぶやく――活性化魔法だ。空気の排出をしながら、活性化魔法による感染症対策を行っていた。


 理にかなった手法であるが、回復魔法と手術技術の両方を学んだティオにしかできない芸当だ。感嘆に値する。

 本人は謙遜して認めないだろうが、彼女は間違いなくダンジョン街のヤブ医者が鍛えあげた――ダンジョン街の名医だ。


「よし、これで大体抜けたかな」


 空気の音が止まったことを確認して、ティオは安堵を宿した顔を上げる。

 苦しげだったミスミの呼吸が、穏やかなものに変わりつつあった。チアノーゼもうすれている。


「傷の手当はぼくがやるよ。ティオは休んでて、疲れてるだろ」

「いいえ、そういうわけにはいきません!」ぐるりと周辺を見回し、ゆるんだ表情を引き締めなおす。「まだ患者さんはたくさんいます。休んでなんていられませんよ」


 ティオは笑顔で告げると、早くも次の患者を見つけて進み出そうとしていた。


「ティオ姉ちゃん、俺も手伝う」

「うん、ありがとう、マイトくん。じゃあ、患者さんを運ぶの手伝ってくれるかな」


 マイトを引き連れて、ティオは小走りで治療に向かう。出会った頃の頼りなさは、もうどこにも見当たらない。

 その背中を見送り、セントは小さく吐息をもらした。呆れのなかに、ほんの少し悔しさも混じった吐息だ。


「ミスミ先生の治療、お願いしますね」


 比較してもしかたないことだとわかっていても、同じ医術者として引け目を感じる気持ちはわからないでもなかった。先輩後輩の関係なら、なおさらに。

 ミスミが認めるほどセントも充分優秀な医術者であらるのだが、ティオの前ではどうしてもかすんでしまう。

 再生魔法による治療を終えて、腰を上げたセントは少し疲労の混じった顔をカンナバリに向けた。


「これで、もう大丈夫だと思います。もし容態に変化があるようなら、ぼくに――いや、ティオに伝えてください。彼女なら、きっと治してくれます」

「はい、わかりました」

「ああ、それと――」


 セントはどこか照れくさそうに、視線をさまよわせて足下に落とした。

 奇妙な様子にカンナバリは首をかしげる。


「ティオがいなくなって、ミスミ診療所はいろいろと大変なんじゃないですか。エレノアとも話し合ったのですが、ぼく達が交代で診療所に通うというのはどうでしょう。ミスミ先生の下で働くことは勉強になりますし、医術者として刺激になる。もちろん、みなさんが許可してくれればですが……」


 思いがけない提案に、言葉が出なかった。

 ティオの喪失は、ミスミ診療所にとってかなりの痛手だ。それをおぎなってくれるなら、願ってもないことである。


「ダメでしょうか?」

「いえいえ、ダメなんてことあるわけないじゃないですか。大歓迎ですよ!」


 受け入れられたことによろこびをにじませるセントを見て、カンナバリはほっこりとした気持ちになった。

 ダンジョンが変わっていくように、人々もつねに変わっていく。以前と違いヤブ医者を認める医術者があらわれはじめて、医療を取り巻く環境も変革していくことだろう。


 新たな名医の誕生を予感して、カンナバリは豪快な笑い声をあげるのだった。

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