<2>

 その青年がやって来たのは、昼を少しすぎた頃だった。ノンに案内され、緊張した面持ちで診察室に入ってくる。

 彼は、シモン・トーヤと名乗った。


「どういった症状なんだい?」

「ここらへんに小さなデキモノがあって、最近少し痛むんですよ」


 シモンは左胸部の上方を指差す。ちょうど肩との境界あたりだ。


「患部を見せてくれ。デキモノがどんなもんか確認したい」

「あ、はい――」


 いそいそと服を脱ぎ、ひょろりとした色白の上半身をさらす。左鎖骨の少し下に、うっすらと赤みを帯びたコブがあった。指先ほどもない小さな膨らみで、中心部に黒点のようなへこみが見て取れる。

 指でふれると、プニプニとした柔らかな感触が伝わった。痛むらしく、シモンは眉間にしわを寄せている。


「いつぐらいから痛みだしたんだ?」

「ここ最近のことですね。以前から腫れているのは気づいていたんですが、痛みもないので放置していたら、急にヒリヒリ痛むようになってきました」


 ミスミは丹念に患部周辺含めて指でなぞり診断する。念のために他の症状も探ってみたが、見立て事態はすでに完了していた。


「こりゃあ、アテローム――粉瘤だな」

「ふんりゅう?」

「皮膚の下に袋状の構造物ができて、そこに老廃物がたまっている状態だ。体に害があるものじゃない。痛むのは細菌に感染して、炎症を引き起こしているからだろうな」


 害がないという言葉に安堵して、シモンは表情をゆるめる。

 対してミスミは、鼻のつけ根にしわを寄せた難しい顔を崩さなかった。粉瘤の治療自体は、そう困難なものではない。抗生物質代わりの活性化魔法で炎症を鎮めて、再発しないように袋状の患部をくり抜けば治療は完了だ。ただ、さけては通れない大きな問題点が一つあった。


「これはどうしたらいいんでしょう。害がないのなら、ほうっておいてもかまわないんですか?」

「害はないが、粉瘤は肥大化していく傾向がある。いまのうちに切除して損はないが……」


 ミスミは言葉に詰まり、半端なところで口を閉じる。

 それに不安をおぼえたシモンは、隠しきれない焦りを表情に塗り込めた。


「何か問題でもあるんですか?!」

「問題と言えば問題か。粉瘤の膿は――くさいんだ。とにかく、くさい。正直やりたくないんだ、くさいから」

「そ、そんなこと言わないでくださいよ!」


 医者が治療を断る理由としては、最低の部類に入る。シモンがうろたえるのも当然だ。

 ミスミは苦笑して、ボサボサ頭をかいた。冗談はさておき、治療できない正当な理由があったのだ。


「実は、回復魔法を使える医術者が今日いないんだ。治療は後日ってわけにはいかないか。簡単な治療だが、切開して患部をくり抜くから相応に痛みはある。マヒ魔法が必要だろうし、感染症対策の活性化魔法も重要だ」

「……後日となると、いつ頃になりますか?」


 ミスミは肩をすくめて、背後に控えたノンに目をやった。

 アゴ先に指を当てたノンは、白いワンピースをくねらせながら予想を口にする。


「ティオ姉ちゃんがダンジョンに出発したのは一昨日だから、戻ってくるのは早くて明日かなぁ。もっと遅くなるかもしれないし、問題を持ち帰ってくることも考えられるし、余裕をもって手術できるのは四日後ってとこかも」


 ノンは妙に勘が鋭いところがあって、ダンジョンから戻る日数予想を得意としている。この点に関しては、ミスミも信頼していた。


「だってさ。それまで我慢できるか?」

「それくらいなら、まあ」

「どうしても痛むってんなら、医術者ギルドに行って活性化魔法をかけてもらうといい。炎症さえ治まったら痛みは引くはずだ」


 現状において、ミスミにできることは何もない。緊急を要さない病気だったことは、不幸中の幸いだ。

 とにかく、これで診察は終了となる――そう思った矢先のことだった。


「おい、誰かいないのか!!」


 突然大きな声が診療所に響いた。緊迫感に満ちた怒鳴り声であるが、どこか間延びした印象を受ける。

 慌ててノンは待合室に向かい、血相を変えて戻ってきた。


「センセェ、急患!」


 やって来たのは、二人の冒険者風の男だ。一方の肩を借りて虚脱した体を引きずって歩く男の右前腕には、血まみれの布が何重にも巻きつけられていた。おそらく止血した布に血が染み出したのだろう。出血量を見るに、相当な大ケガだ。

 いまにも倒れ込みそうな男を、手術室に運ぶ。ことのなりゆきで、シモンも手伝ってくれた。


「おい、なんでうちに来たんだ。外傷なら医術者ギルドで治療してもらったほうが確実だぞ!」

「だ、だって、ここはティオさんがいる診療所なんだろ」


 ミスミは舌打ちを鳴らし、顔を歪める。

 時おり上級冒険者となったティオを頼り、診療所に駆け込んでくる冒険者がいた。そのほとんどが、回復魔法による治療が最善のケガであったのだ。外傷の類は、医術者ギルドのほうが有効な場合が多い。


「ティオはダンジョンだ。今日はいない!」ミスミの視線をノンに送る。「おい、いまから医術者ギルドに行って――」

「わかってる。医術者を呼んでくりゃいいんだよね」


 口にしながら駆け出していたノンは、そのまま診療所を飛び出す。このやり取りも、もう慣れっこになっていた。

 救援の医術者到着まで、ミスミは自分にできることをする。


「こいつは、どういう状況でケガを負ったんだ?」

「急にあらわれたダンジョン狼から、俺をかばって噛まれて……」


 無傷の相棒が、舌ったらずな口調で状況を説明した。ダンジョンでモンスターに襲われたということらしい。


「ダンジョン狼か、そいつは厄介だな」


 ダンジョンの初級層に巣食う狼は、外見は通常の狼と変わらないが、一点決定的に違う箇所があった。口のなかの構造だ。びっしりと生えた牙はまるで返しのついた針のような形状をしており、しかも簡単に折れる作りとなっていたのだ。

 噛みつかれた獲物の体に食いこんだ牙が残り、じわじわと命を削っていく仕組みとなっていた。


 異物が体内に残っていると、再生魔法の治癒スピードが落ちる。ある程度は取り除く必要があった。

 ミスミは腕のつけ根をヒモで固く縛り、止血してから患部を覆った布をナイフで切り裂く。ズタズタに噛み砕かれた右前腕には、無数の針の牙が埋もれている。


「人手が足りないんだ。悪いけど協力してくれないか」

「えっ、あ、はい、わかりました」


 グロテスクな傷口から顔をそむけていたシモンであったが、言われるがままにあっさりと協力に応じる。根が単純なのか、それとも底抜けにお人好しなのか――どちらにしても、ミスミとしてはありがたい。

 患者の冒険者を手術台に寝かせて、動かないように体をロープで固定する。不充分な部分を補うのが、シモンと相棒の冒険者の役目だ。


「医術者が来るまで、できるかぎり牙を抜く。しっかりと押さえといてくれよ」


 ピンセットで一本一本牙を抜く地道な作業だ。返しがついているので肉が引っかかり、抜くたびに痛みで患者は体を大きく弾ませて暴れた。

 ロープで固定しているとはいえ限度がある。男二人の力で押さえつけても、跳ね飛ばされそうになるほどもがく。


「我慢しろよ。もうすぐ治してやるからな」


 相棒がこもった声で励ます。ミスミがちらりと横目で見ると、まるで口を開かず声を発しているような特徴のあるしゃべり方をしていた。


「うわっ!」と、シモンが腰砕けとなってへたり込む。裂けた皮膚から血飛沫が吹き上がり、まとも浴びてしまったのだ。

 恐怖に顔を引きつらせながらも、へっぴり腰で起き上がり、赤く濡れた手でこわごわと固定作業に戻った。まったく無関係だというのに、よくやってくれている。


「すまないな、こんなことを手伝わせて。粉瘤の治療費は……うちも商売だからタダってわけにはいかないが、労働の分は差し引かせてもらうよ」

「は、はい……」


 動揺が抜けきらないらしく、ひどくうつろな生返事だった。シモンは顔をひきつらせたままだ。

 冒険者の相棒も、まるで自分が治療を受けているかのように、苦しげな表情を浮かべている。


「もう少しだけ付き合ってくれ。すぐに応援の医術者がくる!」


 二人を鼓舞しようと勢いで言ったものの、実際は“少し”の範疇ではおさまらない時間を要した。

 ノンが戻ってきたのは、肉に食い込んだ牙の大半を取り除いた頃だ。遅れて息を切らせた医術者エレノア・トパールが診療所に入ってくる。彼女は医術者ギルドでのティオの後輩にあたり、若いながら優秀な回復魔法の使い手だ。


「ミスミ先生、急患ですって?!」

「ああ、ダンジョン狼にやられたそうだ。針の牙がまだ残っているが、後を頼めるか?」

「大丈夫です、任せてください」


 エレノアに立ち位置をゆずると、すぐさま再生魔法を唱えはじめた。ノンが隣について、サポートに回る。

 これで、最悪の事態はまぬがれたとみていい。ミスミは額の汗を拭って、ホッと一息つく。


「彼は助かりそうですか?」


 苦労がむくわれることを願い、シモンが遠慮がちに声をかけてきた。魔法治療の効果はてき面で、見る間に裂けた皮膚が塞がっていく。


「ああ、きっと助かる。エレノアは優秀な医術者だ、心配はない」

「それはよかった。一安心ですね」

、そうだな。こっちは、まだ安心とは言えないが――」

「えっ?」


 思いがけない言葉に、シモンは困惑を浮かべた。


「もう一人、診察しなきゃいけないヤツがいる。場合によっては、こちらのほうが危険な状態かもしれないな」


 ミスミはボサボサ頭をかきながら、次の患者に目を向けた。

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