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 険しい顔のドワーフが、じっとカンナバリを凝視している。

 若くからヒゲを生やす習慣のあるドワーフの年齢は、一見してわかりづらかったが、身に備えた空気感により、それなりの年かさであると察することはできた。黙していても伝わる、貫禄がにじみ出していたのだ。


「父ちゃん、ただいま――」


 カンナバリの声色に、ほんの少し緊張が含まれていることに気づく。どんなときも動じない、度量の大きいカンナバリには珍しい。

 対して、父親のほうは拍子抜けするほどあっさりしていた。


「おう、帰ったか」重低音の迫力のある声であったが、話すテンポがよくて、その分軽やかに感じる。「待ってたぞ。そっちが手紙にあった医者の先生だな。もう一人が付き添いの冒険者か」


 カンナバリが事前に同行者を連れて帰郷することを伝えていたようで、すんなりと訪問を受け入れてもらえた。

 顔つきは険しいままであったが、ミスミとマイトの挨拶に握手で答えてくれる。おそらく中身はカンナバリと似たおおらかな性格なのだろう。


「遠いところからよく来てくれた。何もないが遠慮せず上がってくれ」


 通された奥の部屋では、食事の用意をする母親の姿があった。大火力のカマドで大鍋を振るっている。


「やあ、いらっしゃい」と、母親も笑顔で歓迎してくれた。カンナバリの数十年後の姿を思わせる、そっくりな風貌だ。


 思いがけない歓待に、ミスミは少し戸惑う。カンナバリの緊張と、両親の態度がつりあっていないように感じたのだ。

 何か裏があるのだろうか?――そんなことを頭の隅で考えもしたが、わざわざあざむくような手順を踏む理由がなかった。もしミスミ達に敵意があったのなら、冷たくあしらえばいいだけなのだ。カンナバリと親子というだけで、ミスミ達を受け入れる義理はない。

 そう考えると、ウソ偽りなく来訪を歓迎してくれているという結論に達する。それは間違いないだろう。


「ドワーフ病とやらを患っていると聞きました」


 石を削り出して作った見事な装飾のテーブルについたところで、ミスミは話を切り出した。


「ああ、それか。もう治った」

「治ったんですか?!」


 思わず声が跳ね上がる。深刻な病気ではないと聞いていたが、ここまであっけなく回復しているとは考えていなかった。


「もう何日かゆっくり休めば、仕事にも復帰できると思う」

「あのドワーフ病というのは、どういう病気なんですか。症状をくわしく知りたいんですが」

「どうと言われてもなぁ。長年採掘をつづけていると、いつの間にか発生しているとしかわからない。たいした症状は出ないから、ドワーフは誰も気にしちゃいないんだ」


 症状としては腹痛からくる下痢に嘔吐、食欲の減退、時おり軽い痙攣が起こることもあるそうだ。ただ休息を取れば症状は自然と緩和されていくという。

 ドワーフ病の話を聞いたとき、ミスミが最初に疑ったのは塵肺じんぱいだ。採掘時に発生する粉塵を吸い込むことで、肺疾患を引き起こしたのではないかと考えた。


 だが、どうも肺病ではないらしい。呼吸器系に障害が出る場合もないわけではないそうだが、ドワーフ病として主にあがる症状からはずれていた。

 強靭な肉体を持つドワーフであることも考慮しなくてはならない。人間を基準とした診断では、見落としてしまうものがあるように意識する。


「難しい話はあとにして、とりあえず食事にしましょうか」


 カンナバリの母が、大量の料理を抱えて食卓にやって来た。大きな石のテーブルが、あっという間に料理の皿で埋まる。

 そこに、「お、これからはじめるのか。いいタイミングだ」と、断りもなくバールナットがズカズカと入ってきた。他にも若いドワーフを数人引き連れている。


 ミスミもマイトがあ然とするなか、カンナバリも含めてドワーフは誰一人として驚いていない。ドワーフにとっては普通のことなのだろうか。おおらかを通り越して、もはや大雑把すぎる領域だ。

 食卓からあぶれるほどに集まった若手ドワーフは、遠慮のそぶりも見せずに平然と飲み食いをはじめる。それを咎めることもない。


「ごめんなさい、ミスミ先生。ドワーフは宴会が大好きなんです。いつでも騒いで飲めるチャンスを探している」

「俺はいいけどさ……。カンナさんは積もる話があったんじゃないか」

「いえ、わたしとしてはこのほうが気が楽です」


 困り顔のカンナバリが、引っかかる物言いをする。

 事情を聞いていいものか、ミスミが言いあぐねていると、ふいに思わぬ邪魔がぶつかってきた。隣に座っていたマイトが、実際に体をぶつけてきたのだ。


 何事かと目を向けると、「うげっ」と口から液体を吐き出し、胸元をびっしょりと濡らしていた。飲み物が体質に合わず、拒絶反応で体が激しく揺れた結果のようだ。

 それが何かは、聞かなくともわかった。アルコールの強烈なにおいが、プンプンと漂っている。


「いい酒だろ。もっと飲め」


 マイトの醜態を見ていながら、バールナットは一切意に介さず、なおも酒をすすめる。手にした革製の酒袋から、半ば無理やりグラスに注ぐ。

 本気で嫌そうに顔を歪めたマイトは、そのままグラスを隣に――つまりミスミに受け渡した。


「ヤブ先生、任せる……」


 しかたなくグラスを取り、おそるおそる舌先でちょっぴり舐めてみた。

 それだけで、もう充分だ。アルコール分解力に優れたドワーフがたしなむ酒だけあって、とんでもなくアルコール度数が高い。ほんの少し舌がふれた程度で、ピリピリと痺れるような感覚が残る。


「ほら、遠慮しないで、あんたもやれよ」


 ドワーフにとって、酒を酌み交わすことが客人に対する礼儀らしく、こちらの都合をまったく配慮してくれない。

 ミスミは観念して、少しの酒と、こっそりカンナバリが用意してくれた大量の水を腹のなかで割り、どうにかこうにか切り抜けようと試みた――が、「先生、俺の酒も飲んでくれ」と、カンナバリの父がお酌の順番待ちをしていた。他の若手ドワーフもあとに控えている。絶望感に渇いた笑いがもれた。


 マイトと二人で、四苦八苦しながらドワーフの宴会に耐えつづけるしかない。

 そうこうしているうちに、ふとカンナバリの姿が食卓から消えていることに気づく。ミスミは席を立ち、何食わぬ顔で離れようとした。


「あっ、ヤブ先生ずるい!」


 マイトに見つかっても、酔っ払ったふりを押し通して部屋を出る。玄関を抜けた先に、カンナバリはポツンと立っていた。

 日は落ちて、すっかりと濃い闇が岩窟城を包んでいる。カンナバリは山風におさげ髪を揺らしながら、丘陵に並んだ住居の灯りをぼんやりと見ていた。


「どうかしたのかい?」


 アルコールにやられて呂律が怪しかったが、なんとか聞き取れる言葉を吐くことができた。


「少し酔っ払ったみたいで、風に当たってました」


 カンナバリはうわばみで、酔ってる姿をこれまで見たことがない。ごまかすにしても、ぞんざいすぎる。

 ミスミは苦笑をもらし、ついでに酒くさいゲップをもらしたあと、よたよたと千鳥足で隣に立った。


「親父さんと会ってから、どうも様子がおかしいように感じる。俺でよかったら話を聞くよ」

「……さすがミスミ先生、なんでもお見通しですね」


 買いかぶりだ。病気以外には鈍感なミスミが、カンナバリの小さな違和感に気づけたのは偶然にすぎない。そのことは彼女もわかっているはずで、からかっているだけかもしれない。

 短く深呼吸を繰り返し、カンナバリは空を見上げる。世界を照らす二つの月が、上下に並んで浮かんでいた。


「わたしだけがこだわっていることだと思うのですが、冒険者になると告げたとき、両親は意外なほどあっさり了解してくれました。外の世界を知るのはいいことだと言って、こころよく送り出してくれたんです。でも、わたしは何かも中途半端で、冒険者として成功することはできなかった。そのうえ故郷にも戻らず、ずっと心配をかけていたので……顔を合わせるのがちょっぴり気まずくて」

「なんだ、そんなことで悩んでいたのか」


 ミスミは声を出して笑う。カンナバリの眉間にしわが寄っていくのを見ても、あえて笑い声を止めなかった。


「おかしいですか?」

「おかしいとは言わないけど、俺の認識とはちょっと違うな。冒険者の実績についてはわからないが、看護師のカンナさんは診療所に必要な人材だ。恥じることは何もない。もし少しでも看護師の仕事に誇りをもってくれているなら、胸を張ってご両親に伝えてほしい。カンナさんは診療所に――いや、ダンジョン街になくてはならない人だって、俺がちゃんと説明するよ」


 大きく息を飲む気配が伝わってくる、ほどなくして、フッと短く息を吐くのと同時に、強張っていた肩の力が抜けていく。


「そうですね、そうします」声色に精彩が戻ってきた。「ありがとうございます、ミスミ先生」


 カンナバリの顔に、ようやく、見慣れたやわらかな笑顔を浮かぶ。

 わだかまりから解放されたカンナバリと共に、宴会の場に引き返す。そこには、ぐでんぐでんになって酔いつぶれたマイトのあられもない姿があった。


「ああ、やっと帰ってきた。先生、さあ、グイッといっとくれ」


 限界ギリギリまで注がれた酒を押しつけられる。ちらりとカンナバリに目を向けて、ミスミは覚悟を決めた。

 復活した看護師が介抱してくれることを信じて、思い切ってグラスに口をつける。


※※※


 ミスミとマイトの二日酔いが回復した昼頃に、バールナットの住居におもむくことになった。


 前日の宴会の席で、「ドワーフ病を調べてるなら、うちに来いよ。爺ちゃんを紹介する」とバールナットが申し出たのだ。カンナバリによると、彼の祖父はドワーフの長老の一人だという。

 岩窟城は五人の長老による合議制で執行されており、その一角であるバールナットの祖父の許可を取り次ぐことができれば、ドワーフ病の調査を制限なく行える。ミスミは一も二もなく、バールナットを頼ることにした。


 カンナバリに案内されて、彼の家に向かう。長老宅といっても、他のドワーフと変わらない穴倉式の住居だ。入口木戸も似たり寄ったりの大きさであるが、家族が多い分カンナバリの実家よりも奥行きがあった。

 作業着姿のバールナットに出迎えられて、長老の待つ最奥の部屋におずおずと足を踏み入れる。


「おひさしぶりです、長老」

「おお、カンナバリ、よお帰ってきた。客人も遠慮のお入っておいで」


 小さな部屋に、穏やかな顔立ちの老人がちょこんと座っていた。真っ白なヒゲが、あぐらをかいた足下まで届いている。

 強靭な肉体を持つドワーフも加齢による減退はまぬがれられないようで、皮膚はたるんでしわを作り、全身を覆った筋肉は容量を減らしてほっそりとしていた。ドワーフが元々小柄な種族ということもあり、老化が一層際立って感じる。


 ミスミが気になったのは、長老の肌と目だ。体表が全体的に黄色がかった印象を受ける。特には目は顕著で、結膜がハッキリとした黄色に染まっていた。

 黄疸だ――肝臓になんらかの疾患を抱えている可能性があった。


「孫から聞いたが、ドワーフ病を調べたいというのは本当かい?」

「はい、そのつもりで来ました。許可してもらえないでしょうか」

「そりゃあかまわんが、ずいぶんと奇特な趣向をお持ちじゃな。人間なら、もっと他に調べにゃあならん病気があるんじゃないかね」

「カンナさんには迷惑ばかりかけているので、恩返しの意味も込めて少しでも助けになればと考えた次第です」


 わずかに不可解そうな気配はあったが、長老はヒゲを波立たせるようにうなずいてみせた。

 とりあえず、許可はもらえた。これで大手を振って解析調査を行える。


「ところで、失礼ですが、長老もドワーフ病を患った経験があるのですか?」

「フム、三度……いや、四度だったか、ドワーフ病にかかったことがある。いまは役立たずの年寄りだが、これでも昔はいっぱしの鉱夫じゃった。長いことつづけていると、ドワーフ病には必ずかかるもんだと、そう教えられてきた」

「失礼ついでに、もう一つ――」


 ミスミはそっと身を寄せて、目線で許諾をえると腹部に手を当てた。

 指先に弾く感触がある。ほっそりとした老人の体に見合わない膨らみが、腹部に溜まっていた。腹水だ。


「どこか身体に異常はないでしょうか」

「年寄りだからな、そこらじゅうガタはきとるよ」


 思い描いた答えが返ってこなかったので、質問の方向性を変えてみる。


「長老は黄疸――肌や目が黄色がかり、腹に水が溜まっています。もしかして、ドワーフ病を患ったことのある年配のドワーフは、似た症状を引き起こしているのではないですか?」


 意外な質問だったらしく、長老は加齢よって深くたれていた瞼を押し上げ、目を丸くする。

 しばらく黙り込んで思案した末に、長いヒゲを波立たせた。


「確かに、何度かドワーフ病にかかっていた親父も、死ぬ間際は黄色い顔しとった。これがドワーフ病と関係あるんかい?」

「くわしく調べてみないことにはわかりませんが、関連があるのかもしれません。黄疸と腹水は、肝硬変によく見られる症状です。ドワーフ病の正体は、肝障害を引き起こす病気の可能性があります」


 説明を聞いてもピンとこないのか、長老は呆けた表情を浮かべていた。


「難しいことは、よおわからんが」ヒゲに隠れていた口が、ニヤッとゆるむ。「あんたが、ただ者でないことはわかった。回復魔法を使えん医者と聞いとったが、どこぞのヤブ医者とは違うようじゃ」


 思いがけない呼称に、ミスミは度肝を抜かれる。一瞬、岩窟城まで“ヤブ医者”の異名が届いていたのかと焦ったが、そうではないらしい。口ぶりからして、ミスミとは別のヤブ医者が、かつて岩窟城にいたのだろうか。

 この点についてカンナバリも知らないようで、不審を顔に宿して首をかしげている。バールナットも右に同じ。


「さて、医者の先生はこれからどうしたい。わしを調べたいわけじゃないんじゃろ」

「よければ、採掘場を見せてもらえませんか。現場を見ないことには予測がつけられない」

「そんなことか、かまわんよ」長老はちらりと孫に目を向けた。「バール、この先生を仕事場に連れてってやんなさい」


 話はあっさりとまとまり、揃って採掘場に向かうことになった。

 せっかく里帰りしたというのに付き合わせるのは酷に思えて、カンナバリには同行を控えてもらう。


「遠慮しないでください!」と、最後まで渋っていたが、「俺がヤブ先生のこと守るから、カンナさんは親孝行してなよ」という上級冒険者の説得により、不承不承戻っていった。


 こうして採掘場行きのメンバーが一人減ったわけだが、その穴を埋めるようにいくばくもなく同行者が一人増えることになる。

 岩窟城の裾野に開いた大きな洞穴に到着した直後のことだ、待ち構えていた青年が声をかけてきた。


「バールさん、その人がカンナさんが連れてきたクリステの医術者でしょうか?」


 彼は、人間だった。マジメを絵に描いたような堅苦しい顔立ちの若者だ。


「なんだ、医術者のアルムじゃないか」


 青年アルムは深々と頭を下げて、上目遣いにミスミを見つめる。


「カンナさんの連れではあるけど、一つ間違えてる。俺は回復魔法を使えない医者だ。ようするにヤブ医者ってことだ」


 その言葉に、アルムはひどく動揺していた。顔が強張り、唇が震える。時間をかけて、ゆっくりと耳が赤く染まっていく。

 何もそこまで――と、ミスミは苦笑してボサボサ頭をかいた。


「俺に何か用かい?」

「え、あっ、あの……」動揺を押さえ込もうと苦心しながら、アルムは遠慮がちに口を開く。「あなたは、ドワーフ病の調査に来たと聞きました。ぼくも連れていってもらえないでしょうか」


 意外な要請に驚き、ミスミは目を瞬かせる。


「こいつは母子で医術者やってて、ドワーフはみんな世話になっている。ドワーフよりもドワーフの体のことを知っているかもしれないぞ。ちょっとは先生の役に立つんじゃないか」

「岩窟城のドワーフは気にとめませんが、ずっとドワーフ病の原因を探りたいと思っていたんです。ぼくにも調査の手助けをさせてください!」


 そこまで言われて断る理由はない。ミスミが応じると、アルムは何度も礼をして感謝の意を伝えた。


「じゃあ、話も決まったことだし、行くとしようか」


 バールナットを先頭に、ミスミ達は坑道へ下りていく。

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