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 馬がいななき、鼻面を近づけてくる。

 うわの空だったティオはいきなりの出来事に、慌てふためき尻もちをついた。


「おー、戻ってきたのか、お前ら」


 馬上から野太い声が降ってきた。見上げた先にいたのは、タツカワ会長だ。なぜダンジョン前広場で乗馬しているのか不明だが、上機嫌で手綱を握っている。

 ポカンと口を開けて、この奇妙な状況に戸惑うパーティの顔を見回し、タツカワ会長はニヤリと笑った。


「どうやら、最下層にたどり着いたようだな」

「え、ええ、まあ」困惑をにじませたゴッツが、遠慮がちにたずねる。「あの、それで、会長は何をやってるんですか?」


 ニヤリを通り越して、にやけ面となったタツカワ会長は、馬の首を撫でながらどこか自慢げに言った。


「ローラーコースター療法だ。ジェットコースターの代用で馬に乗ってる」


 よくわからないが療法ということは、何かしら治療が必要な状況なのだろうか。乗馬に興じる姿からは、病の影は見当たらない。

 ティオは怪訝そうに、馬に揺られるタツカワ会長を凝視する。心なしか、尻を浮かせて中腰の姿勢を維持しているように見えた。


「話は診療所でゆっくり聞こうじゃないか。先に行ってるぞ」


 タツカワ会長は手綱を引いて馬を操り、一足先に診療所に向かった。

 その後ろ姿を見送り、仲間と顔を見合わせて、ゆるゆるとパーティも歩き出す。当たり前のことだが、町の風景は、攻略前も後も変わらない。自分達が成し遂げたことに対する変化がなさすぎて、気持ちの落ち着けどころがわからない状態だ。


 ふと、ダットンが言った。「こ、これが……最後に、なるのかな。パーティとして、活動するの」


 ダンジョン攻略後、パーティの行く末は決まっていなかった。だが、全員がうすうす感じ取っていたのではないだろうか。それぞれが新しい道に進み、このメンバーで再びダンジョンに潜ることはもうない、と。


「かもね」と、シフルーシュがつぶやく。

 さみしさを胸に抱き、ためらいがちに足を進める。この一様に沈んだ姿を見て、ダンジョンを攻略したパーティだとは誰も思わないことだろう。


 ティオは去来した喪失感によって、ようやく冒険者生活の終わりを自覚した。

 いつもよりも時間をかけて歩いても、道を外れなければ必ず目的地にはたどり着く。ダンジョンと同じだ。

 見慣れたミスミ診療所が視界に入り、足を重くするためらいが少し増した。扉前につながれた馬が、ゴールを告げるようにいななく。

 マイトが緊張の面持ちで、ゆっくりと扉を開く。


「おかえり!」


 待ち構えていたノンが、満面の笑顔で出迎えてくれた。ミスミとカンナバリも祝福してくれる。馬が到着しているのでタツカワ会長もいるはずなのだが、なぜかその姿は待合室にない。


「ついに最後まで潜ったんだな。あの生意気なだけの頼りないガキが、ここまでやるとは信じられない」

「そんなふうに思ってたのかよ、ヤブ先生」


 マイトが不服そうに顔をしかめて、一同から軽い笑いが巻き起こる。

 その様子を見回して、カンナバリはわずかに首をかしげた。


「なんだか、あんまりうれしそうじゃないわね」


 祝福する出迎え側と、祝福されるパーティの間には、微妙な温度差があった。もっと素直によろこびを、爆発させていると考えていたのだろう。

 ティオ自身も、そんなふうに思っていた。しんみりとした気持ちがフタとなって、その下にあるはずの達成感が浮き上がってこれない状態だ。


「いや、うれしいよ。うれしいことはうれしいんだけど……実感がわかないっていうか、変な感じなんだ」


 うまく言葉にできなくて、マイトはもどかしそうに頭をかいた。説明できない感情の機微は、パーティに共通した感覚だろう。

 ミスミ達は顔を見合わせて困惑を浮かべる。どう対応するのが正しいのか、誰もわからない。


「燃え尽き症候群ってやつか?」と、ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて言った。

「ダンジョンを攻略した経験者に、意見を聞きたいところですね」


 そう言ってカンナバリが目を向けたのは、診療所のお手洗いだ。

 理由がわからず戸惑っていると、いきなり「出た!!」と、歓喜に満ちた大きな声が診療所に響く。お手洗いから、まだズボンを上げきっていない中途半端な身なりのタツカワ会長が飛び出してきた。


 目尻に涙粒が浮かぶほどに感動で打ち震え、全身でよろこびを表現している。いまにも踊り出しそうな浮かれっぷりだ。


「おい、出た、ついに出たぞ! ローラーコースター療法がバッチリ効いた!!」

「そ、そりゃあよかった」ミスミは苦笑して、ボサボサ頭をかく。「本当に効果があったんだ……」


 何がどうなっているのか、事情を知らないパーティは浮かれたタツカワ会長についていけない。代表してティオが、おずおずと質問した。


「あの、何が出たんですか?」

「石だよ、石。結石だ」


 ティオは眉根を寄せて、ミスミを見た。目が合うと、ミスミは軽く肩をすくめる。


「タツカワ会長は尿路結石だったんだ。尿管を塞いでいた結石が転がり落ちて、ようやく激痛から解放された。タイミングはアレだけど、勘弁してやれよ」

「こんなにうれしいのはダンジョン攻略以来――いや、あのときよりもよっぽどうれしいな」


 自分の立場を忘れて、タツカワ会長はしみじみと告げる。まったくデリカシーの欠片もない。


「だいなしだ。いま言うことじゃねえだろ!」

「いやいや、これに比べたらダンジョン攻略の苦労なんて屁みたいなもんだぞ。お前もなってみればわかる」

「このオッサン最悪だ。いまからでも遅くない、冒険者ギルドに鞍替えしようぜ!!」


 ギャアギャアと騒ぎ立てるタツカワ会長とマイトを見ていると、しんみりしていたことがバカらしくなってくる。幸か不幸か尿路結石のおかげで、パーティを包んでいたうつろな空気が吹き飛んでいた。

 いつもの肩ひじ張らない自分に戻って、改めてミスミに向き直る。小競り合いを横目に、ティオはそっと進み出た。


「ミスミ先生……」

「どうした?」

「わたし決めました。魔法学院に行きます」


 ミスミは一瞬表情を強張らせて、静かに視線を足下に落とす。


「そうか……うん、そうか」


 このときのミスミの返答によっては、進むべき未来が変わっていたのだろうか。いまだ心は揺れている。

 長い逡巡の末に顔を上げたミスミは、やさしく微笑んでいた。


「ティオなら、どこに行ってもやっていける。俺が保証するよ」

「はい、がんばります――」


 目の奥をツンと刺激する熱いモノを必死にこらえて、ティオも精一杯微笑む。それが転がり落ちてこないように、神様に願いながら。



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