<5>

 朝早くにフットローズ医院に訪れたミスミは、黒血病患者の診察を特別に許可してもらう。

 すでにアルムの回復魔法によって、患者の体から毒素は抜けていた。もう感染の心配はないという判断あっての措置である。

 患者の体をくまなく調査し、自身の推察の信頼性を確認した。しばらくして納得がいった頃に、ひょっこりカンナバリが病室に顔を出す。


「ミスミ先生、全員揃いましたよ」

「わかった、いま行く」


 向かった先は、医院の会議室だ。カンナバリやバールナットの協力をえて、そこに今回の問題に関わる人物が集められていた。

 アルムとシーマの母子に、バールナットとマイト、そして鉱夫ドワーフのフォウビルだ。ミスミがフォウビルと会うのは、これで二回目――坑道に行った際、第三拠点で見かけた監督役のドワーフこそ、アルムの父であるルワンと組んで黒血病の調査をしていたフォウビルであったのだ。


「おい、何がはじまるってんだ?」


 事情を知らされず連れて来られたフォウビルは、不審を目に宿して一同を見回す。

 同じく事情を聞かされていない母子は、やはり不審そうにミスミを見た。やがて全員の目が、ミスミに集中する。


「昨日、じっくりとルワンさんの手記を読んで、ドワーフ病の病原となる物質を見つけることができました」

「えっ!?」と、三つの驚きが重なる。アルムにシーマ、フォウビルの声だ。

 困惑を浮かべたアルムが、戸惑いを口にする。


「あの手記に、ドワーフ病のことは書かれていなかったと思うのですが……」

「まあ、落ち着け。順を追って説明する。二つの病気に直接的な関連性はないが、ルワンさんの黒血病考察のなかにヒントがあったんだ」

「ヒントだと?」


 動揺を含んだ声が、フォウビルの分厚い唇からもれた。ルワン当人と黒血病の調査を行っていたフォウビルは、理解できないといった様子でかぶりを振る。

 彼らがやってきたことに、ドワーフ病と関係した事象はない。思い当たらなくて当然だ。


「フォウビルさん、おぼえていませんか。ルワンさんが着目した黒血病とネズミの結びつきを」

「ネズミ……ああ、それはおぼえているぞ。あいつはネズミが出てくるところに、黒血病の大元があると考えていた」

「手記によると、なぜ坑道にネズミが出ないのか疑問に思っていたようですね」


 ミスミが目線で合図を送ると、バールナットは革袋から用意していたモノを取り出す。

 灰がかった金属質な石だ。緊張の面持ちで、慎重に会議室のテーブルに置く。


「なんだ、クズ石じゃないか」


 ベテラン鉱夫だけあって、フォウビルは一目で看破した。


「そう言われてるみたいですね。鉄にならない役立たずなクズ石。――でも、鉄鉱石ではないだけで、独自の成分を含んだ鉱石には違いない。俺は鉱石にくわしいわけじゃないけど、状況的に見て、これと当てはまるモノを知っている」

「そ、それは?」と、現在もっともドワーフ病に関心のあるカンナバリが、身を乗り出して言った。

 ミスミは小さくノドを鳴らし、声を整えてから告げる。


「ヒ素だよ」


 一瞬空気が凝結したように、重い沈黙が下りた。その物質を誰も知らず、理解の前段階で止まってしまっている。

 理解不能の状態から、真っ先に解かれたシーマが代表してたずねた。


「ヒ素って、なんなの?」

「強い毒性のある鉱物です。猫いらず――そんなふうに呼ばれていたこともあったみたいですね」

「猫いらずって、それがあるから坑道にネズミが出ないってこと?」


 マイトが意外と察しのいいことを言う。その言葉で、ぼんやりとではあるが、理解が進んだようだ。


「生物にとって有毒なヒ素が、ネズミを遠ざけていたと考えればつじつまが合う。もちろんヒ素は、ドワーフにとっても有毒です。ただ強靭なドワーフは、ヒ素に対する耐性も優れているんだと思います。それは蓄積されたヒ素毒が症状をあらわすのは、長期間に渡ってヒ素の近くで働いていたドワーフに多いという点からも推察できる。結果として、老年の鉱夫ドワーフは重度のヒ素中毒になってしまう」


 ヒ素中毒の症状は多岐に渡る。肝臓に障害をもたらし、黄疸や腹水といった症状が発生するのも、その一つだろう。

 発ガン性のリスクも高く、ドワーフ病との因果関係に気づかぬまま亡くなったドワーフも多いはずだ。


「つまり、クズ石が原因でドワーフ病になるんだよな。そんなのどうしろってんだ、鉱夫やってりゃ嫌でもついて回るんだぞ」

「……取り扱いに注意するしかない。いまの段階では、それくらいしか言えないな」


 ドワーフ病の正体をヒ素中毒と解明できても、その治療法にはたどり着いていない。ミスミとしても歯がゆいところだ。


「ムチャ言うなよ。いちいちクズ石を気にしていたら、鉄を掘れやしない!」


 バールナットのがなり声の合間を縫って、「フフ」と小さな笑い声が聞こえた。

 かき消されそうな小声であったにも関わらず、場違いな笑いは印象的で、誰も聞き逃さなかった。一同の視線が、声の発信源に向けられる。

 長いヒゲをすきながら、フォウビルは笑っていた。どこか物悲しそうな表情で。


「それじゃあ何か、あいつは知らずに黒血病ではなくドワーフ病の真相を探っていたことになるのか」笑いを含んだ声なのに、その響きはやけに空虚だ。「命を賭けたのが、バカみたいじゃないか。これでは本当にヤブ医者だ」

「それは違います」


 ミスミはきっぱりと断言する。

 その意味を計りかねているのか、困惑が感染するように伝わっていく。


「ルワンさんは黒血病の真相の一歩手前まできていた」

「ど、どういうことなんですか?」と、アルムが声を震わせる。


「俺は黒血病にきわめて近い病気を知っている。ほぼ同一と言っても支障はないだろう。それは、病原菌を持つネズミから、ノミが媒介して人にうつる感染症だ。さっき黒血病の患者を診察させてもらったが、ノミに噛まれた跡を発見した。ノミを通して伝染した病原菌こそ黒血病の正体だ」


 シーマがくぐもったうなり声をもらす。多くの感染者を治療してきた彼女は、ノミの噛み跡に思い当たる節があるのだろう。

 当時の医術者はルワンの報告を信じなかった。真実に近づこうとしていた夫を、後押しできなかったことに後悔の念を抱いているのかもしれない。


 しかし、一旦感染すると、病原菌は人経由でもうつるようになる。混乱のさなかにあった流行地で、それを見極めるのは難しかったことだろう。当時の医術者を責めることはできない。


「坑道でゴミ処理を徹底させたのはフォウビルさんですか?」

「まあな、あいつの遺言みたいなものだから、せめてそれくらいはやってやらんとな」

「テテトスも衛生管理が行き届いていた。こっちもフォウビルさんが?」

「少しは口出ししたこともあるが、習慣になるまでつづけさせたのは、たぶんロックバースとかいう若い医術者だろう。町をキレイにする必要があるって、しつこく言ってたからな」


 その結果、感染源であるネズミが減って、黒血病が終息していったのだと思う。もちろん懸命に治療をつづけた医術者あっての賜物だ。

 感染病の撃退は、一人の力で成し遂げられるものではない。


「父さんは、間違っていなかったんですね……」

「昔の流行以来、黒血病は落ち着いているんだろ。病原体を持つネズミが発生しないのは、親父さんが予防の礎を作ったおかげだ。親父さんはヤブ医者なんかじゃない。黒血病からテテトスや岩窟城を守ったヒーローだよ」


 アルムは両手で顔を覆い、体を折り曲げて嗚咽をもらす。指の隙間から、ポタポタと涙がこぼれ落ちる。

 その姿を目にし、フォウビルは苦笑した。


「ヤブ医者の息子、一つ言っておくことがある。俺も含めてドワーフは、ふざけてルワンのことをヤブ医者と呼んでいた。でもな、本気でヤブ医者と思っているヤツはいないぞ。ルワンが必死に黒血病を解決しようとしていたのを、ドワーフはみんな知っている。いい言葉じゃないかもしれないが、愛称みたいなもんだった。ドワーフにとってヤブ医者ってのは、愛すべき人間の友人ってことだ。何百年後かには、ヤブ医者はそういう言葉になってるかもしれないぞ。アルムが古い言葉で、希望を意味するようにな」

「はい、はい――」


 しゃくりあげながら、アルムは何度も答える。

 その涙が尽きるまで、母の手がやさしく背中をなでつづけていた。


※※※


 フットローズ医院で仕事をはじめた頃、アルムはドワーフの患者と接するのが苦痛だった。

 黒血病の流行時を生き抜いたドワーフは、きまってアルムにヤブ医者という言葉を投げかけてきたのだ。いまでこそ慣れてしまったが、駆け出しの時分は否定されているような気持ちになって、精神的につらかった。


 母は笑ってヤブ医者を受け入れていたが、アルムはそうもいかない。一度も会うことなく死んでしまった父の人となりも知らず、ヤブ医者を受け入れるにはアルムは若すぎた。

 アルムにとってヤブ医者は、遠ざけたい禍根でしかない――それが、昨日くるりと反転する。


 ダンジョン街から来たミスミ医師が、ヤブ医者の意味を変えてくれたのだ。内心恨みさえしていた父のことを、誇りと思えるようになった。


「そろそろ出発の時間だよ」


 ぼんやりと思いを巡らせていたアルムに、母のシーマが声をかける。

 珍しく紅をさしてめかし込んだ姿に、息子は思わず顔をしかめた。母親の女の部分はあまり見たくない。


「……わかった、行こう」


 アルムは席を立ち、小走りで医院を出た。

 本日ミスミは、ダンジョン街に戻る。ドワーフ病の原因を解明し、彼の役目は終わったのだ。

 見送りのために、テテトスの馬車乗り場に向かう。その道すがら、ふと目に入った母の横顔が、ずっと胸の奥にしまっていた質問を呼びさました。


「ねえ、母さん」わずかに残ったためらいを、踏み出す足のリズムに合わせて振り切る。「父さんは、どんな人だった?」


 父のことをたずねたのは、これがはじめてだ。母も父の話を口にすることは、これまでなかった。

 シーマは驚いたように目を瞬かせたあと、目尻を下げて二ッと笑う。頬がプルンと揺れた。


「立ち話で済ます話題じゃあないし、あとでゆっくりと話したげる。いま一つだけ教えられるとしたら、わたしが惚れた男は、最高にいい男だったってことかな」


 確かにこのタイミングで交わす話題ではないと、ノロケに苦笑しながら思う。視界の隅には馬車乗り場――カンナバリと話し込むミスミの姿がある。

 うっすらとだが二人の会話が聞こえてきた。カンナバリがしきりに謝っている。


「本当にごめんなさい。迷惑ばかりかけて……」

「いいさ、ゆっくりするといい。診療所のほうは、まあ、なんとかやってくよ」


 カンナバリは、しばらく岩窟城に残ることになっていた。ドワーフ病が解明されたとはいえ、まだ治療法が確立されたわけではない。ある程度目途が立つまで、残って父の看病をする。


 その間、時間に余裕があるときは、フットローズ医院の手助けもしてくれるということで話はまとまっていた。患者の世話をする看護師の仕事に、シーマが興味津々で支援を要望したのだ。面倒なドワーフ患者の多いフットローズ医院にも、看護師制度を取り入れようと画策しているらしい。


「いろいろと世話になったな」


 二人から少し離れた場所で、マイトとバールナットが語り合っていた。口調こそ軽いが、別れを惜しんでいる様子が伝わる。


「ヒマができたら、ダンジョン街に遊びに行ってもいいか。俺も岩窟城の外を見てみたいんだ」

「ああ、もちろん大歓迎だ。今度は俺がダンジョンを案内するよ」


 まだ出会って数日だというのに、ずいぶんと親しくなっている。よほど気があったのか、まるで古くからの友人同士のようだ。

 ミスミにしろマイトにしろ、岩窟城に新しい息吹を吹き込んでくれた。それだけでも、カンナバリが冒険者となった価値があるというものだ。


「ミスミ先生!」

「おう、アルム、見送りに来てくれたのか。シーマ先生も、忙しいのにわざわざすみません」

「あなたは夫の名誉を回復してくれた恩人だもの。何を差しおいても行くわよ。黒血病の新たな感染者も、いまのところ出ていないしね」


 ミスミは軽くうなずくと、つと視線をアルムに向けた。

 じっとアルムの顔を見つめて、少し申し訳なさそうにボサボサ頭をかく。


「いやぁ、なんか悪いな」

「えっ、何がですか?」

「ドワーフ病のことだよ。治療法という一番厄介なところを、アルムに丸投げする形になってしまった。本当に、全部任せちゃっていいのか?」

「気にしないでください。岩窟城の問題は、この土地の医術者であるぼくが解決しなきゃいけないことです。時間はかかるかもしれないけど、必ず正しい治療法を見つけてみせます。だって、ぼくはヤブ医者の息子ですから――」


 こんなふうに穏やかな気持ちで、拒絶していた呼称を口にする日がくるとは、夢にも思っていなかった。

 それもこれも、すべてミスミのおかげだ。


「けっして諦めなかった父のように、ドワーフ病に挑みます。任せてください!」


 アルムの力強い宣言に、ミスミは笑顔でうなずいた。この期待に応えなくてはならないと、決意を新たにする。


 出発の時刻となり、ミスミとマイトを乗せた馬車がゆっくりと走り出す。地面にわだちを刻む車輪が、徐々に回転を早めていった。


「実はミスミ先生も、ヤブ医者と呼ばれてるんだ。ダンジョン街のヤブ医者ってね」


 手を振り見送りながら、カンナバリがこっそりと教えてくれた。マイトが「ヤブ先生」と呼んでいたことを思い出す。あんなに立派な医者を、なぜそう呼んでいるのか疑問だった。

 アルムは首をかしげて、たった一つの思い当たる理由を口にする。


「それじゃあダンジョン街でも、ヤブ医者は別の意味があるのかい?」


 反射的にプッと吹き出したカンナバリは、ひとしきり笑ったあと笑顔で答える。


「そうかもね」


 ダンジョン街のヤブ医者を乗せた馬車は、街道の奥に消えていった。

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