思わぬ客人

<1>

「戻ってきたんだ、クラインさん」


 シフォール邸の長い回廊を歩いていると、ふいに声が降ってきた。

 発信源を捜して上を見ると、エドワルド・シフォールの愛娘フレアが、中二階から身を乗り出して手を振っている。真っ青になったお付きの侍女ハンナが、腰にかじりついて必死に支えていた。


「危ないから引っ込め。こんなことで死なれたら俺が困る」

「はーい」と、素直にしたがい、バタバタと乱暴な足音を鳴らして下りてくる。


 フレア嬢は今年で十七歳、栗色の髪の凛とした美しい少女だ。高飛車な性格でいろいろと問題のある娘だとウワサに聞いていたが、実際に対面すると、正反対の人懐っこいおてんば娘であった。

 シフォール家に仕える従者だけではなく、外様の雇われ戦士であるクラインにも分けへだてなく気さくに接してくれる。本来なら雇い主の娘にも礼を尽くすべきなのだが――彼女自身が堅苦しいのは苦手だと言って、敬った態度を取ると怒る始末だ。


 貴族のお嬢様としては、かなり変わり者の部類に入ることだろう。それでいて、普段の言動からは想像できないが、聡明で切れ者な側面もあり、周囲からの信頼は厚い。さすが辣腕らつわん貴族エドワルド・シフォール・リマ・セントローブの娘といったところか。


「ねえ、シモンくんはいっしょじゃないの?」

「俺はあっちに顔見知りがいるから、裏で動くにも目立ちすぎる。早めに切り上げさせてもらった。あいつはまだダンジョン街で気張ってるよ」


 フレア嬢の顔に、ほんの少し不満が浮かぶ。オモチャを取り上げられた子供のような、すねた気配がにじんでいた。


「ふーん、がんばってるんだ。どう、うまくいきそう?」

「さあ、どうだろうな。ダンジョン街の冒険者は他とは違う。一筋縄ではいかないことは確かだ」

「うまくいってもらわないと困るんだけどなぁ――」


 どこまで本気かわからない、軽い口調の心配だった。当事者の自覚は見受けられない。

 そもそも今回の冒険者ギルドによるダンジョン管理組合の吸収計画は、フレア嬢が提案した事業であった。大元の顧問を依頼されたエドワルドは、当初多忙を理由に断ろうとしていたのだが、フレア嬢の強い要望を受けて応じることになる。目に入れても痛くないほど娘に甘いエドワルドが、愛娘に懇願されてはねつけられる道理はなかった。


 ここまでしてフレア嬢が計画を推し進めるのは、一つの目的を達成するためだ。シモンをにする――ようするに、彼の実績作りの後押しだ。

 現在シモン・トーヤは、シフォール家の執事見習いという立場にある。将来的に見習いが外れたとしても、執事以上になることはない。

 そこでシモンに実務能力があることをアピールして、エドワルドの家臣団に取り立てようというのだ。そのための実績作りが、今回の事業だった。


「貴族ってやつは、いろいろと面倒だな」

「ホント大変だよ」


 フレア嬢の計画では、ゆくゆくは家臣団で頭角をあらわしたシモンと結ばれることを最終目標としている。貴族の娘ではあるが、六人兄弟の末っ子で跡継ぎの権利を持たないフレア嬢は、優秀な家臣を従属させるための道具として使われることも充分ありえる立ち位置だった。

 だが、それは計画がうまくいったとしても、可能性としては低いことだろう。貴族の娘は、貴族間の結びつきを強めるための政略結婚が通例だ。娘に甘いエドワルドであっても、貴族である以上この慣習から逃れることは難しい。


 か細い希望の糸にすがるような計画だった。そこに賭けるほどに、フレア嬢は政略結婚を嫌っている。シモンを憎からず思っていることも確かだろうが、それ以上に貴族の堅苦しい生活を拒絶しているのだ。

 自由が利く実家のシフォール家はともかく、他家に嫁いだとなれば確実な不自由が待っている。彼女自身貴族の生まれだというのに、なぜか貴族の生活を望まない。不思議な少女だと、つくづく思う。


「見た目はできる男っぽいのにシモンくん頼りないから、今回のことはクラインさんにかかってる。力になってあげてね」

「できるかぎりはする。成功は約束できないがな」

「もー、そんな弱気でどうするの。しっかりしてよー」


 フレア嬢の遠大な計画を知るのは、シモンと侍女のハンナ、クラインの三人だけだ。付き合いの古い二人の他に、なぜ自分が選ばれたのか正直わからなかった。


「クラインさんは信用できそうだから」と、フレア嬢は言っていたが、どこを見てそう感じたかは不明だ。信用できる男とは、自分自身でも思っていない。

 ただフレア嬢の扱いは、他の誰よりも手慣れている自信がある。そういうところを気に入ってもらえたのかもしれない。クラインは彼女とよく似た人物と、長年行動を共にした経験があるのだ。


「とにかく、ちゃんとやってよ、クラインさん!」

「はいはい、わかってるよ」


 周りを巻き込み強引に突き進むところも、かつてパーティーを組んでいたタツカワ・ショウジとよく似ていた。


※※※


 シモンは裏通りにある、ひっそりとした小さな酒場にいた。店の主人に金をつかませて、特別に貸し切りにしてもらっている。

 この日は協力者となったワズロの紹介で、上級冒険者ルード・ソーシェルとの面会を取りつけていた。ルードはパーティを解散しているが、タツカワ会長にこわれて緊急時の捜索・調査隊指揮役としてダンジョン管理組合に残ったベテラン冒険者だ。彼に命を救われた者は多く、懐柔できたならば大勢の管理組合所属の冒険者をギルド側に引き入れることも可能だろう。


 これまで、裏工作がうまくいっているとは言い難い。ワズロの人脈を通して、ある程度協力の約束をしてくれた冒険者はいるが、管理組合を揺るがすにはまだまだ数が足りなかった。

 想定していたよりも、計画は難航している。ルードとの交渉は、是が非でも成功させたいところだ。


「おい、あんまり気合い入れすぎんなよ」カウンターの隣の席に腰かけたワズロが、呆れ混じりの声で言った。「顔が強張ってるぞ」


 慌てて頬にふれると、手ざわりでわかるぐらいに引きつっている。軽くもんで緊張をほぐし、用意してもらった水を流し込んだ。渇いた体に潤いが戻る。

 ほんの少し落ち着いたところで――店の扉につけられたドアベルが鳴った。

 あらわれたのは口ヒゲをたくわえた壮年の男だ。貫禄のある苦み走った顔が、油断なく店内を見回す。


「ルードさん、わざわざすみません」と、ワズロが声をかけた。声の響きに、かすかに緊張が含まれていた。ワズロも、シモンのことをとやかく言えない。

「何やらコソコソと動き回っているらしいな。どういう用件だ、ワズロ」


 言葉はワズロに向けられたものだが、鋭い眼光はシモンをとらえている。威圧感に飲まれて、無意識にノドが鳴った。

 シモンは席を立ち、深々と一礼する。精一杯毅然とした態度を装い、声が震えないように注意を払って慎重に話しかけた。


「私は、シモン・トーヤ。主人であるエドワルド・シフォール・リマ・セントローブ様よりダンジョン街での冒険者ギルド設立に関する密命を受けて、ひそかに動いてきました。今回ルードさんに面会を求めたのは、折り入って相談があってのことで――」


 ルードは席につくと、腕と足を組んだ姿勢で黙って話に耳をかたむけた。途中で止めることなく、長々とした要領の悪い説明を最後まで聞く。

 しばらく眉一つ動かさず、沈黙を保ったまま思案にふけていたルードが、小さな吐息と共にゆるりとワズロに視線を送った。


「ワズロ、お前はどうして、彼に協力している?」


 まさか自分に質問が向けられるとは思っていなかったらしく、ワズロは戸惑いを顔ににじませる。


「俺は……ダンジョン管理組合のやり方に不満があるだけだ。冒険者ギルドが不満を解消してくれるなら、そっちに乗ってもいいと思った」

「ほう、それはどんな不満なんだ?」

「いろいろあるが、たとえば五日ルール――」


 しどろもどろだった言葉が、次第にスムーズになっていく。不満があるのは事実のようで、ワズロの口ぶりからためらいが消える。

 五日ルールは、ダンジョン管理組合が制定した規則で、冒険者は地上に戻った日から五日間は再度ダンジョンに潜ることを禁じたものだ。安全措置として悪くない制限だとシモンは思っていたが、元冒険者のワズロは気にくわないらしい。


「タツカワ会長のやり方は過保護すぎる。冒険者ってのは、危険に身を投げだすことでお宝をえようっていう無頼の集まり。命の賭け方は、自分で決めるべきだ。不自由なだけのルールはいらない」

「なるほど、一理あるかもな」と、ルードは納得する。ただし、ワズロには耳が痛いつづきがあった。「引退したヤツが言うことじゃないがな」


 ワズロは言葉に詰まり、唇を噛んだ。無意識に手が、痛めた足をなでている。

 酒場の空気が重く沈んでいくのを感じたシモンは、沈み切って取り返しがつかなくなる前に話を進める。


「あの、それで、協力のほうは――」

「マリィとは会ったのか?」

「マリィって、マリィ・コモンさんですか」


 唐突に飛び出した名前に戸惑いながら、シモンはおずおずとうなずく。彼女とは、つい先日会ったばかりだった。

 マリィ・コモンも、ルードと同じくパーティを解散した上級冒険者だ。実質冒険者を引退しているが、ダンジョンに対する興味が深く、タツカワ会長の許可をえてダンジョンの研究に取り組んでいる。おもにダンジョンの深い層で活動していることから、『下層圏の女』と呼ばれていた。


「あの女とも交渉したんだろ。なんて言ってた」

「……興味がない、と。研究をつづけさせてもらえるなら、どちらでもいいと言ってました」

「だろうな。あの女はそういうヤツだ。まあ、俺も似たようなものか。どちらでもいいというのが、正直なところだ。会長には多少恩義はあるが、忠誠を誓ったわけじゃない。状勢が変わったなら、それに乗っかるだけだ」

「協力してくれるということですか!?」


 ルードはかすかに見えた歯を隠すように、口ヒゲにふれる。まるで笑うことを恥じているかのような振る舞いだ。


「そうは言っていない。どちらにも肩入れする気はないってことだ。あんたらは好きにやればいい。邪魔はしないし、協力もしない」

「そ、そうですか……」


 期待した返事がもらえず、シモンは意気消沈する。管理組合側にくみするつもりはないとわかったことが、唯一の成果だ。

 収穫を待ちわびているフレアが思い浮かび、気分が重くなる。この状況では帰るに帰れない。


「俺やマリィのような半引退のロートルを頼るよりは、現役を口説いたほうがいいんじゃないか。ヤツらのほうが影響力は大きいだろ」


 現在ダンジョン管理組合に登録された上級冒険者は十二名いる。ルートとマリィを除くと、バリュ・ゴウデン率いるパーティとマイト・ローベリットのパーティだ。そのうちバリュのパーティは三年近く活動実績がなく、ダンジョン街からも離れている。まだ籍を置いているだけで、実質引退してるのと同じだ。現役と呼べるのは、マイトのパーティのみだろう。


 そこに切り込まなければならないことは、わかっていた。クラインにも似たようなことを言われていた。ダンジョン潜りを生業なりわいとする冒険者にとって、実績のある上級冒険者が成功の道しるべとなる。


「やるだけやってみるといいさ。俺は高みの見物といかせてもらう」


 ルードはそう言い残して帰っていく。きっぱりとした態度に、追いすがる言葉も出てこない。

 しばらく無言で物思いにふけて、シモンは一つの結論に達する。遅かれ早かれ、なさなければならなかったことだ。


「やっぱり会うしかないか……」

「ムダじゃないか? あいつらは完全に会長派だぞ」


 ワズロによると、現役上級冒険者マイトのパーティは、かつて最下層にもっとも近いと言われたディケンズ・オーバー達ほどタツカワ会長に目をかけられていたわけではない。だが、タツカワ会長と懇意にしている医者を慕っており、そのつながりで近しい関係にあるという。


 もしチャンスがあるとするなら、つながりを断ち切ることだ。今回の事業のキーパーソンは、ダンジョン街のヤブ医者と呼ばれているミスミ医師かもしれない。


「まずミスミという医者に会おうと思っています。彼のことは、ずっと気になっていた」

「悪いがヤブ医者の仲介はできないぞ。あいつとは因縁があって、顔を合わせたくない」


 ワズロは眉をひそめて、吐き捨てるように言った。血走った目の奥に、怒りの炎が揺れている。

 いったい何があったというのか――気になったが、とてもじゃないが聞ける雰囲気ではなかった。シモンは疑問を胸の奥にしまい、もれ出さないようにフタを閉じた。


「それは大丈夫です。今回は患者として会いに行きますから」

「患者だと?」


 シモンは苦笑してうなずく。その拍子に、チクリと胸に軽い痛みが走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る