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 医療機関を持たない岩窟城のドワーフのために、シーマ・フットローズが医術者ギルドから派遣されたのは三十年前のことだ。

 テテトスと岩窟城の境界に医院を構えて、鉱山事故や製鉄所でケガを負ったドワーフの治療を請け負い――この地で結婚をし、子をもうけた。彼女の一人息子が、アルム・フットローズである。


 幼い頃から母に回復魔法の手ほどきを受けてきたアルムは、大手医術者ギルドでの修業をへて、昨年岩窟城に戻ってきた。

 魔法学院医術科から研究員の誘いがあったほど勉強熱心で優秀なアルムは、帰還早々大ケガを負ったドワーフを見事治療して信頼を勝ちえる。

 問題があるとするなら、マジメすぎることだろうか。マジメで融通の利かないアルムは、豪放で意地っ張りな性質のドワーフと衝突することが少なからずあったのだ。


 それでも医術者としてやっていけるのは、この地で育った下地があればこそだろう。彼ほどドワーフに見識のある医術者は、世界を見渡してもそうはいない。

 そんなアルムの略歴を、地下につづく坑道の傾斜を下りながらミスミは聞いていた。階段状に切り取られた岩盤は、気を抜くと踏み外しそうなほど急勾配となっており、足下ばかりに神経を使って、ほとんど頭に入っていなかったが。


 やがて、ひらけた平地にたどり着き、ミスミはホッと胸を撫でおろす。すでに全身汗まみれで、疲労がじっくりと体内に蓄積しているのを感じていた。


「ここが第一拠点だ」


 案内役のバールナットが、聞き捨てならないことを言う。


「おいおい、第一ってことは、まだ下にあるのか?」

「もちろん、ある。岩窟城は何百年も前からドワーフが採掘をつづけてきた鉱山だぞ。これくらいで終わるわけがない。いまは第四を整地中だ」


 先の見えない道のり想像すると、げんなりしてため息がもれる。

 がっくり肩を落としたミスミとは対照的に、マイトはヘラヘラ笑っていた。


「すげぇな、いつかダンジョンになりそうだ――って、ダンジョンはどうやって作ったんだろ?」


 いまさらな疑問を口にして、マイトは頭をひねる。それも数秒もすると消え去ったようで、興味深げに周囲を見て回っていた。


「お前は元気だな。先生はへばってるのに」

「そりゃあダンジョンで鍛えてるからな。こんなの屁でもない」


 マイトほどではないにしても、若いアルムもまだ平気そうだ。ミスミを気遣って、持参した水筒を渡してくれた。

 ありがたく頂戴して、一口含む。渇いたノドに水分が染み渡る感覚が心地いい。


「あの、ミスミ先生……」


 水筒を返すと、神妙な顔つきのアルムがためらいがちに話しかけてきた。その声色には、どこか思い詰めたような響きが混じっている。


「どうした?」

「魔法を使えないあなたが、なぜ医療に関わろうと思ったのですか」


 医療従事者――すなわち医術者の世界では、当然の疑問なのかもしれない。だが、アルムの言葉からは、一般的な意味合い以上の疑問が含まれているような気がした。

 ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、慎重に探りを入れる。


「そんなにおかしいかな。俺が生まれたところでは、これが普通だった。確かに回復魔法はすごいけど、医療に必要なのはそれだけじゃないだろ」

「はい、そうですね……」


 納得したとは思えない歯切れの悪い返事だ。アルムが何を考えているのか、まったくわからなかった。


「そろそろ次に行こうか」


 バールナットにうながされ、坑道下りを再開する。

 岩窟城は拠点を中心に、いくつもの穴を水平方向に掘り進めて、採掘場所を確保していた。一帯の資源を掘りつくすと、下に、さらに下にと拠点を移していったようだ。これらを手作業で行っているのだから恐れいる。さらにトロッコレールを引き、地上まで運び出す作業まであることを思うと、いかにドワーフが優れた労働者かわかるというものだ。

 この労働力を岩窟城の自治権だけでえられたのは、領主にとって最大級の幸運だったに違いない。


 第二拠点を抜けて、現在主要の採掘現場である第三拠点までやって来た。主要現場だけあって、これまでよりも鉱夫ドワーフの数がぐんと増える。

 横穴の一つを覗き込むと、添木で補強された通路が奥深く伸びていた。キュルキュルと車輪の軋む音が、岩肌に反響して聴こえてくる。奥からトロッコを押す一団が迫っていた。

 ミスミが慌てて道をゆずると、トロッコは横を通りすぎ、拠点に到着したところで一旦停止した。


「バール、何をサボってんだ!」


 小休止するドワーフが、バールナットを見つけて荒々しい声をあげた。前日カンナバリの家に押しかけてきた、若手ドワーフの一人であることを思い出す。


「サボりじゃない。客人のもてなしをするように、爺ちゃんに言われてんだ」

「理由があろうとなかろうと、仕事に来ないならサボりといっしょだ。バツとして、今日の廃棄係はバールな」

「えー、そりゃないよ!」


 バールナットは本気で嫌がり、身をよじってうろたえている。


「廃棄係って、何すんの?」と、マイトがたずねた。

「生ゴミとか小便やウンコを地上に持って帰って捨てる係。鉱夫やってて一番きつい仕事だ」


 意外と衛生観念がしっかりしている。失礼ながら鉱夫ドワーフは衛生面に無頓着なイメージがあったので、ミスミは心のなかで関心した。

 不衛生な環境は病原体の温床となる。バールナットにとっては災難だろうが、廃棄係は重要な仕事だ。


「おい、早くクズを持っていけ!」


 年配の鉱夫ドワーフが、休憩中の若手の尻を叩く。どうやらトロッコ運搬は若手の仕事らしく、そのドワーフは監督する立場にあるようだ。

 指示を受けて、若手ドワーフがトロッコについた。行き先は地上――ではなく、手動の転車台でレールの路線を変えて、別の横穴に頭を向ける。


「上に持っていくんじゃないのか?」

「あれは採掘してるとボロボロ出てくるクズ石だ。ジャマになるから、定期的に使わなくなった穴に捨てるようにしている」


 考えてみれば当たり前のことだが、まったく思いいたらなかった。鉱石の学識がないミスミに、鉄鉱石とクズい石の区別がつかなかったからだろう。素人目にもただ石ころだとわかるものもあれば、金属質な見た目の石も混じっていたりもする。判断基準が難しい。


 かけ声と共に、車輪が軋みトロッコが滑り出す。横穴に突入する様子を見届けた監督役は、ふいに視線をこちらに向けた。

 埃の詰まったヒゲをすきながら、居合わせた顔ぶれの一つに目を止める。


「こんなところで何をしているんだ、ヤブ医者の息子」


 ミスミは息を飲んで、呼びかけられた青年を見た。


「ぼくは……クリステからいらっしゃった、ミスミ先生の調査に同行させてもらっています」


 引きつった顔でアルムが言った。声がかすかに震えている。


「言っとくけど、爺ちゃんの許可はもらってるからな」

「そうか、それなら文句はない。好きにすればいい。ただし、仕事のジャマはするなよ」


 下唇を噛んだアルムが、ギュッと拳を握りしめていた。その胸のうちに灯った感情を、うまく読み解くことができない。

 ヤブ医者の息子――確かに、そう言っていた。本人に問いただせる雰囲気ではなかったので、こっそりとバールナットにたずねる。


「ヤブ医者の息子って、どういうことなんだ?」

「さあ、わからない」若いドワーフは不可解そうに眉根を寄せて、軽く肩をすくめる。「アルムの母親のシーマ先生が、そんなふうに呼ばれているのは聞いたことがない」


 そうなると、必然的にもう一人の親が思い浮かぶ。アルムの父親の存在は、略歴を聞いたときも一切出てこなかった。

 頼られてもいない個人的な問題に首を突っ込む趣味はないのだが、という呼称は他人事でないだけに気になってしょうがない。この場で真相を知るのは、アルムか監督役のドワーフだ。知るには、どちらかにたずねるほかなかった。


 そんなことを考えていると――ふいに騒々しい声が下りてきた。

 鉄鉱石の運送を終えたドワーフの集団が、空のトロッコを押して第三拠点に戻ってきたのだ。どうやら知り合いらしい若手ドワーフが、アルムに気づいて驚きの声を上げる。


「おい、アルム、こんなところにいていいのか」

「えっ、どうしたの?」

「知らないのか。黒血こっけつ病にかかった人間が出たって、地上で大騒ぎになってるぞ」


 その言葉を聞いた瞬間、血相を変えたアルムは走り出した。「すみません、先に帰ります!」と一言残し、地上に向かって駆けていく。

 いきなりのことで状況を飲み込めないミスミは、困惑を浮かべてバールナットを見た。


「黒血病ってなんだ?」

「二十年以上昔に、テテトスで流行った病気だ」答えたのは監督役のドワーフだった。「あいつの親父――ヤブ医者も、黒血病で死んでる」


 濃いしわの寄ったドワーフの顔が、深刻さを物語っている。

 初耳の病気であったが、厄介な病気であることは間違いないようだ。ミスミは胸騒ぎをおぼえて、厚い岩盤を透かして地上を見るように天井をにらみつけた。


「俺も戻るよ。どんな病気なのか気になる」


 ミスミは言うが早いか足を踏み出す。慌ててマイトとバールナットが後を追ってきた。

 全速力で来た道をたどり、地上まで戻る。坑道を抜けて日の光を浴びる頃には、ミスミは息も絶え絶えでヘロヘロになっていた。運動不足を嫌というほど思い知らされる。


「……ダンジョン街の外に出ると、いつもこんな目にあってる気がする」

「ヤブ先生、早く早く!」


 まだまだ元気いっぱいのマイトに手を引かれ、休む間もなく医院に向かった。

 岩窟城とテテトスの境界にある工場地帯の一角に、フットローズ医院はある。平屋建てのしっかりとした造りの建物で、病院規模はダンジョン街の医術者ギルド並だ。抱える医術者の数も相応に多いことだろう。


 正面入り口をくぐると、待合室にはドワーフだけではなく人間の外来患者の姿も多数見受けられた。採掘仕事と違い製鉄所を中心とした工場地帯では、製造担当のドワーフと販売流通担当の人間が肩を並べて働いてるとのことだ。


 受付でバールナットが事情を説明してくれ、関係者以外立ち入り禁止の施術室がある区画に通してもらえることになった。ここで回復魔法による治療が行われている。


「シーマ先生!」と、バールナットが声をかける。

 一見してドワーフと見まがいそうになるほど肉づきのいいたくましい女性が、腕組をして施術室の扉の前に立っていた。この医院の院長であり、アルムの母であるシーマ・フットローズだ。あまりアルムとは似ていない。


「バールか。それに――」シーマの視線は若いドワーフから、その後ろに控えたミスミ達に移る。頬肉がプルンと揺れた。「キミがカンナの連れてきたウワサの医者かい。話は聞いてるよ」

「はじめまして。ダンジョン街で――クリステで医者をやっているミスミです」

「冒険者のマイト、です」


 いかついドワーフを相手しているだけあって、どっしりとした風格を感じる。マイトが思わずへりくだってしまうほどだ。少しタイプは違うが、どことなくダンジョン管理組合のタツカワ会長を彷彿とさせるものがあった。

 シーマはふっくらとした顔に微笑を浮かべて、ミスミの腕をあいさつ代わりに軽く叩いた。


「息子が迷惑かけたみたいだね」

「いえ、迷惑なんてことは何一つなかったですよ。それより、黒血病の患者さんの治療はどうなりましたか?」


 シーマの目線が施術室に向いた。


「いまアルムが魔法治療を施しているよ。わたしなんかより、あの子のほうが治療法に精通してるからね。昔と違って最新の術式を使ったら、黒血病単体を押さえ込むことは難しくない」

「見学させてもらってもいいですか?」


 ミスミの発言に、シーマは驚きを表情に塗り込めた。


「何をバカなこと言ってるんだい。黒血病は感染症だ。治療可能だといっても、無闇に接触者を増やすわけにはいかない」

「そ、そうだったんですか。間抜けなお願いをして、すみません」

「珍しいね、医術者で黒血病のことを知らないなんて」

「ヤブ先生って、変なことくわしいわりに意外とフツーのこと知らなかったりするよな」と、マイトが茶々を入れた。


 そのとき、シーマの顔色があきらかに変わる。似たような顔をアルムもしていた。ヤブ医者――この呼称が発せられたときだ。

 ミスミの頭に疑念がわき出す。母子にとって、よほど意味がある言葉のようだ。


「勉強不足で申し訳ない。それと、俺は医者であって医術者じゃありません。魔法が使えないんです」

「そう……」

「もしよかったら、黒血病について教えてくれませんか」


 何に引っかかっているのか気にはなったが、まず黒血病を知ることを優先する。

 シーマはわずかに戸惑いを残していたが、患者に説明するような口調で丁寧に教えてくれた。


「黒血病は――」


 古来より何度も世界的流行が起こり、多くの命を奪っていった病気だ。発生すると主にリンパ節が痛みを伴う腫れを起こし、倦怠感や高熱によって衰弱していく。症状の進行によって、体に黒い斑点が浮き上がる。血液に毒素を蓄積して黒く染まるのだという考えから、黒血病と呼ばれるようになった。


 致死率が非常に高く、さらに人から人に感染していくことで爆発的に広がっていく。町一つが黒血病で滅びたという記録もあるほどだ。その恐ろしさから医術者による研究が重ねられ、治療法が確立された側面もある。


「二十八年前に、ここでも黒血病の流行があった。人間だけじゃなく、肉体的に強靭なドワーフにも感染が広がって、多くの命が奪われた。抑え込むの二年近くかかったわ」

「ああ、それおぼえてる。ガキの頃に、テテトスや工場地帯で死人がいっぱい出ておっかなかったな。岩窟城は被害が少なかったから、まだマシだったけど」


 バールナットの発言に、ミスミは違和感をおぼえる。テテトスと岩窟城、その中間にある工場地帯は、そう距離が離れているわけではない――感染を防ぐ手立てがあったようには思えないのに、なぜ被害を抑えられたのか腑に落ちないものがあった。


「わたしの旦那も、黒血病で死んだ。テテトスで役人をしていたんだけど、医術者でもないのに発生原因を突き止めようとして、調べているうちに黒血病にかかってしまった。おかげでなんて言われて、バカにされたりもしてた」


 そういうことか――アルムやシーマが、ヤブ医者という言葉に過敏になっていた理由がわかる。バールナットが事情を知らなかったのは、そもそも年齢的に当時の話を知らなかったからのようだ。

 一つの疑問を解けて、幾分スッキリする。だが、肝心の問題がまだ解決していない。


「シーマ先生、黒血病はまた拡大するのでしょうか?」

「どうだろうね。これまでも散発的に感染者があらわれることはあったけど、流行とまではいかなかった。でも、今回もそうだとは、いまの段階では判断できない」

「以前流行したときは、どうやって終息したんですか?」


 シーマは肩をすくめて、力なく笑った。


「気づくとおさまってた。正直なところ、何が理由かはわからない。旦那がいろいろやってたみたいだから、そのどれかが効果があった――とかなら、わたしも鼻が高いんだけどねぇ」


 ドワーフ病の解決が主題であったが、この事態を見すごすわけにはいかなかった。

 しばし顔を伏せて思案し、ミスミは状況を整理する。必要なのは情報だ。精査できるだけの正確な情報をえなければ、全体を把握することは難しい。


「当時の記録が残っていませんかね。くわしい状況を知りたい」

「それなら、うちの旦那が残した手記がある。ヤブ医者が書いたものだから、どこまで役に立つかわからないけど」

「俺もヤブ医者です。ヤブ医者の言葉は、ヤブ医者が一番よくわかる」


 ミスミは身を乗り出して言った。黒血病の正体は、是が非でも見極めなくてはならない。

 きわめて近い症状が発生する病気は、すでに思い当たっていた。ミスミのいた世界では、それを――『ペスト』と呼ぶ。

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