<2>

 さまざまな協力をえてはじまった町をあげてのインフルエンザ対策であったが、思いのほか患者は診察に訪れなかった。

 治療が必要な重篤な患者は家族に連れられてダンジョン前広場にやって来たが、症状の軽い患者は気にとめず独自の治療で済ませているのが実情だ。普通の風邪とインフルエンザの違いを、よく理解していないのだろう。


 いきなりつまずくとは考えていなかったミスミは、頭を抱えて悩んでいた。どうすればダンジョン街の住民に伝わるのか――タツカワ会長やティオと相談しても、答えを見つけ出せないでいる。

 おかげでダンジョンの警備を任されていたマイトであったが、ヒマを持て余してしょうがない。患者数が少なすぎて、モンスターを追っ払う意味さえなかった。ゴッツやダットンは振り分けられた仕事をマジメにこなしていたが、根が飽きっぽいマイトは早々に投げ出してしまう。


 フラフラと懐かしいダンジョン地下一階を歩き回り、それにも飽きると、地上に顔を出す。ちょうどミスミ達が集まって、打つ手を相談しているところを目にした。


「市長命令で治療を強制させればいいんじゃないか」と、タツカワが難しい顔で言っていた。

「それで言うことを聞くかな。市長命令にそこまで効力があるとは思えないな。まだタツカワ会長命令のほうが効果あるんじゃないですかな」

「俺の言うことを聞くのは、せいぜい冒険者くらいだ。冒険者にしたって、素直にしたがうとはかぎらん。あんなふうにな――」


 ギロリとタツカワ会長が、隠れて聞き耳を立てていたマイトをにらむ。老いたとはいえ、さすがダンジョンを攻略した猛者だけあって感覚が鋭い、こんなにあっさりと見つかるとは思わなかった。

 笑ってごまかすしかない。それが通用したわけではないだろうが、タツカワ会長もミスミも怒らなかった。唯一怒ったのは、パーティの仲間だ。


「マイトくん、持ち場を離れちゃダメじゃない!」


 ティオが苛立ちをぶつけるように怒鳴り声を上げた。成果のない現状に、焦りがあるのだと思う。


「だって、俺の担当する区画は患者ゼロだぞ。貴族の女達がいるだけ。あそこにはクラインがいるから、俺がわざわざ警護する必要もない」


 患者ゼロと聞くと、説教する理由も曖昧になってティオは口ごもる。表情に不服は残っていたが、への字に唇を結んだ。


「……ゼロかぁ、早くなんとかしなきゃな」

「ヤブ先生、それなんだけどさ」話し合いを耳にしていたので、大体の事情はつかんでいた。「診察に来てほしいなら、言うことを聞いてもいいって思えるような人に頼んでもらえばいいんじゃないか」


 ミスミは大きく肩を落として、ため息をつく。


「あのなぁ、そんな都合のいいヤツがどこにいるってんだ」

「俺達がダンジョン潜りで指標にしているのは、エルザが残してくれた教えだ。タツカワ会長には悪いけど、俺にとって最高の冒険者パーティは、ディケンズのパーティなんだ。やっぱり現役に近い優秀な冒険者の言葉のほうが、強く心に残る。つまり現役――その道のプロの話なら、関心がなかったとしても耳に入ると思うんだよね」

「その道のプロって、医術者ギルドのギルド長か?」


 マイトはニッと笑って首を振った。指を一本突き立てて、得意げに天を指す。


「もっと上だよ。医術者の頂点といったら、ロックバースのおっさんだろ。あのおっさんに頼めばいい」


 あんぐりと口を開けて驚いた顔を見せたミスミであったが、ボサボサ頭をかいて、真剣な表情に作り替える。

 魔法学院医術科のロックバース教授と言えば、現在最高の医術者だ。その存在は、多くの人が知るところであった。


「なるほど、ロックバースさんか。冴えてるじゃないか、マイト!」

「でも、いまから連絡を取って、許諾をえるというのは時間がかかりすぎませんか?」

「何も本人に直接許可をもらう必要はない。代理でいいだろ、代理で――」


 ミスミが代理として頼むのは、魔法学院医術科の研究員であるヨーゼスだ。このダンジョン街で、立場的にロックバースともっとも近しい男と言える。

 しかし、事情を聞いたヨーゼスは、怯えたように青ざめて全力で拒否した。


「無理です! そんなことできません。私にそんな権限はない!」

「大丈夫だって。話を聞いたら、きっとロックバースさんはこころよく応じてくれる。ちょっとばかし説明が前後したって怒ったりしない」


 懸命に説得して、最後には強引に認めさせた。ミスミは代理という点を隠して、ヨーゼスがしぶしぶ作成したロックバース名義の勧告書を配布する。

 その効果は、てきめんだった。マイトの読みどおり、その道のプロからの言葉は住民に届いた。ダンジョン前広場は患者で溢れ返り、それを見た住民が新たな患者を呼ぶ。


 ティオは休みなく診察をつづけ、シフルーシュは患者の列をさばくのにてんてこ舞いになった。

 ダンジョンでは症状に応じて患者がまとめられ、ミスミ達は忙しく動き回っている。マイトもようやく警備する意味をえて、時おりあらわれるモンスターを退治する。


 上級冒険者となったマイトにとって、初級層のモンスターはもはや敵ではなかった。片手間で簡単に追っ払えることでしょうじる心の余裕が、守る対象の患者に意識を向けさせる。


「あれ、爺さん?」


 偶然目に入ったのは、ヤスダを探してダンジョン街を歩き回っていたとき出会った老人だ。ひどい咳をしていたことをハッキリとおぼえている。

 老人は石床に敷かれた絨毯の上で、毛布を腹にかけて寝かされていた。同じような患者が石床に並んでいる。


 激しい咳をするたびに、体が跳ねるように波打ち毛布が弾む。険しく目を見開いているが、意識の有無を判別できない。とりあえず顔を寄せても、マイトを認識しているようには感じなかった。


「大丈夫か、ヤブ先生呼んでこようか?」


 問いかけても返事はない。咳だけが老人が示す反応だった。


「……誰も来やしねえよ」


 ヒュウヒュウとかすれた呼吸音を鳴らしながら、老人の隣に寝かされた男が言った。血の気がない顔が、苦悶で歪んでいる。


「なんでさ、治療すんのが仕事だろ」

「さっき医術者の兄ちゃんが来て、一通り見て回ったところだ」男は休憩をはさんで、息を整えてから話をつづける。「いまは別の区画を見てる途中だろうな。仕事の数が多すぎるってことだ」


 急激に患者が増えたことで、人手が足りなくなっているのだ。ある程度は想定していたことだろうが、想定以上に多忙で早くも立ち行かなくなっている。

 そうなると、見ていることしかできないのだろうか――マイトが困惑するなか、老人が一際大きく咳をした。天井に届かんばかりにツバを飛ばして何度か咳き込んだあとに、顔を横に倒して嘔吐する。

 白い吐しゃ物が絨毯に沁みて、すえたにおいが広がった。


「ま、待ってろ、すぐ助ける!」


 マイトは全速力で駆け出して、老人を救助できる存在を探す。ミスミでもノンでもヨーゼスでも――誰でもよかった。

 ダンジョンを走り回り、ようやく疲れた顔のミスミを発見した。そのまま腕を取り、有無を言わせず連れ戻る。


「遅かったな」


 隣の男が天井を見上げながらつぶやく。

 老人は、すでに動かなくなっていた。マイトがおそるおそる肩にふれると、まだ肌は温かった。


「マイト、その人を死体安置所に運んでくれ。ダンジョンの南のほうだ、場所は頭に入ってるだろ。俺は片づけをしておく」

「……ヤブ先生」


 言葉がつづかない。いったい自分が何を言おうとしていたのかも、よくわかっていない。

 ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、他の患者に聞こえないように小声で言った。


「これから、もっとたくさんの人が死ぬ。どれだけ献身的に治療しようとも、及ばない状況はたびたび巡ってくるだろう。そういうものなんだ。覚悟しておいてくれ」


 医療が万能でないことは、マイトにだってわかっていたことだ。知識として経験として、生きていくなかで思い知らされてきた。

 それでも、頼れば救ってくれると無邪気に信じていた。信じるように仕向けることも、医者や医術者の技術スキルだったのかもしれない。患者と信頼関係を結ぶために。


「この仕事って、大変だな」

「ああ、嫌になるくらい大変だ」


 自分が救う側になって、はじめて苦労を知る。

 よどんだ目を天井に向けて、マイトは小さく応援を送った。「がんばれよ、ティオ姉ちゃん」地上の最前線で戦う仲間に、心の底から敬意を払う。


※※※


 ダンジョンでインフルエンザの治療をする際、どうしても必要な人材がいた。薬の知識に長けた薬屋だ。

 インフルエンザの治療薬は存在しないが、インフルエンザによって併発する症状は、薬や回復魔法で緩和することができる。症状に応じて使用する薬剤を把握して、材料の選別と調合をする薬屋はなくてはならなかった。


 この役目に志願してダンジョンにやって来たのは、ジュアンの薬屋のエアロだ。インフルエンザの兆候はなかったというのに、危険をかえりみず飛び込んでくれた。

 まだ若いのに肝がすわっているとミスミは感心する。

 そのエアロが地下一階の物資置き場で、届けられた薬の材料の確認作業をしていた。その後ろを、なぜかフレアがついて回っている。


「ねぇ、これって何?」

「そ、それはソウバの実といって解熱作用のある果実の種です、ハイ」

「エアロくん、こっちは?」

「あっ、かぶれるから素手でさわらないでください。ミジョリカの皮は湯通しして、毒素を抜いてから使うんです。かゆみ止めの軟膏の材料になります、ハイ」


 フレアは目を輝かせ、興味津々で集められた物資の価値を聞いて回っていた。

 普段接することのない身分の違う貴族の娘に、質問を繰り返されてエアロのほうはたじたじになっている。失礼があってはならないという緊張からか、額にびっしりと汗粒が浮いていた。


「これも薬の材料になるの?」


 隅に置かれた二つの袋に目をつけて、フレアはまじまじと顔を近づけた。内容物を伝える紙が貼られており、そこには砂糖・塩と書かれている。


「そこにあるのは、ミスミ先生の注文です。分量を調整した砂糖と塩に、水と混ぜ合わせて――」

「あっ、そうか」クイズの早解きでもやっている気分なのか、ハイと手を上げてフレアが答えた。「経口補水液だ!」

「へえ、よくわかったな」


 後ろから様子を見ていたミスミは、正解の鐘を鳴らす。正解したからといってポイントはつかいし、賞品もありはしないが。

 フレアは得意げに胸を張ってみせた。形のいい胸の膨らみが強調され、エアロは赤面して目をそらす。


「パパのフィールドワークについて回っていたから、ママ特製のスポドリ――経口補水液はいつも持ち歩いてたんだ」


 食塩とブドウ糖を調合して、水に溶かしたものが経口補水液だ。水分の吸収率が高く、飲む点滴と呼ばれている。

 インフルエンザによる発熱、嘔吐、下痢といった症状から起きる脱水状態の処置に経口補水液は有用だった。患者の容態確認に手が回らないことも考えて、自衛の意味でも補給しやすい経口補水液は状況に適している。


「あの、ミスミ先生――」


 まだほんのり頬の赤いエアロが、おずおずと進み出る。


「どうした、エアロ」

「ミスミ先生に頼まれていた、その経口補水液というのを作って試してみたのですが……飲みにくいんですよ」

「飲みにくい? まずいってことか?」


 エアロは苦笑して、遠慮がちに首を振った。それだけではないのだろうが、まずいことも否定できない。


「ノドに引っかかるというか、うまく飲み込めない感覚があるんです。そこで、ちょっと考えてみたんですが、ビレンの葉を入れてみてはどうでしょう」


 そう言ってエアロは、物資の山から小袋を取り出した。封を開けると、小ぶりな青い葉っぱが詰まっている。

 わずかに刺激のある爽やかなにおいが漂ってきた。いわゆる柑橘系と分類される香りだ。


「どれどれ」と、フレアは葉を一枚つまみ、ためらいなく口に放り込む。

 ミスミとエアロが目を丸くするなか、葉を噛みしだいたフレアは眉間にしわを刻み、ブルッと体を震わせた。


「あー、これ、レモングラスだ。ちょっと酸味が強いけど、レモングラスと同じ系統なのは間違いない。うん、これならきっと飲みやすくなるね」

「よかったな、フレアお嬢様のお墨つきだぞ」


 エアロは提案を受けいられたことに喜び、顔を無邪気にほころばせた。

 ミスミでは思いつくことのなかった観点だ。薬屋として薬剤の飲みやすさにもこだわってきたエアロの努力は、しっかりと結実している。


「経口補水液にビレンの葉を調合するのを許可してもらえますか?」

「もちろんだ。ここの薬剤の責任者はエアロなんだぞ、全面的に任せる。タツカワ会長に言って手伝いの冒険者を手配させるから、しっかりやってくれ」

「はい、がんばります!」


 元気よく答えたエアロは、張り切って物資と向き合う。

 その姿を、フレアは微笑ましく見ていた。まだ若いというのに、大らかな母性が透けている。


「すごいよね、この世界の人達って」

「え、何が?」


 解釈に困るミスミに、信じられないものを見るような目線が送られていた。

 エアロに向けていたやさしい目とは、真逆の冷たい目だ。思わず腰が引ける。


「わかんないかなぁ、この世界って普通では考えられない独特な技術体系スキルツリーをしてんだよね。わたし達みたいなのが時々あらわれて、いろいろ付け足していった結果だと思うけど、本来通るべき技術をすっ飛ばしても柔軟に受け入れて使いこなす下地ができている。これって、すごいことだと思わない」


「そ、そうなんだ」としか言えなかった。ミスミには、いまいちピンとこない。

 フレアの着眼点が特殊すぎて、どこを見ているのかもあやふやだった。ミスミより一回り以上も若いのに、ずいぶんと不思議な物の見方をしていると――感心よりも呆れが勝る。


「前に、ちょっとこの世界の歴史を調べる機会があったんだけど、文献に残っている最初期の記録は二千年前だった。たった二千年だよ。わたし達の世界に当てはめると、記録にない先史時代があったとして、文明の起源から二千年と考えても――ピラミッドが作られはじめた頃にあたる。文明の発展速度がとんでもなく早い。当然そこに暮らす人達も、すごい速度で発展してるんだと思う。あと千年もすれば、追い抜かれちゃうじゃないかな」

「……すごいな」


 論理的に説明されると、フレアが感嘆する理由はよくわかった。文明レベル云々は漠然としか想像できないが、とにかくすごいということはわかる。

 だが、それ以上にミスミがすごいと思ったのは、フレアの発想だ。独自に考察して世界の成長性に行きつくなど、ミスミには到底考えつかない。切れ者の貴族エドワルド・シフォール・リマ・セントローブがほれ込むのも納得できる。


「今回の事態を乗り越えたら、きっと、もっと成長するよ。もしかしたら、世界を革新させるために、わたし達は連れられてきたのかもしれないね」


 実際のところ、どのような理由でこの世界に招かれたのか、ミスミにはわからない。わかりようがなかった。

 この場でわかっていることは、ただ一つ。


「なんにしても、俺はやれることをやるだけだ。世界のことはわからないが、いまたくさんの人が苦しんでいることはわかっている」

「実は、その点に関しては、そんなに心配してないんだ。この町には、とびっきりの名医がいるからね」


 楽観的なゆるんだ顔で、フレアはかわいらしくウインクしてみせた。

 ミスミはボサボサ頭をかいて、笑いを噛み殺す。


「何か勘違いしてないか。俺はただのヤブ医者だ」

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