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 ミスミは借り受けた手記に目を通す。

 筆者は、ルワン・フットローズ。テテトスの役場で、鉄の違法流通を取り締まる業務についていた。


 岩窟城の鉄は、領主が許可した業者にのみ納入する契約となっている――だが、上質な鉄を求めて不正に売買を行う違法業者が後を絶たないことから、厳格に対処すべく役場に取り締まり部署が設置されたのだ。

 ルワンが配属されたのは二十二歳のとき。その五年後に、知人を通して知り合ったシーマと結婚している。


 幸せな結婚生活が三年つづいたのち、悲劇の兆候が顔を出す。最初の黒血病発症者の報告だ。いまから二十四年前の出来事だった――


※※※


〈シド歴242年 豊黄の月 7の日〉

 最初の黒血病患者が報告されてから一カ月。日に日に黒血病の感染者は増えていっている。ついにテテトスの役場でも、初の感染者が確認された。

 町全体を不安が押しつぶし、暗く沈んでいることを肌で感じる。

 妻は毎日夜遅くまで医院で患者と向き合っている、黒血病もそうだが、彼女の体が心配だ。無茶をしなければいいのだが。


〈シド歴242年 銀砂の月 16の日〉

 黒血病発生から三カ月。妻の要請を受けて、応援の医術者が到着した。

 医術者ギルドと魔法学院医術科の合同チームだ。黒血病を研究する専門家も参加していると聞いた。これでテテトスは救われる。恐怖に支配されていた町に、ようやく希望の光が差した。

 働きづめだった妻が数日ぶりに帰宅。私は全身全霊で妻を慰労する。「お姫様になったみたい」と、笑ってくれた。ひさしぶりに妻の笑顔を見れた。


〈シド歴242年 銅狼の月 2の日〉

 黒血病を取り巻く状況は、あまり変化していない。医術者は懸命に治療にあたっているが、それ以上に感染者の数が爆発的に増加している。

 黒血病の専門家は、病気を生み出す根本原因を解消しないことには、終息の目途は立たないと言っていた。しかし、どこに根本原因があるかは、誰もわかっていない。

 感染拡大を恐れた領主によって、テテトス住民の疎開は禁じられた。人間は神に祈るしかないのだろうか?


〈シド歴242年 銅狼の月 20の日〉

 製鉄所で働くドワーフに感染者が出た。役場は製鉄所に一時休止を要請するが、まったく取り合ってくれない。ドワーフは設立以来稼働をつづける鉄鋼炉の火を落とすことを、極端に忌避している。鉄と共に生きてきたドワーフのプライドが、それを許さないようだ。

 身の安全よりもプライドを優先させる事態は理解に苦しむ。ドワーフはそういう種族なのだと、疲れた顔の妻が教えてくれた。


〈シド歴242年 銅狼の月 24の日〉

 鉄の流通制限が実施されることになった。必然的に製鉄作業は縮小せざるえない。

 業務続行を求めるドワーフと、休止を求める役場が、縮小という形で折り合いをつけた結果だ。


〈シド歴242年 紫河の月 3の日〉

 鉄の流通を制限して以来、ひさしぶりに本来の仕事である違法業者取り締まりを行うことになった。

 黒血病流行のさなかであっても、不正に金儲けをしようという輩はいなくならない。自分だけは感染しないという図太い神経の持ち主だ。ある種たくましいとさえ思う。

 古い倉庫で行われていた、鉄の積み込み現場に乗り込んで確保する。

 そこで、異様な光景を目撃した。倉庫の隅に大量のネズミが身を寄せ合うようにして固まっていたのだ。これまで意識していなかったが、街中でもネズミをよく見かけた。

 妻によると、黒血病の流行地ではネズミが大量発生する事象があるようだ。不思議なこともあるものだと、妙に印象に残った。


〈シド歴242年 紅道の月 11の日〉

 黒血病に感染して不運にも命を失った同僚に代わり、岩窟城へ出向く。彼はドワーフの長老達と面会し、テテトス町長との連絡役を行っていた。

 緊急事態ということもあり、種族間における難しい議題が上がることもなく、協力体制の維持を約束してくれた。

 テテトスの役場で働いているが、目と鼻の先にある岩窟城に訪れる機会はあまりない。身近である分、案外そういうものなのだと思う。

 黒血病で混乱するテテトスであるが、岩窟城は比較的落ち着いているように見えた。ドワーフにも感染者は出ていたが、人間と比べて頑強なドワーフの犠牲者は圧倒的に少ない。そのことが関係しているのかもしれない。


〈シド歴242年 夕緑の月 5の日〉

 黒血病発生から約七カ月。患者数が減少傾向にあることを役所が発表。ひさしぶりに明るい話題だ。


〈シド歴242年 夕緑の月 30の日〉

 黒血病患者は減少していた。

 しかし、一時的におさまっていても、第二波が訪れる危険性はある。そのときに備えて、気をゆるめてはならない――そう強く主張していた黒血病専門医が、感染によって亡くなった。

 献身的に患者と向き合い、命を賭して黒血病と戦った彼に心から敬意を表する。


〈シド歴242年 黒宝の月 19の日〉

 二か月後、専門医の言葉どおり再び黒血病が活性化しはじめる。油断した住民につけ込んで、黒血病はひそかに侵攻していた。

 医術者達の戦いはまだつづく。何もできない自分がもどかしい。


〈シド歴242年 雪白の月 24の日〉

 年度末に再度岩窟城に行く機会があった。岩窟城はやはり黒血病の影響が少ない、新年に向けて軽く浮かれた雰囲気さえある。

 この差はなんだろうと、疑問が頭をよぎった。テテトスと岩窟城を分かつ違いを見つけ出せたならば、黒血病対策に役立つかもしれないと思った。

 さっそく上司や医術者に報告したが、まったく取り合ってくれない。ドワーフは肉体的に強靭で病に強い――というのが、彼らの見解だ。納得できない。

 ここのところ妻の調子が悪い。心配だ。


〈シド歴243年 新金の月 3の日〉

 沈痛な空気に包まれてたまま新年を迎えた。黒血病の打開策は、まだ見つかっていない。

 岩窟城に黒血病対策の手立てが隠されていることをあきらめきれない私は、新年の挨拶がてらドワーフの長老に相談してみる。

 長老達は私の言い分をよく理解できなかったようだが、個人的に調査することは快諾してくれ、一人の男を紹介してくれた。鉱夫ドワーフのフォウビルだ。

 製鉄作業の縮小にともない、岩窟城での採掘仕事も減少していた。仕事のない鉱夫ドワーフの腰かけとしてあてがったのだと思う。理由はどうあれ、ドワーフの協力者をえられたことは大きい。何からはじめるべきか、じっくりと考えた。


〈シド歴243年 新金の月 4の日〉

 まず私が行ったのは、正確な感染者数の集計だ。役人として日々数字と向き合ってきたこともあり、数字から見えてくるモノがあると実感があったのだ。

 私は人間の感染者を、フォウビルにはドワーフの感染者を集計してもらう。根気のいる作業だが迅速に行わなければならない。

 調査の時間を捻出するために、私は休職を願いを提出する。すでに多くの退職者がいたことから人手不足に悩む上司は反対したが、私の決意は固かった。


〈シド歴243年 青霊の月 10の日〉

 黒血病発生から丸一年たとうとしていた。事態に変化は見られないが、先月開始した感染者数の集計がようやく形になろうとしている。

 まだ完全とは言えないが、大まかな数字が見えてきた。それは驚くべき結果だった。

 人間と比較して、ドワーフの感染者数は圧倒的に少ない。これ自体はすでに知れ渡っていることだが、問題はその内訳だ。ドワーフの感染者のうち、四分の三が工場地帯で働く者だったのだ。残り四分の一は、岩窟城の住人――おもに主婦や子供、隠居した老人だ。鉱夫ドワーフで感染した者は、たった二人である。どちらも鉱夫として働きはじめたばかりの新人であった。

 この事実を医術者に報告したが、やはり取り合ってもらえなかった。唯一興味を示してくれたのは、第三次応援隊として今年度にテテトス入りした若い医術者だけだ。彼の名は、ロックバース・ケイランという。

「あの子はきっと大物になる」と、妻も太鼓判を押していた。


〈シド歴243年 青霊の月 12の日〉

 ロックバース青年は優秀な医術者というだけでなく、柔軟かつ現実的な思考の持ち主だった。

 ほうぼうのツテを頼り大貴族エドワルド・シフォール・リマ・セントローブ様の支援を取りつけ、避難所の設置をすでに準備していた。

 ロックバース青年の案は、テテトス近郊に未症状者用の一時避難所を作り、しばらく経過観察したのちに、非感染者と判明した者から退避させるというものだ。感染者数を減らすには、まず感染先をなくそうと考えたようだ。

 領主の疎開禁止策を真っ向から否定する案であったが、エドワルド・シフォール様を通して、事前に根回し済みだという。末恐ろしい若者である。

 妻も避難所に行くことが決定した。彼女はお腹に子を宿していた。


〈シド歴243年 豊黄の月 5の日〉

 無事非感染者と判明した妻が、親元に避難することになった。

 彼女は最後まで渋っていたが、生まれてくる子供のために、感染病が蔓延する町に居座ることはできない。

 私は付き添うことはできない。まだ、やるべきことがある。


〈シド歴243年 流橙の月 9の日〉

 最近ドワーフ達の間で、私を「ヤブ医者」と呼ぶ者がいる。面白がってフォウも、そう呼ぶようになった。

 効果があるとは思えないことに、必死になっている姿を見てヤブ医者と名づけたようだ。

 肯定的なアダ名ではない。だが、私は少しうれしかった。直接患者を診ることのできない私を、医療に関わっている者と認識してくれているのだから。

 ヤブ医者で結構。たとえムダだったとしても、私は私の信じた道を進むまでだ。


〈シド歴243年 銀砂の月 22の日〉

 なぜ鉱夫ドワーフに、ほとんど感染者がいないのか?――ずっと考えていたが答えの出なかった問題に、フォウがヒントをくれた。

 道端で出くわしたネズミの死骸を見て、彼は飛び上がって驚いたのだ。黒血病の流行以来、テテトスではネズミの死骸は珍しいものではない。岩窟城でも時おり見かけることがある。

 フォウは照れくさそうに、突然目に入って、ただ驚いただけだと弁解していた。怖いわけではない。坑道にはネズミがおらず、見慣れていないだけだ、と。

 そのとき、ピンときた。もしネズミと黒血病が関係しているのなら、ネズミを駆除することで予防できるのではないか。

 根拠と呼べるものは何もないが、試してみる価値はあるように思う。

 ロックバース青年に相談したところ、何が役に立つかわからない状況なのだから、思いついたことは何でもやってみようと言ってくれた。

 ネズミの駆除は人手も時間もかかる。そこで、とりあえずネズミを町から引き離す方法を考えた。具体的には、ネズミが好む環境を作らないことだ。残飯や糞尿の処理を、これまで以上に厳格に行う。

 これで、うまくいってくれるといいのだが。


〈シド歴243年 紫河の月 7の日〉

 妻から手紙がきた。無事子供が生まれたという報告だ。元気な男の子で、名前をつけてほしいと書かれていた。

 フォウと相談して、名前を『アルム』と決めた。ドワーフの古い言葉で、希望を意味する。

 息子アルムの顔を、見る日はくるのだろうか。不安が胸を埋め尽くす。

 いま、私は医院のベッドの上にいる。黒血病に感染した。

 フォウもロックバース青年も必ず治ると言ってくれる。その言葉を信じたい。


〈シド歴243年 紫河の月 24の日〉

 黒血病はゆるやかに減少している。

 フォウが率先してゴミ処理を啓蒙してくれたおかげだろうか。それとも、ロックバース青年が改良したという黒血病治療の新しい回復魔法の効果だろうか。

 どちらでもいい。一日でも早く、この悪夢のような日々が去ることを願う。


〈シド歴243年 紫河の月 26の日〉

 昨晩吐血した。体の節々が痛み、高熱が出ている。

 ふと目にした指先が黒ずんでいた。

 妻と息子に会いたい。


〈シド歴243年 紫河の月 27の日〉

 疲れた。

 息をするのもつらい。


※※※


 仕事が終わり坑道から出たところで、ブラブラと歩くマイトの姿を見かけた。一人だというのにやけに楽しそうで――バールナットは怪訝そうに眉をひそめる。

 前日シーマから借りた彼女の亡き夫の手記を、ミスミは朝から読みふけっているという話だ。おおかたヒマを持て余して、ぶらついていたのだろう。


 それにしても、マイトの一人遊びは独特だ。

 突然しゃがみ込んで石ころを拾い、それを力いっぱい地面に叩きつけたのだ。意味が分からない。

 砕けた石ころを手に取り、断面を太陽に透かして見はじめる。本当に意味が分からなかった。


 見なかったことにしよう――バールナットがそう決断した直後、運悪くマイトのほうが気づいた。にこやかに手を振って、足取り軽く近づいてくる。


「何やってんだ、お前……」

「なあ、知ってたか。ここの石って割ると中身キラキラしてんだぜ」


 子供のように目を輝かせて、石の断面を突きつけてくる。断面には金属質な鉱石の粒が混じっており、日の光を反射していた。

 岩窟城で生まれ育ったバールナットにとって、それは当たり前のことだった。疑問に思ったことは一度としてない。


「岩窟城は鉄鉱山だからな。鉄の成分が混じった石ころは珍しくない」

「へえ、そうなんだ。面白いな!」


 バールナットは面白いという感想に違和感をおぼえる。自分自身が面白いと感じたことがないので、そこにたどり着く感情の動きを理解できないのだ。

 思考がこんがらがった結果、バカにされているのかと思い、ジロリと目を吊り上げてマイトを見た。だが、マイトの顔にあったのは、本気で面白がっている無邪気な笑顔だった。


「……そんなに面白いか?」

「うん、面白い。俺は故郷の田舎の村と、ダンジョン街とダンジョンのことしか知らないからさ。岩窟城は見るものすべてが新鮮で楽しいんだ」

「こんな石ころだらけの山が?」

「こんな石ころだらけの山があることも知らなかったんだ。楽しいに決まってる」


 ふいに昔を思い出す。カンナバリが冒険者になると言いだしたときのことだ。

 バールナットは彼女の決断を強固に反対した。無性に腹が立ち、口ゲンカとなり、力づくでやめさせようと思ったことさえあった。なぜ自分があんなにも苛立ったのか、今日まで答えは出ていない。


 それが、この瞬間、明確な形となって意識できるようになった。

 ようするにバールナットは、カンナバリに嫉妬していたのだ。長老の孫として、鉱夫になることを疑うことなく受け入れていた自分と、自由に羽ばたいていこうとする彼女の立場の違いに、情けなくも無意識にねたんでいたのだと思う。


 いまになって思うのは、立場の違いなんてものは言い訳にすぎないということだ。自分の置かれた環境など、自分の気持ちに比べれば些末な問題である。バールナットには踏み出す勇気がなかった、それだけの話だ。


「世界には、いろんなところがあるんだろうなぁ。俺の知らないことばっかりだ」

「当たり前だろ。世界は広い」

「どれくらい広いんだ?」

「それを俺に聞くか。――俺だって知らねえよ。岩窟城のことしか知らない。お前といっしょだ」


 好奇心を隠すことないマイトがまぶしい。冒険者というのは、興味あるモノに突き進む性質があるようだ。

 では、夢やぶれて冒険者をやめたカンナバリは、どうなのだろう。旅立ちに胸躍らせていた頃の気持ちは、もう失われたのだろうか?


「なあ、カンナはダンジョン街でうまくやってるのか?」


 意図が伝わらなかったようで、マイトはキョトンとして首をかしげる。


「うまくって?」

「だから、ちゃんとやっていけてるのか?」

「よくわかんないけど……看護師は大変な仕事だから、苦労は多いと思う。けど、ヤブ先生の診療所はカンナさんがいないと回らないかんね。やりがいはあるんじゃないかな。いつも楽しそうにしてるよ」


 その言葉で、救われた気がした。踏み出した彼女がむくわれたことは、踏み出せなかった者にとってもはげみになる。

 しみじみと晴れやかな気持ちが胸の奥に広がっていく。


 ――唐突に大きな声で呼びかけられたのは、そんなときだ。余韻がぶち壊されて、バールナットは顔をしかめた。


「マイト、バールナット!」


 目の下に大きなクマを作った青い顔のミスミが、フラフラとした危なっかしい足取りでやってくる。見たところ体は疲れきっているようだが、何かうれしいことがあったのか声色は明るい。

 ミスミは二人の元にたどり着くと、息を整える間も惜しいとばかり、前のめりとなって口を開く。


「二人に頼みたいことがある。フォウビルって鉱夫ドワーフを捜してきてくれないか。それと、用意してもらいたいモノがある!」


 いきなりの要求に、感じ取るものがあった。


「ひょっとして、黒血病のことが何かわかったのか!?」

「ん? ああ、それもあるけど、ドワーフ病解決の糸口をつかんだ。検証したいから頼まれてくれるか」


 予想だにしなかった展開に、バールナットは度肝を抜かれる。なぜ黒血病のことを調べてドワーフ病に行きつくのか、まるで理解できなかった。

 驚きのあまりあんぐりと口を開けて、ちらりとマイトを見る。


「ヤブ先生はやるときゃやるんだ」


 当人よりも得意げな顔で、マイトは胸を張って言った。

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