<7>

 フレア嬢に命じられてクラインがしぶしぶ食料の配膳を行っていると――嫌なものを目にしてしまう。

 進行方向の通路を塞ぐように、タツカワが立っていたのだ。しかも、一人ではない。若い頃から倍以上に肥えたウォルトといっしょだった。


 かつてのパーティ仲間ウォルトとミラーリングが来ていることは、ウワサ話で耳にしていたが、おもに地上で活動している二人とは顔を合わせる機会がなくて油断しきっていた。

 インフルエンザの状況が改善していることは肌で感じ取っていたが、ティオに代わり選別作業を行っていたウォルトがダンジョンに下りているところを見るに、クラインの予想よりも経過は良好なようだ。


 ひとまず手前の横道に入り、遭遇をさけた。すでにダンジョンの地図は頭に入っているので、多少遠回りになっても目的地にたどり着けるルートを組み立てられる。

 厄介だが、先に見つけてしまえば問題はなかった。そう先に見つけられたなら。


「お前、クラインか?」


 横道の奥から、ふいに声が飛んできた。ランプに照らし出された人影は、細く長い。耳の形まで細長だ。

 ギョッとしてクラインが身構えた先にはエルフがいた。昔から何一つ変わらない端正な顔に、うっすらと好奇がよぎっていく。


「ミ、ミラーか」


 先に見つけたなら問題ないが、見つかってしまっては意味がない。クラインは舌打ちを鳴らし、顔をしかめる。

 その様子を、ミラーリングはかすかに微笑んで見ていた。


「タツカワと縁を切ったと聞いていたが、こうしてダンジョンで再会するとは奇妙な巡り合わせだな。元気にしてたか?」

「まあ、そこそこ……。お前はこんなとこで何してんだよ」

「なつかしくてダンジョンを見て回っていた。ところで、出口はどこかわかるか?」

「迷子かよ。全然変わってないな!」


 すました顔をしてなんでもわかっているような雰囲気を出しているが、ミラーリングは意外と知らないこと・できないことが多い。森で生まれたエルフなので、人間の生活環境を知らなくて当然だ――というのがミラーリングの言い分だが、ダンジョンの構造を記憶するのを苦手としているのはエルフであることと無関係だろう。

 クラインは懐古を含んだ呆れ顔で、出口を指差そうと振り返った。その瞬間、全身からドッっと汗が吹き出す。


「あっ、やっぱりクラインだ!」いつの間にかウォルトが、こちらを覗き込んでいた。「聞きおぼえのある声がしたから、そうじゃないかと思ったんだ」


 太った体を左右に揺らして、ウォルトがよたよたと近づいてくる。その後ろに、のんびりとした歩調のタツカワがつづいていた。

 これで、かつてパーティが揃ったことになる。個人と顔を合わせても平気だったが、全員揃うと一気に緊張感が増す。

 クラインは思わず目を伏せていた。ダンジョンの床石に、一人また一人と影が集まってくる。


「ひさしぶりだね。元気にしてたかい、クライン」

「ウォルトは元気そうだな。ブクブク肥えて、いいもん食ってる証拠だ」

「いやぁ、これはただの不摂生だよ。ダンジョンに潜ることもないから、運動する機会がなくて困ってる」


 ウォルトは自分の腹肉をつまんで、照れ笑いを浮かべる。体つきはともかく、物腰のやわらかさは当時のままだ。

 ミラーリングにしてもウォルトにしても、思い出のなかから抜け出してきたように気安い。仲間の変わらぬ様子に安堵している自分に気づき、クラインは複雑な心境となった。


「いま、エドワルド・シフォールに仕えてるんだってね。すごいじゃないか、たいしたもんだよ」

「たまたま知り合う機会があって、エドワルド様の娘に気に入られただけだ。そんなたいそうなことじゃない」


 ぼそりと事実を告げる。本当に偶然が重なった結果であってクラインの力量とは無関係であったのだが――それにしたって、あまりに反応がない。

 気になって集った顔を見回すと、全員が目を丸くしていた。


「いや、驚いたな」肉づきのいい丸い顔をほころばせて、ウォルトがしみじみと言った。「キミが誰かを“様”づけで呼ぶなんて、冒険者時代には考えられなかったことだよ。大人になったんだねぇ、クラインも」

「本当にクソ生意気なガキだったもんな、こいつ」


 冒険者時代から変わらず、タツカワがよけいな一言を付け足してくる。当時はリアラがなだめてくれたのだが――彼女はもういない。ダンジョンにいるからか、その事実をいまさら強く認識した。


「そう言えば、どうしてクラインはタツカワとたもとを分かったんだ?」


 空気を読まないミラーリングが、デリケートな問題に平然と踏み込んでくる。会話の流れなどおかまいなしだ。

 ウォルトは気兼ねしながらも、やはり興味があるようだった。


「ぼくも……知りたいかな」

「別に、たいしたことじゃない。こいつとは元々ソリが合わなかったんだ。何度もケンカして、いい加減嫌になった、それだけだ――」


 冒険者時代から合わせて、タツカワとは数えきれないほどケンカをした。ダンジョン管理組合設立後も、方針の違いでぶつからなかった日はない。

 だが、決定的な決別の理由は、別のところにある。そもそもダンジョンという場所が、クラインにとって耐えがたい環境だったのだ。


 まだ人手不足で、組合所属となった冒険者の手助けに副会長であっても駆り出されることが多かった。ダンジョンに潜るたび、姉のように慕っていたリアラの死を思い起こして、精神的に苦しかった。

 表向きはタツカワとの不仲を決別の原因としているが――実際は、リアラの死を受け入れられず、つらくて逃げ出したにすぎない。タツカワの言い分が適正と認めるのはシャクだが、結局のところクラインは、まだガキだったのだと思う。


「しかし、いくらケンカ別れしたといっても、古巣の乗っ取りに協力するなんて最悪だ。お前には情ってものがないのか」

「しょうがないだろ。俺だって女房子供を食わせなきゃいけないんだ。せっかくの恵まれた働き口を、ふいにするわけにはいかない」


 しばし沈黙――ようやく、「は?」「え?」「ん?」と呆けた声がこぼれる。

 三人は顔を見合わせて複雑な感情を突き合わせたあと、いっせいにクラインを凝視した。


「おい、ちょっと待て」タツカワの声は微妙に震えている。「いま、なんて言った?」

「女房子供って聞こえたんだけど……」と、なぜか半笑いのウォルトがたずねる。

「クライン、結婚してたのか?」と、ミラーリングは露骨に怪訝そうな顔をしていた。


 何が引っかかっているのかわからず、クラインは不審がる。おかしなことを言ったつもりはない。


「別にそんなことどうでもいいだろ。いい年した男が結婚してたからって、どうだってんだ。お前らだって、してるんだろ?」


 三人は現役時代を思わせる機敏な動きで、素早く目をそらした。

 それが答えということか。戸惑いに合点がいって、クラインの口元に笑みが宿る。


「なんだよ、お前ら。人のことさんざんガキ扱いしといて、まだ結婚もしてねぇのかよ。いい年したオッサンが独り身なんて、どこかおかしいんじゃないか」


 形勢逆転――パーティ最年少であったクラインは、ずっと子供扱いされてきた鬱憤を、ここぞとばかりに晴らす。

 未婚者は言い返せず、悔しそうに歯噛みしていた。それが爽快で、どんどん舌は滑らかになっていく。


「まったく、成長しないね、あんたらは」


 そんな声が、ふと聞こえた気がした。クラインは呆気に取られるが、すぐに頭を振って打ち消す。

 でも、確かに成長していない――いや、戻ったといったほうが正しいだろうか。あれだけ敬遠していたというのに、まるで冒険者だった頃のように、違和感なく話せていることが不思議だった。


 ダンジョンにいるからかもしれないと、少し思う。ダンジョンの空気感が、心の奥底に沈めていた淡いノスタルジアを浮かび上がらせたのだ。

 この場所には、クラインの青春が詰まっている。


※※※


「ヤブ先生、ティオ姉ちゃん!」


 療養中の二人の姿を見つけて、マイトは大きく手を振った。

 元気を取り戻した血色のいい顔に、もう病の影は見当たらない。大事を取って療養をつづけているが、もう心配はないだろう。


「俺、地上に戻るよ。ダンジョンでやることはなさそうだし、ベッドが恋しいし」


 インフルエンザの隔離対策がはじまり、二週間がたとうとしていた。目に見える形で患者の数は少なくなっており、それにともない必要とされる人員も少数で済むようになっていた。

 当初からミスミ達に協力して働き詰めだったマイトは、ようやくお役御免となったわけだ。


「そうか。ゆっくりと休むといい」

「マイトくん、今回はありがとう。本当に助かったよ」


 照れ笑いを浮かべて、マイトは鼻の頭をかく。自分が役に立ったのか、正直なところ実感はまったくないが、とりあえず感謝されて嫌な気はしない。

 マイトはもう一度手を振り、二人と別れて帰路についた。


 同じようにダンジョンを後にする住人がいるなか、まだ病状が改善せず寝込んだままの患者の姿もある。

 聞いたところによると、インフルエンザに感染してダンジョンにきた患者数数は約二千四百人――そのうち二百十七人が死亡したらしい。この数が多いのか少ないのか、マイトにはわからない。インフルエンザが消えてなくなったわけではないので、この先も患者数は増えていくのだろう。


 結局どれだけ効果があったのか、比較対象のない現状では判断できないとのことだ。検証するには長い時間がかかる。

 強引な手法に批判もあるそうだが――ふと視界の端に、回復した男の子と話す穏やかな表情のヨーゼスを見つけた。重病患者の治療に当たった医術者と娼婦は、親しげに談笑している――絶対に無駄ではなかったと、マイトは思う。懸命に尽力していた医療従事者を知るだけに、意味があったと心の底から信じていた。


「あっ、マイトくん」


 空になった寝床の片づけをしていたカンナバリとばったり出会う。そばではバールナットがヘロヘロになりながら手伝っていた。


「カンナさん、お疲れさん。俺、戻ることになったから」

「そうなんだ。今日までご苦労様、ミスミ先生を助けてくれてありがとうね」

「いいっていいって。それより――」


 どうしてもグロッキー寸前のバールナットに目がいってしまう。タフなドワーフが、ここまで疲弊する事態が想像できない。

 カンナバリは視線を追い、呆れたふうに苦笑を浮かべた。


「バールのヤツ、てんで頼りにならないの。同じドワーフとして、本当に情けない」

「うるせぇな。力仕事ならいくらでも耐えられるが、病人の世話は気疲れするんだよ。言いたいことがうまく伝わらなかったり、言ってることをうまく読み解けなかったり、よけいな気配りが多すぎて心労で押し潰されそうになる」


 言いたいことは、よくわかった。お気楽なマイトもバールナットほどではないにしても、患者と接して苦労する場面が何度かあった。

 この二週間で、看護師のすごさを身に染みて感じたものだ。


 だから、元気に働きつづけているノンの驚異が一層際立つ。いまも小走りでやって来て、疲れた様子もなく何やらカンナバリと打ち合わせをしている。

 ぼけっと目を向けるマイトに気づき、ノンはわずかに首をかしげた。


「アタシの顔に何かついてる?」

「ノンのタフさに驚いてる。いまからでも遅くないから、冒険者に鞍替えしないか。きっと、すごい冒険者になれるぞ」

「えー、ヤだ」ノンは一切ためらうことなく、笑顔で拒否した。「アタシ、看護師が世界で一番かっこいい仕事だと思ってるから、冒険者になろうとは思わない」


 この返答には、笑うしかなかった。今回の働きを見ていると、言い返す余地がない。

 ひとしきり笑って満足したマイトは、軽い挨拶を済ませて再び歩き出す。


 地上につづく階段が見えてきたところで、立ち話をするタツカワ会長とフレア嬢を目撃する。二人はマイトに気づくことなく、額を突き合わせて難しい話をしていた。

 声をかけるのをためらって、その横を素通りする。


「何があったんだか」と、マイトは独りごちて肩をすくめた。

 あずかり知らないところではじまったダンジョン利権を巡る抗争は、マイトの知らないところでいつの間にか決着がついていた。経緯はまったく不明だが、とにかくダンジョン管理組合と冒険者ギルドは、これまでどおり活動域を分けながらも対等な提携を結ぶことになったという。大人の世界はよくわからない。


 当事者である冒険者の待遇に変化はないということなので、マイトとしては文句はない。とりあえず「めでたしめでたし」と、深く考えることなく受け流す。

 そんなことよりも――いまは地上だ。


 差し込む灯りに吸い寄せられるように、一段飛ばしで階段を駆け上る。勢いよく地上に飛び出し、全身で陽の光を浴びた。

 心地いい陽気の歓迎を受けて、体中の細胞がよろこんでいる。マイトは大きく手足を広げて、隅々まで太陽の恵みを味わった。


「マイト、お前も上がってきたのか」

「おー、ゴッツ。ダットンにシフルもいっしょか!」


 地上で仲間と再会したことに、マイトのテンションが上がる。ゴッツ達も、心なしかいつもより表情が明るい。

 ダンジョン内で顔を合わせることはあっても、基本的に別行動ばかりでゆっくり話す機会は少なかった。残念ながらティオはいないが、仲間が集まったことに特別なものを感じる。


「みんな、お疲れ。どうにか無事切り抜けられたな。ダンジョンで、ダンジョン潜り以外の理由で死んだらたまったもんじゃない」

「ほ、本当疲れた。当分、ダンジョンには潜りたく、ない」

「わたしはずっと地上だったから、逆にダンジョン行きたいけどね。人のいないところがいい」

「いまの状況だと、もうしばらくはダンジョン潜りなんて言ってられないだろうな。ティオも当分は手が空かなそうだし」


 各々が積もり積もったフラストレーションを好き勝手吐き出し、ほとんど会話となっていなかった。それでもいいと思い、かまわずしゃべりつづける。

 ためこんだ不満を絞り出したたあと、マイトは最後にポッとわいて出た思いつきを口にした。


「なんか、次はいけそうな気がする」

「な、な何が?」

「ダンジョンだよ。次こそ底まで行けそうな気がするんだ、なんとなく」


 まったく根拠はないが、不思議とそう思えた。

 仲間達は呆れた様子でマイトを見る。誰よりも簡単にいかないことを知っているのは、上級冒険者の彼ら自身なのだ。

 マイトも困難な道のりであると自覚はしているが、あえて理由をつけるとするなら、偉大な先達に感化されたからだろうか。


「お前ら、タツカワ会長の仲間が揃ってるの見たか。ダンジョンを制覇した伝説のパーティだ――あの人達ってさ、すごい人達だと思ってたんだ。いや、すごいはすごいんだけど……なんて言うか、俺が思ってたようなとは違っていたというか。うまく言えないけど、あんまり俺達とも変わらないように見えた。くだらないことでケンカしたり笑ったり、どこにでもいる冒険者と同じだった。ダンジョン制覇には、何か特別な能力が必要なんじゃないかって、心のどこかで思ってたんだ。でも、そんなものいらないって、あの人達を見てたら勇気づけられた。俺達も、いけそうな気がするだろ」


 仲間達はわかったようなわからないような複雑な表情を浮かべている。

 伝わらなくてもいいと、マイトは思う。結局やることはいっしょだ。ダンジョンに行って最下層を目指す――それが、初級だった頃からずっとつづけてきた冒険者の生業なのだから。


「行こうぜ、ダンジョンの底まで。俺達ならきっとできる!」


 決意をみなぎらせて、マイトは威勢よく言った。

 その大風呂敷に、パーティの誰一人として怯むことはなかった。

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