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 大きな荷物を両手に抱えて、ダンジョンの通路を行くタツカワ会長を見かけた。太い二本の腕には筋肉が盛り上がり、足運びにはまったく衰えを感じさせない。

 元気な人だと心の底から思った。シモンもフレアもハンナも、少しずつ体調が悪化してきている。年齢的に体力は確実に下降しているはずなのだが、インフルエンザの渦中にいながら感染の気配は一切なかった。クラインも、そうだ。やはりダンジョンを制覇するような人達は、根本的に体の作りが違うのかもしれない。


「シモンくん、いいところにいた。ちょっと手伝ってくれないか」


 視線に気づいて振り返ったタツカワ会長が、有無を言わせず荷物を押しつけてくる。

 渡されたのは片腕分の半分――それなのに、ずっしりとした重みがのしかかり、プルプルと腕が震える。


「こ、これは何ですか?」

「さっき届いた薬の材料だ。物資置き場まで運んでくれ」


 どれほど詰め込めば、こんなに重くなるのだろう。梱包係を問いただしたいところだ。

 シモンは荷物を落とさないように注意して、悠々と進むタツカワ会長を必死に追いかけた。


 物資置き場では、薬の調合中のエアロの様子をじっと観察するフレアの姿があった。よほど興味があるのか、よく物資置き場に顔を出している。最初こそ緊張していたエアロであったが、こうも頻繁だとさすがに慣れてきているようだ。

 今日はそこに、クラインが付き合わされていた。こちらはまったく興味がないようで、石壁に寄りかかってぼんやりしている。

 珍しく気の抜けた顔をしたクラインであったが、タツカワ会長を発見すると、険しい表情を浮かべる。


「薬屋の坊主、次の荷物が届いたぞ。ここに置いとけばいいのか?」

「あ、はい、ありがとうございます」


 荷物を積み重ねて置き、タツカワ会長は軽く腰を叩いた。多少は疲労を感じているようで、この人もちゃんと人間なのだと安心する。


「おい、ヒマしてるなら、お前も手伝えよ、副会長」


 クラインは露骨に不機嫌になって、舌打ちを連打する。


「俺はお前の部下じゃねえ。絶対やらねえ」

「俺にはなくても、ダンジョン街には恩義があるだろ。ちょっとは返そうとは思わないのか」

「知らねえ、関係ねえ――」


 すねた子供のような反発に、フレアはブハッと盛大に吹き出した。飛沫を押さえなければならないという意識が働いたらしく、慌てて口を塞いで肩を震わせている。

 その姿を目にし、クラインは真顔となってへの字に口を結ぶ。内心羞恥でのたうち回っていることは、真っ赤になった耳を通して伝わった。


「クラインさん、会長さんが絡むと子供になるね」


 口元をゆるめた半笑いのフレアが、からかうようにチクリと刺す。

 気にくわないが言い返せないといった感じで、クラインは腹立たしそうにそっぽを向いてしまった。

 これでは、本当に子供だ――と、シモンは思ったが口するのはとどめた。よけいこじれることが目に見えている。


 だが、タツカワ会長は容赦ない。さらにクラインをえぐろうと責めつづけようとしていた。「ほら、みんな呆れているじゃないか。お前もいい大人なんだから、いつまでもガキみたいにすねるんじゃないぞ」


 このままでは、いい大人同士の殴り合いに発展するのではと危惧したとき――思わぬ声が割って入ってきた。これ以上ない絶好のタイミングだった。


「エアロー!」と、呼びかけながら物資置き場にやって来たのは、ミスミ診療所の看護師ノンだ。

 大人のくだらない言い争いに困惑してエアロは、安堵して強張った肩の力を抜く。


「どうしたの、ノン」

「頼んでおいた解熱剤と経口補水液はまだ?」

「あっ、できてるよ、そこにあるの持っていって」


 用意された二つの袋を同時に持とうとして、ノンは手こずる。きゃしゃな少女の細腕では、持てあます量であった。


「おい、クライン。手伝ってやれよ」


 タツカワ会長がすかさず言い渡す。一瞬目を見開き、怒りの形相を浮かべたクラインであったが、ノンを見ると激情は途端にしおれ、顔に不満を残しつつも片方の荷物をひょいと持ち上げた。

 威圧的な面構えのクラインだが、顔立ちからは想像できないほどやさしいところがある。シモンは何度も助けられてきた。


「ありがとう、クラインさん」


 ノンの礼に、クラインは表情を変えずうなずいて応えた。


「次は何を用意すればいい?」と、エアロが仕事の注文をたずねた。


 その顔をじっと見返し、ノンはわずかに眉を吊り上げる。少し怒ったような顔つきであったことに、うろたえたエアロのほうは眉を下げた。


「解熱剤と経口補水液は作りつづけて。あと除菌薬がほしいってセンセェが言ってた。手術で使うアルコールの消毒液でいいんだって、ここで作れる? それと――」


 ノンはぐいっと一歩踏み込むが、エアロとの間に抱えた荷物がつっかえている。そこで、くるりと反転して背中を向けると、後ろ歩きで接触するまで近づいていった。

 すっぽりとエアロの胸におさまった形となる。いきなりの状況に、意味がわからず目を白黒させていた。


「えっ、ええっ、な、なに?」

「やっぱり熱がある」ため息混じりにノンが言った。どうやら手が空いていなかったので、直接体をふれ合わせて体温を確かめたようだ。「ちゃんと予防してる? ヨーゼスの兄ちゃんを見かけたら言っておくから、活性化魔法を受けときなよ」


 言われてみると、エアロの顔はほんのりと赤い。まだ症状があらわれるまでにはいたっていないようだが、インフルエンザの兆候は迫っているのかもしれない。

 ノンは説教に近い注意喚起をぶつけて、早足で仕事に戻っていった。その後ろをクラインがついていく。


 エアロは彼女が見えなくなってから、小さなため息をもらす。同じく女性に振り回される日々をすごすシモンは、その気持ちが痛いほどわかった――と、その瞬間は思ったものだが、実際はまったく違った。


「どうかしたの?」と、異変を感じ取ったフレアが、エアロの曇った顔に声をかける。

「ノンのほうが……ぼくなんかより、よっぽど熱かった。だいぶ無理してるんじゃないかと思って、心配になったんです」


 浅はかなシモンとは、感じ取る箇所が一段も二段も深い。若いがエアロはしっかりしている。同レベルで考えていたことを申し訳なく思った。


「いまダンジョンで、無理をしていないヤツなんていない。せいぜいクラインのバカくらいか」

「この患者数を一人で見てるんだもん。そりゃあ、相当無理をしなきゃできないことよね」


 しみじみと語るタツカワ会長とフレアの言葉には、ノンへの敬意が詰まっている。


「あいつはぶっ倒れるまで無理をつづけるだろう。そうならないように助ける技術スキルを、坊主は持っているんだ。全力で支えてやれ。それが男ってもんだ」

「は、はい!」


 力強く答えたエアロの目に、決意が満ちていく。

 その様子を、フレアは微笑ましく見ていた。何度もうなずいて、楽しそうでさえある。


「わたし、ノンちゃんやエアロくんみたいながんばり屋さん好きだな。応援したくなる」


 まるで観劇でも鑑賞しているような口ぶりだ。貴族の娘を演じている影響か、はたまた生来の性質かはわからないが――目の前の出来事を、フレアは客観的に切り離して見る傾向があった。

 為政者の資質とでも言うのだろうか。凡人のシモンには理解できない視点だ。


「どちらかと言えば、シモンくんもがんばり屋タイプだよね」

「さあ、自分ではよくわからない。そうなのかな?」

「そうだよ。汗かいて輝くのがシモンくん」軽く肩をすくめて、フレアは自嘲の笑みをこぼす。「今回はごめんね。焦るあまりシモンくんに向かない役目を頼んじゃった。謀略に暗躍なんて、シモンくんにできるわけないもん」


 その通りかもしれないが、これはこれで傷つく。シモンはしょんぼりと落ち込む。

 多少はあった成果も、インフルエンザ騒動で吹き飛んでしまった。ダンジョン街の主導権を巡る抗争はうやむやとなり、肝心の政略結婚を阻止しようという計画もうやむやとなったということだ。


「これからどうする。旦那様になんて報告する気だ?」

「その点に関しては、ちゃんと考えてあるよ」


 フレアは白い歯を見せてニッと笑い、そそくさとシモンのそばに来た。その目が注視していたのは、タツカワ会長の動向だ。

 まるで隠れるようにシモンに寄り添うと、背伸びして耳元で打ち明ける。


「――を手に入れようと思っている。ダンジョン管理組合より、何倍も価値があると思うんだ。これを材料にお父様と交渉してみるつもり」

「本当かよ、信じられないな」

「まあ、見ててよ。絶対うまくいくから」


 妙に自信満々で、逆にうさんくさく感じる。

 だが、こういうときのフレアの主張が、一度として違えたことがないのを誰よりもシモンが知っていた。


※※※


 いつからダンジョンにいるのか、頭が朦朧としてハッキリしない。高熱で思考は乱れ、横たわった体は鉛のように重かった。

 ワズロ・ゲインは必死に記憶を手繰ろうと意識をさまようが、どうやってもとっかかりすら思い出せない。まるで記憶喪失になったような気分で、ぼんやりと石の天井を見ていることしかできなかった。


 何度も気を失うように眠りに落ち、覚醒してはおぼろげな記憶を追いかけている。

 時おりミスミ診療所の看護師があらわれて、頼んだわけでもないのに細長い吸い口をした容器を使って水分補給を行っていた。気づかぬうちに身体が水分を欲していたようで、少しずつだが体力は回復していく。


 ワズロは意識が鮮明になるにつれて、置かれた環境に違和感をおぼえるようになっていた。引退した自分が、どんな形であれダンジョンにいることが不思議でしょうがなかったのだ。かつて長い時間をダンジョンですごしたというのに、いま目にしているダンジョンが同じ場所とは思えなかったのも違和感の一つだろう。

 冒険者であったことが誇りのワズロにとって、記憶と現在のダンジョンの齟齬は、根源的な恐怖につながった。自分自身を支えていた、たった一つの自尊心が崩れさる感覚に襲われる。


「お前は、冒険者ではない」と、ダンジョンに引導を渡された気分とでも言えばいいのだろうか。

 どんどんと深みに落ちていく鬱屈した心の底で、ふいにワズロは奇妙な音を耳にする。「グウ」何が大元か気づくのに、何度「グウ」を聞いたことか。

 唐突に思いいたった。腹が減っているのだと。


 どれくらいダンジョンにいるのかわからないが、少なくとも看護師が運んでくる水分以外は口にしていのは確かだ。意識した瞬間、しぼみきった胃袋が食料を求めてうごめいているのを感じるようになった。

 食料を探して起き上がろうとしたが、体はまだ言うことを聞いてくれない。しばらくもがきつづけても、ようやく片ヒザを折るのが限界だった。


 どうしようもない状況に救いが訪れたのは、どれくらいたった頃だろうか。

 いまにも意識が途切れそうになったとき、この世のものとは思えないかぐわしいにおいが漂ってきたのだ。

 においを引き連れた存在が近づいてくる。少し遠回りするように、蛇行しながらゆっくりと迫っているの感じた。


 一際においが大きくなり、すぐ脇にきたことを察した。何者かが上体を起こしてくれ、椀に入ったスープを差し出してきた。

 必死に食らいつき、やっとの思いで口に含む。

 温かいスープと共に、細かく刻まれた具材がノドを通る。丸い味だった。どこにも引っかかるものがない、手間をかけたやさしい味だ。そして、なつかしい味でもあった。


「これは……」


 胃袋が温まり、混濁した思考が晴れていく。顔を上げた先にいたのは、見知った冒険者――ゴッツだ。


「パンも食べるかい?」

「たべる」と、ひび割れた声をあえぎながら発する。


 ゴッツは小ぶりのパンを取り出して、さらに細かくちぎりスープに浸した。


「空っぽの胃袋に、食いものを一度に詰むのは体に悪いんだってさ。パンはスープでふやかして、ちょっとずつ食えってヤブ先生が言ってた」


 ワズロにとって気にくわない名前であったが、ここは素直にしたがう。言われるまでもなく、一度に押し込めるほどの体力がなかったということも大きい。

 時間をかけてゆっくりと、スープとパンをたいらげた。胃袋が満たされたことで、肉体的にも精神的にも余裕が生まれる。なぜ、あんなにも気持ちが沈んでいたのか、もう思い出すことさえできない。


「ゴッツ、これって、あいつが――」

「そう、チナが作ったスープ。結構評判いいみたいだ」


 周囲を見回すと、スープにありつく病人だらけであった。ここが仮設病棟になっていることも、ワズロは気づいていなかった。

 動けない患者の世話をする看護師の姿もある。病み上がりらしい医術者も何人か手伝っていた。


「あいつも、ここに来てるのか?」

「チナは幸いにも感染をまぬがれている。ダンジョンに送る食事作りを、地上でがんばってるよ」


 ひさしぶりに食べたチナの料理は、たまらなくうまかった。空腹であることを差し引いても、うまいと体がおぼえている。

 それは、ワズロが失った――いや、捨てたものだ。いまさら惜しいと思う気持ちが芽生えたことに、自分自身戸惑っていた。


「なあ、いったい何が起きてるんだ。どうしてここにいるのかも、まったくおぼえていないんだ」

「それは――」


 ゴッツが事情を説明する。ゴッツも完全に理解しているわけではないようで、少々手間取るところはあったが、知りうるかぎりの情報をすべて話してくれた。

 一つずつ頭のなかで精査して、ある程度は形にすることができた。


「そのインフルエンザってやつは、風邪みたいなものなのか?」

「風邪の強化版みたいなものだと、ヤブ先生は言っていた」

「俺は風邪でぶっ倒れて、治療所となったダンジョンに運ばれて来たってわけか。情けねえ、俺も焼きが回ったな……」


 ゴッツはわずかに首をすぼめて、フフッと鼻で笑う。バカにしたわけではなく、この状況を面白がっているようだ。


「この大がかりな対策を仕切ってるのは、タツカワ会長とフレアって貴族のお嬢様だ。ワズロさんが裏でこそこそやってたことは、全部ムダになったみたいだな」

「チッ、なんだよ、そりゃ。笑えねえ話だ」


 相応に苦労もしてきたのだが、水泡に帰したと聞いても不思議と落胆はしなかった。幸か不幸かインフルエンザにかかったことで、頭の先まで詰まっていた酒が、キレイさっぱり抜けたのがよかったのかもしれない。

 チナのことにミスミへの反発が重なり、うだつの上がらない状況に嫌気が差して八つ当たり気味にはじめたことだ。酔いが途切れると、何もかもどうでもいいことのように思えてくる。


「そろそろ行かないと。他の人にも、チナのスープを配らなきゃいけないんだ」


 ゴッツは鍋を手にして立ち上がる。そうして次の患者の元へ一歩踏み出すが、どういうわけか二歩目がつづかない。

 冒険者になった当初を思い起こす困り顔を浮かべて、ゴッツは少し照れくさそうにワズロを見下ろした。


「チナは、いま銀亀手で働いている。気が向いたら、顔を見せてやんなよ。きっと会いたがってる」

「てめぇをブン殴ってたヤツをか?」

「ブン殴られても、チナにとってワズロさんが親代わりなんだ。それに、俺がもう二度と殴らせないから安心していい」


 ワズロは行くとも行かないとも答えられなかった。ただ黙って、スープの滴が残る椀に視線を落とす。

 遠ざかる足音を聞きながら、ワズロは舌打ちを鳴らした。結局どうしようもない人生に、逆戻りするしかないと思い知った。


 冒険者の未練はいまも根強く残っている。身悶えするほど苦しかった日々が、まだつづくのだ。不安に埋もれて暮らし、苛立ちをつのらせて酒に逃げる日々。


 ――ただ苦い人生のなかでも、満足できる瞬間はわずかだがあった。ハッキリと舌がおぼえている。チナの料理を食べていたときだけは、幸せだったのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えた。


※※※


 重症患者の老人が、肺炎を併発して苦しみながら亡くなった。

 病み上がりの医術者が数人治療にあたってくれたが、手当てのかいなく命の火を守ることができなかった。

 インフルエンザによる死亡者は、必然的に免疫力の低い子供と老人が多くなる。それを理解して注意していても、助けられる命はかぎられていた。


 ダンジョンに来てから、何人も何十人もミスミは死者を見送った。見ていることしかできなかった。死体を安置場所に運ぶ手伝いの冒険者よりも、役に立っていない。覚悟していたことだが、医者とはいえミスミも人間だ、精神的にまいってくる。


 だからといって、仕事を投げ出すわけにはいかない。歯を食いしばって進まなければいけないのだが――無意識に口は開いていき、ため息がこぼれた。

 患者との濃厚接触により、すでに自身が感染していることは自覚している。倦怠感が抜けず、つねに意識がぼやけていた。体が熱く、節々が痛む。足を踏み出すと、ヒザが鳴いてバランスを崩した。


「おっと、あぶねえな」


 寸でのところで腕をつかまれ、転倒はまぬがれた。

 ミスミは重い頭を持ち上げて、助けてくれた恩人を見る。ふてくされたような面倒顔が待ち受けていた。


「フラフラじゃねえか、ヤブ医者」ふがいない姿を見られたのが知人で安心する。バロッカだ。「まあ、いい。とにかく顔を貸せ」


 ダンジョン街の裏の顔役ロウ・ジンエの下で、娼婦館を取り仕切っている若者である。娼婦館の性病予防に取り組むミスミとは顔見知りで、このひねくれ者との付き合いは長い。


「お前も来てたのか」

「俺はかかっちゃいないが、女達はそうもいかねえ。バカな男が飽きもせず女を抱きにくる店なんだ。さけようがねえだろ」


 業種的に感染を防げそうにないのは、少し考えればわかることだ。思考力が低下しているのを痛感し、ミスミは自嘲する。

 バロッカに連れられてきたのは、ダンジョン地下二階の一角だ。小さく仕切られた部屋に、娼婦達が集まっていた。


 そこに、「あっ、センセェ――」なぜかノンも混じっている。眉を下げた困り顔をミスミに向けた。

 ノンも気になったが、まずは彼女達の状態を確認する。比較的軽症の患者が多いようだが、少数寝込む重症者がいて、仲間内で看病しているようだった。違和感をおぼえたのは、重症者と軽症者が同じ場所に隔離されていることだ。症状ごとに分けるようにミスミは指示していた。


「おい、どうなってるんだ。症状で選別することになってただろ」

「しょうがねえだろ。住人と混ざると、いろいろ厄介なことになる」


 ノンに問いただすが、答えたのはバロッカだった。面倒そうに頭をかきながら、ちらりと娼婦達を見回す。


「どういうことだ?」

「こいつらは、うちに金で買われた女達なんだ。住人と混じって、知らない間に逃げ出されちゃあかなわない。同じ場所で管理するのが一番手っ取り早い。それに、住人のなかには娼婦を気にくわない連中もいる。そいつらと関わって、よけいなもめごとが起きたら責任をどう取ってくれる。粉をかけてくるバカな冒険者共もいるし、俺が目を光らせてなきゃいけないことを考えると、これでいいんだよ」


 医者としては承服しかねるが、納得できる理由ではあった。特に後半は、実害がある分バロッカが神経質になるのもわかる。

 感染対策として気がかりがないわけではないが、仲間内でうまく看護を回しているようなので、例外的に目をつむることにした。


「用件はなんだ?」


 ミスミは改めてバロッカに目を向け、連れられてきた理由を問いかける。


「センセェ、それが――」

「こいつらが、てめぇに言いたいことがあるんだってよ。まあ、聞くだけ聞いてやれ」


 ノンの言葉尻を奪い、バロッカが強引に話を進めた。まるでノンの言いたいことを塞ぐような態度である。

 娼婦の一人が代表して前に出た。その姿を、ノンは複雑な表情で見ている。


「センセェ、みんなと話し合ったんだけど、アタシらにも仕事を手伝わせてくれないかい。一人でしゃにむに働くノンが不憫でねぇ、なんとか助けてやりたいと思ったのさ」

「手伝いって、看護の仕事をか?」


 思いがけない申し出に、ミスミは困惑して鼻のつけ根にしわを寄せる。


「これはアタシの仕事なんだ、姐さん達に迷惑をかけるわけにはいかない……」


 ブツブツと異存をもらすノンを、娼婦達の温かな眼差しが包む。かわいい妹分を助けたいという気持ちが、存分に伝わってきた。


「こっちとしてはありがたい申し出だが、本当にいいのか? 楽な仕事じゃないぞ」

「やりたいって言ってるんだから、やらせりゃいいんだよ。人手不足なんだろ、好きに使え」


 ついさっき逃げ出すかもしれないと危惧していた男とは思えない発言だった。実際は娼婦の安全性を心配していただけなのだろう。本当にひねくれている。

 ミスミは迷った末に、受け入れれば彼女達のとなる看護師に意見を問う。


「どうする、ノン」

「どうするって……姐さん達がやるって言ってんだから、もうしょうがないよ」


 受け入れというより、あきらめに近い境地となっている。しぶしぶながらノンが応じたことで、娼婦達が臨時看護師として働くことが決定した。

 与えられた仕事は、患者の容態を確認する見回りと、食事と水分の配布係だ。なかには指示から逸脱して食事の補助や体を拭う手伝いをする娼婦もいたが、ミスミは黙認した。現場で看護活動がうまく機能している以上、よけいな口をはさむのは野暮に思えたからだ。


 ――しかし、万事うまくいったわけではない。感情的な理由から問題が持ち上がった。

 娼婦が医療行為にたずさわることに、忌避感を示す住民がいたのだ。倫理的に支障があると、声高に不満を口にする。

 なかには直接、「汚い」と吐き捨てる者もいた。目に見えない嫌がらせもあったという。

 もちろん、患者すべてが同じ意見ではない。娼婦の働きに感謝し、彼女達を守ろうと行動を起こす動きもあった。


 結果として患者同士の不和が広がり、そうでなくとも隔離生活でたまった鬱憤がますます膨らんでいく。ダンジョン内にギスギスした空気が流れて、医療従事者にも対する風当たりも強くなる始末だ。

 この事態にノンは怒り狂っていたが、当人達は意外なほどすんなりと受け止めていた。


「しかたないさ。アタシらはお天道様に顔向けできない身の上だからね」と、さみしく笑う。

「そんなことないよ。姐さん達は立派だよ!」


 ノンがどれだけ主張したところで、印象論で物事を見る者達の考えが変わることはない。

 ふれくされ顔のバロッカが、面倒そうにミスミを見た。


「どうするよ。こいつらの“看護師ごっこ”はお開きか?」

「それなんだけど、提案があるんだ」娼婦の一人が控えめに意見を口にする。「アタシらを気にくわない人がいるなら、そういう人が来ないところで働けばいいんじゃないかい」


 彼女が何を言わんとしているのか、ミスミはすぐに察した。これまで娼婦達が活動していたのは、軽症患者を集めた区画だ。比較的体力に余裕のある軽症患者は、それぞれ身内や知人の看病をすることもあり、行動を制限していない。だが、一般患者の立ち入りを禁じた区画があった――重症患者の隔離区画だ。


 ここでは感染予防の観点から原則として身内であっても面会は禁止し、医療従事者が細心の注意を払って治療に当たっている。ほとんどの患者が身動きできない状況とあって、介護の負担も大きかった。


「重症患者の看護をしようってのか?」

「あそこなら、気兼ねなく働けるでしょ」

「ダメ! 姐さん達にそんなことさせられない!」


 看護師として医療知識を備えたノンは、顔を強張らせて反対した。どれほどつらい現場か、身をもって経験したからこその反対だろう。

 だが、娼婦達は意に介さない。必死なノンの姿を見て、笑ってさえいる。


「ノンはずるいなぁ」

「えっ、ず、ずるい?!」

「アタシらだって、人様の役に立つことをしたいんだ。それをひとり占めしようなんて、ずるいじゃないか。たまには、アタシらにも分けておくれよ」


 予想だにしない反論に、ノンは戸惑い目を白黒させている。ミスミだって、そうだ。バロッカまでもキョトンとしていた。

 娼婦達の腹は決まっていた。彼女達は本気で誰かのために身を削ろうとしている――それは、彼女達の本来の仕事と同じことなのかもしれない。


「で、でも、本当に大変だよ。場合によってはシモの世話もしなくちゃいけない」

「かまわないよ、汚れ仕事には慣れている。アタシらは、元々だからね」


 ミスミは静かに首を振る。これだけは言っておかなければならない。


「そんなことはないよ。俺達の世界じゃ、キミ達みたいに献身的な看護師のことを“白衣の天使”と呼んでいる」


 聞きなれない言葉であったろうが、その意味は通じたようだ。娼婦達はまるで少女のように、キャッキャと騒いで喜んでいる。

 白衣の天使達は、笑顔で重症患者の看護に向かった。誰を恨むことも嘆くこともなく、力強い足取りで。


「まったく、監視する俺の身にもなれってんだ」


 文句を口にしながら、バロッカも後を追うとしていた。ひねくれ者は不満を顔に宿しながらも、一切ためらいがない。


「お前も行くのか?」

「しょうがねえだろ、誰かが見張ってなきゃいけない。また口うるさいのが寄ってくるもしれねえしな」

「ありがとうよ、本当に助かる。感染しないように気をつけるんだぞ」


「そんなもん平気だろ」バロッカは軽薄な態度で、さらりと言ってのけた。「俺には白衣の天使がついている」

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