<5>

 病に伏せて弱っていたとしても、患者がおとなしくしているとはかぎらない。弱っているからこそ、内面の気質が浮き彫りなることもある。

 その男――いや少年は、特にタチが悪かった。


「おい、いつまでこんなカビくさいところにこもってなきゃいけないんだ。いい加減、外に出せよ」

「回復の確認が済むまで、出しちゃいけない決まりになってるんだ」

「誰に確認を取ればいいんだ?」

「それは……ミ、ミスミ先生」


 少年の剣幕に尻込みして、思わずミスミの名前を口にした。ヨーゼスも回復具合を見極める役目を任されていたので、許可を取りつけることは可能だったが、関わりたくないという気持ちが先立ち丸投げしてしまう。


「チッ、あのヤブ医者か」


 少年は舌打ちを鳴らし、心底嫌そうに顔をしかめる。口ぶりからして、どうやら知り合いらしい。

 連れの女が、少年の様子に首をかしげた。


「ライズ、そいつのこと知ってんの?」

「ん、ああ、前にちょっとな」と、先ほどまでとは打って変わって歯切れが悪い。あまり掘られたくない話題のようだ。


 少年は不満の色をありありと面差しに残しながらも、それ以上突っかかることなく静かになった。

 ひとまず安堵し、愛想笑いを送って次に進む。患者の様子を見て回り、異常があれば治療するのがいまのヨーゼスの仕事だ。医術者ギルドの医術者が復帰しはじめて、だいぶ負担は軽くなってきている。のしかかる責任も分散され、気持ちも軽くなっていた。


「あっ、ヨーゼス先生」

「キミは確か……エレノア先生だったね」


 同じように回診中の女医術者と出くわす。医術者ギルドのティオの後輩だ。ミスミ診療所で何度か顔を合わせたことはあるが、交流と呼べるほどの接点はなかった。

 とはいえ、挨拶だけで終わるのも不作法に思えて、ヨーゼスは当たり障りのない質問を口にする。


「体調はどうだい?」

「おかげさまで、だいぶよくなりました。まだ本調子とはいきませんが、お手伝いできる程度には回復しています」見たところ顔色はよく、足取りもしっかりしていた。凛々しい気の強そうな顔立ちが戻ってきている。「ヨーゼス先生はいかがですか。ずっと無理をなさっていたのでしょ」


 ヨーゼスは苦笑をもらし、軽く首を振った。


「私は大丈夫だ。心配はないよ」


 一時はインフルエンザの感染を疑いもしたが、ここのところ体調は悪くなかった。慣れない実地診察で疲れがたまっていたのかもしれない。当初は不安だらけだったダンジョン生活にも適応してきたようで、食欲も増していた。毎日配送されるダンジョン飯を楽しみにしている。


 そして、何よりも体調改善の一番の理由となったのは、やはり医術者の復帰によるところが大きいだろう。彼らが活動をはじめて、診察を押しつけられる機会が格段に減った。自信喪失していたヨーゼスにとって、これほどありがたいことはない。


「えっと――」


 もう一言二言交わして、自然な感じで別れるイメージを思い浮かべていたのだが、肝心の言葉がつづかない。ヨーゼスは必死に頭をひねるが、話題の欠片も出てこなかった。

 何か発しようとしている雰囲気を感じ取ったエレノアは、受け身の姿勢にならざるえず、どうしようもなく困り顔となっていた。

 そんな気まずい空気を払ったのは、ふいに響いた悲痛な声だ。


「どうしたんだ、やめろ!」


 血相を変えたエレノアが、声を辿って走り出す。向かう先には、起き上がろうとする男の子と、その腰にかじりつく中年男性の姿があった。

 前に治療を施した親子だ。幼い息子は狂ったようにもがきつづけ、父親を押しのけて引きはがす。病に伏せた子供とは思えない、とんでもない力だった。


 男の子は解放されると、まるで自由を謳歌するように無軌道に走る。前に何があっても気にしない。寝込んだ患者がいても、荷物がうず高く積まれていても、たとえ分厚い石壁があったとしても――


「危ない、止まりなさい!」


 男の子は人を蹴散らし、荷物をなぎ倒し、分厚い壁にも臆さなかった。エレノアの制止を聞かず、一切のためらいなく壁に激突した。

 ゴツンと大きな音がして、男の子は倒れる。額にコブを作り鼻血を流しながら、なおも暴れようとして――父親が飛びつき、懸命に押さえ込む。正気の沙汰とは思えない、異様な光景であった。


 恐怖で足がすくんだヨーゼスを尻目に、エレノアは即座に動く。男の子に駆け寄り、首筋に手を添えて呪文を唱えはじめた。

 何をやっているのか、まるでわからない。だが、何が起きたのかは一目でわかった。

 もがいていた男の子が徐々に抵抗をゆるめて、最後には完全に動きを止めたのだ。手足は弛緩し、まぶたが落ちる。


「よかった、うまくいった」


 エレノアはホッと安堵して、力の入った肩を下ろす。


「おい、何があったんだ!」


 騒ぎを聞きつけて、ミスミがやって来た。その顔を見て、ヨーゼスはギョッとする。

 蓄積した疲労によって土気色となった顔に、研ぎ澄まされたギラギラとした目が瞬いていた。いまにも千切れそうな意識の細い綱に、使命感だけを支えにかろうじて片足立ちしているような状況だ。


「ちょっとミスミ先生、大丈夫?」と、エレノアも顔を強張らせる。

「俺のことはいいから、何があったか説明しろ」


 限界寸前の余裕のなさが、ぶっきらぼうな態度としてあらわれる。ミスミのギラついた目に困惑しながら、エレノアは目撃した奇怪な事態を説明する。


「急に、この子が暴れだしたんですよ。すごい勢いで壁に激突して、それでも止まらなかったので、緊急措置としてマヒ魔法を使いました」

「マヒ魔法だって?!」

「ええ、最近使えるようになったんです」控えめな得意顔をエレノアは浮かべる。こんな状況でなければ、もっと誇っていたことだろう。「ティオ先輩に置いていかれるのはシャクじゃないですか。だから、こっそり勉強してました」


 負けん気の強さが、彼女に新しい魔法を身につけさせたわけだ。

 あっさりと言っているが、その苦労は並大抵のものではなかったことだろう。医術系を修得したうえで、別系統の魔法を身につけるのは非常に難しい。しかも、口ぶりからして独学と思われる。同じ医術者のヨーゼスからすれば、とんでもないことだ。


「どうして暴れ出したのか、わかりますか?」


 エレノアはくわしい情報を聞き出そうと、放心した父親に声をかけた。

 まだ混乱から抜け出せていない父親は、動揺した目を息子に向ける。


「わからないんだ。薬を飲ませようとしたら、急に……」

「薬ですか?」


 ヨーゼスは男の子が寝かされていた場所近くに転がった小瓶を見つける。エアロの解熱薬だ。栓は抜けており、中身は石床にぶちまけられていた。

 ふと以前聞いた話を思い出す。薬品との相性によって、思いがけない作用が起きることがあるというものだ。


「ひょっとして、薬の副作用なのではないでしょうか」

「いや、それはどうだろうな――」


 男の子の状態を確認しようとして、腰を屈めた瞬間ミスミはよろめいた。

 とっさにエレノアが受け止めなければ、そのまま倒れていたことだろう。ミスミは照れ笑いを浮かべながら、どうにか体勢を立てなおす。


「やっぱり、休んだほうがいいですって!」

「そのうち嫌でも休むことになるんだから、気にすんな。それよりも、この子のことだ」


 苦しそうに咳き込みながら熱を測り、まぶたを押し上げて目の動きを確かめる。ミスミは何かをつかんだのか、鼻のつけ根にしわを寄せた。

 咳が落ち着くのを待ってから、息も絶え絶えに考えを口にする。


「いまのところ薬の副作用の報告は受けていない。ないとは言いきれないが、可能性は低いだろう。それを思うと、考えられるのは――インフルエンザ脳症。インフルエンザが原因で脳が腫れる脳浮腫となり、激しい痙攣や異常行動を起こすようになる。特に幼児がかかりやすい疾患だ」


 特徴を照らし合わせると、ミスミが言うインフルエンザ脳症で間違いないだろう。


「どう治療すればいいんですか?」と、エレノアが勢い込んでたずねる。

「解熱薬を併用して、活性化魔法で押さえ込むしかないだろうな。地道な治療になるが、頼むよ」


 ミスミの目は、まっすぐヨーゼスに向けられていた。この場にいる医術者は二人――当然治療を振り当てられることもあるとわかりそうなものなのに、ヨーゼスは自分が選ばれたことに驚く。

 心のなかで、自分よりもエレノアが適していると決めつけていたのだと思う。難しい治療になるなら、なおさら才能も向上心もあるエレノアが受け持つべきだと。


「わ、私では、無理です。治療できません」


 本音がポロリと口からこぼれる。

 次の瞬間、ミスミはヨーゼスにつかみかかった。襟首に指をかけて、絞りながら引き寄せられる。フラフラの状態からは想像もできない力だった――もしくは、ヨーゼスの体から力が抜けていたかだ。

 ミスミは耳元に口を近づけて、周りに聞こえないように小声で叱責する。


「そんなこと、患者の前で言うな」


 父親の不安げな視線を感じる。助けを求めてすがった手を、振り払われたような感覚となったのかもしれない。

 思慮の欠けた言葉だったと、胸が痛んだ。ヨーゼスは不用意な自分自身への不信感で、吐き気をおぼえた。


「お前はなんために医術者になったんだ。ちゃんと患者と向き合え」

「えっ……」

「お前の目と手で、診察をしなきゃはじまらないだろ。どうすれば患者を救えるか、きちんと考えてから結論を出せ。一人でできないなら、それでもいいんだ。周りに協力を求めて、チームで取り組めばいい。まずは、患者と向き合う――その一歩目から医術者が逃げちゃいけない」


 はからずもミスミが告げた苦言は、ヨーゼスが内に抱えた悩みに深く刺さった。

 ずっと、自分のことばかり考えていた気がする。自分と他者を比較して、優劣だけに目を向けていた。劣等感は志を狂わせる。医術者を目指していた頃の純粋な気持ちは、いつからか歪んだ価値観に塗り替えられていた。


 ヨーゼスは震える指で、男の子の頬にふれた。

 指が焼けそうなほど熱い――そういうものだと決めつけて、その理由を読み解こうとはしてこなかった。患者と向き合っていない証拠だ。


「私に……」息を飲んで、絞り出すように吐き出す。「やらせてください」

「言う相手が違うだろ」


 心なしかミスミの口調がやさしくなっていた。

 顔を上げて、不安を帯びた父親に目を向ける。まっすぐに正面から向き合った。


「私が治療します。頼りないと思いますが……必ず、必ず治してみせます」


 ヨーゼスは深く頭を下げて、治療の許可を懇願する。不思議な気分だった。立場があべこべになったようなおかしな状況だというのに、凝り固まっていた心がほぐれていくのを感じる。

 晴れやかな気分で姿勢を戻すと、目線の先に頭頂部が待っていた。父親が頭を下げている。


「よろしくお願いします」

「は、はい!」


 力強く答えたヨーゼスを、ミスミが温かく見守っている。

 そして、満足そうにうなずいたミスミは、ゆるりと体をエレノアに預けた。


※※※


 インフルエンザ感染拡大のピークはすぎたように思う。医術者ギルドの医術者が復帰しはじめて、ダンジョンから解放される回復患者数も増えてきた。

 それでも、まだダンジョン前広場は混雑している。感染者数は減っていたとしても、不安をおぼえる住民の数は減りはしないのだ。


 ティオは数えきれないほどの診察をさばき、交代を申し出てくれた医術者の好意に甘えて小休憩に入る。

 この期間で、たとえ短い時間であっても熟睡できる技術スキルを身につけていた。横になるとすぐさま深い眠りに落ち、わずかでも体力が回復すると目が覚める。取り置きの冷めた食事を無理やり胃袋に押し込み、栄誉補給を無理やりを行う。


 地上にいるのに、まるでダンジョン深くで生活しているようだと少し笑えた。この状況を笑えるのだから、精神的におかしくなりはじめていることを、もう一人の冷静な自分が危惧する。


「よっこいしょ……」


 年寄りくさいと思いながらも、かけ声なしでは起き上がれなくなっていた。腰を叩き、背筋も伸ばす。パキパキと、全身いたるところで骨が鳴る。

 体がほぐして仕事に戻ろう――そう思い足を踏み出そうとしたとき、視界の先で険しい表情のタツカワ会長を発見した。

 元から強面であるが、今日は一層厳しい顔つきをしている。タツカワ会長はティオに気づくと、ほんの少しためらいを感じさせる足取りで近づいてきた。


「ティオ、大変なことになった」

「何かあったのですか?」

「ミスミ先生が倒れた。意識を失って、そのまま――」


 カクンとヒザから力が抜けて、崩れ落ちそうになった。どうしてギリギリでこらえられたのか、自分自身わからない。

 グチャグチャにかき回されて混乱した思考を、必死につなぎ合わせようとしたが、何一つうまくいかなかった。


「おいおい、お前まで倒れんじゃないぞ」タツカワ会長の大きな手が、肩をつかみ軽く揺する。「安心しろ、まだ死んじゃあいない。治療に当たった医術者によると、体力の限界がきて寝込んでいるって話だ。インフルにも感染していることを考えると、油断ならない状況らしいが、そう簡単にはくたばったりしないだろうよ」


 安心の材料を与えられても、安心は欠片も芽生えなかった。

 これまでギリギリのところでティオが踏みとどまれたのは、ミスミの存在があればこそだ。支えを失い、足下がぐらついている。


「しっかりしろ。ここでお前もつぶれちまったら、誰がダンジョンを仕切るってんだ」

「そんなこと言われても……」


 便宜上ティオが責任者であっても、ミスミという指針がなしで監督は難しい。

 頭では不安と心配が飛び回り、胃袋にキュッと締めつけられるような痛みが走る。汗が止まらず、視界がかすむ。手足は震え、立っていることもままならない。

 誰か助けてほしいと心の底から願った――そんな都合のいい存在が、あらわれることはないと思いながら。


「ティオ先生」


 雑音をかき分けてするりと耳の奥に入り込む、なつかしい声がした。

 ハッとして顔を上げると、やさしい笑顔が目に入る。自然と涙がにじむ。


「あぁ、カンナさん!」

「長いこと戻れなくてすみません。大変なことになっているみたいですね」


 故郷に戻っていたドワーフの看護師カンナバリが、ダンジョン街に帰ってきた。包容力のある人懐っこい丸顔は、まったく変わっていない。

 ティオがすがりつくと、二本のたくましい腕でしっかりと受け止めてくれた。それだけで、体に詰まった不安が押し流れていくようだ。


「なんか、えらいときに来ちまったみたいだな」


 カンナバリとの再会で頭がいっぱいになり、もう一人のドワーフの存在に気づかなかった。彼は困り顔で長いヒゲをすいている。

 小柄ながら全身をみっちりと詰まった筋肉で覆われ、顔いっぱいに硬質なヒゲが生えていた。ティオが思い描くドワーフ像そのままの、ドワーフらしいドワーフだ。


「ひょっとしてバールナットさんですか?」

「おっ、俺のこと知ってんのかい」

「マイトくんから話を聞きました。岩窟城で世話になったとか」


 カンナバリの幼友達である鉱夫ドワーフは、うれしそうに破顔する。長いヒゲに覆われているが、その顔立ちは若々しかった。


「わたし達だけじゃないんですよ。すごい人も来てくれてます」さらにカンナバリはボソッと付け足す。心底忌々しそうに。「よけいなのも、いっしょですが」


 二つの人影がゆっくりとやってきた。太いのと細いの――対照的な体格をした二人だ

 ティオよりも先に、タツカワ会長が驚きの声を上げる。


「ウォルト、それにミラーじゃねえか!」


 タツカワ会長とパーティを組んでいた伝説の冒険者二人――魔術師のウォルト・トパールとエルフのミラーリングだ。

 以前会ったときよりも少し腹回りが大きくなっウォルトは、周囲の状況に困惑しながらぎこちない笑顔を浮かべている。ミラーリングは端正な顔を一切崩さず、かすかに長いエルフ耳を揺らしていた。


「お前ら、どうしたんだ?」


 珍しく動揺を隠しきれないタツカワ会長の様子に、ウォルトとミラーリングは顔を見合わせた。


「たまたまだよ。ぼくは近くに用事があったから、ついでにタツカワの顔でも見て行こうかとダンジョン街に寄ったんだ。そうしたら、町の入口でばったり――」

「私は、女王様が検診に行きたいとおっしゃるので、ダンジョン街の下見に来た。失礼がないように準備するつもりだったが……来て正解だ。こんな状態のダンジョン街に女王様を呼ぶことはできない」


 ダンジョン街の異常な状況に戸惑う二人と、そこでカンナバリ達が出くわしたという話だ。

 まだ完全にこの事態の概要をつかめていない彼らのために、ティオが大まかな説明をする。さすがに理解が早く、バールナットを除く三人はすぐにインフルエンザの脅威を察してくれた。


「とにかく、よく来てくれた。古巣のピンチだ、お前らも働いていけ!」タツカワ会長は仲間二人の肩を、無遠慮にバンバン叩く。「クラインのヤツ、お前らの顔見たらきっとビビるぞ」

「クライン?!」


 予想だにしなかった名前が飛び出して、ウォルトとミラーリングの驚きの声が重なった。

 タツカワ会長のうざったい振る舞いにも動じていなかった二人が、これ以上ないほど面食らっている。もろもろの事情を知らないティオには、その慌てようこそが驚きだった。


「あいつ、エドワルド・シフォールの部下として、冒険者ギルドの管理組合乗っ取りに協力してやがんだ。とんでもない野郎だよ」

「エドワルド・シフォールといえば大貴族じゃないか。クライン、偉くなったんだな」と、ウォルトは妙な感心をする。

「そういうことじゃねえだろ。俺達を裏切ったようなもんだぞ!」

「俺達じゃない。裏切られたのは、お前――お前だけだ」


 カッカしていくタツカワ会長とは対照的に、ミラーリングはいくぶん落ち着きを取り戻していた。ただ抜けきらない動揺が、ひょこひょこと動く長い耳に残っている。


「……ダンジョン街で全員揃うなんて、リアラが導いてくれたのかな」


 ウォルトがしんみりと言った。タツカワ会長のパーティに、ダンジョンで犠牲になったリアラという仲間がいた話は聞いたことがある。

 仲間を失った経験のないティオだが、申し合わせなく偶然かつてのパーティが揃ったなら、そんなふうに思いたくなる気持ちは少しわかった。しかし――


「ハッ、そんなわけねえだろ」タツカワ会長は鼻で笑う。「こんなクソ忙しいときに、わざわざ会わせようとするほどリアラ性悪じゃない」


 その言葉に、ウォルトは思わず吹き出す。ミラーリングもかすかに頬をゆるめていた。


「まあ、クラインのバカは後回しだ。いまはダンジョン街を助ける協力をしろ」


 タツカワ会長は協力をお願いではなく強制して、つとティオに目を向ける。

 なぜ自分が見られているのか、ティオはわからずキョトンとした。


「ティオ先生、指示をお願いします」と、カンナバリがやさしく両肩をもんだ。

「えっ、わ、わたしがですか?!」

「もちろんですよ。ティオ先生が一番状況を理解しているんですから」

「でも、わたしなんかじゃ……」


 うじうじと尻込みするティオに、カンナバリは笑顔を浮かべたまま肩をもみつづけた。指にこもる力がどんどん増していき、最後には頭がガクガク揺れるほど強くなる。

 顔は笑っているが、うっすら怒っているのを感じて肝が冷えた。


「ティオ先生、しっかりしてください。あなたはミスミ先生に託されたんですよ。その役目を他の誰かにゆずるなんて、わたしは許さない」

「お、おい、カンナ……」


 思いがけない強い語調に、バールナットが焦りを浮かべる。

 ティオは息を飲んで、わずかに視線を落とした。ミスミに託された――この役目の意味を考える。


 ミスミは、ティオならばやり遂げると信じてくれたのだ。他の誰でもなく、ティオを指名した。何度か役目を交換する機会はあったが、けっしてティオを変えようとはしなかった。その期待に答えたいと、胸の奥から渇望が湧き上がってくる。

 覚悟を決めて、ティオは口を開く。もう迷いはない。


「ウォルトさんは、わたしについてください。わたしもいつ限界がくるかわかりません。そのときウォルトさんなら、わたしの代わりを務められると思うんです」

「わかった。がんばるよ」


「ミラーリングさんは、シフルのサポートに回ってくれませんか。シフルも休みなしで働いています。彼女を助けてあげてください」

「まあ、いいだろう」


「カンナさんは……ダンジョンで、ノンと看護をお願いします。あの子、すごいがんばってます。褒めてあげてください」

「ええ、もちろん」


 一息で言い終えて、小さく頭を下げた。ミスミが倒れたことで折れそうになった気持ちが、力強く支えられてよみがえってくる。

 ティオは微笑を浮かべて、もう一度頭を下げた。今度は深く、感謝の意を込めて。


「ようやく……ようやく希望が見えてきた気がします。みなさんのおかげです!」


 カンナバリは豪快に笑う。ひさしぶりに聞いた笑い声が、耳に心地いい。


「何を言ってるんですか。希望をつないできたのは、ティオ先生ですよ」


 その言葉だけで、これまでの苦労がすべてむくわれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る