ダンジョン街の名医(終)
<1>
三日間つづいた大雨がウソのように晴れ渡った好天の朝、ティオは魔法学院に旅立った。
その翌日、診療所を満たした呆けた空気に身をゆだねて、だらけきっていたミスミは――突如世界がひっくり返ったような激しい衝撃に襲われれる。
下から突き上げられたような揺れんによって体が浮き上がり、床に叩きつけられた。立ち上がることができず、伏した姿勢で頭を抱えてすぎさるのを待つしかできない。
診療所全体が軋み、そこかしこから不気味な音が鳴っていた。いまにも建物が崩れ落ちそうな不吉な予感に、汗がドッと溢れ出て心臓が早鐘を打つ。
「ぎゃあ!」と、待合室からノンの悲鳴が聞こえた。助けてやりたいところだが、倒れた棚が入り口を塞ぎ通れなくなっている。そもそも動けないわけだから、棚がなくとも向かうことはできないが。
どれくらい揺れていたことだろう。体感ではかなりの時間、世界が転がり回っていた気がするが、実際はそれほどでもないのかもしれない。
揺れが止まったことを確認して、ミスミはゆっくりと身を起こす。診察室は荷物が散乱し、目も当てられない状態となっていた。これを片づけなければならないことを思うと頭が痛い。
「大丈夫ですか、ミスミ先生!」
「ああ、大丈夫。ケガはない」
心配したカンナバリは部屋に入ってこようとしたが、倒れた棚に引っかかって扉が開かない。
「ちょっと待って。いま棚をどか――」
言い終えるより早く、カンナバリは力任せに扉を押して、強引に開けていた。棚はひしゃげて木片と化す。片づけなければならないゴミが増えた。
険しい顔のカンナバリが、足で木片をどかしながら入ってくる。
「先生、これはただの地震じゃないですね」
「だろうね。ダンジョン街ではめったに地震なんて起きない。ダンジョンがまた悪さしたんだろ」
「悪さって?」
半べそをかいたノンが顔を出し、まだ恐怖が抜けきっていない震える声でたずねた。
「ダンジョンは時々構造を変化させるんだ。それが地上に、地震のような振動として伝わってくる。ほとんどが認識できないほど小さいものなんだが……こんなにでかいのは、俺もはじめてだ」
「タツカワ会長がダンジョン攻略したときも、かなり大規模な変転があったと聞いたことがあります。ティオ先生達が最深部まで潜ったことが、関係あるのかもしれないですね」
「生きたダンジョンか。あー、気持ち悪ィ」
ミスミはボサボサ頭をかきながら部屋を見回し、歪んで固くなった机の引き出しから苦労して腕章を抜き取った。緊急時に医療班であることを視覚的に伝達するための腕章だ。
カンナバリも使えるものをかき集めて、救命治療の準備にいそしんでいる。
「よし、行こう。モタモタしてる時間はないぞ」
「えっ、センセェ、ちょっと待って……」
腰が抜けて足に力の入らないノンは放って、ダンジョン前広場に急ぐ。
すでに医術者ギルドの医術者が急行しており、ダンジョン災害に遭った冒険者の治療にあたっていた。ミスミは顔見知りの医術者をつかまえて、現場の状況を聞きだす。
「セント、どんな感じだ?」
「まだ全体の被害はつかめてません。先ほどガンシンさんとゴッツくんが即席のチームを組んで地下の確認に行ってくれたので、その結果待ちです。とにかくミスミ先生は、トリアージをお願いできますか」
「了解した。すぐに取りかかろう」
トリアージは患者の状態に応じて、治療の優先度を色札で選別する。ミスミはケガ人を見つけ次第、手早く診察して札を貼っていった。
患者数は多いが、トリアージの作用もあって医術者達は効率的に治療を行っている。いまや医術者ギルドの若手リーダー的存在となっていたセントが、率先的にトリアージの有用性をふれまわってくれている影響が大きい。
ミスミが口出しする必要もなく、早々に手持ち無沙汰な状況に追いやられた。ダンジョン災害で負ったケガの治療には、回復魔法の使えないヤブ医者に出る幕はない。
「こっちでやることはなさそうだし、俺はダンジョンの調査に行ってくるよ」治療を終えたセントに、ミスミが声をかける。「トリアージの判断はお前に任せる」
「ぼくにですか?! そんな荷が重い……」
「セントならやれるさ。俺が保証する」
ミスミの信頼に喜色を浮かべたセントは、差し出したトリアージの色札をこわごわと受け取った。まだ自負を持つまでにはいたっていないようだが、それでもしっかりと握りしめて突き返すことはなかった。
強張った肩を軽く叩いて激励を送ると、セントは真面目な顔で深くうなずいた。
ダンジョン管理組合の職員からダンジョン入りした冒険者の登録名簿の写しをもらい、ミスミは広場の階段に早足で向かう。
何も言わずとも、カンナバリがつきしたがってくれる。
「お供します、ミスミ先生」
「ありがとう。カンナさんがいてくれたら安心だ」
「油断は禁物ですよ。ダンジョンに潜るときは気をゆるめない――それが鉄則です!」
ミスミは苦笑して、ボサボサ頭をかく。「肝に銘じておくよ」
ダンジョンの階段に踏み出しながら、ちらりと広場に目を向けると、遅れてやってきたノンが自ら申し出て医術者の手伝いをしていた。看護師として順当にキャリアを積んだノンは、放っておいても問題ないだろう。
カンナバリが手にしたランプの灯りを頼りに、ダンジョン地下一階へ降り立つ。
一見したところ、以前ダンジョン災害で救助に向かったときと比べて、ダンジョン自体の損傷は少ないように感じる。壁面や天井にヒビ割れを見て取れたが、明確に崩壊している箇所は見当たらなかった。
通りかかった冒険者に聞くと、地上に近い浅い層での被害はほとんどないとのこと。今回のダンジョンの変転は、かなり深い層で起こったものと思われる。
地下一階部分を一通り見て回り、ミスミは地下二階への階段を見つけた。この先に進むのは、冒険者でないミスミには勇気がいる。二次被害に遭う可能性を考えると、無理はしないほうがいいだろう。
「探索は本職に任せて、一旦戻りましょうか」
「そうするか」ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、軽く肩をすくめた。「帰ろう、カンナさん」
先導する手提げランプの灯りを追って、来た道を引き返す。その途中、何気なく壁に手をついた瞬間――思いがけない違和感が伝わった。
隙間なく組まれていた壁が、ずるりと奥にずれたのだ。ドッと汗が吹き出して、危機感が思考を覆いつくす。
「危ない!」と、即座に反応したカンナバリが、思いきりミスミを突き飛ばした。
勢いよく転がり倒れて、崩落の轟音を耳にする。慌てて顔を上げると、瓦礫の山ができていた。カンナバリの右手が、瓦礫の下から生えている。
「カ、カンナさん!」
すぐに掘り起こさなければと、這い進もうとしたとき――グラグラと揺れる壁面が視界をかすめた。
覚悟する間もなく壁は崩れ落ち、一瞬にして飲み込まれる。体のいたるところに降りそそぐ石壁の破片に埋もれて、目の前が真っ暗になった。
どれくらい意識を失っていたのだろう。気づいたときには瓦礫に圧し潰されて、ミスミは身動きできなくなっていた。
声を上げようとしたが、ノドがかすかにひきつるのみで声にならない。血生臭い吐息だけが、鼻先にかかる。
全身が痛かった。特に右胸が痛む。呼吸のたびにズキズキと骨が軋み、息苦しさでまた意識を失いそうになる。
「――――」
切れ切れの思考の淵で、誰かの声が聞こえた気がした。一縷の望みにすがって、声を張り上げようとしたが、やはりノドがひくついただけで終わる。
必死にもがき、どうにか指先を動かす。カリリと爪が床をこすった。
「あっ、ここにいた!」
そのかすかな音を聞き逃さず、彼は奇跡的にミスミを見つけた。テンポよく瓦礫をどかして、のしかかった恐怖を取り除いてくれる。
視界に光が戻り、救助者が浮かび上がった。
「へへへ、はじめてあったときとあべこべだな、ヤブ先生」
そこには、安堵と心配を混ぜ合わせたマイトの姿があった。
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