ツボミの季節

<1>

「おお、よく来たなヤブ医者」


 定期検査で娼婦館に訪れたミスミを、帳場のバロッカがやけに機嫌よく出迎えた。いつもは苦虫を噛み潰したような顔で面倒そうに応対するというのに、今日にかぎって不気味なほど友好的な態度だ。

 思わずミスミは身構えて、不審を視線に練り込む。この手の変貌は、きまってよくないことが起きる前ぶれだ。


「何をボケッとしてんだ。とっとと検査してこいよ。それが終わったら話がある。少し付き合ってもらうぞ」

「話ってなんだ?」

「検査が終わったあとに説明する。さあ、早く行ってこい」


 バロッカにうながされ、押し出されるようにして検査に向かう。うさんくさい言動は引っかかったが、元々検査が目的の来訪なのだから仕事を優先させた。

 勝手口から娼婦が住まう共同住宅に入り、ムンと女のにおいが満ちた大部屋を一つずつ見て回っていく。

 ここのところミスミが提案した性病予防対策が奏功しており、目に余るような症状の娼婦はいなかった。軽度の性病疾患を発症している患者は数人いたが、まだ薬剤治療が利く範囲でおさまっている。


 娼婦達の健康状態はおおむね良好――健康状態が良いと精神的にも明朗となって、ミスミとの何気ない会話に弾んだ声を響かせる。客でもなければ店の人間でもない、部外者の男は彼女達にとって貴重な存在で、しがらみのないおしゃべりを楽しんでいた。

 なかでも短い期間だが同じ釜の飯を食ったノンを気にかけている女達は多く、ミスミが語る彼女の成長に一喜一憂する。


「あの子、ちゃんとやってんだねぇ。アゲハ姐さんも浮かばれるよ」

「最初は不安だったが、なんだかんだあいつもがんばってる。まだまだ足りないところは多いけど、看護師として自覚も出てきた」

「元気でやってるなら、それが一番さ。――何にしても、看護師っていう仕事はいいもんだね。わたしも年季が明けたら、先生とこで雇ってもらおうかねぇ」

「俺んとこに来るより、いい男捕まえたほうがいいんじゃないか。そっちのほうが、きっと幸せになれる」

「簡単にいい男が見つかるなら苦労しないよ。どっかに落ちてやしないか、先生も探しといておくれ」


 終始なごやかな雰囲気で検査は終了。気にかかる症状もなく、ミスミは一安心して帳場に戻る。

 待ち構えていたバロッカは、すでに出かける用意を済ませていた。客の応対は、見知らぬ男がしている。年齢的にはバロッカよりも上のようだが、立場的には部下に当たるようだ。二言三言厳しい顔で指示を出し、「あとは任せる」とぶっきらぼうに言った。


「よし、行こうか」

「行こうって、どこにだ?」

「ついてくればわかる。そこに、がいる」


 バロッカに先導されて、飲み屋が軒を並べた『酒場通り』に出る。道沿いに連なるランプ灯りをたどるように、酔っぱらいで溢れた盛り場の奥へと進んでいく。

 やがてバロッカは、一軒の店の前で足を止めた。目に入ったのは冒険者向けの大衆酒場――だが、目的地は、大衆酒場の脇にある階段を上った先だ。見るからに安酒場だった一階の店と違い、二階はひっそりとして落ち着いた作りの酒場となっていた。

 隠れ家的とでも言えばいいだろうか。薄暗い店内のカウンター席を占めた客層は、くつろぎながらも干渉を拒絶する空気感を放っている。


「ライズは来てるか?」

「いえ、今日はまだ……」


 どこかぎこちない微笑を浮かべて、店員は首を左右に振る。


「待たせてもらうぞ」

「それでは、個室でお待ちください」


 店の奥の個室に通され、ソファーに腰を下ろす。そのふわりとした座り心地で、この店のランクがかなり高いことを実感した。

 ミスミは質のいい調度品で揃えられた個室内を一通り見回してから、向かいの席で足を組むバロッカに目線を合わせた。


「そろそろ事情を説明してくれてもいいんじゃないか」

「そうだな」バロッカは眉間にしわを作り、億劫そうに首をかしげる。「どこから話せばいいものやら――」


 組んだ足を揺すりながら、説明の運びを思案していた。悩んでいるというよりは、面倒がっているような印象を受ける。

 急かす理由もないので、ミスミは語り出しを黙って待つ。


「ヤブ医者、お前はタイソンという男を知っているか。元冒険者で、いまは飲食関係の店をいくつも経営している。ここもタイソンの店だ」


 その名前には聞きおぼえがあった。タツカワ会長が常連の高級酒場ナイトクラブを営んでいるのが、確かタイソンだ。冒険者としてはパッとしなかったが、経営の才能はあったようで、引退後に商売をはじめてからはめきめき頭角をあらわしていったと聞いている。


「ライズってのは、そのタイソンの息子だ。こいつはどうやら厄介な持病があるらしくてな、そのせいで父親の仕事を継ぐことを渋っているそうだ。タイソンから息子のことを相談された親方が、面倒なことにどうにかしろと俺に話を回してきた。病気持ちをどうにかしろってのは、ヤブ医者に押しつけろってことだ」


 バロッカの親方――娼婦の元締めであるロウ・ジンエは、ダンジョン街の裏の顔役だ。飲食業を経営するタイソンと交遊があっても不思議ではない。


「いきさつは大体わかった。それで、どんな持病持ちなんだ?」

「そいつは本人に聞け。どうもくわしい病状は、誰にも言ってないらしい。ただ病気だと、におわせてはいたそうだ。そのくせ治療をすすめられると、かたくなに拒否するひねた性分だと聞いている」


 もう取り繕う必要はないとばかりに、バロッカはいつもの不機嫌な顔つきに戻っていた。厄介事を押しつけ終わったということだろう。

 大元がロウの要請である以上、話を聞いたからにはミスミも無下にできない。バロッカも人のことを言えないくらい、面倒な男である。


「患者に拒否されたら、医者にできることなんてないぞ。そのあたりを取り計らう役目は、ちゃんとやれよ」

「そんなこと言われても、ライズとは数度顔を合わせたことがある程度の知り合い未満だ。俺の言葉を聞くとは思えんな」

「それを聞かせるのがバロッカの仕事だろ。そいつが治療を受ける気になったら、望みどおり診察はしてやるよ」


 バロッカは不満を込めた舌打ちを鳴らし、一層激しく組んだ足を揺する。

 問題のライズが到着したのは、それからほどなくしてのことだ。店員に案内されて個室に顔を出したライズは、バロッカを見つけると露骨に顔を歪めた。


「どうして、お前がここにいる」


 まだ幼さの残る顔立ちをした、十代後半の少年だ。チャラけた格好で、生意気にも女を二人連れている。

 ライズは連れの女を店員に預けて、威嚇するように苛立ちをあらわしたまま個室に入った。一切遠慮する素振りは見せず、当然のように上座に腰かける。


「さては親父の差し金だな」

「いいや、うちの親方から頼まれた」

「ロウ・ジンエが意味なく動くわけないだろ。どうせ親父が手を回したに決まってる。いったい、用件はなんだ」


 バロッカは呆れたふうに肩をすくめて、わかりやすく小バカにした口調で目的を伝える。


「何か病気を患っているらしいな。それを理由に跡を継ぐのを拒んで、遊び回っているとも聞いた。治療する気はあるのか?」


 隠し事ができない性質のようで、ライズの顔に動揺がよぎる。生意気な態度で武装しているが、中身はまだまだ子供だ。

 どれだけイキがったところで、大人の目には未熟な精神が透けて見える。


「ここにいる男は医者だ。治療する気があるなら、話を聞いてやってもいいそうだ」


 医者という言葉に過敏に反応して、ライズは強張った顔を向けてきた。

 何をそんなにおののくことがあるのか――理由がわからないミスミは、鼻のつけ根にしわを寄せてライズの出方を見る。


「か、勝手に医者なんて呼んでくるんじゃねえ。お前にどうこうしてもらおうなんて思っていない!」


 強い拒絶を言葉と身振りであらわす。怒りと困惑、それに焦燥感も少し混じっているように感じた。

 いずれにしても、ここまで意固地になられると説得の言葉は届きそうにない。この偏屈な少年を、どのように解き落とすつもりか――横目でバロッカを盗み見ると、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。


「まあ、その気持ちはわかる。どこの馬の骨かもわからない医者にかかるのは、そりゃあおっかねえよな」バロッカはどういうわけか、ライズに同調した。「そもそも病気ってのが、おっかない。てめぇの体なのに、どうにもならねぇ状況になっちまうのは想像もしたくない」

「知ったふうなことを言うな。俺のは……そんなんじゃねえよ」

「強がんなくていいんだぞ。誰だって病気は怖い。ビビっても笑いやしないさ」

「だから、違うって言ってるだろ!」


 ライズは怒鳴りつけ、乱暴に席を立つ。話にならないといった態度で、舌打ちを鳴らして足早に個室を出ていってしまった。

 おさまりきらない怒りを、店員にぶつける声がした。呆気に取られた連れの女にも当たり散らしている。子供ガキのカンシャクで静かな酒場をかき乱し、不穏な空気を残して店を飛び出す。


「おい、いいのかよ。治療するのが目的だったんだろ」

「ああいうひねたガキは、まともに言ったところで聞きやしねえんだ。煽って焚きつけたほうが、まだ効果がある。もし治療する気があるなら、自分でどうにかしようと思うだろうよ」


 妙な説得力を含んだ言葉だった。

 ふと思いいたり、ミスミはじっと正面の不機嫌顔を見つめる。


「経験者語るってやつか?」

「バカいえ」フンと鼻を鳴らして、バロッカは心底うっとうしそうに言った。「俺があいつくらいの年の頃は、もっといびつにひねくれてた」

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