ダンジョン街パンデミック
<1>
ミスミが考案したインフルエンザの隔離対策は、ダンジョン前広場を仮設の診療所として、症状が発生した(もしくは、近しい人間に感染者がいる)感染疑いがある患者の診察を行い識別するというものだ。
感染者と診断されればダンジョンに隔離し、非感染者と診断されれば自宅で療養させる。非感染者と判断されても、明確な検査基準をもうけられない状況ゆえに診断ミスも考えられる。念のために症状が治まるまで自宅で他者との接触をさけることが望ましいが、現実的には難しいだろう。
ダンジョン内での療養は、おもに安静にして自然治癒を待つ受け身な方法に頼らざるえなかった。治療薬が存在せず、回復魔法を使おうにも医術者自身が感染しており、治療にあたれる余裕がない。まずは医術者の回復を最優先に見るべきだろう。彼らが復帰したのちは、魔法治療の目途が立つ。
隔離に使う場所は、地下一階部分となる。ダンジョンの構造上、分厚い石壁で区分けされており、症状の重症度に応じて管理することがたやすい。タツカワ会長の話では水の湧き出た水源もあり、介護に適していると言える。ただ地下一階部とはいえ、モンスターがあらわれる可能性も考えられた。各所に冒険者を配置して、患者の安全を守る必要があった。
これらのインフルエンザ対策は、ミスミ一人では到底まかなえるものではない。ダンジョン管理組合、冒険者ギルド、医術者ギルド、それに、何よりもダンジョン街ことクリステを取り仕切る自治体の協力が不可欠だ。
しがない町医者にすぎないミスミに、関係各所を動かす力はなかった。その問題を一手に解決してくれたのが、タツカワ会長だ。タツカワ会長は各所に根回しして、クリステ町長を半ば脅すようにして許可をもぎ取ってくれた。同伴したフレアが、シフォール家の名前をちらつかせたおかげでもあるだろう。
まだ万全とは言えないが、こうして準備を整えることはできた。残すは医療従事者の配置であるが、現在活動可能な人員はミスミ診療所の三名とヨーゼスのみとあまりに少ない。さらに、問題は別のところにもあった。
「うぅ、荷が重いです……」
半べそをかいたティオは、その不安だけを灯した目をミスミに向ける。
「しかたないだろ。こうするしかないんだ」
「でも、わたしが統括するなんて無理ですよ。やっぱりミスミ先生が仕切るべきです!」
「だから、俺はいつインフルが発症して倒れるかわからないって説明したろ。いま健康体なのは、ティオだけなんだ。無理だろうとなんだろうと、やってもらうしかない」
ティオに頼んだ仕事は、ダンジョン前広場で患者の識別をしつつ対外折衝を行う責任者だ。インフルエンザ拡散の可能性があるミスミには、できない役割である。免疫力が高くインフルエンザの感染率が低いと思われる妖精族(エルフ)のシフルーシュをサポートにつけるつもりだが、どこまで足しになるかはわからない。一人で背負うには重すぎる骨の折れる仕事であることは確かだが、ティオに踏ん張ってもらうしかなかった。
「こっちはこっちで大変なんだぞ」
「それはわかってますけど……」
ミスミにノン、ヨーゼスはダンジョンで患者の看護にあたる。膨大な感染患者を、たった三人で受け持たなければならないのだ。特にヨーゼスは、重症患者を中心に回復魔法を唱えつづけることになるだろう。労力だけを見れば、ティオ以上かもしれない。
どこが持ち場であろうと、これまでにない苦労が待っていることには変わりなかった。しぶしぶながらティオも受け入れようとしたとき――その男は唐突にやってきた。
「おい、これはどうなってんだ!」
怒声を発しながら広場にあらわれたのは、口ヒゲをたくわえた中年男――医術者ギルドのギルド長だった。地方の医術者ギルドの会合に呼ばれ、しばらくダンジョン街を離れていたことで、ギルド長は難を逃れていた。
彼の存在がすっかり頭から抜け落ちていたミスミは、面食らいながらも飛沫感染を起こさないように距離を保つ。
「お前らは何をやっている」
ギルド長は手にした紙を突きつけた。それは、医術者ギルドに設置した今回の経緯をつづった張り紙だ。風邪の症状がある者は、ダンジョン前広場に必ず診察にくるよう書かれている。
「ギルドには誰もいないし、こんなわけのわからない張り紙が張られているし、いったいどうなっているのか説明してもらうぞ!」
「それはかまいませんが、とりあえず、そこから動かないでくださないよ。せっかくもう一人健康な医術者があらわれたっていうのに、うつしてしまったらもったいない」
「どういうことだ?」
ミスミは事情をかいつまんで説明する。話が進むにつれ、その顔は青ざめていった。
権威主義で高慢な男だが、くさっても医術者だ、ダンジョン街がかつてない危機に陥っていることは理解できたようだ。
「ミスミ先生、わたしの代わりにギルド長に仕切ってもらえばいいんじゃないですか」
ここぞとばかりに、ティオは責任から逃れようとする。
ミスミは渋面を浮かべて、咎めるような視線を向けた。この期に及んで、まだ弱腰な性根が抜けきっていないことが気にくわない。
「ダメだ。ティオがやるんだ」
「どうしてですか?! ギルド長のほうが、わたしより経験も技術も上なんですよ!」
そうとも言いきれないだろ――と、内心思いはしたが、ミスミは別の理由を口にする。こちらも本音ではあった。
「それは、お前が上級冒険者だからだ。ダンジョンを利用することに、抵抗感がある住民もいることだろう。モンスターがうじゃうじゃいる危険な場所だからな。安全性を宣伝する意味でも、上級冒険者の看板は重要だ。冒険者が守っているという安心感を与えなくてはいけない」
どうにか交代してもらおうと思っていたティオだが、筋の通った理屈に反論できず、ノドにたまった言葉を飲み込んだ。
「ギルド長には、他にやってもらいたいことがある。経験も技術もある医術者にしか任せられないことだ」
「ほう、それは?」
おだてられてまんざらでもない様子のギルド長が、心持ちニヤけた顔でたずねる。
「インフルエンザ以外の治療です。いくらインフルが流行しているといっても、他の病気がなくなるわけじゃない――かといって、インフルの患者が集まるここで治療することもできない。非感染者に、うつしてしまうかもしれませんからね」
「なるほど、そういうことか。いいだろう、私に任せろ」
「いいですか、ギルド長が感染しては元も子もない。怪しい症状の患者とは接触をさけて、こっちに回してください。ダンジョン街の未来は、ギルド長にかかっていると言っても過言ではない!」
少し大げさすぎたようにも思ったが、ギルド長は乗り気になってくれた。単純で助かる。
意気揚々と去っていくギルド長を見送り、ミスミはホッと胸を撫でおろす。運よく心配していた問題を解決することができた。
「よかったな、ティオ。これで少しは楽になるぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、場合によっては、むこうのほうが大変ってこともありうる」
いまだ不安を拭いきれないティオは、眉を下げた情けない顔で立ち尽くしていた。
感染をさけるために距離を置いていたミスミだが、このときばかりは不文律を破って一歩近づく。飛沫がこぼれないように息を止めて、ティオの丸まった背中を思いっきり叩いた。
ピシャリと派手な音がして、「キャッ!」という悲鳴と共にティオは小さく飛び上がった。驚きはしていたが、手のひらに残った衝撃はうすい。さすが上級冒険者だけあって、きゃしゃな体つきでもしっかりとした体幹をしている。
「医術者がそんな顔していたら、患者が不安になる。弱気な気持ちは、ここで捨てていけ。この先、どれだけがんばったとしても、たくさんの人が犠牲になるぞ。それでも、くじけず戦いつづけなきゃいけないのが俺達の仕事だ」
ティオは呆けた顔でミスミを見つめ、カクンと首が落ちるように弱々しくうなずいてみせた。
まだ気合いが足りないのだろうか?――鼻のつけ根にしわを寄せてミスミは心配したが、ゆっくりと正面に戻ったティオの顔には、明瞭な覚悟が宿っていた。
「やるだけやってみます!」
※※※
石造りの地下施設に運ばれたヤスダは、そこでミスミという医師の治療を受けた。飢えで消耗した体に、ミスミ医師は充分な水分とオートミールに似た食事を与えてくれる。空腹すぎて口に入るモノはなんでもおいしくいただけたが、健康時であったなら受けつけなかったかもしれない淡泊な味であった。
腹が満たされると、今度は一気に疲労が押し寄せて、意識する間もなく眠りに落ちていた。ろくに話すこともできず、なぜ自分がこんな場所に連れられてきたのか、まったくわからずじまいだ。
目が覚めたのは、どれくらいたってからだろうか。とにかく一眠りしたことで、体は心持ち軽くなっていた。
石床に敷かれた厚手の絨毯から身を起こし、周囲を確認する。連なるように置かれたランプの灯りを目で辿ると、細い通路の先で話し込む若い男女を見つけた。
視線を感じたのか、少女が振り返る。栗色の髪のキレイな顔立ちをした女の子だった。
「あっ、起きた」と、少女はあっけらかんとした明るい声で言った。「シモンくん、ミスミ先生達を呼んできて」
青年は通路の奥に向かい、少女は逆側に――軽い足取りで近づいてくる。
ヤスダは身を固くし、抑えきれない焦りで気持ちを揺さぶられた。少女は友好的に見えるが、理解できない状況がつづき警戒心が振りきれている。素直に、その笑顔を信じられない。
「気分はどう、安田大輔さん」
いきなり名前を呼ばれて、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
「ど、ど、どうして、な名前を……」
「ごめん、スーツのポケットにサイフがあったから、勝手に中を見せてもらっちゃった」そう言って、少女は黒い長財布を取り出す。「入ってた名刺も見たよ。すごいね、経産省の役人さんなんだ」
ノドが塞がれたように言葉が出てこず、ヤスダはアワアワと唇を震わせる。その様子を、少女は面白そうに見ていた。まるで、こうなることを予想していたような素振りである。
ほどなくして、ミスミ医師が大柄な男を連れてやって来た。貫禄のある角ばった顔に、不敵な笑みが浮いている。六十代に届きそうな年齢であったが、かくしゃくとして老いの影は感じさせない。
「気分はどうだい?」
ミスミ医師が少女と同じことを聞く。違う点は、ヤスダが答えるより先に、脈を取って自身で確認したところだ。
「……だいぶ、よくなった」
「それはよかった。せっかく見つけたっていうのに、死なれちゃあ寝覚めが悪い」
ヤスダはこの場にいるもっとも話が通りそうなミスミに、たまりにたまった疑問をぶつけた。
「いったい何がどうなってるんだ? ここはどこなんだ?」
ミスミ達は顔を見合わせて、一言では言い表せない複雑な表情を浮かべる。一言では言い表せない事情があることは、その顔を見ればわかった。
彼ら自身も、完全に把握しているわけではないようだった。それでも、知りえる情報をかき集めて、大まかな推測を教えてくれる。わかったことを端的に言うと――ここがヤスダの生きていた世界とは違う、異世界ということだ。
「こっちも聞きたいことがある。ヤスダさん、あんたはインフルエンザにかかっていたんだよな」
質問の意図がつかめないまま、ヤスダは曖昧にうなずく。
「たぶん、そうだと思う。病院で確認したわけじゃないから、ハッキリしたことは言えないが、インフルエンザとしか思えない症状が出ていた。どうしても外せない仕事があったから、無理を押して庁舎に行こうとして……そうだ、あのとき、足がもつれて道路に飛び出てしまって、トラックとぶつかったんだ……」
「おー、王道だ」
なぜか少女はうれしそうだった。
「お、俺は死んだのか?」
「さあ、それはわからない。きっと死ぬまでわからないだろうな」
「死んでもわからないかもよ」少女の声は明るかったが、ほんの少し自嘲が混じっているような気がした。「わたしの場合は、パパと山登り中に足を踏み外して崖から落ちてこっちに来たんだけど、死ぬような高さじゃなかったと思う。打ちどころが悪くて死んだのかもしれないし、別の要因があったのかもしれない。どっちとも取れる微妙な感じ」
まるで原因を確かめようとするように、少女は後頭部をなでる。
その姿を見ながら、大柄な男が妙なところに食いついた。
「お嬢さんが山登りか。若いのに渋い趣味してるな」
「パパが地学の研究をしてて、フィールドワークによく連れて行ってもらってたんだ。山登りは慣れたものだったんだけどなぁ」」
「慣れた頃が一番危ない。ダンジョン潜りといっしょだな」
話がそれてしまったが、結局――答えは出ない。そういうものだということは理解できた。
「こっちに来てから、どれくらいなんだ。ヤスダさん発信のインフルエンザがこれだけ拡散してるってことは、それなりの日数いるんだろ」
「何がなんだかわからなくて、正直よくおぼえていない。路地に隠れて一週間以上はたっていると思うが、時間感覚が狂っていてハッキリしないんだ」
何もわからず誰にも頼れず、加えてインフルエンザの発熱で朦朧としていたヤスダが生き残れたのは、偶然そこにあらわれた近所の子供のおかげだ。憔悴したヤスダを不憫に思ったのか、その少年は水や食料を運んできてくれた。彼がいなければ、間違いなくヤスダは死んでいる。
インフルエンザの症状が軽減して意識が鮮明になった頃、少年はパタリとあらわれなくなった。いまにして思うと、無防備に近づいてきた彼にインフルエンザをうつしてしまったのかもしれない。あの少年は、いったいどうなったのだろう。
「俺のせいなんだな。インフルの猛威が、この町を襲っているのは――」
「いいや、誰のせいでもない。しいて言うなら、ここにヤスダさんを連れきた誰かのせいだ」
ミスミは静かな声で、淡々と言った。やさしい心配りが胸に沁みた。
まぶたを落とし、小さく吐息をもらす。ヤスダは心を落ち着かせると、決意を固めて顔を上げた。
「私にも何かできることがあるだろうか。せめて、少しでも役に立ちたい」
「それは、おいおい考えよう。いまは完全に体調が戻るまで休むといい。まだ無理をする必要はないさ」
ミスミは医者として、やんわりと療養を求めた。立ち替わりに、大柄な男が総括するように告げる。
「まあ、とりあえ、ダンジョン街にようこそ」
この日ヤスダ・ダイスケは、不思議な世界の住人となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます